寂しい気持ちに、なぜあなたは苦しめられるのか?それを満たす根源的方法

はじめに

 

 

 

 

 

私は若い頃は、ずっと寂しい気持ちとともにいました。

 

 

 

端的に述べると、私は20歳から22歳くらいにかけては極度のウツ状態で、つねに自殺願望に苦しめられていました

 

 

 

それがあることを境に、衝動的で慢性的な自殺願望そのものはなくなり、それからはむしろ、いつも躁状態にあるような感じでした。

 

 

 

自分を取りまくすべてのものがおかしく、いつもなにかを思い出しては、一人で笑っているという状況に陥ったのです。

 

 

 

じつはこれはこれで、自閉的な精神状態の現れだったのですが、とりあえず私は、極度のうつ状態からは、脱出できました。

 

 

 

そうすると前述したように、躁状続がやってきて、私はどんなものも面白く感じたのでした。

 

 

 

しかしそれでも、私のココロには以後20年以上、なくなるどころか、年を経るごとに大きくなっていく感情が残りました。

 

 

 

それが“寂しさ”です。

 

 

 

かつて「幽遊白書」というアニメのオープニングで、こんな歌詞がありました。

 

 

 

♪都会(まち)の人ごみ 肩がぶつかって ひとりぼっち

 

 

 

果てない草原 風がビュンビュンと一人ぼっち

 

 

 

どっちだろう 泣きたくなる場所は

 

 

 

2つマルをつけて ちょっぴりオトナさ♪

 

参照元 http://j-lyric.net/artist/a00b712/l01298f.html

 

 

 

 

私の心情はまさに、これにピッタリでした

 

 

 

多くの人のなかにいれば、そのだれとも繋がれない寂しさで辛くなる。

 

 

 

ひとりきりだと、救われはするが、物理的な孤独感は、ずっと背中にこびりついたようで苦しい。

 

 

 

あなたも間違いなく、こんな記事を読んでいるのですから、程度の差はあれ、当時の私と同様の気分でいることと思います。

 

 

 

ではなぜ、青年期にあるあなたは、こんな気持ちを味あわなければならないのか?

 

 

 

その点を、根本的な原因から解決法に至るまで、ここではご説明いたします。

 

 

 

第一章 「青年期」をはさむ、「少年期」と「壮年期」について

 

 

 

 

まず一般論として、青年が感じる孤独とは、どういうものか、そしてそれは、何を根源としているのかを説きます。

 

 

 

結論から申しますと、それは「青年期」という時期が、「少年期」と「壮年期」の中間にある過渡期の時期だから、なににも依拠できずに寂しいのです

 

 

 

はじめに「少年」とは、基本的に社会から保護された存在で、その身分は「家族の被保護者」というかたちに置かれています。

 

 

 

というのも、そもそも「少年」は、納税や労働のような、大人が社会に支払わなければならない義務を免除されています。

 

 

 

その上で少年は、ただただ勉強や社会性を身につけることだけに専念し、やがて大人になったとき、まともな社会人になれるよう準備をします。

 

 

 

ですからもちろん、少年は自分で日々の食事や日常的な雑用も、する必要はありません。

 

 

それらはすべて、彼のお母さんやお父さんが、ちゃんと用意してくれます。

 

 

 

ですから少年が属する家庭や社会がまともなものならば、少年は寂しさを感じる必要はありません。

 

 

 

なぜなら、彼が必要とするあらゆる人間関係や物質は、彼の両親や社会が保証してくれるのですから

 

 

 

一方、「壮年期」とは何かというと、人がすでになんらかの社会的身分や扶養する家族がいる状態の時期を指します。

 

 

 

壮年期にある人は少年期とは対照的で、労働や納税の義務などが課せられます。

 

 

 

もしそれを果たさなければ、彼は家族を養うことができず、社会的に生きることも許されなくなるでしょう。

 

 

 

その代わり、彼には少年とは異なり、「人の迷惑にならなければ、自分の望むことをしてもいい」という権利があたえられています。

 

 

 

これはたとえば選挙権であり、飲酒や喫煙、異性との性行為などが当たります。

 

 

 

ですから「義務もあるが、自由意志による権利も認められる」。

これが壮年期の特徴です。

 

 

 

さらに述べれば、この年齢の人物には、基本的になんらかの社会属性を負うことが求められます

 

 

 

ここは端的に述べれば、「どんな職業に就いているか」という点です。

 

 

 

会社員、医師、教師、公務員、販売員、サービス業、自営業……。

 

 

 

その内容は多岐にわたりますが、なんらかの職業に就いていることにより、社会属性を持つことを、壮年期の人間には要求されるのです。

 

 

 

第二章 青年期の寂しさ、苦悩の特殊性とは?

