後悔の念が消えず、いつも苦しいあなたへ。その解消法を教えます!

はじめに

 

 

 

まず人間には、いろんな感情がありますが、「後悔」ほどつらいものは、ちょっとありません。

 

 

 

なぜなら、自分がなにかを後悔する出来事が起こったのは過去であり、基本的に人は、自分の過去を変えることはできないからです。

 

 

 

そうして後悔は、場合によっては一生、その人の人生についてまわり、その強さがずっと変わらないということも、ありえます。

 

 

 

それどころか、その念はどんどんと強くなっていくということも、あるでしょう。

 

 

 

なら、そんなに人を苦しめる後悔とは、一体どういう感情なのでしょう?

 

 

 

そして人間は、どんなときに「取り返しのつかない後悔」に陥ってしまうのでしょう?

 

 

 

さらにははたして、その底なし沼のような後悔から、逃れる手段は、あるのでしょうか?

 

 

 

この点には、「YES」と答えておきます。

 

 

 

ではこれより、あなたを後悔から救う方法、またはこれから、後悔に陥らない術を述べていきます。

 

 

 

 

第一章 後悔という感情には、どういう意味があるのか

 

 

 

 

 

まず人は、「後悔の念」にとらわれると、どのような精神状態になるのでしょう?

 

 

 

それは端的には、視点がつねに後ろ向きで、未来に向けてポジティブな思考ができなくなります

 

 

 

なぜなら前述したように、後悔とは過去の出来事によりもたらされる感情であるため、どうしても過去に縛られ、目が未来へと向かないからです。

 

 

 

ではそんなに苦しくて、一見、非生産的と思われる「後悔の念」とは、一体、なんのために存在するのでしょうか?

 

 

 

これはあくまで私の意見ですが、後々、その人が同じような困難に遭遇したとき、同様の失敗を犯さないためだと思います。

 

 

 

つまり、「あのときは、ああしなかったことにより、自分は後悔の虜となった。なら今度こそ、同じ過ちを犯さないぞ!」と思わせる作用が、後悔にはあると考えます。

 

 

 

たとえばもしあなたが過去に、2つの大学に同時に合格していたとします。

 

 

 

そのうちの一つは、いわゆる偏差値があまり高くなく、世間的な評価もそれほどではないが、あなたがずっとやりたいと思っていたことが学べる大学。

 

 

 

そしてもう一つは、高偏差値で世間体はいいが、本当にあなたがやりたい学科がない学校。

 

 

 

もしあなたが後者を選んで、その結果、あなたの学生生活は、つまらなく味気ないものになったとします。

 

 

 

するとあなたはおそらく、ずっと自分の過去における判断を後悔することになるでしょう。

 

 

 

なぜなら、入学時点であなたが本当に望んでいたものは、「自分の学問をやる」ことであり、世間体や人からの評価ではなかったはずだからです。

 

 

 

そうしてあなたは、ずっとウジウジと過去にとらわれ、後悔の念に引きずられます。

 

 

 

ところがそれから数年後、あなたに就活の時期がやって来たとします。

 

 

 

そのときあなたは、もし自分が過去に誤った選択をして後悔したことを、本当に反省しているのなら、おそらく今度は、同じ失敗はしないはずです。

 

 

 

つまり、そのときのあなたは世間体や見栄だけで就職先を選ばず、「自分がそこでやりたいこと」を基準に、企業選びをするでしょう。

 

 

 

そのときになり、あなたにとって過去の後悔とは、現在、および未来において、同様の失敗をくり返さないため、役立ったといえます。

 

 

 

私は後悔とはそのように、現在や未来における選択や行動を間違えないために存在していると、思います。

 

 

 

第二章 なぜ同様に失敗しても、後悔する場合と、そうでない場合があるのか

 

 

 

 

さて、ここで一つの疑問が生じます。

 

 

 

それは、人はなぜ同じような失敗をしても、後悔する場合とそうでない場合があるのでしょう?

