低い自己肯定感を高める二つの鍛錬。無数の自己否定を重ねるか、根拠ゼロでも自尊感情を育てるか

はじめに

 

 

 

 

最近になり、「自己肯定感」という言葉が、よく使われるようになってきていますね。
(*^^*)

 

 

 

ではそもそも、「自己肯定感」とは、具体的にどんなことを指すのでしょう?

 

 

 

私はそこで、いろんな辞書を調べてみました。

 

 

 

その結果、わかったことは、端的には自己肯定感とは、「自己否定」の逆であり、「自分の存在を認めることの総称」のように使われているということです。

 

 

 

そしてその際にはよく「ありのままの自分」を、受け入れる行為ともされています。

 

 

 

その理由の一つとして、多分、自己啓発分野において、よく「アファメーション」という言葉が、使用されているからだと思います。

 

 

 

「アファメーション」とは、これに「セルフ」をつけると、こちらも「自己肯定」という意味になります。

 

 

 

そして「セルフ・アファーメーション」という概念を生んだアメリカは、キリスト教国です。

 

 

 

基本的にキリスト教の国では、その人の持つ性格や気質、能力などは、生まれつきのものであり、後からそれを変えることは、不可能だと考えます。

 

 

 

たとえば、メジャー・リーグなどを見てもわかりますが、選手のフォームは、とかく一人ひとり個性的です。

http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=001-20150622-04

 

 

 

これはもちろん、選手が野球を始めた少年時代から、たとえどんな変則的なフォームでも、その人に合ったものなら、問題視されなかったからです。

 

 

 

つまりは、少年時代からプロになるまで、彼のフォームを矯正しようとする人は、いなかったのですね。(´・ω・`)

 

 

 

この点は、日本の野球とは正反対ですね。

 

 

 

とかく日本の指導者は、選手のフォームをいじりたがりますから。

 

 

 

なので、野茂英雄やイチローのようなケースは、日本では非常にマレだといえます。

 

 

 

で、その人の「個性」が持って生まれたものと考えるなら、まわりの人はそれを変えようとはしませんよね?

 

 

 

となると、その人の能力をさらに上げるためには、「『ありのままの彼』を認めてやること」というふうにしか、なりません。

 

 

 

ちなみに英語で「教育」を意味する「education」の語源とは、以下です。

 

 

 

「外へ」を意味する接頭語「E」+ラテン語で「導く」を指す「DUCERE」。

 

 

 

つまり西洋人とは、何千年にもわたり、こう考えていたのです。

 

 

 

「個々人の性質や能力は、その人のなかに眠っている。それを外部に引き出してやるのが、『教育』だ」と。

 

 

 

その考え方を、全面否定はしませんが、一方で、日本の武道や芸術、職能の世界では、以下のようにとらえます。

 

 

 

「初心者はとかく同じ型を、何千、何万回もくり返し、やっと技に『命』が宿るようになる」と。

 

 

 

これはまったく、西洋人とは正反対の思考ですよね?

 

 

 

では、結局はどうすることが、当人にとって本物の「自己肯定感」を得ることにつながるのか、見ていきたいと思います。(*^^*)

 

 

 

 

 

第一章 日本の子どもが持つ「自己肯定感」は、世界で最低レベル

 

 

 

 

 

まず「自分の存在を、自分で受け入れる」ことができなければ、人は自分に自信を持てないし、自分の活動に確信が持てるようには、なりません。

 

 

 

すると結局は、良い仕事をしたり、幸せな人生を築いたりはできなくなるのですから、「自己肯定感」は、人に不可欠なものといえます。

 

 

 

自己肯定感が低い人は、いつもオロオロし、自分のことさえ決めかねて、満足のいく人生を送りづらくなるでしょう。

 

 

 

現に日本の教育システムは、非常に自己否定的なものであり、日本の児童や少年・少女らは、世界的にも自己肯定感が低いことで、知られています。

 

 

 

その点は、下記データなどを参考にしてください。

 

特集 1 自己認識|平成26年版子ども・若者白書(全体版) - 内閣府
https://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26honpen/tokushu_02.html

 

 

 

こうした事実が現れるということは、そもそもが日本の教育現場そのものが、「他者否定的」なものであることを示します。

 

 

 

たとえばもっとも身近な例を挙げると、日本の家庭では、子どもはとかく、「~しちゃダメよ」と、親に言われる回数が多いです。

 

 

 

日本の親は、まるでそれが口癖のように、子どもに「ダメ」と言います。

 

 

 

ある調査によると、日本の子どもは生まれてから成人するまで、平均で3万回ほど、「ダメ」と言われて育つそうです。

 

 

 

また日本教育の名物である「受験戦争」も、採点は減点方式でなされます。

 

 

 

つまり日本の入試では、「どれだけ、よくできたか」ではなく、「どれだけ、ミスしないでやり遂げたか」が、問題とされるのです。

 

 

 

余談ですがその理由は、そもそもが日本の近代教育は、「欧米の書物を、間違いなく理解する」ことから始まったからです。

 

 

 

天下の東京大学も、最初は外国文献の翻訳機関として、スタートしました。

 

 

 

さらにその後、東大は本格的な官僚養成機関へとなります。

 

 

 

官僚にとって重要なことは、「政治家にまかされた仕事を、間違いなく遂行する」ことです。

 

 

 

決して、「独創的な政治的アイデアを生み出す」では、ありません。

 

 

 

さらにこれは、日本の企業内における教育でも、同様のことがいえます。

 

 

 

上司とは基本的に、「ガミガミ怒る存在」です。

 

 

 

こちらがミスをすると、もちろんネチネチ、ガミガミ言われます。

 

 

 

しかしなにもしないならしないで、「積極性がない」と言ってくるのが、日本のオジサン上司の典型的姿であったりもします。(笑)

 

 

 

この点は、私などよりあなたのほうが、日常的に感じられていることだと思います。
(^^ゞ

 

 

 

 

 

第二章 軍隊式、サムライ式社会が生んだ、日本の停滞

 

 

 

 

 

ではこうした日本社会の風習は、そもそも何にもとづいているのでしょうか?

