はじめに
さて、今日のテーマは「劣等感」です。(*^^*)
劣等感って、イヤですよね。
人に「俺はもう負けた」って気分にさせて、自分がどこまでも小者になった感じがするんですから。
こんな劣等感なんて、存在しても仕方ないように思われます。
しかしそれでもやはり、劣等感にはそれなりに意味があるから、存在しているんです。
というのはまず、原始時代の人間は、というより、あらゆる自然界に棲む動物は、つねにまわりに敵がいる弱肉強食の世界に生きています。
ならば動物にとっては、自分自身や自分のまわりにいる動物の力量を見誤れば、たちまち捕らわれて食べられてしまいます。
ですから野生の動物は、対峙した相手が自分より強いと判断すれば、即座に屈辱とともに、その事実を認めます。
またさらに、たとえ同種間の生物のあいだでも、序列があります。
それはもちろん、そうした動物でも集団で行動するにあたっても、得た食糧は有限です。
よってそれを分ける際に、どうしても個々が得る量には、差が出てしまうからです。
この場合も、多くは身体的強さによって、序列が決められます。
もちろんその結果、上位のポジションを確保した個体は比較的安泰でしょうが、下位ポジションに置かれた者は、なんらかの屈辱感を感じるでしょう。
私にはその際に生じる、そうした敗北感、屈辱感こそが、人間の持つ劣等感の原点のような気がします。
この点、人間は社会的存在ですので、野生の動物より強固に、仲間たちとの「共働」により、社会で生きています。
そして人の生きる社会には、当然に序列があります。
さらに人類社会に「階級」というものが生まれたときから、自分がどの階級に属しているかで、得られるものが違ってきます。
それは食糧、財産、異性、特権、土地、奴隷、社会的ステータス等、おおよそ人間が所有しうるもの、すべてにわたって、そうなります。
そのように人間とは、「共働」して生活するという意味では、たがいに仲間ですが、属する社会においては、「階級」を争うライバル同士なんですね。(´・ω・`)
そして人類が「劣等感」なんてやっかいなものを持っているのは、この点にポイントがあるのです。
このページでは、ここをくわしくご説明していきます。
お楽しみに。(*^^*)
目次
さて、まずその「階級」ですが、これは当初は個人の能力で決められ、それが固定化、世襲化されていったのが、人類の歴史だといわれています。
マルクス主義者などはいまでも、「原始共産制」といって、当初の人類における社会では、階級そのものがなかったはずだと、主張しています。
それで私の考えですが、最初はたしかに厳格に固定化された階級らしきものはなく、漠然とした仕事の分担制のようなものが、あっただけではと思います。
ただしそのなかには、あいまいな身分的優劣は、存在していたように思います。
とは言ってもこれは、北アメリカのネイティブたちのような、共同体が得る食糧や物資が、共同体の成員すべてを満たせるくらい、裕福な場合にのみ当てはまりそうです。
またこの場合は、各共同体間に交通があり、「困ったときはお互い様」の精神で共存していることが、前提です。
さらに、そうした牧歌的社会は、いつまでも続くとはかぎりません。
地球が寒冷化し、農業をしなければ食糧が確保できなくなったとき、人類の歴史上、例外なく集住と農業化、都市化が始まっています。
するとおそらく、最初に宗教の司祭者のような者が現れ、共同体の方針を決める指導者として、地位が定着したのだと思います。
わが国でいえば、「邪馬台国の卑弥呼」みたいな人物ですね。
で、そうした古代社会においては、指導者は未来の予測や共同体の運命等については、超能力的な直観力で判断していたことでしょう。
すると、そうした特異な能力を受け継ぐのは、当然、その血縁者ということになります。
そこから、共同体内では宗教的指導者の立場にいる一族の地位が、共同体のリーダーとして固定化されたのだと思います。
なぜならそうした社会においては、農業の開始により、食糧の備蓄が始まります。
するとそれをめぐり、共同体間で激しい争いが発生するため、どうしても宗教的指導者の決定は重要となり、彼らの地位は頂点に上げられるからです。
さらにその際、農業生産物の出来、不出来も共同体にとって重要な事柄になるから、それを予測する神官の存在は、より重要なものになるのですね。
さらに彼の世話を直接する者、または親戚なども、無条件に恩恵にあずかれるようになります。
ところが、そうした社会は一時的には安定するでしょうが、内紛や敵の侵入などにより、身分制度自体が、さまざまな変化をとげていきます。