 

 

 

この点につきましては、まず自分が自分の行動に対し、その場その時にできる最大限の努力をした結果、失敗しても後悔の念は、ほとんど生じません。

 

 

 

逆に、自分の選択に対し、自分自身に責任や非がある場合は、人はそのことについて、いつまでも自分を責め後悔をします。

 

 

 

つまり後悔の根源とは、つねに自分自身にあるということです。

 

 

 

この点を、私の経験から述べます。

 

第三章 私が全身で焦がれた恋愛に、まったく後悔を抱かなかった例

 

 

 

私は高校3年生のとき、別のクラスの女性、Nさんと会話をする機会がありました。

 

 

 

Nさんは、全校一の美人といっていいほどの美貌の持ち主で、私はそのときからすっかり、Nさんのことばかりを考えるようになりました。

 

 

 

その気持ちは日増しに高まり、Nさんのことがアタマから離れることが、一刻もないほどでした。

 

 

 

つまり、私はNさんに完全に恋をしたのです。

 

 

 

それでNさんの方はどうかというと、やはり私を意識しているようでした。

 

 

 

というのも、私が遠くにいても、すぐに私の気配を察し、チラチラとこちらを振り向くからです。

 

 

 

さて、そのNさんですが、ある日を境に、私に対して奇妙な行動を取るようになりました。

 

 

 

私が少しでも近づくと、とたんに私から距離を取り、遠くから私が唖然としている様を、笑って観察しているのです。

 

 

 

そしてそれが、何か月もずっと続くのです。

 

 

 

Nさんのこの態度には、当時の私は直観的に理解できただけですが、いまではハッキリと、言語化して説明できます。

 

 

 

Nさんは成長の過程で、ほぼ間違いなく愛情欠乏症、愛着障害にかかっていたのです。

 

 

 

つまり、Nさんはそれまで、両親や大人に自分の全存在を受け入れられ、愛された経験が乏しかったのでしょう。

 

 

 

ですから、私を意識し始めた段階で、「私がいなければ、あなた困るでしょう」という意味合いで、私を苦しめるようなことをしていたということです。

 

 

 

つまりNさんは、私をつうじて、自分の魅力を確認したかったのです。

 

 

 

それほどまでにNさんは、自分の存在に自信が持てなかったということです。

 

 

 

というのも、もしNさんが純粋に私が嫌いなだけでしたら、そんなまわりくどい行動を取るはずがないからです。

 

 

 

ただ、私にずっと素っ気なくしておれば、私から彼女に声をかけるということはないと、Nさん自身も知っていたはずです。

 

 

 

また一方、私はといえば、父は私の教育に無関心、そもそも人間とは、教育されてはじめて人間となるという事実さえ、理解できない人でした。

 

 

 

また母は、幼少時のトラウマから、私に対して過干渉。

 

 

 

さらに姉はといえば、父の頼りなさと、私ばかりかまう母への憎悪から、四六時中、私に敵意をむき出しにする、不機嫌で暴力的な女でした。

 

 

 

そんな家庭に育った私には当然、「人を愛する」ことも、「人を受け入れる」ことも知りません。

 

 

 

ですのでもし万が一、私が当時、Nさんとつき合えたとしても、その関係はすぐ破綻することは目に見えていました。

 

 

 

またそうした家庭に育ったことから、私はあきらめが良すぎる少年でした。

 

 

 

世間の何事にも執着せず、むしろなにかに必死になっている様はカッコ悪いと思うような、ヒネた少年だったのです。

 

 

 

ですから私は、Nさんの仕打ちに2か月ほど、ずっと苦しめられましたが、その状況をなんとかしようという発想さえ、ありませんでした。

 

 

 

ただただ私は、Nさんの行為に無関心を装い、まったく反応しなくなりました。

 

 

 

それでもNさんは、そうした私への嫌がらせを、卒業間近まで半年ほど続けましたが、私はこれを徹底無視しました。

 

 

 

すると私には、Nさんに対する慕情も消えて、通常どおりの学校生活を送ったのです。

 

 

 

思えば、私とそんなNさんが意識しあう関係になったのも、私もNさんも、そのように人格の根底部分に空洞があるという点を、共有していたからかもしれません。

 

 

 

ですがともかく、その後、私は高校を卒業しましたが、Nさんに対する未練や後悔は、一片もありませんでした。

 

 

 

なぜなら私がどう努力しようが、Nさんは私を、自分の承認欲求を満たす対象としてしか見ないと、わかっていたからです。

 

 

 

ですので私がどうしたところで、私とNさんが恋愛関係になることはありえなかったはずです。

 

 

 

またそうして私は、自分がどう努力しても実らない願望については、後悔の念を抱くことがないと、はっきりと悟ったものです。

 

 

 

第四章 私が経験した、一生ものの恋の未練

 

 

 

さて、私は高校卒業の翌年、アメリカの大学に留学することになりました。

 

 

 

当時の私は、幼いころからの愛情欠陥がピークに達し、それが精神病として実体化する寸前だったのです。

 

 

 