 

 

 

これは直近のものでは、80年くらい前まで日本を支配していた、大日本帝国における軍隊のあり方にあると思います。

 

 

 

これをさらにさかのぼれば、日本の前近代的な武士道文化へと行き着きます。

 

 

 

この点を具体的に述べれば、親や上司には絶対的に服従する、儒教の教えがあります。

 

 

 

さらに、上司には言い訳をしない、口答えをしない。

 

 

 

またどんな理不尽な攻撃でも、上司からされたことは、「愛のムチ」と思って、感謝をもって受け入れる。

 

 

 

主人や親やお国のためなら、喜んで死ぬ。

 

 

 

人権軽視、人権無視を、当たり前のものとして甘受する。

 

 

 

無言実行、体罰容認、身に余る責任を負わされても、だまって服従。

 

 

 

どんな正論であっても理屈は認められず、精神論や情緒ですべてが決められてしまう。

 

 

 

上記のものはすべて、日本の旧軍隊や、武士道の世界では、当然のものとして行われていたのです。

 

 

 

またそうした価値観が、現代でも「ブラック企業」、「体育会系組織」として生き続けているのも、事実です。

 

 

 

こうしたことが行きすぎたので、その反省から、平成より「自己肯定感」という概念が流行りました。

 

 

 

またこれも、平成になってから「ゆとり教育」、「ほめる教育」を生んだ、直接的な原因でもあります。

 

 

 

私はそのように、日本の社会や教育が、「ゆるく」なっていくこと自体には、まったく反対しません。

 

 

 

また、上に挙げたような軍隊的、サムライ的価値観が、日本社会にマイナスに働いた事実も、認めます。

 

 

 

というのも、そうした社会や教育のあり方を放置していたからこそ、日本はここ30年で先進国唯一の、「成長しない国家」になったのは、厳然たる事実だからです。

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第三章 「ほめる教育」の問題点

 

 

 

 

 

そうした社会的背景から、「自己肯定感」という概念が生まれ、広がっていった現実を、私は批判しません。

 

 

 

それどころか、そうした現象は、いまの時代背景から出てくるのは必然だと思うし、社会をいい方向に変ええるものだと、私は思います。

 

 

 

ただしまず一点、子どもや個人に対して、自己肯定感を植えつけるには、注意が必要だということです。

 

 

 

たとえばこれは、昨今の「ほめる教育」でも、問題になっていることです。

 

 

 

子どもをほめる際には、その子の努力の過程ではなく、結果ばかりをほめてしまうと、その子は「ウソをつく」、「ズルをする」子に育つといわれます。

 

 

 

理由はもちろん、子どもは自分がほめられたいため、手段を選ばずに、結果を出すことだけに関心が行ってしまうからです。

 

 

 

そうした子を、そのような教育で大人にしてしまうのは、やはり大きな問題があるというべきでしょう。

 

 

 

なぜならその子は将来、「おカネが欲しいから」泥棒をするかもしれませんし、「ムカつくから」人を殴るようになるかもしれないからです。

 

 

 

まだまだ挙げることはできますが、「ほめる教育」には、実行するにあたり、いくつも課題点があり、注意が必要であると、申しておきます。

 

 

 

 

 

第四章 旧来の日本型教育における長所

 

 

 

さらには昨今、なにかと否定されることが多い、旧来の日本の教育ですが、これはこれで、いいところもたくさんあるのです。

 

 

 

まず前述したように、むかしの日本の教育は、「自己否定」、「人格無視」が、ふくまれています。

 

 

 

この状態が、永遠に変わらないならば、たしかにそれは問題です。

 

 

 

ところが、教育される側がまったくの素人だったり、幼児だったりした場合には、指導者さえしっかりしていれば、好ましい結果が期待できるのです。

 

 

 

というのもまず、あなたは<守破離>という言葉を、ご存じでしょうか?

 

 

 

はじめにこれは、わが国における物事の上達論での方法論です。

 

 

 

最初にとは、師に盲従し、ひたすら師の教えに従い、一切の「自分」を出さない状態を指します。

 

 

 

ここでは「師の言葉は神の言葉」であり、「自分の気持ち」とは、「徹底して殺すべきもの」なのです。

 

 

 

そのように自分が未熟なうちは、自分の判断ではなく師の言葉を信じ、ただただ基本技の習得に努めます。

 

 

 

そうして何年か経ち、技量や精神も師に並ぶほどになれば、やっと師から独立を果たします。

 

 

 

これが「」です。

 

 

 

さらに、自分一人で道を歩めるようになってはじめて、「自分独自のやり方と判断で」、物事を成し遂げるようになれます。

 

 

 

これが「」です。

 

 

 

この<守破離>のプロセスを踏むことにより、はじめて人は、「一般的でありながらも、独自の方法」を獲得するることが、可能となります。

 

https://ameblo.jp/ri-ameb/entry-12403931106.html

 

 

 

日本にはこうした教えがあったからこそ、日本の文化や芸術は、過去から現在まで、国際的にも非常に高いものとして評価されています。

 

 

 

またわが国の歴史上でも、こうした方法論にもとづいて、優れた文化人、芸術家、武道家が現れたのも、事実です。

 

 

 

たしかにこの方法は、実行しようとすれば時間がかかり、また大変な苦痛をともなうものでもあるでしょう。

 

 

 

しかしこのやり方は理に適っているため、脱落者や失敗者を、比較的生まないですみます。

 

 

 

この点を例に挙げれば、わが国では江戸時代から、識字率は欧米のそれとは比にならないほど高かった事実を、思い返してもらいたいと思います。

 

 

 

また逆に、欧米のように個性尊重主義がすぎると、一部の天才的成功者が出る反面、その何百倍もの落ちこぼれが現れるという点にも、要注意です。

 

 

 

 

 

第五章 なにかを達成させるには、自分自身を「師」と「教え子」に分裂させる

 

 

 

 

 

さて、えんえんと社会論や教育論が長くなってしまい、申し訳ございません。(^^ゞ

 

 

 

ここから、「自己教育をつうじた、『自己肯定感』の獲得」へと、話は進んでいきます。

 

 

私が言いたいことは、以下です。

 

 

 

せっかくわが国には、そうしたすばらしい教育システムが、歴史的に存在するのだから、それを「自己教育」に使えばいいではないか、ということです。

 

 

 

それは、具体的にどういうことを指すのでしょう。

 

 

 

つまり、あなたがなにかを達成するまで、もしくは独学でなにかを学ぶにあたり、初心のうちは、以下の心がけでいればいいということです。

 

 

「自分の気持ちや感情、中途半端な判断力を、一切出さない」

 

 

この場合、自分自身が「」と「教え子」に分裂します。

 

 

 

そして「師」の自分は、自分をなにかができる自分にするため、いろんな方法やマインドセットを考え出します。

 

 

 

ところがもう一方の「教え子」である自分は、自己感情を殺し、課題を達成させるため、機械のように「師」である自分に従います。

 

 

 

ちなみにこれは後で述べますが、私が英語を習得した方法でもあります。

 

 

 

この方法を採る場合、「師」であるあなたは、最初の準備と見極めを、きわめて慎重に行う必要があります。

 

 

 

なぜなら、質的にも量的にも、「現在の自分」ができないものを選んでしまうと、「教え子」のあなたが、音を上げてしまうからです。

 

 

 