 

 

 

以上の点から、「少年期」と「壮年期」のあり方が、わかりました。

 

 

 

 

そしてあなたの現在である「青年期」とは、その「少年期」から「壮年期」への過渡期としてあるということです。

 

 

 

この「過渡期」というのは、あらゆる意味において、そうなのです。

 

 

 

社会属性はもちろんですが、肉体でも精神でも、「青年期」とは過渡期です。

 

 

 

この点を、ご説明していきます。

 

 

 

たとえばあなたがいま、大学生であったら、たしかに「大学に属している」とは、いえます。

 

 

 

しかし大学というところは、原則として4年、長くても8年しかいられません。

 

 

 

そして基本的に大学とは、卒業時に就職先や進学先が決まっているというのが、前提となります。

 

 

 

またもし、あなたが社会人であっても、その会社に一生いるとは、かぎりません。

 

 

 

なにしろ若いときほど、自分の適性や能力がわからないし、完成されていないので、転職する可能性も高いからです。

 

 

 

つまり、若い人は早々に、自分の居場所や社会属性を決められないといえます。

 

 

 

この点は、肉体についてもいえます。

 

 

 

あなたがまだ20代前半なら、あなたの骨格はまだ、完成されていないはずです。

 

 

 

筋肉はついてきて、あきらかに少年時代のものとは異なるが、まだ大人のものほどには、ガッシリとはしていないと思います。

 

 

 

ちなみに、男性のファッションモデルの場合、引退はほぼ25歳くらいだそうです。

 

 

 

その理由は、その年齢では骨格ができ上るため、少年的な華奢さ、繊細さがなくなりゴツくなるため、モデルには適さなくなるからだそうです。

 

 

 

ちなみにですが、下は「永遠の青春の象徴」、ジェームスディーンの身体つきです。

 

この時点で、ディーンは23歳

 

 

 

まだまだ弱々しい少年のイメージが残る身体つきだと、私は思います。

 

 

 

さて、最後に精神です。

 

 

 

こちらでは、あなたは現在もう会社員だとします。

 

 

 

しかしあなたは、自分が一人の社会人、務め人であることに、なかなか実感を持てていないのでは、ないでしょうか?

 

 

 

多くの義務を負いながらも、すべては自分の意思によって、自分の人生を決めていかなければならないとは、思えないのではと推測します。

 

 

 

この点は、あなたの同年代の同僚や友人を見ても、そう思えるのではないでしょうか?

 

 

 

もちろん、すでに慣れた感じで、テキパキと仕事をこなす人もいるでしょう。

 

 

 

ですが多くの人が、仕事そのものにも不慣れで、自分が社会人だとなかなか自覚できずに働いているようには、見えませんか?

 

 

またあなたは、ご自分の同期の人と、「大人って、めんどくせー」みたいな愚痴をこぼしあうことは、ありませんか?

 

 

 

実際に私は、社会に出て1~2年目という若者に出会うと、そんなふうに感じることが多いです。

 

 

 

そのように青年期とは、すべてにおいて過渡期であり、あらゆることがハッキリしない。

 

 

 

だからあなたは、その不安定さに振り回され、とてつもない孤独や寂しさを感じるのです。

 

 

 

というのも、たとえば高校や大学への進学も、同世代の人すべてが共有する悩みや問題であり、それはあなた一人が抱え込むものでは、ありませんでした。

 

 

 

さらに当時は、学校の先生やご両親など、あなたの決定には、つねに味方がいたはずです。

 

 

 

しかし今回の場合は、事情が異なります。

 

 

 

仕事にしろ、今後の生き方にしろ、基本的にあなたはあなた一人で、立ち向かわなければならないのです。

 

 

 

少なくとも、主人公はあなたしかおらず、まわりの人たちはあなたに助言はできても、なにかの決定をあなたに強制はできません。

 

 

 

すべてあなたについてのことは、あなたご自身が決めるのです。

 

 

 

そしてあなたの決定については、あなた自身が責任を負わなければいけません。

 

 

 

さらには進路も、中高生時代はせいぜい、進学するか就職するかくらいしか、個々の差はなかったでしょう。

 

 

 

ですが大学卒業後は、たとえ就職するにせよ、その分野は無限に近く、本格的になにかの専門家になることが求められます。

 

 

 

こうしたことから、「青年期の苦悩、寂しさ」の特徴がわかってきたことでしょう。

 

 

 

なにしろ青年期には、社会属性、肉体、精神、すべてが大人のものへと変わっていき、あなたはそれを否応なく経験させられるのです。

 

 

 

この「拠り所のなさ」は、あなたに寂しさを感じさせるにあたり、充分なものでしょう。

 

 

第三章 『罪と罰』に見る、青年が孤独に陥るプロセス

 

 

 

 

ここで話は、心理学に移ります。

 

 

 

20世紀初頭にユングという心理学者がおり、彼は「集合無意識」という概念を案出しました。

 

 

 

これを簡単に述べると、「基本的に人間は“無意識”のレベルで、みなが繋がっている」とするものです。

 

 

 

つまり、表層意識で考えることは、人それぞれだけど、万人は「無意識」という共通のデータベースを共有している、ということです。

 

 

 

私自身のこれまでの研究や経験では、この「無意識」にアクセスするには、人には一定の「落ち着き」が要求されます。

 

 

 

この「落ち着き」とは、ちょうどラジオの周波数のようなものと、考えてもらえれば大丈夫です。

 

 

 

たとえば、NHKラジオの周波数は、東京では594kHzです。

 

 

 

そこでもし、あなたが東京でNHKラジオを聴きたければ、あなたのラジオの周波数を、極力、594kHzに近づけねばなりません。

 

 

 

そうでないとあなたのラジオは、ノイズばかりを拾い、肝心のNHKラジオを聴けなくなります。

 

 

 