わが国においては、天皇が「政権を承認する権威」としてあり、それに貴族や武士などが認められることにより、社会の支配者として君臨してきました。
そうして江戸時代においては、「士農工商」として、個々人の身分はいちおうは定まって、固定されていきます。
ただし最近の研究ですと、当時の階級は、意外と流動性があったとされています。
たとえば武士が農民になったり、あるいはその逆も、なくはなかったと、言われています。
ところが明治維新をむかえると、「四民平等」ということで、形式的にですが、天皇を唯一の例外とした、平等な社会がやってきます。
さらに大東亜戦争の敗戦などを経て、個々人の身分差というものは、法律上は消えました。
その代わりに、個人の社会的ステータスを差別化するにあたって、「学歴」などが使われるようになります。
ですが平成になると、その学歴社会も影響力が弱くなり、国力の弱体化からわが国の社会は、無政府状態に近くなったのです。
よって現代では、個人の実力で、富をある程度、独占できる時代になっています。
ところがやはり、学歴社会の影響はいまでも少し残っており、その差は小さくても、それがある程度は意味を持つようになっています。
だからこそ、子どもたちは幼稚園の段階から、「お受験」をさせられたりするのです。
そのように、たとえ僅差であっても、人は自分と他者を比較することが、止められません。
たとえば、会社の同僚の年収が、自分より2万円高いだけでも、人はその差がものすごく気になったりします。
もちろん彼には、年に2万円の収入差など、実質的にはそれほどの意味はないはずなのですが。
それでもどうしても、同僚に劣等感を抱いてしまう。
それが、人間なのです。
私は「はじめに」で、動物が天敵に対して持つ敗北感のようなものが、人間にとっての劣等感の根源かもしれないと、申しました。
この場合、動物同士ですと、個体の能力差は先天的に決まっていますので、ポジションの逆転はほぼ不可能です。
しかし人間の場合ですと、人間は本能から離脱した社会的存在ですので、社会のなかで、自分の能力を高められます。
すると、人間ならばライバルに、自分の努力によって、追い越すことも可能です。
この点は、動物とは大きく異なる点です。
さらに野生の動物の場合においては、生態系の頂点にいるもの以外には、必ず天敵がいます。
しかし人間は、動物にない知恵をもって、地球の覇者となったので、個々人が争うのは、社会の内部においてのみとなります。
くわえて動物が持つ、対象に対する敗北感は、基本的に終生、変わることはありません。
ところが人間は、後天的な努力次第で、劣等感の対象を能力の面で追い越し、劣等感そのものをなくすこともできます。
そこから人間は、劣等感などというのを持つようになったのではないか、と思います。
そうして人間は、努力次第で逆転可能な相手や、あるいは自分に迫ってくる後発組に対して、つねに自分との能力差を比べます。
こういうのを最近では、「マウンティング合戦」などといいます。
これは自然界の動物が、身体的な大きさや強さを、つねに他者と比べ、自分のなかで優劣を決めることに等しい行為です。
なにしろ飼い犬でさえ、家のなかでの序列を自分で決めて、「自分より下」とみなした家族の命令には、従わなかったりします。
こうした差異には、主体性が弱く、社会に毒された不自由な人間ほど、より敏感になるといっていいでしょう。
つまり劣等感の虜になりやすい人とは、元来、自己肯定感が低く、他者からの承認欲求が強い人ということになります。
そうしてそんな人たちはほぼ例外なく、幼いときに親や年長者から、長所も欠点もふくめた、全人格を受け入れられなかった人です。
つまり彼のなかでは、幼少期における承認欲求が満たされないまま、大人になってしまったともいえます。
ただしそうした感情があるからこそ、人間は「自発的に自分を高める努力」もできる、自然界唯一の存在でいられるのです。
ですからそうした承認欲求を欠いた人でも、「努力して、自分を高めよう」とする態度自体は、悪いものではありません。
なぜならそうしているあいだに、彼の能力自体は向上するし、なにより自己肯定感の欠如から、他人を攻撃するようには、ならないからです。
さらにそうして向上させた自身の能力を、自分のエゴを満たすためでなく、社会のために役立てることができるのなら、それはそれで望ましいことです。
ですがそうした人の根底にあるのは、たとえ彼の行動が社会の役に立っていても、善意や思いやりではなく、やはり自己肯定感の欠如です。