そうすると、「教え子」であるあなたは、もう辟易してしまい、二度とそれに挑戦しようとは、思わなくなってしまうでしょう。

 

 

 

ですから、あなたがあなた自身に課するものは、質・量ともに、全力を出したあなたが、6割くらいのチカラで達成できるものにするのが、ふさわしいのです。

 

 

 

「全力の6割」ならば、自分で自分を追いつめるほど、過酷なものではないし、また逆に、舐めてしまうほど容易なものでも、ないからです。

 

 

 

ちなみにですが、あの東大でも、入試で6割の正答が出せれば、合格できます。

 

 

 

この点を、いま水泳の練習をしているあなた、ということで、シミュレーションしてみます。

 

 

 

 

 

第六章 練習の実践中は、とかく「自分を殺す」

 

 

 

 

 

まず「師」であるあなたは、「教え子」であるあなたが最終的に、どこまでの泳力をつければいいか、考え、判断し、決断します。

 

 

 

もちろんそのときには、それを達成させる期間、一日に使える時間等も、考慮します。

 

 

 

そして次に「教え子」であるあなたが、6割のチカラで泳ぎ切れる島を探します。

 

 

 

それが見つかれば、「教え子」であるあなたは、「師」に命じられるよう、海に飛び込み、岸に到着することだけを考えます。

 

 

 

そのとき、海中のあなたの脳裏には、いろんな想念が浮かぶでしょう。

 

 

 

「面倒クセー、寒いし、息は苦しいし、全身の筋肉が疲れるし、俺、そもそもなんでこんなことしてるんだろう? 早く、やめてー!!」

 

 

 

これらの想いを、「教え子のあなた」は、とかくすべて殺し、自分が「泳ぐ機械」になったつもりで、ひたすら岸に向かいます。

 

 

 

そうして目的地に到着すると、あなたはそこではじめて感情を解放します。

 

 

 

ところがもちろん、三日坊主は許されません。

 

 

 

次の日も、また次の日も、おなじことをくり返します。

 

 

 

そうしているとある日、あなたはその区間内での泳ぎには、絶対的な自信が持てるようになっています。

 

 

 

もうそこなら、目をつむってでも、半分寝ながらでも、泳ぎきることが、できるようになります。

 

 

 

すると、「師」であるあなたは、「弟子」のあなたを、これでもかというほど、盛大にほめてやります。

 

 

 

その際には、「師のあなた」は、「弟子のあなた」が自分の努力によりできるようになったことを、なるべく具体的に挙げます。

 

 

 

そうすることにより、「弟子」のあなたは、自身の上達と、自分がどれだけ以前より変われたかが、ハッキリとわかるでしょう。

 

 

 

その際には、あなたはその自分の上達と成長について、ノートに感想を書くことで可視化するのは、いいアイデアです。

 

 

 

その記録をずっと残しておけば、いつか落ち込んだときに読めば、きっと自分を奮起させてくれるでしょうからです。

 

 

 

そしてそのときあなたは、そんな自分を肯定する気持ちで、いっぱいになるはずです。

 

 

 

なぜならそれにより、あなたが自力で得た「泳ぐ能力」は、どう否定しようもなく、あなたの実力として、あなたの一部になっているからです。

 

 

 

そうしてあなたは、自分の努力と、その結果による成長を確認し、思いっきりそれを満喫しましょう。

 

 

 

さらにそれに充分に満足したら、次のステップへと移ります。

 

 

 

「師であるあなた」は、今度はまた、以前よりも少しだけ大きな目標をかかげ、「弟子であるあなた」を鍛えます。

 

 

 

今度は少し、前回よりは距離は遠く、波もあるところがいいでしょう。

 

 

 

そこで「教え子」であるあなたは、文句をハラにしまって、ひたすら次の目標への泳ぎをくり返します。

 

 

 

これを反復すことにより、当初、目標としていた泳力が身につけば、とりあえず水泳の練習は終了です。

 

 

 

そのときのあなたには、大きな能力が身についており、さらに泳ぎに対しては、絶対的な自信に満ちあふれているようになっているでしょう。

 

 

 

またこの場合、「泳ぎ」はあくまで手段にすぎません。

 

 

 

もっとも大切なのは、あなたがご自分の努力でつらさに耐えて、それを獲得したという事実です。

 

 

 

その事実は現実に起きたことなので、否定の余地がなく、あなたの無意識にまで自己肯定感を植えつけるはずです。

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第七章 私は「自己否定」の結果として、英語力を身につけた

 

 

 

 

 

上記の方法は、前述したように、私が英語を習得した際に、用いたものでもあります。

 

 

 

ですから、そのときの様子も一例として、挙げておきます。

 

 

 

そもそも私が英語を勉強しようとした動機は、おおきく分けて3つあります。

 

 

 

まず第一点は、若いときから将来は、どの分野であれ、国際的に活躍しようとしていたので、そのためには英語力は必須だと思ったから。

 

 

 

次は、上記の方法論は、私は若いころから知っていたため、それを自身の英語習得における方法論として使えるか、実験してみたかったこと。

 

 

 

最後に、当時の私は空手の大師匠から、「英語は、言語としてボロいので、学問には使えないよ」と言われていたため、それを実地で検証するためです。

 

 

 

私は19歳のときに一度、アメリカには留学していましたが、このときには日常会話程度の英語力しか、身につきませんでした。

 

 

 

そこで私は23歳のとき、バイトでおカネを貯めておいて、再度の留学へと向かったのです。

 

 

 

その際にはまず、英語の短文を徹底的に1000ほど、暗記していました。

 

 

 

そしてアメリカに着き、現地のコミュニティーカレッジに籍を置いて準備が整うと、私は毎日、喫茶店にこもっての英文読書に入りました。

 

 

 

そのとき私は、まずは新聞や薄い雑誌を読むことから、始めたのです。

 

 

 

その際には、とかく辞書は極力使わずに、「英語を英語として、理解すること」を心がけました。

 

 

 

そうして少し、英語力が上がれば、そのとき使ったテキストを、何回も読み返します。

 

 

 

さらに読むものを少しづつ、質も量もレベルアップさせていきました。

 

 

 

そうした毎日を、半年くらいくり返したところで、私は当初に予想していた以上に、自分に英語力が身ついたのが、実感できました。

 

 

 

「英語を英語として理解する」のはもちろんですが、「ほぼどんな思考も、英語で行うこと」ができるようになっていたのです。

 

 

 

これはつまり、私の脳内に、いわゆる「英語脳」がついたということだと、思います。

 

 

 

この状態は、「英語と自分が一体化している状態」とも、いえそうです。

 

 

 

とかくこれを私は、「自己否定」の連続で、半年間、実践しました。

 

 

 