それでも、自分がなぜそれほど苦しいのか、他人とコミュニケーションが成立しないのか、慢性的にイライラしているのかが、わからない状態でした。

 

 

 

そこでとかく、住む場所を変えてみたかった。

 

 

 

そうした理由で私は、アメリカに留学することを決めたのです。

 

 

 

その留学先で私は、私と同年齢のMさんという、アメリカ人の女生徒と知り合いました。

 

 

 

Mさんは、それほどの美人ではありませんでしたが、成績優秀、スポーツ万能、そして人格円満な女性でした。

 

 

 

彼女は私たち留学生の世話役として、私の面倒を見てくれました。

 

 

 

そのMさんに、私は最初に会ったときから一目惚れしました。

 

 

 

その理由はやはり、Mさんは私にないすべてのものを持っていたからだと思います。

 

 

 

Mさんは何事にもポジティブで、どんな人にも対応が優しく、まさに「生きる」ということに徹底して肯定的な女性だったのです。

 

 

 

Mさんは間違いなく、育った家庭で充分すぎるほどの愛情を注がれた女性だと、わかりました。

 

 

 

そんなMさんに、機能不全家庭で育ち、愛着障害のため中身が空っぽの私は、憧れに似た恋心を抱いたのでしょう。

 

 

 

そうしてMさんも、そんな私の意識に気づき、私に対して親切にしてくえるようになりました。

 

 

 

ところが私は、そんなMさんの好意を、片っぱしから無視、拒絶しました。

 

 

 

そもそもが、「人を愛する」ということがわからない私には、恋愛そのものが不可能でした。

 

 

 

ですので万が一、私がMさんと仲良くなれても、Mさんは私の中身のなさに幻滅し、すぐにフラれることだろうと、当時は直感していました。

 

 

 

ただし、上記のような分析が正しくできるようになったのは、それから10年以上、経ってからでしたが。

 

 

 

ところがそんな私にMさんは、どれだけ私が拒絶しようとも、優しく接してくれます。

 

 

 

しかしこうなると、私ももう意地のようになって、Mさんの好意をはねつけました。

 

 

 

いまから思えば、Mさんとは、たとえ恋人同士でなくとも、友人としてでもつき合えただろうし、いろんな関係性を結べたと思います。

 

 

 

ところが当時の私に、そんな発想はできませんでした。

 

 

 

なぜなら、そのときの私は、内面がほぼ5歳児くらいだったからです。

 

 

 

その後、事情があって私は留学生活を断念し、日本に帰りました。

 

 

 

ところがMさんへの想いは、何十年も苦い後悔として、私のなかに残り続けたのです。

 

 

 

それはもちろん、私は努力次第でMさんと、どのような関係にもなれたはずなのに、それを自分の虚勢から拒み続けたからです。

 

 

 

ですから20代、30代のころの私は、病気と闘い前向きに努力しながらも、本心はずっと過去に縛りつけられていたのです。

 

 

 

この2つの私の恋愛話からあなたには、私の主張する点がわかると思います。

 

 

 

つまり後悔という感情は、自分の努力でどうにもならない不可抗力的な物事に対しては、起こりません。

 

 

 

しかし自分の知恵や勇気を最大限に活かさず、全力、本気で対象にぶつからなかったときには、ずっとココロのなかに残り続けます。

 

 

 

その理由はおそらく前述したとおり、後々に同様の状況に出会ったとき、「あのときと同じ後悔は、したくない!」という、頑張るココロを引き出すためと思われます。

 

 

 

第五章 「後悔にとらわれない生き方」を選択した、30年前の私

 

 

 

そうして帰国後、私は最初にある大学病院の精神科に通い始めました。

 

 

 

それは前章で述べた「ある事情」でのことなのですが、じつは私はそれまで3年間ほど、持病のアトピー抑制のため、ずっとある薬を服用していたのです。

 

 

 

それは私が、ある個人病院から処方してもらったものだったので、これを渡米後も私は両親から送ってもらい、服用を続けたのです。

 

 

 

ところがその薬は、じつはとんでもない劇薬で、アレルギー症状に対して短期的な対処療法にはなるが、長期服用は厳禁というものでした。

 

 

 

それを私の主治医は把握しておらず、ずっと私に常用させていたのです。

 

 

 

私自身、その薬を飲んでいるあいだ、ずっと奇妙な違和感にとらわれていましたが、当時はインターネットも普及していませんでした。

 

 

 

ですので、その薬のことを調べようとも思いませんでした。

 

 

 

