自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。その原因と克服法を教えます

はじめに

 

 

そもそもが、人が毎日を快適に生きられない理由なんて、そんなにありません。

 

 

 

そりゃ、「原因」はたくさんありますよ。会社に行くのが億劫、

自由に使えるおカネが少ない、同僚と仲良くやっていけない、等々。

 

 

 

ですが、他人ではなく、明確に自分に理由がある、「生きにくさ」の一つに、

「自分を好きになれない」=「自己嫌悪」があります。

 

 

 

何をするにせよ、「ヤル気」のエンジンは、自分のココロのなかにしかありません。

 

 

 

ですので「自己嫌悪」に陥ってしまえば、どんなこともうまくでいきません。

 

 

 

だって「自己嫌悪」している人たちは、「自分が嫌い」なんですから。

 

 

 

嫌いな人間のために、なにかしてあげたくなる人って、ちょっといませんよね?

 

 

 

ならばあなたが今後、どんなことにも「自分のため、頑張ろう!」と思えるような、自己嫌悪の払しょく法を、ここで教えます!

 

 

 

 

第一章 現代における「自己嫌悪」の根源は、その人が育った家庭環境にあり

 

 

 

 

さて、そもそも人はなぜ、「自分を嫌う」なんてことをするのでしょうか?

 

 

 

その原因は複数ありましょうが、それらは究極的には一つの要因にまとめられます

 

 

 

それは、「自分のなかに、“価値”を見出せない」からです。

 

 

 

「はじめに」でも書きましたが、そうなると「自分で自分が嫌い」になるわけで、嫌いなヤツのために、なにかしてやろうとは、思わなくなりますよね?

 

 

 

また、もし現在のあなたがそうなら、どうしてそうなったのでしょう?

 

 

 

〇むかし学校でいじめられていたから? 

 

 

 

〇どうしても勉強ができずに、三流大学しか卒業できなかったから? 

 

 

〇不器用で運動神経ゼロのため、体育の授業やなんかの作業では、いつも人前で恥をかいていたから?

 

 

〇あまりに消極的な性格のため、つねに自己主張できずに、人に言いくるめられたり、バカにされていたから?

 

 

〇容姿がいまいちなんで、人前では堂々とできないし、とくに好きな女の子には、声もかけられないから?

 

 

〇内気な性格のため、いつも自分のなかに不満をためこんでは、ウジウジしているから?

 

 

何度も言いますが、これらのことが「原因」となり、あなたが自己嫌悪に陥ったということは、ありえます。

 

 

 

しかし、これらの要因を突きつめると、現代ではほぼ例外なく「問題のある家庭環境で育った」ことに行きつきます。

 

 

 

ここを説いていきましょう。

 

 

 

 

 

第二章 “愛”とは何か? それは、個人を共同体に帰属させる、観念のチカラ

 

 

 

 

 

人間は、というより、ある程度以上に進化した動物はすべて、生まれた直後、あるいは幼少期に、親から無条件の愛を得られなければ、生きていく意欲や能力が持てません。

 

 

 

まず“愛”とは何かと定義すれば、以下のようになります。

 

 

 

〇複数の個体間内で共有される、同一化をもたらす観念作用。

 

 

 

これが共有されると、それぞれの個体間における区別が解消され、すべてが一つになり、各個体は「共同体の一員」という位置づけがされます。

 

 

 

ちょっと難しいことを、言ってしまいました。(^^ゞ

 

 

 

つまりは、こういうことです。

 

 

 

たとえばあなたに恋人ができれば、あなたと彼女は、「恋人同士」という一つの存在になり、また、あなたと彼女はそれぞれ「恋人の片割れ」となります。

 

 

 

または、あなたがなにかの同好会に入会すると、もちろんあなたは、あなた自身の属性は問われず、「同好会の一員」となります。

 

 

 

あるいはあなたが、日本のパスポートを持って海外にでかけた場合、まわりはあなたを、「一人の日本人」として認識します。

 

 

 

そしてここがもっとも重要なことなのですが、あなたが、あなたの家庭(仮に山田さん)の家に生まれたら、あなたは必然的に「山田さんとこの○○くん」となります。

 

 

 

そうしてこれらの共同体は、共同体をなす成員間で、“”が共有されていることが重要です。

 

 

 

たとえば恋人同士ならば、男女間に“性愛”が分かち合われていなければ、二人が一緒にいる理由がありません。

 

 

 

あるいは、「鉄道同好会」の場合では、メンバーがみな“鉄道好き”でなければ、意味がありません。

 

 

 

さらに、すべての日本人が“祖国愛”を持っていなければ、たとえ日本の伝統を守るにせよ、変えるせよ、日本という国は立ち行きません。

 

 

 

そのように、あなたがもし「山田家」に生まれたのならば、あなたをふくむ山田家の家族は、“家族愛”で結ばれていなければ、ならないのです。

 

 

 

なぜならそうでなければ、山田家は山田家としての「まとまり」が、保てなくなるからです。

 

 

 

 

 

第三章 「地域共同体」、「大家族」から、「核家族」へ

 

 

 

 