これをやっているあいだ、私の脳裏には、もちろんいろんな余計な想念が、浮かんでは消えていました。

 

 

 

 

「このやり方で、本当に真の英語力がつくのかな? ダメだったら、どうしよう……」

 

 

「英語を身につけるだけなら、もっと簡単な方法も、あるんじゃないかな……?」

 

 

「現在の自分の英語力が、よく見えない。この調子で進めていけば、本当にいつかは爆発的に英語力が上がるようになるんだろうか……?」

等々です。

 

 

 

しかし、ちゃんとした英語力が身についてしまうと、私は自分の英語力や、「英語ができる自分」に対して、ありのままの肯定感が得られるようになりました。

 

 

 

また私は現地で、アメリカ人や他の国から来た留学生などを相手に、いつも議論をしていました。

 

 

 

その結果として、私は日本に帰国後、まったく英語の資格を持っていないのに、多くの翻訳の仕事が得られたのです。

 

 

 

下記は、私がクライアントさんに頼まれ執筆した、「忍者」についての英文サイトです。

 

 

 

こちらは、2013年、2020年のいまから7年も前に書かれたものです。

 

 

 

 

Ninja Encyclopedia
http://www.ninjaencyclopedia.com

 

 

 

 

日本語のものでもそうですが、英語で書かれたサイトは、新陳代謝がものすごく激しいです。

 

 

 

しかし上記サイトは、私が執筆してから一度、ネイティブ・チェックされただけで、以後は完全放置ですが、それでも毎月、5万PVほどのアクセスがあります。

 

 

 

最後に私がアメリカ留学した理由の一つ、「英語は学問に使えるか、どうか」の検証です。

 

 

 

こちらはやはり、「使えない」が、正しかったです。

 

 

 

アメリカでずっと英語漬けになっていた私ですが、半年後には、日本では可能だった哲学的な抽象思考が、すっかりできなくなっていました。

 

 

 

いや、できたとしてもその概念は、まるで幼児語を語っているように、レベルが低くなっていたのです。

 

 

 

たとえば、ドイツの哲学者ヘーゲルの言葉に、こんなのがあります。

 

 

 

「歴史とは、『自由の概念』の展開にほかならない」

 

 

 

これはヘーゲル独自の歴史観を表すもので、端的には歴史とは、「絶対精神」という根源物が、人間や社会を時代が進むごとに、自由にしていく、というものです。

 

 

 

ところが、これを英語で考えると、こんな感じになってしまいます。

 

 

 

「歴史のなかで、自由な思考が、どんどんと広がっていくんだよ」

 

 

 

その理由ですが、まず英語とは、他の印欧語と異なり、名詞の「性や格」がありません。

 

 

 

ですので、日本語でいえばちょうど、「てにをは」抜きの、幼児語のようになってしまうのです。

 

 

 

ちょうど、こんな感じで。

 

 

 

「今日、俺、パーティー行き、家は、11時、帰る」

 

 

 

と、私がこう言えば、「アメリカの大学は日本のものとは違い、何人もノーベル賞級の学者が出ているではないか」と、言われそうです。

 

 

 

ところが、彼らが行っているのは、個別のモノ研究であって、決して体系立った学問ではありません。

 

 

 

ここをくわしく述べるヒマはありませんが、現在の欧米の大学で行われているのは、「研究」や「思考」であり、おおよそ「真の学問」では、ないのです。

 

 

 

 

 

第八章 実力で得た自己肯定感と、思い込みによる自己肯定感

 

 

 

 

 

また上記方法ですが、これは私が空手を習っていた際にも、役立ちました。

 

 

 

というより、私が上で挙げた方法は、もともとは私が属していた空手道場の師範が唱えたものだったのです。

 

 

 

私が空手を習っていた際には、私は通っていた道場の師の教えを、忠実に守りました。

 

 

 

若いときの私は、育ちの問題により、身体能力が身体障碍者なみでした。

 

 

 

それでも動かないカラダに一生懸命にムチを打ち、10年後には、技の型だけは、師に褒められるようになりました。

 

 

 

 

ただし、組手などは、現在でもまったく強くありませんが……。(^^ゞ

 

 

 

しかしそのため、いまの私は、他人の暴力や脅しにビビるということは、ありません。

 

 

 

その理由は、私の体格がいいからというのもありますが、イザというときは先制攻撃で、相手を倒せるという自信があるからです。

 

 

 

正直に申し上げて、私は空手の実力についてはまだ、<守破離>の「守」も、終了していない段階です。

 

 

 

だが少なくとも、空手技が自分のものとなったため、「空手技を身につけた自分」に対する、絶対的な肯定感があります。

 

 

 

なぜなら、私にとって空手技とは、まさに主体的な努力で身につけたものだからです。

 

 

 

そのようにあなたも、なにかを習うときには、できたら師を厳選し、最初はその人に服従するようなつもりで、いたほうがいいです。

 

 

 

そうして、そこから<守破離>に従った上達を図ると、いいでしょう。

 

 

 

また独学の場合だと、「自分自身を分裂させる」ことが重要です。

 

 

 

つまり「師であるあなた」と、「教え子であるあなた」を、分けるのです。

 

 

 

そして「教え子であるあなた」は、全力の6割くらいでできることを、「師であるあなた」に絶対服従するつもりで行えば、いいでしょう。

 

 

 

さらに、簡単なものからじょじょに難しいものへと、ステップアップしていきます。

 

 

 

ただしその際には、なにかが一度できただけでは、油断しないことです。

 

 

 

それが目をつむってでもできる、というくらいのレベルになってはじめて、次のステップへと向かいます。

 

 

 

この方法論は、あなたがビジネスマンだとして、どのような分野にも応用可能です。

 

 

 

英語、IT、ビジネススキル、交渉力、コミュニケーション、恋愛、習い事、人間関係、すべてに通用します。

 

 

 

そうした習慣を、30歳くらいまでずっと続けていたら、あなたにはとんでもない能力が宿っているはずです。

 

 

 

それにともないあなたにのなかには、「それができる自分」、「それができるようになるまで、がんばった自分」がいます。

 

 

 

その事実からあなたは、そんな自分を絶対的に、ココロの底から肯定する気持ちでいっぱいになれているはずです。

 

そのようにあなたには、「現在の自分を否定すること」で、「未来の自分を、絶対肯定すること」が、可能になるはずです。

 

 

 

またそうした「実力」は、一回や二回の成功にもとづくものでは、ありません。

 

 

 

「毎日、歯を磨く」、「通勤電車に乗って、会社まで行く」等、そのときのあなたにとっては、日欧的な当然の能力となっているものです。

 

 

 

よって、これがあなたから失われるということは、あなたがよほどの事故にでも遭わないかぎり、ありえないことでしょう。

 

 

 