そして先述の「集合無意識」ですが、これは原則として、人はとくに意識をしなくても、アクセスできるものです。

 

 

 

そうしてその限りにおいては、人は極度の寂しさを感じることは、ありません。

 

 

 

なぜならその場合、彼は「自分は万人と繋がれている」という実感が、言語化しなくても、感情で理解できるからです。

 

 

 

ところが青年期とは、何度も申し上げるとおり「過渡期」です。

 

 

 

ですからこの時期に、「自分」を見つめすぎた結果、「集合無意識」へと繋がれなくなり、極度の寂しさに襲われる場合があります

 

 

 

つまり、彼の精神周波数が高すぎるため、彼は「集合無意識」へとアクセスできないと、言えばいいでしょうか。

 

 

その良い例が、ドストエフスキーによる文学作品『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフです。

 

 

 

『罪と罰』のおおよそのストーリーは、以下になります。

 

 

 

 

時は19世紀の帝政期ロシア、首都サンクトペテルブルク。

 

 

 

ここに頭脳明晰だが、貧しさから大学を退学せねばならなくなった青年、ラスコーリニコフがいた。

 

 

 

ラスコーリニコフはナポレオンの信奉者であり、「天才は自己の理念のため、凡人を殺しても許される」という思想に取りつかれていた。

 

 

 

そこでラスコーリニコフは、金貸しで強欲な老婆を殺害し、その財産を奪うことを決意する。

 

 

 

ラスコーリニコフはその計画を実行するが、その際に老婆の義妹までも殺してしまう。

 

 

 

その日よりラスコーリニコフは、激しい罪の意識と後悔に襲われる。

 

 

 

ラスコーリニコフの緊張が極限に達したとき、彼は純心な娼婦、ソーニャと、彼が事件の犯人だと確信している判事、ポルフィーリに出会う。

 

 

 

ラスコーリニコフは、ソーニャとポルフィーリの説得により、ついに自首を決意する。

 

 

 

ラスコーリニコフは裁判の結果、シベリア送りとなるが、そこに面会に来てくれたソーニャのおかげで、ようやく人間らしい心を取り戻す。

 

 

 

そして自分も人間の一人にすぎないことを、悟る。

 

 

 

 

上に挙げたラスコーリニコフのように、人間は精神的、物理的、社会属性的、すべてにわたり孤独な環境に置かれると、「集合無意識」から孤立します。

 

 

 

なぜなら、彼には共感を共有する相手がいないからです。

 

 

 

その結果、自分自身を抽象的にだれよりも高い位置に置き、「人間を超えた人間」とまで、妄想するようになります。

 

 

 

若いときはとくに、そうした事情から「意識(テンション)の極端な高さ」が、人を極度の寂しさへと追いつめることもあります

 

 

 

 

第四章 極度の緊張から、寂しさの極に堕ちた、青年時代の私

 

 

 

次に、私の場合を述べます。

 

 

 

 

私は幼少期から病弱で、さらに潜在的な精神病の性質を持っていました。

 

 

 

くわえてその延長として、アトピー性皮膚炎も、長く患っていました。

 

 

 

そのため私が17歳のとき、父が口コミで知った病院へと私を連れていき、私はそこで処方された薬をそれから3年間、服用を続けました。

 

 

 

ところがその薬は、じつはたいへんな劇薬であり、長期服用は厳禁なものでした。

 

 

 

とくにそれは、精神に多大な悪影響をおよぼすものでも、あったのです。

 

 

 

そして20歳のとき、精神の高ぶりに耐えられず、私は自殺を図りました。

 

 

 

そのときの私は、とかく理性だけは異常に働いて、「感じるココロ=感性」が完全に麻痺していたのです。

 

 

 

そのため人と会話や共感が成り立たず、たえずテンションが高く、興奮しているという状態でした。

 

 

 

ところで前述したように、「集合無意識」とは、ラジオの周波数のように、意識が高すぎても低すぎても、そこにアクセスできません。

 

 

 

そうして極度の緊張から、私の精神は絶対的な孤独へと、陥ったのです。

 

 

 

なにしろこの状態では、「自分が一人の人間で、いまここに存在しているという実感が抱けなくなるのです。

 

 

 

ですから私は、その不安から意味もなく饒舌になり、人に話しかけたり、それでいて話す内容は、支離滅裂だったりしたのです。

 

 

 

 

第五章 冷たく育てられたら、冷たく寂しいココロの持ち主になってしまう

 

 

 

ところでこれまで、主に若者が極端な寂しさに追いやられるケースを見てまいりました。

 

 

 

そこで今度は、そうした人たちとは対極にいる、絶えず精神が安定しており、感性が満たされている人の場合を、見ていきます。

 

 

 

それは具体的に述べれば、ヨガの行者や、禅や武道の達人です。

 

 

 

こういう人たちは、たとえ性格が気さくであっても、意味のない言動は、絶対にしません

 

 

 

なぜなら、彼らは「集合無意識」もしくは「大自然の意識」とつねに一体化しているので、その安心感から、つねに落ち着いて無口なのです。

 

失礼ながらそのあり方は、いまのあなたと正反対のものではないでしょうか?