よって、彼の善行も他者のために行っているというのではなく、あくまで自分の内部における欠落を埋めるためです。
ですから彼は、なにか人のためになることをしても、それは自分の内部における空洞を埋めるためのものなのです。
よってたとえ人に感謝され、一時的に彼の劣等感は治まっても、彼の根底にあるコンプレックスは、また新たな自己顕示欲を満たす方法を求めます。
そしてその際に彼が選んだものは、ひょっとして反社会的なものになるかもしれません。
たとえば、国内で独裁者となり、他国を侵略するといったような。
そこから劣等感とは、使い方次第で、毒にも薬にもなりえます。
次章からその両者の具体例を挙げて、検証していきます。
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そのように人間とは、どうしても自分と他者を比べていなければ、気がすまない存在です。
ですがこの場合、人は自分とまったく住む世界が異なる人間に対しては、そうした気持ちも持ちませんし、またもちろん、劣等感を感じることも、ありません。
たとえば、日本の一般市民ならば、天皇陛下に対して劣等感を抱いている人というのは、ほとんどいないでしょう。
そこから劣等感とは、同じレベルにいる人間同士のあいだで発生する感情と見て、間違いありません。
さて、ここで問題になるのは、そもそも他者に対して劣等感を感じるということは、異常なことか、あるいは健全なことか、という点です。
これについては、人間が社会的存在であり、社会のなかで生きていく存在である以上、健全なことだといえます。
なぜなら劣等感とは、一面において、「あいつとの差を埋めたい」という向上心の現れでもあるからです。
ところが大部分の人間は、他者に対する劣等感を抱いたら、それをなんとかしようとせず、自分のなかで固定させたまま、成長していきます。
その理由は、ほとんどの人間は他人に劣等感を感じても、努力してまでその人との差をなくそうとは、しないからです。
ですから劣等感を抱くこと自体は、健全な感情ですけど、それでなにもせずに、黙ってくすぶっているのは、あまりいいことではありません。
というのは、人間の多くは自分の感情を素直に受け入れがたいため、やがて他者への劣等感が、敵意に変わることも、あるからです。
たとえば現代では、IT化も進み、個人が自分についてのことを、自分で自由に発信できる時代になりました。
しかしそれでも、たとえばブログや YouTube 等で人気者になれるのは、それなりの才能やセンスのある、ごく一部の人たちだけです。
すると目立っている人に対し、劣等感や嫉妬を感じている一部の者は、ネット上などで「正義マン」となり、有名人や金持ち等を、倫理的に攻撃するようになります。
もちろん彼らは、自分が直接、その人から危害を加えられたわけではありません。
たとえば俳優が、妻子のある身でありながら、他の女性と関係を持ったといった程度の問題です。
しかし彼らは自分自身を絶対正義の立場に置きながら、「正論」でもって、相手を成敗しようとします。
むろんそんなことをしても、自分に得があるわけでも、自分自身のステータスが上がるわけでも、ありません。
ところが彼らは、自分の鬱屈した劣等感を処理するにあたり、自分が相手のレベルまで登ろうという努力はしません。
そうではなく、相手を自分のいるところまで、引きずり降ろそうとするのです。
そんな人たちは、妬み、ひがみ、そして劣等感をこじらせたまま、自分がなぜいつも他人に対して攻撃的なのかわからないまま、年齢を重ね、死んでいきます。
たとえそこまで行動的でなくとも、多くの人間は、本質が同じでしょう。
たとえば、キラキラ輝いている人が事故に遭ったりして不幸になれば、内心では喜んでいるといった具合に。
そのような生き方が、悪いとは言いません。
しかしそうした心がまえでいると、自分自身がどんどんと卑屈な人間になっていくし、その人の人生において、なんらの生産性もありません。
では、もしあなたがだれかに劣等感を抱いた場合、どうすればいいのか。
次章から述べていきます。
まず、あなたのように若い人ほど、自分の気持ちについては、素直にわかるものです。
というのも、人間は年を経るごとに、自分にとって都合の悪い事実や感情に対しては、自己正当化して、歪めたかたちで受けることに、慣れてしまうからです。
たとえば、じつは子どもが食べるようなお菓子が大好きなのに、彼らはそれを認めません。
「自分は、たまたまそこに置いてあったから、食べただけだ」といった言い訳を、他人や自分自身に対して、ついついしてしまいがちです。