したがってこの方法は、あなたの本質のなかに根を下ろした、深いものといえます。

 

 

 

私がここまで述べると、おそらくあなたは、こう言うと思います。

 

 

 

「たとえそれが事実であっても、そこまで自分を追い込むことは、できないよ」と。

 

 

 

この点については、少し後に、抜け道をお教えします。

 

 

 

ただし、昨今流行っている「自己肯定感」の多くは、「現在の自分を、ありのまま認める」というのが、主流です。

 

 

 

もちろんそれが、なにかをなすスタート地点であるなら、まったく問題はありません。

 

 

 

子どもを見ても、親にたっぷりと愛された子は、なにをするにも積極的で、失敗を恐れません。

 

 

 

それに反し、親からの愛情に恵まれなかった子は、とかく臆病で消極的で、なにかに挑戦するということを、とにかく嫌います。

 

 

 

上記2人の子が、まったく生き方を変えずに、5年、10年と経っていったら、2人のあいだには、人間としてとんでもない差ができているでしょう。

 

 

 

しかし問題なのは、根拠の薄い、あるいはなんらかの実力に裏打ちされていない、高い自己肯定感を得て、それがゴールになってしまっている人です。

 

 

 

この場合はもちろん、高い自己肯定感のため、その人は本当の実力以上のチカラを出すことも、可能でしょう。

 

 

 

ですが、酷な言い方ですが、彼は一皮むけば、無力・無能です。

 

 

 

そのため、なにもしていないうちから「自分はできる!」と勘違いしてしまい、結果としてなにもしない、努力もしないということもありえます。

 

 

 

または、自信満々になにかに挑み、その結果、大敗北を喫し、自信喪失してしまうことも、考えられます。

 

 

 

その一方で、自己否定を重ねた末に得た「自己肯定感」の持ち主は、「実力」という絶対的なよりどころがあるため、自分自身を見誤ることは、ありません。

 

 

 

つまり彼は、自分の実力も、対象の厳しさもわかるため、何事にも怯えることは、ないのです。

 

 

 

そうしたものこそ、「絶対的な自己肯定感」といえるでしょう。

 

 

 

ただそれでも、こうした方法論に、下記のような批判をくわえてくる人もいます。

 

 

 

「それはたしかにそうかもしれないけど、人間とは機械じゃないから、失敗もするものだよ。

ならたとえば、なにかを100回やるとして、99回成功して、最後の1回で失敗したら、どうするの?

そのとき彼は、本格的に自信喪失しちゃうんじゃない?」

 

 

 

これはたしかに、正論です。

 

 

 

自分が築いてきたものが、現実に否定されれば、そりゃ本人はショックでしょうし、上記のようなことも、充分にありえます。

 

 

 

しかしその場合の対策というのも、ちゃんとあるのです。(*^^*)

 

 

 

それは、自分が積み重ねてきたものの、基本からやり直すということです。

 

 

 

蓄積型の人がなにかを失敗したということは、野球選手のバッターを例に挙げれば、いわば、「フォームが崩れた」ということです。

 

 

 

ならばその場合、基本の基本に立ち返り、いったんは身についたフォームを、思い出すようにくり返し反復します。

 

 

 

そうしてそれを、易から難へと、再度、習得するつもりで復習すれば、方法論さえ正しければ、きっとフォームは元に戻り、彼も自信を回復します。

 

 

 

これを、なにかに失敗して自分を見失いそうなとき、いつもやるように心がけていれば、何度失敗しても大丈夫です。

 

 

 

というより、たくさん失敗すればするほど、失敗する以前より強くなれます。

 

 

 

なぜなら彼は、「どうすれば失敗してしまうか」という方法を、一つ覚えたことになるからです。

 

 

 

ならこれからは、その教訓を活かし、「失敗しないでやる方法」をどんどんと自分のなかに積み重ねていけば、もはや失敗したくても、失敗できなくなります。

 

 

 

もちろんその場合、本人に「慢心」が一切、生じなかったらの話ですが。

 

 

 

 

ちなみにですが、プロの声楽家さんは、わざと音程を外して歌おうとしても、歌えなくなるそうです。

 

 

 

またところで、私は一時期、塾講師をしておりました。

 

 

それはあくまで非正規雇用でのものでしたが、そこで私は、英語や数学なども、中高生などに教えていました。

 

 

 

そのときに、中学生の生徒などは、調子がいいと思うと、あるとき突然、スランプに陥るようなことが多かったです。

 

 

 

そんなとき私は、彼らに徹底して基本のやり直しをさせました。

 

 

 

たとえばそれは、「数学」ではなく「算数」の計算問題を解かせるだったり、中一時代に使った英語教科書の第一章だけを、ひたすら音読させる等のことでした。

 

 

 

本人たちは最初、自分がそんなレベルのものをわざわざやるのが、恥ずかしいやら屈辱を感じるやらで、やりたがらないことも多かったです。

 

 

 

しかし実際に私と一緒に、まじめにそうしたことに取り組むと、本人たちのあいだでどんどんと、「自信」が回復していっているのが、よくわかったものです。

 

 

 

そしてこのやり方だと、スランプに陥ったほとんどの生徒が、やり終えた後に、自信と実力を回復させていたのです。

 

 

 

さて、この章の最後に申しておきますが、そのようにして自己肯定感を得た際に、もっとも重要なのは、水泳や空手や英語といった技術を身につけたことでは、ありません。

 

 

 

そうではなく、それらの技能を習得するにあたり、主体的に自分ががんばれたという事実です。

 

 

 

「それだけがんばれたあなた」とは、「あなた全体」を指します。

 

 

 

ならば「そんなあなた」を認めることは、自己肯定感を高めることに直結します。

 

 

 

その点こそが、あなたがもっとも誇れるべきことです。

 

 

 

 

第九章 サブリミナル画像、音楽を利用しての、自己肯定感の獲得

 

 

 

 

 

さて、ここまで述べると、あなたは以下のように思ったかもしれません。

 

 

 

あ~あ、やっぱり自己肯定感なんて、簡単には身につかないか。

そこまで基本を積み重ねないと、いけないのか。

じゃあ、ムリにでも努力をするのは、あきらめよう」と。

 

 

 

ところが、そんなあなたでも、自己肯定感を得ることは、できるのです。

 

 

 

もちろんこれは、「なにかを始めるため」のスタートとしての自己肯定感であり「実力をともなう、ゴールとしての自己肯定感」では、ありません。

 

 

 

しかし親に充分に愛された子と、そうでない子とでは、まず自己肯定感が違うというということは、前述しました。

 

 

 

そしてその2人の子どもの例にあるように、なにかを始めるにあたって、自己肯定感があるのとそうでないのとでは、最終的に到達できるとこまで、違ってきます。

 

 

 

よって、たとえ仮のものであったとしても、自己肯定感は不可欠なのです。

 

 

 

そして私がこれから述べるのは、「とりあえず仮のものとしての」、自己肯定感のつけ方です。

 

 

 

これはいうなれば、「根拠なき自尊感情を、とかく身につけておく」ともいうべきものです。

 

 

 

こう述べると、「もったいぶらないで、早くその方法を教えてよ!(`・ω・´)9m」と、あなたは言ってくるでしょうね。

 

 

 

ですから、すぐに述べます。(*^^*)

 

 

 

それは、「ソルフェジオ周波数音楽」を聴くことです。

 

 

 

「ソルフェジオ周波数音楽」と、その利用法については、下記をご覧ください。

 

 

 

 

ココロもカラダも、仕事にも人生にも疲れたあなたを救う対処法、伝授します!