 

 

 

あなたはおそらく、無口であっても必要なときに自分を主張できず、饒舌であっても、無意味なことしか話せないはずです。

 

 

 

つまりあなたは、ハッキリと申し上げて失礼ですが、「つまらない人間」なのです。

 

 

 

そうしてあなたがそうなったのは、端的には、あなたの育ちに起因するものです。

 

 

 

どうして私がそう断言できるかと申せば、私自身の育ちから、自分もそういう人間だったと、いまになりよく理解できるからです。

 

 

 

まず私の母は、幼少期のトラウマにより、病弱な私を必要以上に構いました。

 

 

 

これが私の精神的成長を阻んだことは、言うまでもありません。

 

 

 

そして父はといえば、上っ面はいい人なのですが、こちらも育ちに問題があり、精神は幼いままで、「人を愛する」ということのわからない人物でした。

 

 

 

ですから父は、私をよくいろんな場所に連れていってくれたりもしたけど、人生でもっとも大切なことは教えてくれませんでした。

 

 

 

それは、「魚ではなく、“魚の採り方”を教える」ということでした。

 

 

 

また父は、「犬や猫は、放っておいても勝手に大きくなる。人間も同じや」と、本気で信じている様子でした。

 

 

 

ですから私は、父に接するたびに、たとえ一緒にいる物理的時間が長くとも、その都度、無視され、心に傷を負っていたのです。

 

 

 

この点は、私が28歳のとき、あるクリニックに生活改善のため、入院したときに思い知らされました。

 

 

 

そこには、私のような現代的な育ちの病気に苦しんでいる人たちが入院しており、そこで共同生活をして、まともな人間関係を構築する訓練を行うというプログラムでした。

 

 

 

ですから病棟には、小さなこどもとその親御さんを中心に、いろんな人がいました。

 

 

 

そこで私は、大人の人とはそこそこうまくやっていけるのに、なぜかそこにいる子どもたちを、知らず知らずのうちに無視していました

 

 

 

そのことは、そこのケースワーカーさんに指摘され、自分でもやっと気づいたという次第です。

 

 

 

そこからわかった点は、次のことです。

 

 

 

私は幼少期から、父よりネグレクトされてきたので、私のココロ自体が凍りついていた。

 

 

そして私は、つねにアタマを働かせながら、理性による対人関係をこなしていたので、感情や愛情による人との関与ができなかった、ということです。

 

 

 

ですがここで注意までに申しておきますと、過去にはともかく、現在では父に対する恨みの気持ちはありません。

 

 

 

というのも、父はそう育ってしまった人なので、私を育てる際にも、それ以外の方法が思いつくはずもないということが、いまになってわかるからです。

 

 

 

ただし、その点を何度も父に説明しても、まったく理解してもらえないのは、閉口ものですが。

 

 

 

そうしたことから私は、幼少期から歪んだ家庭で育ったため、ココロが冷え込んで、他者との共感が持てない人間になっていた、というわけです。

 

 

 

そこから私が気づいたことは、主に青年期における寂しい気持ちの正体とは、何ものとも繋がれない精神の孤独だ、ということです。

 

 

 

これは、家族、友人、恋人、同僚、他人、そして社会、すべてにおいて、そうなのです。

 

 

では、若い頃の私と同様である、そんなあなたは、どうすればいいのか。

 

 

 

次章より、ここを説いていきます。

 

 

 

第六章 「寂しい気持ち」へのアプローチ。入浴と食事

 

 

 

私は前章で、「寂しい人は、ココロが冷え込んでいる」と申しました。

 

 

 

この場合、「冷え込んでいる」というのは、比喩ではないのです。

 

 

 

実際に物理的、肉体的にも、その人は冷えているのです。

 

 

 

これはどういうことかと申せば、まず「ココロの冷え」をもたらすものに、不安や孤独感や緊張などがあります。

 

 

 

それで、ココロがそういったものに襲われると、本当に体温が下がり、カラダまで冷えてしまうのです。

 

 

 

この点については、私が現在でもお世話になっているクリニックで、教わったことです。

 

 

ここを、具体的に述べます。

 

 

 

人は不安、孤独、緊張、うつ状態などに陥ると、自律神経のバランスが乱れ、その結果、血行が悪くなります。

 

 

 

すると体温が低下して、心身ともに冷えていくのです。

 

 

さらに悪いことに、精神も突きつめれば、「」という肉体器官の活動です。

 

 

 

ならば、ココロが冷えればカラダも冷え込み、またカラダが冷えれば、ココロが冷え込むという、相互関係が成り立つことになります

 

 

 

そのように精神と肉体は、二つで一つという関係性でできています。

 

 

 

ですから、どちらかになんらかのダメージやストレスが加わっても、もう片方にはその影響が表れないということは、基本的にはありえないのです。

 

 

 

ここを、例を挙げて述べます。

 

 

 

うつ病の人は、ココロが冷えているため、ほぼ例外なく低体温です。

 

 

 

重篤なうつ状態にありながら、平熱がつねに36度8分あるという人は、ほとんどいません。

 

 

 

ですがここにはある意味で、孤独により冷え込んだココロを、温めるヒントがあります。

 

 

つまり、ココロとカラダが原則として一体ならば、カラダを温めることにより体温を上昇させればいいのです。

 

 

 

そうすればその結果として、冷えたココロを元に戻してやれるということです。

 

 

 

私はクリニックでそのことを教わって以来、精神の具合がすぐれないときには、肉体を温めることで、調子を整えるようにしています。

 