ところが「家族」についてなのですが、わが国では戦後、非常におかしなことが起こりました。

 

 

 

まず1960年代くらいまでは、わが国における共同体の最小単位は、「大家族」、もしくは、「地域社会」でした。

 

 

 

これは、映画「ALWAYS 三丁目の夕日 」や、アニメ「サザエさん」などを思い返していただきたいと思います。

 

 

 

これらの作品のなかでは、子どもは地域のなかで、「」を超えてのびのびと育てられています。

 

 

 

また「家庭」も、お父さんやお母さんはもちろんですが、そこには、おじいさんやおばあさん、お婿さんなどが、一緒に暮らしています。

 

 

 

あなたの、ひいおじいさんくらいまでの人たちにとって、家庭や生活とは、ああいったかたちが、当たり前のものだったのです。

 

 

 

ところが高度経済成長期に入り、日本の産業は、農業や、小さい規模での工業や商業から、世界を相手にする大規模工業、商業へと変わっていきました。

 

 

 

すると、お父さん、お母さんの職場は、地元の地域ではなく、会社のある都会へと移ります。

 

 

 

さらに少しでも会社に近いところが望ましいので、お父さん、お母さんは育った実家から出て行き、住宅街に一軒家を買ったり、アパートやマンションを借りたりします。

 

 

 

こうしてわが国では、現代の典型的家庭像である、「核家族」ができてきました。

 

 

 

 

第四章 「家族制度の変遷」が、あまりに急激に行われた現代日本

 

 

 

 

ところが、ここで大きな問題が発生します。

 

 

 

お見合いなり、恋愛なりを経て結婚した若い男女は、「核家族」で過ごした経験がないのです。

 

 

それまでは、隣近所の助け合いや、おじいちゃんやおばあちゃんの、経験から来る知恵により助けられていた彼らは、いきなり2人だけでの生活を営むことになるのです。

 

 

ですから彼らはもちろん、核家族を運営していく方法など、知るはずもありません。

 

 

彼らのお父さん、お母さんは、田舎に置いてきたので、もういちいち生活の知恵を教えてくれません。

 

 

また故郷では仲良くやっていた隣人ですが、都会のマンションでは、その人がどんな仕事をしているのかさえ、わかりません。

 

 

するともし、その若い夫婦に子どもでもできたら、仕方なく自己流で育てていくしかありません。

 

 

 

ですが、人というものは、自分がされたようにしか、他人にしてやれない存在です。

 

 

 

ならば核家族での生活経験がない彼らには、もちろん、核家族なりの、「子どもに対する愛情のあたえ方」など、わかるはずもありません。

 

 

 

これが欧米のケースでしたら、「地域社会」→「大家族」→「核家族」という共同体の変遷が、ゆっくりと自然なかたちでなされました。

 

 

 

ですから人は充分に、それぞれの家族形態への適応の仕方を、考える時間があったのです。

 

 

 

しかしわが国では、その変化があまりにも唐突で、かつ急激にやってきてしまったのです。

 

第五章 フリードリヒ2世による、赤ん坊を使った恐るべき実験の結果

 

 

 

 

ところで、私はえんえんと「わが国における家族形態の変遷」の話ばかりしていて、肝心の「自己嫌悪」の話題はどうなってるの、とあなたは思ってるかもしれません。

 

 

 

しかしながらこの点は、まさに「自己批判」につながる重要なポイントですので、少しガマンして、ついてきてもらいたいと思います。m(__)m

 

 

 

さて、私は第二章で、「愛のあり方」について、述べてきました。

 

 

 

その点を、思い出してください。

 

 

 

生物や社会にとって、“”はなぜ必要かと申せば、それは個体や個人が“愛”を帯びることによりはじめて、「ある共同体の一員」と、みなされるからです。

 

 

 

人や動物は、愛されることによってはじめて、「お前は、俺の子ども、われら仲間の一員」と承認と祝福をあたえられます。

 

 

 

ここを逆に述べれば、生命は最初に無条件に“愛”をあたえられなければ、何者にもなれないということです。

 

 

 

なぜなら、生きていく上でのあらゆる方法や技能は、“”をもって教えられるからです。

 

 

 

これは、“本能”のある動物でさえ、そうなのです。

 

 

 

ならば、「本能が壊れた動物」である人間には、幼少期にはどれだけ“”が必要か、わかるはずです。

 

 

というのも、人間の社会は動物の生きる自然よりもはるかに複雑で、生きるのが大変だからです。

 

 

 

ここであなたには、「フリードリヒ2世の実験」をお教えします。

 

 

 

いまから800年ほど前のドイツに、フリードリヒ2世という王様がいました。

 

 

 

フリードリヒ2世は、あるときふと、こんな疑問を抱きました。

 

 

 

「赤ん坊は、母親の胎内にいるときから、言葉を知っているのだろうか?」と。

 

 

 

そこで彼は、ある実験を行いました。

 

 

 

それは自分の部下たちの赤ん坊、50人を集め、生きていく上で必要な食事や入浴は提供するが、スキンシップ等の愛情は一切、あたえないというものです。

 

 

 

すると、いつからか子どもは、自然と言葉を発するようになるのでは、とフリードリヒ2世は思ったのです。

 

 

 

その結果はどうなったかと言えば、なんと50人の赤ん坊すべてが、1年以内に死亡してしまいました。

 

 

 

この実験の結果から、人間とは、赤ん坊の時期から充分に親の愛を得なければ、社会性も身につけられずに死んでしまうということが、わかるでしょう。

 

 

 

 

 

第六章 「愛されなかったこと」が、あらゆる自己嫌悪の原点

 

 

 

ここまで述べたら、勘の鋭いあなたなら、私が言おうとしていることが、おぼろげにでも、わかってくるのではないでしょうか?