やがてそうした習慣が身についてしまい、多くの大人は、事実や自分の本心を受け入れることが、できなくなっていきます。
ですが若いあなたは、少なくとも自分の感情については、それがどういったものか、たとえ言語化できなくても、理解はできると思います。
よってもちろん、自分の劣等感についても、ふだんはそれを感じないようにしてても、自分がある人に対し、劣等感を抱いているという事実自体は、わかるはずです。
だからまず、あなたはそれを事実として直視するところから、始めましょう。
だれかに対して劣等感を感じたならば、自分はその人のどんなところに、妬みを感じているのか、よく考えるのです。
そこから、劣等感を克服するには、二つの道があります。
まず第一点は、真剣勝負でもって自分を高めて、結果的に劣等感の対象となっている人物に、勝るようになることです。
また次の点は、自分だけの道を歩くことで、そんな劣等感など気にならないほど、そっちの分野でなんらかの成果を上げることです。
前者は相手との相対的な勝負であり、後者は自分だけの絶対的な生き方だと、いえるでしょう。
相対的とはもちろん、自分が劣等感を抱いている人と同じ土俵で、その人以上の実績を残すことを意味します。
上に挙げたような例は、スポーツや勝負事の世界では、よくある話です。
それは「あいつには負けたくない!」という思いから、自分にハードな練習を課して、自分の技量を向上させることを意味します。
たとえば、昭和時代のプロ野球では、「世界のホームラン王、王貞治」に劣等感を抱いた、野村克也の例が有名です。
引用
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/baseballonline/sports/baseballonline-097-20200810-12
野村は捕手という激務をこなしながら、戦後初の三冠王になった大選手です。
しかし野村は、当時、ジャイアンツにいた王貞治に、自身のホームラン記録を抜かれてしまいました。
さらに、当時の野村が所属していた南海ホークスはパ・リーグの不人気球団であり、試合はいつも、閑古鳥の巣でした。
それに対し、王の在籍していた読売ジャイアンツは、毎試合、満員御礼の人気球団で、王もまた、当時の日本が誇るスーパースターでした。
そんな王の人気と実力に劣等感を抱いた野村は、「王に負けてたまるか!」の一心で、野球を続けていきました。
その結果、野村は生涯ホームラン数では、最終的に王におよびませんでしたが、代わりにさまざまなプロ野球記録を、打ち立てました。
たとえば野村の打席と打数は、現在でも日本のプロ野球で1位です。
くわえて本塁打王9回、打点王7回、ベストナインは19回を、受賞しています。
ちなみにベストナイン19回は、日本プロ野球史上最多の記録です。
さらに現役を退いても、1990年から野村はセ・リーグのヤクルト・スワローズで監督を勤め、「ジャイアンツには、負けてたまるか!」と闘志を燃やし、必死に指揮を執りました。
その結果、野村ヤクルトは1990年代に、4度のリーグ制覇、3度の日本一に輝いたのです。
とくに1995年と1997年は、評論家による下馬評は最低で、「ヤクルト優勝」を当てたのは、95年にはゼロ、97年には1人といった有様でした。
ところが野村はそんな最低の戦力でも、知恵と策を駆使することで、見事に下馬評をくつがえし、チームを優勝へと導いたのです。
ちょうどジャイアンツが、カネとステータスで他球団の強豪選手を採りまくったのに対抗し、野村はあくまで自身の知恵と経験で挑んだのです。
また、そうしたライバルの物語は、1979年から80年代におけるジャイアンツの、江川卓と西本聖のあいだでも見られました。
江川は高校時代から「怪物」と呼ばれ、常識はずれのピッチングを見せる、甲子園のヒーローでした。
そんな江川に対し、西本はアマチュア時代から劣等感を抱き、それを闘志に変えていったのです。
引用 https://baseballking.jp/ns/column/228438
江川は大学卒業後、すったもんだがありましたが、ドラフト1位で阪神に入団し、そこから即座に巨人へトレードというかたちで、巨人軍入団を果たしました。
そのとき西本はすでに、高卒選手として、ドラフト外で巨人に入団し、在籍していました。
江川は最初、自分に猛烈な敵意を向けてくる西本を、まったく意識していませんでした。
ところがその江川も、執念で巨人のエースの座に挑んでくる西本が、少しずつ気になってきました。