 

 

この点を、具体的に述べます。

 

 

 

 

1.ぬるま湯に長時間入る

 

 

 

可能ならば、36~37度くらいの温度のお風呂に、2時間くらい浸かります。

それが厳しいのであれば、37~40度くらいのお湯で、30~40分ほど半身浴をしましょう。

 

 

 

湯温の上限は、41度くらいまでにしてください。

 

 

 

あまり熱いお湯ですと、カラダの表面だけが火照り、カラダの芯まで温まらない場合があります。

 

 

 

さらにその場合、自律神経のうちの一つ、交感神経が興奮してしまい、かえって血行が悪くなることもあります。

 

 

 

とかく時間をかけてゆっくりと、ぬるま湯に浸かってください。

 

 

 

その際には、自分の内部に氷のカタマリがあり、お湯でじっくりとそれを溶かしていくようなイメージで行うといいでしょう。

 

 

 

また、長時間の入浴が退屈なら、防水機能のついたラジオやビデオを持ち込んで視聴したり、アロマのお香などを楽しむといいでしょう。

 

 

 

2.温性食品を積極的に採る

 

 

 

私たちがふだん食べているものはすべて、東洋医学の理論によれば、「温性」、「寒性」、「平性」に分けられます。

 

 

 

これは、温性はカラダを温める、寒性はカラダを冷やす、平性は温めも冷やしもしない、という意味です。

 

 

具体的には、以下のサイトを参考にしてください。
http://www.ikkando.com/yojyo/syokuno_inyo.htm

 

 

 

このうち、温性の食品を、ふだんから積極的に採るようにしましょう。

 

 

 

ちなみに私はここ20年ほどずっと、温性食品を常食するように心がけています。

 

 

 

私が毎日、欠かさず摂取しているのは、熱めの「どくだみ茶」です。

 

 

 

これを朝に一杯、必ず飲むようにしています。

 

 

 

なぜ「どくだみ茶」かというと、鍼の先生に勧められたことと、つくるのが簡単だという理由からです。

 

 

 

私の経験や、クリニックの先生のアドバイスから、その他にも、しょうが紅茶、黒豆茶、ほうじ茶、昆布茶なども有効です。

 

 

 

カラダを温める飲料を摂取する効果は、「寂しい気持ち」に対し、短期的にも長期的にも有効です。

 

 

 

たとえば、ふだんから「寂しい気持ち」に苦しめられているのなら、それを飲むことを朝の習慣とすればいいでしょう。

 

 

 

また、なにか好ましくない出来事に遭遇し、一時的に孤独感が強くなっている場合にも、「カラダを温める飲み物」は、有効です。

 

 

 

ぜひ、試してみてください。

 

 

 

 

第七章 子ども、動植物、ぬいぐるみを使った、寂しさからの脱却法

 

 

 

さて、次にオススメするのは、ぬいぐるみ、動植物、子どもなどと接することです。

 

 

 

こうした存在は、人間の大人のように、本音と建前を使い分けません。

 

 

 

ですからあなたも、寂しい気持ちになったときには、彼らに対し、自分の悲しい本音を打ち明けるといいでしょう。

 

 

 

といっても、地域社会がすっかり消滅した現代の都会では、子どもと接するのは、むずかしいかもしれません。

 

 

 

なにしろ、大人が変に子どもに話しかけたりすれば、通報されかねない世の中です。

 

 

 

私の場合は、不思議とよく見知らぬ子どもに声をかけられるので、あえて人の目につくところで、ふれあいを楽しんだりしていますが。

 

 

 

とかく子どものいいところは、共感能力が高い点です。

 

 

 

ですから、他愛ない彼らの日常の話でも聴いてあげるだけで、なんの邪心もない気持ちに触れられます

 

 

 

また、子どもを相手にすると、必然的に自分がその子の先輩、あるいは保護者的立場に立つことになります。

 

 

 

すると、「この子を守らなければ」、「この子に大人のルールを教えてあげよう」という気持ちになります。

 

 

 

その時点で、あなたには「小さな仲間」ができたことになるので、少なくとも「自分は孤独だ」という観念からは、自由になれます

 

 

 

ですが前述したように、現実的に子どもと直接的な関係を持つのがむずかしいのが、現代社会です。

 

 

 

ならば次の策としては、動物や植物を相手にすることです。

 

 

 

可能ならば、犬や猫を飼い、世話をする。

 

 

 

そうして自分の飼っている犬や猫と信頼関係が成立すれば、あなたは寂しい気持ちからは解放されるでしょう。

 

 

 

なぜなら犬や猫は、自分があたえた愛情を、確実に返してくれるからです。

 

 

 

あなたが深くそれらを愛すれば、より深く激しい表現であなたへの愛を示してくれるのが、犬や猫です。

 

 

 

そのときあなたはきっと、「自分の愛に価値がある」ということを確信し、幸せな気持ちになれるでしょう。

 

 

 

私の場合は、これは10年以上前のことになりますが、近所で外飼いされていたゴールデン・レトリバーと仲良くなったことがあります。

 

 

 

私はその家の前を通るたびに、そのゴールデンを思いっきり可愛がっていました。

 

 

 

そしてご存じのように、ゴールデン・レトリバーはあらゆる犬のなかでも、最強レベルに情が深いです。

 