ところが本音を述べれば、自分の精神がどんどんと歪んでいき、何物にもリアリティーを感じられなくなっていったのは、その薬が原因だと、私はうすうす気づいていました。

 

 

 

ですが当時の私は、自分のことも自分の未来も、「もう、どうでもいい」という気持ちになっており、現実を直視することさえ、面倒になっていたのです。

 

 

 

そうして「生きている実感」をまったく感じられなくなった私は、当地で自殺を図ったというのが、真相です。

 

 

 

そのとき私は、オーバードーズによる自殺を試みたのですが、大学寮の友人に発見され、救急車で病院に運搬され、一命を取りとめたという次第です。

 

 

 

そのような事情で私は帰国しましたが、私に危険な薬をあたえ続けた医師を、告訴するという気にはなれませんでした。

 

 

 

というのはそのとき、「そんな目に遭うのも、自分に課せられた運命」のように直観していたからです。

 

 

 

それから30年にわたる、私の本格的な修行は始まりました。

 

 

 

私が通い始めた大学病院の精神科では、私は幸運にも、最高の先生に診てもらえるようになりました。

 

 

 

Y先生という方でしたが、先生はあらゆる学問に通じた博覧強記の人物で、かつ、とてつもなく人間的な温かさに満ちた方だったのです。

 

 

 

Y先生は、患者の一人にすぎない私のために、毎回、3時間から5時間くらいも話を聴いてくださり、やさしく人間や人間関係の本質を教えてくださりました。

 

 

 

私がY先生から学んだことは計り知れず、どの教えも現在の私を形成しているものといって、過言ではありません。

 

 

 

ですがそのなかからあえて、もっとも重要と思えることは、以下の2点です。

 

 

1.人間は生まれた以上、人の迷惑になりさえしなければ、好きなことをやってかまわない。

 

 

 

2.どんな人物も自分の「師」となりえるのだから、(たとえ反面教師的な意味でも)、一期一会を大切にすること。

 

 

それ以来私は、どんな人に出会っても、その人からなにかを得ようという態度で、接しています。

 

 

 

また次の点は、理解するのに数年がかかりました。

 

 

 

私は、自分の育った環境が歪んでいたため、自分のココロが凍りついているということにも、気づいたのです。

 

 

 

だから人とは、事務的な会話はできても、個人的な雑談などは、長いことできませんでした。

 

 

 

とくに子どもや女性などと、話をしなければいけない状況が、大の苦手でした。

 

 

 

その理由は、前述したとおり、私の感性が凍っていたため、私には「共感能力」が著しく欠落していたからです。

 

 

 

女性や子どもほど、感性での会話を好みますので、いちいち理屈で会話内容を組み立てていた当時の私には、彼らとの会話を苦手としていたわけです。

 

 

 

そこで私は、そんな自分を創り変えるため、「心身の緊張を解く」、「テンションを落とすための鍛錬を、20年以上、続けました。

 

 

 

そして仕事の仲間、女性、子ども、さらには動物などと積極的にコミュニケーションを取ることを習慣化していったのです。

 

 

 

そのため現在の私は、だれとでもすぐに仲良くなれます。

 

 

 

それは、私が自身の心身の緊張を解いていったため、だれとも即座に「共感」を共有することができるからです。

 

 

 

むかしの私は、精神の自閉的傾向のため、人の話がアタマに入ってこないで、他者との会話が成り立ちませんでした。

 

 

 

ですが現在では、たとえば女性だけしかいない職場に置かれても、そこに溶け込み、すぐにみんなの人気者にさえなれます。

 

 

 

このように私は、「他者との関係を構築する」ことができるようになるため、20年以上の時間を使い、膨大な努力を積み重ねました。

 

 

 

そしてそのため、失ったもの、得られなかったものも数多くあります。

 

 

 

それはたとえば、まともな社会人としての経験や時間等です。

 

 

 

ですが私は、その点について、まったく後悔していません。

 

 

 

なぜなら、その道を承知で、覚悟を決めて飛び込んだのは、私自身の判断だったからです。

 

 

 

さらにこれは結果論的になりますが、私が浪人中に学んだ多くのことが、後に自分が選んだライターという仕事で、存分に役立ちました。

 

 

 

逆に私は、30年前の時点でムリをして自分を社会に合わせ、したいこともガマンしてサラリーマンにでもなっていたら、それこそ大後悔していたと確信しています。

 

 

 

もし私がそうしていたら、間違いなく私のサラリーマンライフは破綻し、時間と若さを失うという結果になっていたはずです。

 