 

 

 

そう、あなたが自分を好きになれないのは、あなたが核家族の家庭で、核家族の親としての、子どもの愛し方を知らない両親に育てられたのが、根本的な原因です。

 

 

 

人は愛されなければ、他人を愛することはできません。

 

 

 

そしてもちろん、自分自身も愛せません。

 

 

 

さらには、人の愛し方さえも、わかりません。

 

 

 

ですから充分な親の愛情を得られなかったあなたは、フリードリッヒ2世の実験台にされた赤ん坊たちのように、死ぬことはなかった。

 

 

 

ですが「自分は、人から愛される価値のない人間だという思い込みが、あなたの脳内の深くにまで、刻まれているのです。

 

 

 

ならばあなたは、無意識のレベルで、さらに思います。

 

 

 

自分は価値のない人間だから、もちろん自分の愛にも価値はない」=「自分でも自分が、好きになれない」と。

 

 

 

だから、愛される」という、生きるにあたって重要なプロセスを省かれてしまうと、人は孤独に置かれ、不幸になります。

 

 

 

またそうした人は、情緒不安定に陥り、それでも「生きている実感が欲しくて」、自傷癖に走ったりするのです。

 

 

 

ですが逆に、核家族でもそれなりに「子どもの愛し方」を知っている親に育てられれば、もちろん子どもは、そんなふうにはなりません。

 

 

 

これはあくまで一般論ですが、学校で少しくらいいじめられても、「自分は一人でない」と確信し、耐えることもできるでしょう。

 

 

 

あるいはたとえ三流大学卒でも、「そんなこと、自分のすべてではない。仕事で成果を出して、そんなハンディは軽く乗り越えてやる」と考えるでしょう。

 

 

 

また、不器用で運動神経ゼロであっても、そんな自分を受け入れてくれる両親がいれば、自分なりの長所を必死に探し、それが活かせる場所で生きようとするでしょう。

 

 

 

さらには容姿がいまいちでも、それだけでは落胆せず、自分の容姿に見合った幸せやパートナーを探すでしょう。

 

 

 

そのように、人生の初期に“”というエネルギーが充分に満たされた人は、一つや二つの自分の欠点など気にせず、自分にふさわしい生き方を目指します。

 

 

 

そうして今度は、「自分が愛する番」となり、家庭を持って、自分が親にそうされたように、自分の子どもを愛するでしょう。

 

 

 

失礼ながらそうした点は、ちょっとしたことで自己嫌悪に陥り、その状態が慢性化しているあなたと、対照的なところです。

 

 

 

ただしそうは言っても、あなたはご自分の両親を、恨むべきではありません。

 

 

 

なぜなら先述したとおり、人は自分がされたようにしか、人に対してできないからです。

 

 

もしあなたの両親が、あなたを愛さなかったとしても、それは彼らもまた、そのように育てられたか、あるいは「人を愛する」ということが、わからないでいるだけです。

 

 

 

人間とは動物と異なり、“理性”、“思考力”を持つ生き物です。

 

 

 

そしてこの能力を使えば、人間は「自分を、『自分の好きな自分』に創り変えること」も、できるのです。

 

 

 

少なくとも私は、ここ30年は、そうして生きてきました。

 

 

 

では次章より、その具体的な内容をご紹介します。

 

 

 

 

 

第七章 私が、自分自身の倫理を自分で構築するようになった理由

 

 

 

 

 

さて、ここからは私の幼少期における環境と、私自身がどうやって、自己嫌悪を克服して、自分も他人も愛せるココロを持てるようになったか、お話していきます。

 

 

 

まず幼少期における私の環境は、最悪でした。

 

 

 

私は幼児期から、いまでいう発達障害系の精神病とアトピーに苦しめられていたのですが、それは偶然ではありません。

 

 

 

まさに、先ほどのフリードリヒ2世の実験ではありませんが、「幼児をこういうふうに育てたら、必ずこうなる」という必然性の結果、私は病んだのです。

 

 

 

私は、生まれは兵庫県の酒屋でした。

 

 

 

生まれた直後から、当時にしてはめずらしくアトピーがあり、しょっちゅう自家中毒を起こす、腺病質の少年でした。

 

 

 

その原因の一つは、父と母がいとこ同士で、血が濃かったことも、ひょっとしたら挙げられるかもしれません。

 

 

 