 

 

ですからそのゴールデンは、私に対して「これでもか」というほどの愛情を示してくれました。

 

 

 

また私としても、自分の存在をそこまで認め、必要としてくれる犬がいるということで、大変に満足でした。

 

 

 

そのゴールデンは10年ほど前に、飼い主夫婦に連れられ引っ越してしまいましたが、私のなかではまだ、そのゴールデンの姿は生きています

 

 

 

そして寂しい気持ちになったとき、そのゴールデンのことを想えば、ネガティブな感情もかなり消えてくれます。

 

 

 

といっても、犬や猫を飼ったり、それらと仲良くなれたりできる環境に、あなたがいるとはかぎりません。

 

 

 

そこで次のオススメは、花や観葉植物等の世話をすることです。

 

 

 

これは、自宅に庭がなくても問題ありません。

 

 

 

百円ショップなどで売っている、ミニチュアの植物など購入して、あなたの机の上にでも置いておきましょう。

 

 

 

私の経験から言えることですが、植物というものは、愛情をもって育てるのとそうでないのとでは、成長の仕方が違います。

 

 

 

簡単にいえば、愛情をこめて育てた植物はキレイに育ち、かつ長く生きます。

 

 

 

そして、愛情をあたえず事務的に水だけやった植物は、それと逆の結果を示します。

 

 

 

そこからあなたは、愛情たっぷりに植物を育て、「自分の愛情の価値」を漫喫すればいいでしょう

 

 

 

植物とさえ、ココロを通じ合わせることができれば、それはあなたの寂しさを吹き飛ばしてくれるはずです。

 

 

 

くわえて最後にご紹介するのは、ぬいぐるみを持つことです。

 

 

 

幼少期の私は、極度に孤独な少年でしたが、両親に買ってもらったいくつかのぬいぐるみを、大切にあつかっていました。

 

 

 

辛いときには抱きしめ、人に言えないことがあるときには、ぬいぐるみに話しかけて、自分の寂しさを紛らわせていました。

 

 

 

そのぬいぐるみは、もう私の手許にはありませんが、やがて私は大人になり、「ぬいぐるみ療法」というのがあるのを、知りました。

 

 

 

これは、ぬいぐるみを精神的なセラピーの道具に使うというものです。

 

 

 

たしかにぬいぐるみならば、生きていないので、どんな人間嫌いの人でも、これに苦手意識を持つことはありません。

 

 

 

ですからあなたは、寂しい気持ちに耐えかねたとき、近所のおもちゃ屋さんからでも、ぬいぐるみを購入すればいいでしょう。

 

 

 

そうしてぬいぐるみを前に、あなたは自分の本心を語り、自分自身のココロを裸にするのです。

 

 

 

これは自分の部屋で行うかぎり、人に見られるということはありません。

 

 

 

ならばあなたは、ぬいぐるみを友として、あなたの寂しさからの脱却を図ればいいのです。

 

 

 

私がそう言うと、「でもそれは、あまりに子どもっぽすぎない?」と、あなたは返してくるかもしれません。

 

 

 

ですが、それはそれで、いいのです。

 

 

 

というのも、人が成長できないときには、たいてい彼のココロになんだかのわだかまりが残っています。

 

 

 

それがいつまでもココロに引っかかっているからこそ、あなたは前へと進めないでいるのです。

 

 

 

ならばあなたは、ぬいぐるみに向かって自分の内面をすべて吐きだせば、その時点であなたのなかの葛藤が解消されることもありえます。

 

 

 

または、自分の内部を言語化することで、あなたを寂しい気持ちにさせているものの正体も、見えてくるようになるかもしれません。

 

 

 

すると、その解決策もわかってくるかもしれません。

 

 

 

そうやってあなたは、自分の問題を一つクリアできたら、それだけ成長でき、人生の次のステージへと向かえます。

 

 

 

つまりあなたは、ぬいぐるみ療法をつうじて一歩、大人になれるのです。

 

 

 

ですからあなたは、これを嫌ってはいけません。

 

 

 

 

第八章 自分と接点がある人たちとのつながりを、大切に

 

 

 

 

さて次にあなたにオススメするのは、あなたと趣味、関心領域、仕事等、なんらかのものを共有している人たちとの交流です。

 

 

 

あなたはもちろん、見知らぬ他人とのつき合いというものは、大の苦手でしょう。

 

 

 

ならば、少しでもあなたと接点のある人との交際を深め、そうした人たちとの「共感」を大切にすることです。

 

 

 

この場合、あなたはムリになにかのサークルを探して、入会するという必要もありません。

 

 

 

ただ身近にそういう人がいれば、あるいはそうした人と出会う機会があるならば、それを「一期一会」のものとして、無意識にやりすごさないことです。

 

 

 

とかく、一つひとつの人との出会いを大事にしてください。

 

 

 

たとえば現在のあなたが陰々滅滅とした人で、あらゆる他人がまぶしく見えて、対等のつき合いができなかったとしましょう。

 

 

 

それでもあなたは、多くの人と交わり、彼らから、自分にないものを学ぼうという気持ちでいれば、あなたは少しずつでも成長できます。

 

 

 

そしてそうしたことを蓄積していくと、いずれあなたは、それまで雲の上の人と思っていた人とも、接点が生まれるかもしれません。

 

 