 

10 第十章 ソルフェジオ周波数音楽を聴く

 

 

これによりあなたは、おカネも時間もかけることなく、「とりあえずの」自己肯定感は得られるはずです。

 

 

 

それともう一点、そこでは語りませんでしたが、「サブリミナル画像、音源」を利用するというのも、一つの手段です。

 

 

 

まず「サブリミナル画像」とは、一連の映像のなかに、一点だけインパクトのある画像を挿入しておくことです。

 

 

 

これにより、その画像の情報が、あなたの潜在意識にインプットされ、あなたを動かすことになるというものです。

 

 

 

この効果を眉唾ものだと、批判している人は多いです。

 

 

 

ですが、「サブリミナル画像」による宣伝方法は、現在、日本の法律では禁止されています。

 

 

 

効果のない宣伝が、法律で禁じられるはずもないので、これには一定の影響力があると、日本政府も認めていると見るべきです。

 

 

 

また私も数回、試しましたが、たしかに気のせいではなく、メッセージが脳内に残った感じがしました。

 

 

 

あなたは、肯定的なメッセージや画像が記されたサブリミナル画像を、ぼんやりと眺めていればいいのです。

 

 

 

そして、そのサブリミナル画像の作成法ですが、こちらは「サブリミナル画像 作成」で検索したら、簡単に見つかります。

 

 

 

さらに「サブリミナル音楽」ですが、こちらも原理は、サブリミナル画像と同様です。

 

 

 

一連の音楽のなかに、耳では認識できないほどの速さで、メッセージが挿入されています。

 

 

 

そのためあなたは、ぼんやりとその音楽を聴いているだけで、潜在意識にメッセージがインプットされます。

 

 

 

こちらは、一般的な動画サイト、YouTube などにも、いくつかアップされています。

 

 

 

ただし残念ながら、YouTubeで視聴できるもののなかには、幾分かニセモノも入っているようです。

 

 

 

「サブリミナル」を謳う音楽の真贋を調べるには、特定の機材が必要となりますが、それは3万円以上するので、購入するには、およばないと思います。

 

 

 

あなたは YouTube 等で実際に音楽を聴いてみて、自分の実感や直感から、それが本物かどうか、判断してもいいでしょう。

 

 

 

ただし数千円出せば、サブリミナル音楽は通販で購入可能です。

 

 

 

また、自分独自のメッセージが入ったサブリミナル音楽も、オーダーメイドのものをつくってくれる業者さんがいます。

 

 

 

そうしたものを調べて、眠っているとき、自宅で仕事をしているときに、かけっ放しにするのも、いいでしょう。

 

 

 

適当なワードで検索すれば、サブリミナル音源をつくってくれる業者さんは、すぐに見つかります。

 

 

 

なお、サブリミナル画像とサブリミナル音楽、どちらのほうが効果が強いかといえば、画像のほうだと思います。

 

 

 

というのは、視覚からの情報というのは、光とともにダイレクトに脳の奥、潜在意識に届くのに対し、聴覚による刺激は、非常に緩やかなものだからです。

 

 

 

実際に私が試した場合も、画像のほうが圧倒的にインパクトが強かったように感じました。

 

 

 

とかくあなたは、サブリミナル画像、音楽を、「なにかを始め、絶対的な自己肯定感を得るためのきっかけ」として、利用してもらいたいと思います。

 

 

 

ただもちろん、目的は精神の安定だけで、とくにしたいこともないから、サブリミナル音楽は聴くだけでいい、というなら、それだけで充分ですが。

 

 

 

 

 

第十章 鏡に映った自分の目に向かって、肯定的な言葉を投げかける

 

 

 

 

 

さらに、根拠がなくていいものでよければ、自尊感情を育むことにより、強固な自己肯定感を得る手段は、まだあります。

 

 

 

こちらは、音楽や画像を使うより、はるかに簡単で安上がりでありながら、効果は強烈です。

 

 

 

まずあなたは、手鏡を用意します。

 

 

 

 

そして次にあなたは、鏡に映る自分の目を見ながら、「お前なら、できる!」、「絶対に、大丈夫!」、「お前は、最強だ!」と、肯定的な言葉で語りかけるのです。

 

 

 

この際のメッセージは、単純で力強く、具体的なものが好ましいです。

 

 

 

そしてその言葉を、何回、何十回と、鏡のなかの自分に、ニッコリと微笑みながら、自信満々に言い聞かせます。

 

 

 

それを数日、くり返しただけで、相当な効果が期待できます。

 

 

 

これはむかし、うつ病の症状があまりにひどかったときに私が試みた方法で、その効き方には、すごいものがありました。

 

 

 

私の場合は、「お前は病気なんかじゃない、世界一強いオトコだ!」と、鏡を見ながら、数日つぶやいていました。

 

 

 

すると本当に、「なにかをやりたい!」という思いが、胸の底から湧いてきて、ベッドから出られるようになったのです。

 

 

 

それもそのはずで、これは使い方次第では、精神崩壊を招くほど、強力なものだからです。

 

 

 

というのも、同様の方法で、鏡に映った自分に対し、「お前は、誰だ?」と、何十回も訊けば、その人の精神は、確実に破壊されるそうだからです。

 

 

 

ですからくれぐれも、この方法を試す場合には、たとえイタズラでも、上記のようなことは、絶対にしないでください。

 

 

 

 

 

第十一章 自分の短所を、あえて長所にし、成果を出す

 

 

 

 

 

さて、人間にはだれでも、「個性」があります。(*^^*)

 

 

 

この「個性」とは、端的に述べてしまえば、「その人を、その人たらしめている本質」です。

 

 

 

そしてこの個性というものは、非常に相対的なものであり、とらえ方次第で、良くも悪くもなるのです。

 

 

 

たとえば、「諦めが悪い」といえば、通常は悪い意味に取られます。

 

 

 

しかしこの点は、「粘り強い」とも言い換えられ、そうなるととたんに、長所へと変わります。

 