ところが、私の生家は商店街にありましたので、私のまわりには、多くの子どもや大人がいて、助け合って商売をしていました。

 

 

 

その意味で私は、最初は昭和時代における、地域共同体のなかに住んでいたとは、いえます。

 

 

 

ですがやはり、いまから思い返しても、私の精神は自閉的で、極度に内向的でした。

 

 

 

ちなみにですが、その商店街や周辺は、現在ではすっかりシャッター通りとなっています。

 

 

 

そんなときある事情から、私は東京の郊外に、父、母、姉の3人と一緒に、引っ越すこととなりました。

 

 

 

父は役所務めでしたが、彼の父が幼いころ戦死したため、女家族のなかでたった一人の男子で、家は貧乏なのに、持ち上げて育てられたという、歪んだ環境にいました。

 

 

 

ちなみに父ですが、性格は悪くなく几帳面ですが、とかく幼い面があり、人づき合いが極度に苦手で、コミュ障という人物です。

 

 

 

そして母ですが、こちらは彼女の父、つまり私の祖父から、幼少期にかなり暴力的に育てられたため、お人好しでいい人なのですが、極端に小心で怖がりです。

 

 

 

さらに姉ですが、私は彼女と、小学生くらいまでは、うまくやっていました。

 

 

 

ところが姉は、母の関心が病弱な私にばかり向かい、父はそもそもが「子どもに愛情をかけて育てる」ということがわからない人間だったからでしょう。

 

 

 

小学校の上級生になったころには、つねに欲求不満のカタマリとなり、四六時中、不機嫌で、私や母にしょっちゅう暴力的に接するようになりました。

 

 

 

そんななかにあり、私自身は「この環境は、なにかがおかしい」と思いつつも、毎日、恐怖と満たされなさに襲われ、少年時代を過ごしました。

 

 

 

なにしろ、母は過剰に私にかまい、私がやるべきことを先にすませてしまい、私にはなにもさせない。

 

 

 

また父は、一切合切、子どもの教育には無関心という人でしたので。

 

 

 

ちなみにですが、私が青年期になって、はじめて私の育ちからくる病気について研究している、専門家のお医者さんに出会いました。

 

 

 

父はそのクリニックを私のために見つけてくれて、私と母と3人で、初診検診を受けに行きました。

 

 

 

そこで、そのお医者さんは、「現代日本の家庭から生まれる子どもの病気と、その父母が元来、すべきこと」を、何時間もかけて教えてくれました。

 

 

 

ところが父は、それを聴いて、私が後日、そのことについて話したら、こう答えたものです。

 

 

 

あの先生は、おかしい。犬でも猫でも、勝手に放っておいたら、大きくなるじゃないか。人間だって、変わらないはずだ」と。

 

 

 

私はその時点で、「人間とは、自分に都合のいいことしか、わかろうとしない」という、古代ローマの大政治家、ユリウス・カエサルの言葉を、充分に理解していました。

 

 

 

ですがそのときはさすがに、自分の耳を疑ったものです。

 

 

 

そしてそれは、母についても同じことで、そのとき先生に言われたことが、まったくわかっておらず、私に対する態度も変わらずでした。

 

 

 

さて、そんな私でしたので、幼少期から「好き」という感情を、実感として理解できないまま、成人になりました。

 

 

 

また中学生時代には、孤独から、万引きや問題行動を、よく起こしていました。

 

 

 

私にそうさせたのは、なにおいても、私の父が「生きる規範」というものを、私にまったく教えてくれなかったのが、原因です。

 

 

 

つまり私は当時、「人が生きていくためには、何をすべきで、何はしてよくて、そして何をしてはいけないのかという倫理観が、まったくの白紙状態だったのです。

 

 

 

ですからたとえば、「人を殺してはいけない」、「人のものを盗んではいけない」ということを、言葉で理解できても、感情としては、まったくわからなかったのです。

 

 

 

そこから当時の私は、そうした自分のなかの空白と、現実社会における常識との溝を確認する上で、問題行動をくり返したといえます。

 

 

 

またもちろん、その根底にある私の渇望の正体は、「自分の真っ白なココロに、ちゃんとしたルールを書き込んでくれよ」という父への思いだったのです。

 

 

 

ところがそれは、結局はかなえられませんでした。

 

 

 

ですから私は、20歳を過ぎたころから、自力で自分自身の倫理感や、「中身がなにもない」自分自身を好きになる方法を、自力で開拓していくことになります。

 

 

 

 

第八章 「好き、嫌い」とは、個々人の感情レベルでの対象評価

 

 

 

 

さて、ここからは、私が20歳を過ぎてから自ら研鑽し発見した、人間の認識活動における実態を話していきます。

 

 

 

まず「好き」とは、何か?