 

 

第六章 あなたが過去の後悔を克服する、唯一の方法

 

 

 

もしあなたが現在、消せない後悔に押しつぶされそうな気持ちでいるなら、私からアドバイスできる点は、一つです。

 

 

 

それは「勇気をもって、自分を苦しめる“後悔の正体”を、分析すること」です。

 

 

 

まずこれまでえんえんと述べたとおり、どうしようもない不可抗力でなにかを失ったり、なにかに失敗した場合は、絶対に後悔という感情は生まれません。

 

 

 

あなたがもし、むかしのことで後悔が残っているのであれば、それはたいてい、当時のあなたの努力次第で、避けたり成功したりできたものばかりです。

 

 

 

またそうでなくても、それに対し必死の気持ちで挑めば、結果は出なくても、後悔するということはありません。

 

 

 

ということはつまり、当時のあなたには、なんとかする術があったか、またはあなたの勇気や努力が足りなかったということです。

 

 

 

もちろん「勇気や努力」といっても、これはそのときのあなたが、持てる範囲内のものという意味です。

 

 

 

たとえば、もしあなたが高校生のころ、大好きになった女の子に、声をかけられなかったとします。

 

 

 

これの一例を挙げれば、その子を知った次の日に突然、彼女が遠くへ引っ越したというのであれば、これはあなたのなかに、“後悔”としては残りません。

 

 

 

なぜならそのときのあなたには、チャンスはまったくなかったからです。

 

 

 

ところが、もし彼女と席が隣同士になったのに、半年経っても声もかけられず、そのまま卒業してお別れ、という場合には、あなたは後悔を感じるかもしれません

 

 

 

ましてや、彼女の方からあなたに声をかけてくれて、彼女もあなたに好意を抱いているのに、照れくささから返事もできなかった、などという場合はなおさらです。

 

 

 

あなたはそれから、ずっとウジウジと過去ばかりを悔いて生きる人になるかもしれません。

 

 

 

また、若いときの後悔は、だんだんと記憶から薄れていくということもありますが、大人になってからのものは、根強く自分のなかに残ります。

 

 

 

そういう人生を歩みたくなければ、あなたがなすべきことは、一点です。

 

 

 

前述したように、自分が失敗したときに得た後悔の中身を分析し、そのときの自分には、なにが足りなかったのか、客観的に反省すること。

 

 

 

そうして、そのときに自分が持っていなかった勇気や能力を、身につけることです。

 

 

 

これは、一人でやるのもいいですが、当時のあなたを知っている人などに、アドバイスをもらうのもいいでしょう。

 

 

 

そうして、あなたの欠点の正体がわかれば、どれだけ時間をかけてもいいから、あなたのなかのその欠落を、埋めていけばいいのです。

 

 

 

たとえばもし、あなたが上記の例のように、大好きだった女の子に声をかけられなかったのが、あなたのなかに後悔として残っているとしましょう。

 

 

 

ならばあなたは、当時の自分がどういう少年だったのか、深く知るのです。

 

 

それを自分でよく思い出せないようでしたら、親御さんやご兄弟、あるいは旧友などに訊いてみてください。

 

 

 

そうして得たデータからあなたは、以下のように気づくかもしれません。

 

 

 

自分が本当に悔いているのは、あの女の子そのものではなく、彼女に声をかけられなかった自分の弱さだ」と。

 

 

 

だったらこれからどうするか、も見えてきます。

 

 

 

まずは深い関係にならなくてもいいので、なるべく女性に接して、「女性慣れ」することです。

 

 

 

同世代の女性相手では恥ずかしいと思うのなら、あなたのお母さん世代の女性などと、職場などで、他愛ない世間話をすればいいでしょう。

 

 

 

そうして女性そのものに慣れていったら、今度は女性と友だち関係になる等、だんだんとステップアップをしていきましょう。

 

 

 

そういうことを積み重ねていけば、若いあなたなら意外と短期間で、恋人と呼べる女性を得られるかもしれません。

 

 

 

そしてその関係性を大切にすることで、あなたには異性への対応の仕方が身についていくはずです。

 

 

 

すると過去の後悔は、たとえ完全に消えなくても、あなたのなかでかなり解消されていくでしょう。

 

 

 

なぜならそのときのあなたは、すでに人間的に成長しているので、今後もし同じ状況に出会っても、それに対応することが可能だからです。

 

 

 

そんなあなたに、後悔がいつまでも居座るはずがありません。

 

 

 

それに成功すれば、あなたは苦しい後悔の念からは解放されるはずです。

 

 

 

とにかくこの際にもっとも大切なことは、どんなものであれ事実はすべて正視し、素直に受け入れるということです。

 

 

たとえどんなに辛くても、恥ずかしくても、です。

 

 

 

なぜならあなたは、ご自分の本質のみを相手にすべきであり、「自分が都合よくイメージする、自分自身の虚像」などを考えても、意味はないからです。

 

 

 

ここから、私が「後悔とは、自分が同じ失敗をくり返させないためにある感情」と言った意味が、わかってくるのではないでしょうか?