 

 

よくありますね。

 

 

 

たとえば、何度フラれても同じ女性に求愛を続ける男とか。

 

 

 

彼なぞは、現代ではストーカーあつかいされますが、むかしなら情熱的だと、むしろ武勇伝にさえなります。

 

 

 

ですからドイツの文豪、ゲーテの小説、『若きウェルテルの悩み』の主人公など、時代によりまさにストーカーとも熱血漢ともとらえられます。

 

 

 

また決してマネしてもらいたくありませんが、そうした方法で意中の女性を射止めたオトコも、数多く存在するのも、事実です。

 

 

 

さらに、「冷めている」といえばマイナス的ですが、これはプラスにとれば「沈着冷静」とも評価できます。

 

 

 

そこでですが、まずはあなたは、ノートに「自分の欠点」と思われることを、書き出します。

 

 

 

そしてそのすべてを、あえて逆の良い意味に変換してください。

 

 

 

たとえば以下のように。

 

 

 

シャイ繊細  優柔不断慎重  自己主張が苦手他人に配慮できる  一人ぼっち孤高の人

 

 

 

このように人間の性格とは、短所と長所は紙一重なのです。

 

 

 

そうしてその強引に長所とした部分を意識し、日常生活に役立てるのです。

 

 

 

たとえばですが、私の場合は若いころから、「極度に精神年齢が低い」というのが特徴でした。

 

 

 

私のこうした性格は、じつは一種の発達障害で、育ちのひずみから生じたものです。

 

 

 

ですがこの点は悪く言えば「幼稚」だけど、いいように表現すれば「素直で純粋」ですよね?

 

 

 

若いころの私は、(現在もですが…(^^ゞ)この性質を、徹底して長所に転換することで、得ばかりしてきました。

 

 

 

つまり私は、元来ならば自分に責任のないところで身についてしまった自分の弱点を逆手に取り、世の中を渡ってきたともいえます。

 

 

 

私が幼いということは、私の挙動やしゃべり方を知れば、だれでもわかります。

 

 

 

そして、「幼児のような青年」というのは、人によっては強烈に保護本能を誘うのです。

 

 

 

ですから私は、この性格のおかげで、仕事で失敗しても許されたり、仕事のできなさを大目に見てもらえたりしたことが、数えきれないほどあります。

 

 

 

さらに、やさしい人ならば、私の仕事を手伝ってくれたり、仕事を丁寧に教えてくれたりもしました。

 

 

 

とくに私は、これは半分、自慢ですが、母性の強い年上の女性には、どこへ行っても好かれました。(;^_^A

 

 

 

 

じつは私のキャラは、すべてが天然ではなく、青年期以降、意識してつくった部分も大きいです。

 

 

 

このように、自分の短所を長所として使う術を身につけ、それを実際に役立たせれば、あなたは絶対に、自分を好きになれます。

 

 

 

またその結果、短所もふくめた「自分全体」を認めること、すなわち自己肯定感を高めることが可能となります。

 

 

 

この技術は、駆使できるよう慣れるまでには、少し時間がかかります。

 

 

 

ですがこれが身についたときのあなたは、生きるための武器を得て、さらに自己肯定感を高めるという、一石二鳥の効果が得られるのです。

 

 

 

ぜひ、試してみてください。

 

 

 

もしあなたがご自分を、「短所だらけのクズ」と自覚しておられるなら、それはふだんの心がけと行動次第で、オセロのように、すべて長所に変えられる可能性もあるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第十二章 「自分が必要とし、自分を必要としてくれる人」を、見つける

 

 

 

 

 

さて、これまでは、あなたが「いつも一人でいる人」=「いわゆる“ぼっち”」であるという前提で、話を進めてきました。

 

 

 

私がここまで述べてきたのは、そのうえで「どう自己肯定感を持つか」についてでした。

 

 

ですが、これから私が語ることは、あまりにもシンプルすぎるので、ひょっとしたらあなたは、唖然としてしまうかもしれません。

 

 

 

私が上で語ったような苦労や努力をしなくても、じつはあなたには最高にして本物の自己肯定感を、持つ方法があるのです。

 

 

 

それは、「親友か恋人を持つこと」です。

 

 

 

この回答は、あまりにもあっけないんで、あなたは ( ゚д゚)ポカーン としたかもしれません。(笑)

 

 

 

ですが、もしこれができたならば、あなたは修行じみたことをしなくても、簡単に真の自己肯定感を獲得することが、できます。

 

 

 

まず人間とは社会的存在ですので、人間にとっての究極の喜びとは、「自分の存在が、他人にとって意味のあるものだ」と、感じられたときです。

 

 

 

ですから、あなたという人間が存在するだけで、喜んでくれる人がいるという事実は、あなたに最高の自己肯定感をもたらします。

 

 

 

そしてその親友や恋人ですが、これは浅い関係では、いけません。

 

 

 

端的に述べるなら、もしあなたが死んだなら、確実に泣いてくれるような人でなければ、なりません。

 

 

 

そうした人との魂のつながりが、なによりあなたを救います。

 

 

 

これは、世界の文学を見てもわかることです。

 

 

 

たとえば、ロシアの文豪、ドストエフスキー作『罪と罰』の主人公、ラスコーリニコフは、歪んだ選民思想ゆえに、人を2人も殺してしまいます。

 

 

 

その後ラスコーリニコフは、殺人の計画前における想定に反し、自分の犯した罪の重さに、病的なまでに苦しめられることになります。

 

 

 

そのラスコーリニコフを救ったのが、貧しい娼婦の少女、ソーニャです。

 

 

 

ラスコーリニコフは自分の罪をソーニャに打ち明けると、ソーニャはラスコーリニコフに自首を勧めます。

 

 

 

そうしてソーニャの進言どおり、自首をしたラスコーリニコフは、彼に好意を持っていた検事の助けもあり、どうにか死刑は免れます。

 

 

 

その代わりに、シベリアでの強制労働に従事することとなったラスコーリニコフですが、そこにソーニャがわざわざ、面会に来てくれます。

 

 

 

ソーニャの自分への愛を確信したラスコーリニコフは、思わずソーニャの膝に顔をうずめ、自分の罪を深く悟るのです。

 

 

 

そうしてラスコーリニコフは、「自分も、他人を必要とする、一人の人間にすぎない」と悟り、やっと本物の「自己肯定感」を獲得するのです。

 

 

 

「あなたが必要とし、あなたを必要としてくれる人」は、たった一人でもかまいません。

 

 

とかくあなたは、行動半径を広げ、趣味の場やパーティーなどでもいいですから、人との出会いを多く持ってください。

 

 

 

そしてそのなかから、「心から信じられる人」、「この人のためなら、死ねると思う人」を、見つけるのです。

 