 

 

 

それは、「人間や動物、個々の、または個々人の、“感情”による物事の判断能力」です。

 

 

 

くれぐれも、「感覚の」ではないことに、注意してください。

 

 

というのは、動物であればどんな下級なものであれ、「感覚」は有しています。

 

 

 

ところが、その「感覚」よりも上位の認識である「感情」は、ある程度以上に高度な生物でなければ、持ち合わせていません。

 

 

 

推測するに、「感情の原型」ともいうべき認識作用を持っているのは、爬虫類以上の生物だと思います。

 

 

 

ですから「好き」とは、ある程度以上に高度な生物が所有する、対象に対する評価ともいえそうです。

 

 

 

たとえば、よく女性が使う「生理的にムリ」という言葉は、彼女の感情が、対象に対して行った否定的判断ととれば、間違いないと思います。

 

 

 

そして、感情とは感覚に次いで脳の奥深くに機能がある、人間にとって根源的な認識です。

 

 

さて、私はあるときから、自分が自分をまったく好きになれず、自己嫌悪のカタマリであり、この状態を克服しなければ、生きていけない状況にありました。

 

 

 

そこから結論できることは、ひたすら私の脳の深部に、「自分が好き」というメッセージを送り続けることだけだと、若いときの私は直観的に判断しましたのです。

 

 

 

第九章 モノや動物を大切にすることで、「愛するココロ」を育む

 

 

 

ここからは、私が独自で編み出した方法、あるいは本やお医者さんから教えてもらった、「自己嫌悪を払しょくし、自分を好きになる具体的方法」を述べます。

 

 

 

念のために申しておきますが、これらはほとんどが私が直接に実践したことであり、人からの借り物や、思いつきではないということです。

 

 

1,動物や植物を愛する

 

 

 

生物とは基本的に、自分に愛をあたえてくれるものに対しては、ほぼ無条件で好きになってくれ、愛情を返してくれます。

 

 

 

するとあなたは、生物を愛すれば愛するほど、その見返りを受けられるので、「自分の愛情には、価値がある」ということを、実感できるはずです。

 

 

 

では具体的に、どうすればいいか?

 

 

 

これは、自分の愛情に対し、おおげさなまでに愛を返してくれる動物の世話をするのが、一番です。

 

 

 

これに該当するのは、ゴールデン・レトリバーなど、とくに人懐こい犬です。

 

 

ところで私は、15年ほど前に、近所に外飼いされていたゴールデン・レトリバーと仲良くなりました。

 

 

 

幸いにして私は、その飼い主の老夫婦とも仲良くなれたので、毎日のようにその犬に会いに行き、たっぷりと愛情を注ぎました。

 

 

 

するとそのゴールデンは、私の姿を見ただけで、最上の歓びを表現してくれるようになりました。

 

 

いつもそのゴールデンは、私の手を甘噛みし、こちらがなにもしなくとも、自分の喉やお腹を見せて、「撫でて」とせがむのです。

 

 

 

ふつうに考えれば、30男がよそ様の家の犬に執心するのは、かなり異様な風景です。

ですが私はそれでもほぼ毎日、そのゴールデンに会いに行きました。

 

 

 

そんな私を、近所の人たちは結構、温かく見守ってくれていました。

 

 

 

それは、そもそも動物を愛するという行為自体が、心優しい人間にしかできないので、みなさんは私を、好意的に見てくれたのだと思います。

 

 

 

そしてそのゴールデンは、家族が引っ越すまで何年も私と仲良くしてくれて、すっかり私のココロを溶かしてくれたものです。

 

 

私はそのとき、「自分の愛には、価値がある」と、確信を持てました。

 

 

 

これは特殊な例ですが、余裕があれば、あなたは犬や猫を自宅で飼って、愛情を注いで飼うのもいいでしょう。

 

 

 

ですが、環境的にそれができない人もいます。

 

 

 

そんな人は、花や草など、ミニチュアの植物を、自室で育てるといいと思います。

 

 

 

それらは、百均でも売っていますし、ふつうのお花屋さんでも、簡単に入手できます。

 

 

 

その花や草を、目いっぱい、愛情をこめて育てるのです。

 

 

 

すると面白いことに、大切に育てた花と、ぞんざいに育てたものでは、前者のほうが健やかに成長することが、わかります。

 

 

 

いずれにせよ、「自分の愛により、花を実らせた」という経験は、あなたに自信をもたらせてくれるはずです。

 

 

 

2.ぬいぐるみを友だちにする

 

 

 

 

とはいえ、諸事情があり、動物や植物を身近に置けない場合もあるでしょう。

 

 

 

そんなあなたにオススメするのは、気に入ったぬいぐるみを購入し、これを友だちにすることです。

 

 

 

もちろんそれは、ファンシーショップで売っている、2000円くらいのものからでかまいません。

 

 

重要なことは、あなたがそのぬいぐるみが好きであるということです。

 

 

 

そのぬいぐるみに、嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、すべてを告白します。

 

 

 

これはまわりから見たら、異常に感じるかもしれませんが、自室内でやる分には、だれも見てはいないので、大丈夫です。

 

 

 

相手が“モノ”であれば、これに遠慮する人はいないでしょう。

 

 

 

そうしてあなたは、日々、ぬいぐるみと対話します。

 

 

 

すると、それまで自分のココロに、自分でかぶせていたバリアが消え、「自分の本音」が、自分でリアルにわかるようになります。

 

 

 

さらに、その話し相手であるぬいぐるみを、まるで生き物か自分の分身のかように、好きになることができます。

 