 

するとその人とも、対等の関係が築けるようになれる可能性が生じます。

 

 

 

これは、私が20年以上かけて、実践してきたことです。

 

 

 

20歳前後の私は、とかく他人というものが怖かった。

 

 

 

ですからそれを克服するため、なにかを学べると思えた目上の人には、積極的に話しかけ、じっくりと話を聴きました。

 

 

 

ですからいまの私は、相手が大企業の社長でも、一流スポーツ選手でも、彼らに合わせ、会話をすることは、容易にできます。

 

 

 

ここで仮に、あなたは、そのように自分から人に話しかけることさえ、できないのだとします。

 

 

 

ならばせめて、だれからも声をかけられなくても、集団のなかに身を置き、そこの人々のやり取りを、よく聴いてください

 

 

 

そこからあなたは、「会話術」というものを、学べるでしょう。

 

 

 

じつはコミュニケーション能力も会話の巧みさも、人が生まれつき持っているものでは、ありません。

 

 

 

それは本人が自覚していようがいまいが、後天的な学習や経験から身につけるものです。

 

 

ならばあなたは、「人とうまくやっていく術」を、まるで学校の勉強に挑むように、学習して身につけるものだと、とらえればいいのです。

 

 

 

そうして少しずつでも、人の場のなかに入り、発言もできるように努力してください。

 

 

 

はじめは勇気がいるでしょうし、ときにはおかしなことを言ってしまい、恥ずかしい思いをするかもしれません。

 

 

 

ですが、それも経験と思い、人との交わりを諦めないでください。

 

 

 

そうしてやがてそれが自然にできるようになれば、あなたは「自分はここにいる」と実感を持ちつつ、それをとくに意識しないでいられるようになるでしょう。

 

 

 

そのときのあなたは、すでに「場に溶け込んでいる」のですから、おのずと寂しい気持ちは消えているはずです。

 

 

 

第九章 寂しさからひたすら逃げるか、寂しさを友として、大業を目指すか

 

 

 

ここまで私は、あなたがご自身の寂しさを克服する方法を、いくつも述べてきました。

 

 

 

しかし考えようによっては、もしかしてあなたは、寂しい状態のままでいたほうがいい場合もあります。

 

 

 

それはあなたが、人生に対してなんらかの大志を抱いており、大人物になろうとしている場合です。

 

 

 

あなたは、『モンテクリスト伯』という小説をご存じでしょうか?

そのストーリーは、以下のようなものです。

 

 

 

 

時は19世紀のフランス。

 

 

 

19歳の平凡な船乗りだったエドモン・ダンテスは、彼を快く思わない3人の人間と、彼の存在が脅威である男の罠に落ちた。

 

 

 

ダンテスは結婚式の日に逮捕され、政治犯が収容される独房へと、一生、幽閉されることになった。

 

 

 

最初の7年、ダンテスはわけもわからずわが身に降りかかった不幸に苦しみ、悶々とした日々をすごす。

 

 

 

ところがダンテスは、独房からの脱獄を試みる過程で、同じく無実の罪で収容されていたファリア司祭に出会う。

 

 

 

ファリア司祭は博覧強記の人物で、即座にダンテスを陥れた者たちの陰謀を暴いて見せた。

 

 

 

ダンテスはそのときから彼らへの復讐を誓い、ファリア司祭のもとで様々な学問や語学を習得する。

 

 

 

やがて数年がすぎると、ファリア司祭は死亡する。

 

 

 

ファリア司祭は死の直前に、莫大な富が隠されているモンテクリスト島の存在をダンテスに伝える。

 

 

 

ダンテスはとっさの機転で、ファリア司祭の遺体と自分の身を入れ替え、監獄からの脱出に成功する。

 

 

 

そのときにはすでに、ダンテスが獄に入れられてから、14年の月日が経っていた。

 

 

 

ダンテスはモンテクリスト島にて財宝を得て、伯爵の地位を買い、「モンテクリスト伯爵」として、かつて自分を陥れた者たちへの復讐を果たす。

 

 

 

そうして目的を果たしたダンテスは、最愛の妻を得て去っていく。

 

 

 

いかがでしょうか?

 

 

 

この物語では、平凡な船乗りだったエドモン・ダンテスが、14年の監獄における孤独に耐え、「モンテクリスト伯爵」という巨人になったことが、描かれています。

 

 

 

この点は、エドモン・ダンテスがモンテクリスト伯爵になるためには、孤独と苦悩の14年の年月が必要だったというわけです。

 

 

 

この極度に孤独な時期がなければ、ダンテスは決して、「モンテクリスト伯」になろうとは思わなかったでしょう。

 

 

 

さらにドイツの文豪、ゲーテは、以下のように言っています。

 

 

「孤独はよいものです。自分自身と平和のうちに生き、何か達成すべきしっかりしたことがあれば」。

 

 

もしあなたが、寂しくあっても、人との交流を望まないのであれば、その孤独の時間に大志を抱き、「あなたを超えた、あなた」を目指すのも、生き方の一つです。

 

 

 

そこから、あなたの寂しさとは、あなたが「自分が望む自分」になれないでいるジレンマである場合も考えられます。

 

 

 

ですからあなたにっとっては、その孤独の時間に精一杯、自分自身を高めることこそが、ひょっとしたら、ご自身の根底で望んでいることかもしれません。

 