 

 

これは、異性でも同性でもかまいません。

 

 

 

ですが、あなたの年齢からは同性の親友はつくりづらいでしょうから、異性の恋人が、もっとも望ましいと思います。

 

 

 

もちろん、出会ったその日その場から、他人とそれほどの関係性を持てるものでは、ありません。

 

 

 

彼女との愛は、たがいに少しずつ時間をかけて育むのです。

 

 

 

そうして彼女を心から大切にすることで、彼女からの愛を満喫し、あなたは彼女との関係を守りながら、深い自己肯定感を感じるのが、いいと思います。

 

 

 

つまりあなたは、信じられる彼女をさらに大切にすることで、彼女からの信頼を確たるものにするのにするのです。

 

 

 

そうしてあなたが、他者からの自分への信頼を確信できるようになったときには、きっと自分自身のことをも、絶対的に信じられるようになっているはずです。

 

 

 

それこそまさに、「他者を介した、絶対的な自己肯定感の獲得」といえるでしょう。

 

 

 

このページは、恋愛や友だちのつくり方について述べるものでは、ありません。

 

 

 

ですから、その具体的な方法までは、ここでは語れません。

 

 

 

ただし私が言えることは、とかく自分の所属しているコミュニティーや地域のなかから、友人や恋人を見つけてみろ、ということです。

 

 

 

そして、一度や二度の挑戦ではなく、自分の行動範囲を広げ、多くの経験を積むことで、最終的にかけがえのない人を見つければいい、ということです。

 

 

 

そうしてあなたは、ココロから信じられる人を見つけられたら、きっと「その人を信じられる自分」を、信じられるようになるでしょう

 

 

 

そこから結果的に、それがあなたにとって最高の自己肯定感となるはずです。

 

 

 

私がこれまで述べた「根拠なき自己肯定感」は、内容自体は強烈です。

 

 

 

よって、これを身につけることであなたは、なにかに挑み、失敗しても、「まだまだ次があるさ」と、楽観していられることができるはずです。

 

 

 

ただし注意点として、失敗があまりにも続きすぎ、その反省をまったくしなければ、当然におなじ過ちをくり返すことになります。

 

 

 

するとそうした経験を多く積みすぎると、やはり問題です。

 

 

 

さしものあなたも、「やっぱり、自分にはムリなんじゃいか」という気持ちが、じょじょに無意識に浸透してくることは、充分にありえます。

 

 

 

ですので理想としては、「根拠なき自己肯定感」をいったん身につけた後、「根拠のある自己肯定感」を自分のものとすることです。

 

 

 

そうすればあなたは、どんな挑戦にも怯えず、どんな失敗をしても動じない、絶対的な自己肯定感を得られていることでしょう。

 

 

 

そうなれる日を目指し、いまできることだけを確実にやりとげ、あなたにはいつか、本物の自己肯定感とともに、大事を目指してほしいと思います。

 

 

 

 

 

まとめ

 

 

 

 

 

現在、日本の子どもが持つ自己肯定感は、世界で最低レベルです。

 

 

 

これというのも、旧来からの日本的な教育が、現代では悪い方にばかり出ているからだと思います。

 

 

 

日本的な「自分を殺し、師を信じる」という価値観自体は、一種の上達論としては、非常に優秀なものなのです。

 

 

 

しかし現代人は、その真意を見誤り、形骸化した旧日本軍的発想のまま、組織や国を動かそうとするから、日本は「成長のない国」になってしまったのです。

 

 

 

そこで私がオススメするのは、<守破離>の概念で人を育てる、むかしながらの日本的教育法です。

 

 

 

これは、個人がなにかを独学するにあたっても、自分自身を「師」と「教え子」に分裂させれば、とてつもない効果が期待できます。

 

 

 

また、そうして自己肯定感を高めてやれば、それは「なにかの実力」という絶対的な裏打ちがあるため、たいへんに強力です。

 

 

 

たしかに「根拠のない自己肯定感」も、なにかを始めるにあたっては、持っていたほうが有利です。

 

 

 

しかしそれは、「なにもしないことの言い訳」、「自分はすでに実力があると思う幻想」の根源になる場合もあります。

 

 

 

そこから私は、小さなものでもいいから、「本当の実力に保証された、自己肯定感」を持つことを、勧める次第です。

 

 

 

なお、「根拠がない」、「実力をともなうものではない」ものであっても、とかく自己肯定感が欲しいという人には、裏道があります。

 

 

 

それは、とかく自尊感情を豊かに育むことにより、強い自己肯定感を得るというものです。

 

 

 

これは具体的にはまず、ソルフェジオ周波数音楽やサブリミナル音楽・画像を利用することです。

 

 

 

これらは検索すれば、すぐに入手法等はわかるので、なにかを始めるキカッケにしたいのなら、使用するのもいいと思います。

 

 

 

さらには、自分の顔を鏡に映し、自分の目に向かって、「お前は、強い!」等のメッセージをつぶやくのでも、有効です。

 

 

 

これにより、「強烈な自尊感情」=「根拠なき自己肯定感」が得られます。

 

 

 

さらには、経験のなかから「自分の短所を、長所として活用する」というのも、有効です。

 

 

 

これによってあなたは、「生きる武器」と「高い自己肯定感」の両者を獲得できるでしょう。

 

 

 

また、もっともシンプルでありながら強力な自己肯定感を持つ方法は、「心から信頼でき、『この人のためなら死ねる』と思える友人や恋人」を持つことです。

 

 

 

私のオススメとしては、まずは「根拠なき自己肯定感」を得てから、それを武器にして「根拠のある自己肯定感」を得ることです。

 

 

 

どうかあなたなりの、ご自分の状況にふさわしい自己肯定感を、獲得してほしいと思います。(*^^*)

 

 

 

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自己紹介 ほんわか

みなさん、はじめまして。(*^^*)

ほんわかと申します。

私は現在は、雑誌ライターさんなどやってます。
成長過程での歪みにより、発達障害やアトピーを、50年近く患い、30年以上かけてほぼ完全に克服しました。

 

その過程で、多くの学問、健康法、整体術などを習得し、自分と同じような立場の人、100人ほどの相談に乗ってきました。

 

またネット上のものも含めると、これまでに私がアドバイスしてきた人は、500人以上に上ります。

 

ちなみにその成果として、下記のようなサイトも立ち上げています。(^^ゞ

 

よろず人生問題を、哲学的方法でズバリ解決!悩みよ、さらば
http://jinseitetsugaku.com/

 

この経験を、少しでも多くの人に役立ててもらおうと思い、当サイトを立てた次第です。

 

これからの厳しい時代、かつての私以上に弱い人でも生き残れる方法論を、どんどん発信していくつもりです。

 

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