 

 

あなたはそうして、「自分のココロのバリアフリー」をなし、「本当の自分」をさらけ出し、その自分を愛するようになれれば、いいでしょう。

 

 

 

 

 

第十章 なにかあったら、「即座にお礼、即座に謝罪」を、習慣に

 

 

 

 

 

さて、次には生きた人間を相手にしながら、自己嫌悪を払しょくする方法を、私の経験からお知らせします。

 

 

 

とかく自己嫌悪の根源とは、自分もふくめた「人間不信」が、根源にあるのでした。

 

 

ならば、「人間は、信じられるという経験を積み重ねていけば、おのずと「自己嫌悪」も消えていきます。

 

 

まず私が実践したことは、「とかく人に親切にする」、また「人に優しくされたら、すぐにその場で『ありがとう』と、お礼を言う」、そうしたことです。

 

 

まず前者から。

 

 

たとえ小さな気づきからでいいので、まずはとにかく困っている人がいれば、すぐに助けてあげるようにしましょう。

 

 

といってもこれは、そんな大げさなことでは、ないのです。

 

 

たとえば、落とし物を探している人がいれば、一緒になって探してやる。

 

 

あるいは、忘れ物をした人がいて、自分がそれに代わるものを持っていれば、すぐに貸してあげる等です。

 

 

これをやるには、最初は勇気がいるかもしれません。

 

 

とくにあなたのような繊細な人は、逆に「余計なこと、するな!」と言われるかもしれないと思い、躊躇するかもしれません。

 

 

そこで、そんな人にはまず「なにか、お困りですか」と、声をかけます。

 

 

私の経験から、この時点で怒り出す人は、まずいません。

 

 

8割くらいの人は、「ちょっと、探し物があってね……」と答えてくれるし、残りの人は、「うん、まぁ関係ないからいいよ」と、返答します。

 

 

この時点で、まったく無視という人は、ほとんどいません。

 

 

その場合はたいてい、あなたの声が小さすぎて、相手に聞こえないだけです。

 

 

ともかくも、そこからあなたはその人のために「じゃあ、手伝いますしょうか」と、伝えます。

 

 

 

そのとき、「いや、いいよ」と言われたら、すぐに身を引きましょう。

ですが、「そうしてくれるの、ありがとう」と言われたら、すぐに相手のために行動しましょう。

 

 

その結果、その人の問題が解決されたにせよ、そうでなかったにせよ、その人はほぼ確実にあなたに、「ありがとう」と言ってくれます。

 

 

 

そしてあなたは、その言葉を自分の「ココロの貯金箱」に「人への信頼」というカタチで積み重ねていけばいいのです。

 

 

 

 

その経験は、あなたが人の役に立ち、感謝されたという、まぎれもない事実なのですから。

 

 

そうしたことが蓄積されれば、あなたは自然と人にやさしくできる人間となります。

 

 

さて、次に「人からなにかをされたとき」です。

 

 

たとえば、「落とし物を拾ってもらった」、「仕事を協力してもらった」ときなどです。

 

 

このときも、してもらった直後に「ありがとう」を言う習慣を身につけてください。

 

その際には、自己嫌悪に陥っている人は、「他者不信」がココロにしみついているので、そんなとき素直になれず、「なにか、ウラがあるのではないか」と訝ります。

 

 

ですがともかく、「なにかされたら、即座にお礼」です。

 

 

これを習慣化すれば、あなたに敵意を向けている人間など、ほとんどいないと実感できるようになります。

 

 

とかく「人を喜ばせることに、自分の喜びを感じられるようになるよう」自分を訓練することです。

 

 

すると、「人を喜ばせられる自分には、価値がある」と思えるようになるので、あなたはそんな自分を好きになれていくでしょう。

 

 

 

および、自分に失礼があったときは、間髪入れずに「ごめんなさい」と言ってください。

 

 

 

これも、たとえば路上で人に肩がぶつかった、仕事上で小さなミスを指摘されたときなどです。

 

 

もちろんその際に、自分に非がなれれば、謝る必要はありません。

 

 

しかしたとえば、個人主義の発達している欧米では、なにかあると「Excuse me」と言って、相手との摩擦を極力、避けようとします。

 

 

「この場合、自分に落ち度があるか、どうか」というのは、そうした経験を積み重ねていけば、自然と判断力が身についてきます。

 

 

これらの経験をくり返すことにより、あなたの雰囲気もよくなっていき、あなたのまわりにも、いい人たちが集まってくるという、好循環が期待できます。

 

 

 

 

 

 

第十一章 「どんなことがあろうと、自分だけは自分の味方」と、自分のなかに刷り込む

 

 

 

 

さて、次にご紹介するのは、「自己との対話」です。

 

 

これは現在、私が通院している病院の主治医さんに教わったことです。

 

 

まず、自分がヤバい状況にいるときは、「○○ちゃん(あなたの下の名前)、大丈夫」を、実際に口に10回以上、出して唱えてください。

 

 

そして自分が本格的に追いつめられたときには、「○○ちゃん、チカラになってやれなくて、ゴメンネ」と、口にしてください

 