 

 

 

 

第七章 後悔の念を、未来を切り拓く原動力へ!

 

 

 

 

何度も申しますが、後悔とは「過去の苦しみを乗り越えることで、幸せな未来をつかむ」ために、あるのです。

 

 

 

ですから、後悔からなんらの教訓を引き出さず、いつもウジウジと悩んでばかりいるのは、最悪の結果を招きます。

 

 

 

なぜなら、そうしたネガティブな感情は、掘り返した回数に比例して、自分の脳内に深く刻み込まれるからです。

 

 

 

するとあなたは、ますます陰々滅滅とした気持ちに四六時中つきまとわれ、本当にどうしようもなく暗い人間になってしまいます。

 

 

 

ところで悔い多き人生ながら、それらを「感じる」ではなく「克服する」よう、私はずっと努めてきました。

 

 

 

その結果、現在の私は基本的に、なにかを失敗したときに「反省」はしても、「後悔」はしません。

 

 

 

そしてその前向きな気持ちが、なにか新しいことを始める、あるいは以前に失敗したことを再開するための原動力となっています。

 

 

 

なぜならいまの私は、どんなに辛い過去や失敗を思い出しても客観的でいられるからです。

 

 

 

だからなにをするにあたっても、「どうやって成功しようか」という発想しか、浮かばないのです。

 

 

 

あなたにはぜひとも、そのように「後悔の念を、未来を切り拓く原動力に変えていく方法を、あなたの実体験から身につけてほしいと思います。

 

 

 

まとめ

 

 

 

 

そもそも「後悔の念」とは、過去をウジウジ悩むのではなく、自分の欠点や弱点を気づかせてくれるために存在します。

 

 

 

そのため後悔とは、対象に向かって全力で立ち向かったときには、生まれません。

 

 

 

どんな失敗や喪失でも、「後悔する」ということは、そのときのあなたに、余力があったのに、真剣に立ち向かわなかったからこそ発生します。

 

 

 

私はそのことに気づくのに20年以上かかり、そうして自分のなかの後悔を、多くの経験を経て取り除くことに成功しました。

 

 

 

ですのであなたも、もし現在、なにかの後悔の念に取りつかれているのなら、以下のことを実行してみてください。

 

 

 

そのときのあなたは、どんな人間で、対象に取り組むにあたり、どこに欠点があったのか。

 

 

 

その結果、どうして成功できなかったのか。

 

 

 

これらを勇気をもって正視し、自分の弱点として克服するか、考え、実行するのです。

 

 

 

それができたときあなたは、きっと「過去の後悔の念」から解放されていることでしょう。

 

 

 

なぜならそのときのあなたは、今度同じことに出会っても、同じ過ちをくり返さない人間へと成長できているはずだからです。

 

 

 

 

今回の記事は、いかがでしたでしょうか?(*^^*)

 

 

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自己紹介 ほんわか

みなさん、はじめまして。(*^^*)

ほんわかと申します。

私は現在は、雑誌ライターさんなどやってます。
成長過程での歪みにより、発達障害やアトピーを、50年近く患い、30年以上かけてほぼ完全に克服しました。

 

その過程で、多くの学問、健康法、整体術などを習得し、自分と同じような立場の人、100人ほどの相談に乗ってきました。

 

またネット上のものも含めると、これまでに私がアドバイスしてきた人は、500人以上に上ります。

 

ちなみにその成果として、下記のようなサイトも立ち上げています。(^^ゞ

 

よろず人生問題を、哲学的方法でズバリ解決!悩みよ、さらば
http://jinseitetsugaku.com/

 

この経験を、少しでも多くの人に役立ててもらおうと思い、当サイトを立てた次第です。

 

これからの厳しい時代、かつての私以上に弱い人でも生き残れる方法論を、どんどん発信していくつもりです。

 

応援を、よろしくお願いいたします。(`・ω・´)ゞ

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