 

 

というのは、私自身もそうやって生きてきたからです。

 

 

 

先述の、私が世話になったクリニックで、かつて私の主治医だった先生は、とかく私に「早く、就職しろ」と、会うたびにせかしてきました。

 

 

 

ですが、当時の私はまさに浪人しながらの哲学研究に夢中で、それ以外の生き方は考えられなかったのです。

 

 

 

もちろん一般論や常識で考えれば、私の先生の指導のほうが、当時の私の信条より絶対的に正しかったはずです。

 

 

 

ですがそのときの私には、「ここで哲学研究をあきらめ就職したら、絶対に将来、後悔する」という感覚的な確信を抱いていました。

 

 

 

そうして結果的に、私は先生の指導を無視し、主治医を変えてその生き方を貫きました。

 

 

現在の時点では、まだ修行の成果が、私の社会的地位として結実していませんが、私は自分が選んだ道に、一片の後悔もありません。

 

 

 

第十章 あなたは現在の寂しさを受け入れるだけで、将来は幸せになれる

 

 

 

 

とかく現在のあなたには、2つの選択肢があります。

 

 

 

1.寂しさから逃げて、人並みに幸せな道を選ぶか。

 

 

 

2.寂しさのなかで自分を磨き、大人物を目指すか。

 

 

 

です。

 

 

私の意見を述べれば、あなたに勧めるのは、圧倒的に 1 です。

 

 

 

現在のあなたに、とりたてて目指しているものがないのなら。

 

 

 

まずあなたが、1 の道を選ぶなら、あなたは寂しさの辛さは充分に身をもって知っているのです。

 

 

 

ならばあなたが一人前になれたときにはきっと、他人にも優しくできるでしょう。

 

 

 

あなたが寂しさから逃れる方法は、これまで充分、述べてきたので、後はそれを実行に移すだけで、いいはずです。

 

 

 

またあなたが、2 の生き方を選ぶのなら、これは文字どおり「茨の道」となるでしょう。

 

 

ですが、そこで得られる「生きがい」は、1 のものとは比べものにならないほど豊かなものなるはずです。

 

 

 

たとえあなたの目的が、あなたの人生のなかで達成されようとも、そうでなかろうとも、です。

 

 

 

またどちらの道を選ぼうとも、あなたが若いときに孤独に苦しんだ事実は、将来のあなたに、なんらかの意味と恵みをもたらすはずです。

 

 

 

ですから現在のあなたは、いまある寂しさを「くだらないもの」として投げ出すのではなく、「自分が幸せになれる契機」と、とらえるべきです。

 

 

 

ちょうど、神さまがあなたに、自分自身と自分の未来について考えるため、あたえてくえた「きっかけ」のように考えていればいいでしょう。

 

 

 

それができたときあなたは、現状に耐えられ、その状況に感謝さえできるようになるはずです。

 

 

 

というのも、もしあなたが寂しさや孤独に悩むこともなく惰性で生きていったら、人生の晩年に差しかかったとき、愕然とするかもしれないからです。

 

 

 

俺は自分の人生で、なにもなしていない。俺の人生って、一体、何だったんだろう……」と。

 

 

 

くれぐれも、ご自分の人生に悔いだけは残さないようにしてください。

 

 

 

 

まとめ

 

 

 

 

あなたが寂しい気持ちでいるのは、端的に述べると、「青年期」という中途半端な過渡期にいるから。

 

 

 

あなたはいま、社会属性、精神、肉体、すべてが宙ぶらりんな状態に置かれているのです。

 

 

 

そんなあなたが、現在の寂しさから抜け出すには、ココロとカラダを温め、生き物や人に積極的に接することにより可能です

 

 

 

ですが、あなたの孤独には、それなりの意味があります。

 

 

 

それは、だれにも会わないことにより自分の能力を磨き、大人物になることを目指すことが可能という点です。

 

 

 

あなたが最終的に、いまの寂しさから抜け出し、一般人として生きていくにせよ、英雄的人物を目指すにせよ、あなたは現在の孤独を否定するべきではありません。

 

 

 

なぜならそれは、最終的にはあなたを鍛え、あなたのココロを幸せで豊かにする源泉だからです。

 

 

 

どうか将来、悔いを残さぬように、現在の寂しさとうまくつき合っていってください。

 

 

 

 

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自己紹介 ほんわか

みなさん、はじめまして。(*^^*)

ほんわかと申します。

私は現在は、雑誌ライターさんなどやってます。
成長過程での歪みにより、発達障害やアトピーを、50年近く患い、30年以上かけてほぼ完全に克服しました。

 

その過程で、多くの学問、健康法、整体術などを習得し、自分と同じような立場の人、100人ほどの相談に乗ってきました。

 

またネット上のものも含めると、これまでに私がアドバイスしてきた人は、500人以上に上ります。

 

ちなみにその成果として、下記のようなサイトも立ち上げています。(^^ゞ

 

よろず人生問題を、哲学的方法でズバリ解決!悩みよ、さらば
http://jinseitetsugaku.com/

 

この経験を、少しでも多くの人に役立ててもらおうと思い、当サイトを立てた次第です。

 

これからの厳しい時代、かつての私以上に弱い人でも生き残れる方法論を、どんどん発信していくつもりです。

 

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