 

 

これをピンチのときにくり返すたびに、あなたは、以下の確信が持てるようになります。

 

 

 

「どんな状況になろうとも、自分だけは自分の味方だ。自分は絶対に、自分を裏切らない」、と。

 

 

 

私も10年以上、これをくり返したおかげで、おカネがなくなって借金だらけだったとき、まわりに助けてくれる人がおらず、自殺まで考えたとき、救われてきたものです。

 

 

私の経験では、これは鏡で自分の目を見つめながら、ゆっくりと自分に言い聞かせるようにしゃべると、より効果的です。

 

 

 

 

 

第十二章 人になにかを頼み、頼まれ、人間関係を構築する

 

 

 

さて、ここまでできるようになったら、次は応用問題です。

 

 

あなたは人に、「小さなお願い」をしてみましょう。

 

 

これは、なんでもいいです。

 

 

「そこのペンを取ってくれる?」でも、「ちょっと、仕事を手伝ってくれる?」でも。

 

 

このとき、もし相手に断られても、あなたはめげることは、ありません。

 

 

彼はそのとき、自分のことで忙しくて、それどころではなかったのかもしれませんし、もともとが薄情な性格だったのかも、しれません。

 

 

いすれにせよ、「あなたが嫌いだから」という理由で、あなたの頼みを無視する人というのは、ほとんどいないはずです。

 

 

ですので、もしあなたの「お願い」を、人が受け入れてくれるようになって、約束が守られるという経験を積めれば、それで充分です。

 

 

きっとあなたのなかに、「人は信じられるもの」という気持ちが芽生え、それは「自分も、自分自身を信じられる」という確信へと変わっていくでしょう。

 

 

現在の私は、仕事などでも自分に手が負えないと思えば、すぐに人に頼みます。

 

 

そしてそれは、ほとんど断られることがありません。

 

 

およびその後、しっかりとお礼を述べれば、その人との信頼関係は、より深いものとなっていきます。

 

 

また私は、人が困っているようなら、その気配が即座にわかるようになりました。

 

 

そんなときには、躊躇せずに、「お困りですか? 手伝いましょうか?」と声をかけます。

 

 

その提案が受け入れられようが、そうでなかろうが、その人とは後々まで、うまくやっていくことができます。

 

 

 

 

 

第十二章 自分の立てた計画を実行することで、「自分を信じるココロ」を得る

 

 

 

 

次にご紹介するのは、「自分でなにかの目標を設定し、それを消化していく」ことです。

 

 

これは「計画を立てるのも自分、それを実行するのも自分」ですので、成功したときには、本当に達成感が得られ、自己嫌悪など吹き飛びます。

 

 

私がこれを始めたのは、21歳のときからでしたが、そのときの対象は読書と空手でした。

 

 

当時はまだ、自分の道などまったく見えないどころか、毎日が地獄のようで、生きているのもつらい時期でした。

 

 

ですがそのとき私は、「自分にもきっと、明るい未来は訪れるはず」と信じ、「そのためには現在、何をすべきか」を考えました。

 

 

そうして出した結論が、「人類史のなかでの、自分の位置を知る」ための歴史文庫シリーズの読破と、「心身鍛錬、心身操作」を可能にさせる空手の練習だったのです。

 

 

このとき読書には、河出文庫の「世界の歴史」24巻セットを、3回くり返し読み返すことを、自分に課しました。

 

 

また空手では、毎日、自分で決めた突きや蹴り、型や基本運動を、決めた回数だけ確実にこなすよう、心がけました。

 

 

この「自分への宿題」は、どうにか自分が決めた期間内に達成することができました。

 

 

その結果、歴史書の通読は、後に哲学、文学、宗教学、美学、倫理学、政治学等を勉強するにあたっての、大いなる基盤となりました。

 

 

また空手の習得は、「自分にはいつでも、人を殺せる武器がある」という自信につながり、私から多くの恐怖心を取り除いてくれたものです。

 

 

さて、そのとき私が誓ったことは、次の2点でした。

 

 

 

〇「決して、ムリであまりに長期的な予定は立てない」

 

 

 

〇「だが、こうと決めたら、それは必ず実行する」

 

 

まず、東大の入試でも、6割正答が出せれば、合格です。

 

 

ですからあなたも、自分の計画を立てるときは、自分の身の丈や忍耐力、実行力を自覚し、その半分から6割程度で成しえる質と量を目指すべきです。

 

 

くれぐれも、無理なプランを立て、挫折するということだけは、避けてください。

 

 

 

そうしたことを重ねてしまうと、あなたは逆に、本格的な自己嫌悪、自己不信に陥りかねません。

 

 

ただし、実行の段階に入れば、あらゆる甘えや言い訳を捨て、心を鬼にして、自分の決めたことをやり抜いてください。

 

 

そうしてあなたは、自分がつくった計画を完遂できれば、自分をおおげさなまでに褒めてあげてください。

 

 

 

「○○ちゃん、エライ!」と。

 

 

 

実際にあなたは、自分との約束を守れたのです。

 

 

もはや、自己嫌悪をする理由は、まったくないはずです。

 

 

あなたはそのように、つねに「自分を大切にする」、「自分を信じる」、そしてときには「自分へのご褒美を用意」しながら、自分を愛するクセをつけてください。

 

 

 

 

 

第十三章 自分が好きなものにハマり、自己嫌悪を吹き飛ばす

 

 

 

 

 

さらに、自分が気になるものがあれば、それにのめり込み、ハマる習慣を身につければいいでしょう。

 

 

すると、「それをやって、夢中になってる自分が好き」に、なれます。

 

 

私の場合は、ヒトカラ(一人カラオケ)でした。

 

 

これは、あるきっかけから始めたのですが、「ヒトカラは健康やさまざまな能力伸長に有効」と気づいてからは、私はこれに、意図的にのめり込んだのです。

 

 

 

いまではそれほど行っていませんが、私はヒトカラを月に5~6回、1日7~8時間行うという日々を、7年くらい持ちました。

 

 

その結果として、健康増進から性格改善、呼吸法や良い姿勢の保ち方など、多くのものを得られました。

 

 

ですがそれ以上に良かったことは、「自分が好んで選んだものを、とことんまでやったおかげで、自分がますます好きになれた」という点です。

 

 

あなたもぜひ、時間を見つけては、「自分が好きなものをやることで、自分もその対象も、ますます好きになる」という実践を積んでください。

 

 

その経験はきっと、あなたから「自己嫌悪」など、吹き飛ばしてくれるはずです。

 

 

 

 

 

第十四章 「自分が好きな自分の人生」は、自分で創る

 

 

 

さて、ここまで自己嫌悪を払しょくする、さまざまな方法論を述べてきましたが、いよいよ総括です。

 

 

私は、いま現在、自己嫌悪に苦しんでいる人には、それをチャンスととらえていただきたいと、思います。

 

 

なぜなら、あなたに“若さ”さえあれば、「『自分が嫌いな自分』を捨てて、『自分が好きな自分』を、再創造すること」ができるからです。

 

 

ふつうの人は、育った家庭や環境からあたえられた「自分の人格」のまま、死ぬまで生きていくことになります。

 

 

ところが「自分のここが嫌い」とわかる人ならば、それを改善し、「自分の好きな自分」に改造することが可能です。

 

 

 

これは全生物のなかで、人間にのみ可能なことで、人間にのみに許された特権です。

 

 

これを活用しない手は、ありません。

 

 

私はといえば、これをくり返し、30年も実行してきたため、いまの自分が大好きです。

 

 

また私は、どこに行っても人気者です。

 

 

なにせ私には、「自分の嫌いな部分」がないのですから、自分の本音も欠点も弱点も、どんな人にも平気で見せられます。

 

 

そうして私は意地を張らずに、自分のすべてを人にさらせるため、逆に他人から好かれ、信用されます。

 

 

また私は前述したように、物心ついたときから心身に病気を抱えており、そのため仕事などがうまくできずにいた時期が、長かったです。

 

 

それでも私は、愛嬌や人柄だけで、仕事上の無能さを大目に見てもらえたことが、多数あります。

 

 

どうかあなたも、「自分を好きになるトレーニング」を始め、「自分が好きな人生」を、悔いなく、満喫して生きてほしいと思います。

 

 

 

 

まとめ

 

 

 

現代日本では、人が自己嫌悪におちいる原因は、家庭環境にある場合が多い。

 

 

その理由は、現代の家庭では、人が人として育つために必須の“愛情”が欠落している場合が多いから。

 

 

また人間とは、自分がされたようにしか、他人にはしてやれないので、愛を知らずに育った人は、自分の子どもも愛せない。

 

 

だけど人間は動物と異なり、「自分で自分を変える」ことができる唯一の動物です。

 

 

ですからあなたも、自分から他人に働きかけたり、自分で自分に課題を課したりすることで、現在の自己嫌悪から脱することは、充分に可能です。

 

 

どうか、上で私が記した方法により、あなたも「自分大好き人間」となり、あなただけの人生を、充実させて生きていってください。

 

 

 

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自己紹介 ほんわか

みなさん、はじめまして。(*^^*)

ほんわかと申します。

私は現在は、雑誌ライターさんなどやってます。
成長過程での歪みにより、発達障害やアトピーを、50年近く患い、30年以上かけてほぼ完全に克服しました。

 

その過程で、多くの学問、健康法、整体術などを習得し、自分と同じような立場の人、100人ほどの相談に乗ってきました。

 

またネット上のものも含めると、これまでに私がアドバイスしてきた人は、500人以上に上ります。

 

ちなみにその成果として、下記のようなサイトも立ち上げています。(^^ゞ

 

よろず人生問題を、哲学的方法でズバリ解決!悩みよ、さらば
http://jinseitetsugaku.com/

 

この経験を、少しでも多くの人に役立ててもらおうと思い、当サイトを立てた次第です。

 

これからの厳しい時代、かつての私以上に弱い人でも生き残れる方法論を、どんどん発信していくつもりです。

 

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