ちなみに江川は、本格的な剛速球投手でしたが、西本はシュートという変化球を武器に、江川に対抗しました。
結果として、巨人時代の2人の勝ち星は、江川135勝、西本126勝と、ほぼ互角でした。
また2人のプロでの通算防御率は、江川 3.02 に対して、西本 3.20 と、こちらも非常に、肉薄しています。
ただしプロ生活は、江川がたったの 9 年だったのに対し、西本は 18 年と、2倍長かったことは考慮しなければなりませんが……。
さらに江川と西本は、毎年4度ずつ交代に、開幕投手を務めました。
またどちらかが先発していると、大事な場面では2人とも、「頼むから、打たれてくれ」と、ベンチで祈っていたそうです。
その後、江川は若くして引退したため、西本は生涯成績での勝ち星は165勝で、江川より30ほど多く勝てたことになります。
というのは西本は、江川引退の翌年、中日にトレードされ、そこで年間20勝を上げるなど、活躍したからです。
ここから野村にせよ西本にせよ、ライバルと同じ土俵で闘うにせよ、自分はそのライバルと、別の武器で挑んだのがわかります。
つまり、野村はカネとブランドの巨人に対しての知恵であり、西本は江川の剛速球に対しての、鋭い変化球というわけです。
もしあなたも、劣等感を感じるライバルがいるのなら、彼と異なる、自分だけの強みや武器を見つけ、それで相手と闘うことをオススメします。
また次に挙げるのは、自分が劣等感を抱いている相手とは、まったく別の道に進み、そこで成果を上げて、それを絶対的な自分の誇りとする生き方です。
たとえばあなたは、現在の会社にいては、あなたの実力や学歴では、どうしても同期たちより上に行けないと、思ったとします。
だがあなたは、彼らにはどうしても、負けたくありません。
ならばあなたは、たとえば趣味の世界などにおいて、自分の満足する結果を出せれば、劣等感からは解放されるはずです。
なぜならそのときのあなたは、「人は人、自分は自分」と考えていられるので、他人のことは気にならなくなるであろうからです。
このときあなたが打ち込む分野は、なんらかの作品制作、スポーツや武術の習得、楽器の演奏などがあります。
たとえば休日には、スポーツや武術に没頭し、大会などで優勝してみせる、あるいは楽器などのコンクールで入賞を目指す、ということをすればいいのです。
そうした努力の末に習得した技術は、あなたの肉体にいつまでも残り続けます。
また、「大会で優勝した」という事実も、打ち消せない現実として、ずっと記録されます。
ですから、もしあなたが劣等感を感じたとき、必死で習い覚えた武術の型を演じてみる、楽器の演奏をしてみる等のことをすればいいのです。
するとあなたは、「俺には、これがあるじゃないか」と、自分自身を納得させることが、できるでしょう。
また、そうした趣味の世界における能力以上に、あなたがそうした世界で、自分をそこまで高められたという事実のほうが、より価値があります。
なぜならそれは、あなたがご自分の意志でもって、やりとげたことだからです。
また、趣味の腕前をそこまで向上させた、あなたなりの上達論は、それがキチンと理論立てて取り組んだものであれば、なお良しです。
というのも、それはあなたが他の分野でなにか別のことを習得するときは、きっと役立つでしょうからです。
ですからそれが、後々、会社の仕事や自分の事業などでモノを言うということは、充分にありえます。
たとえば私が参考にしているメルマガを発行している人で、サラリーマンをしながら、全力でテニスに励んでいた方がいます。
彼は最終的に、日本ランキングの300位くらいまで行ったそうです。
ですが、そのときの彼は意識していなかったようですが、彼がネットビジネスに転向を決めてから、それがおおいに役立ったようです。
というのも、彼の販売した最初の商品が、まさにテニスについての自作の情報商材だったからです。
それをきかっけに彼は、現在ではネットビジネスでの成功者として、地位を築いています。
さらには、私がその作品を愛読している、関裕二という作家さんがいます。
関氏はもともと、イタリア料理のシェフさんでしたが、奈良の仏像に魅せられ、何度も奈良に足を運ぶようになりました。
そうして関氏はやがて、日本の古代史を深く勉強するようになりました。
その過程で得た関氏自身の発見を、作品として雑誌のコンクールに提出すると、入賞し、関氏は作家デビューを果たしたのです。
現在、関氏は、日本古代史についての本を、200冊以上は出しています。
そのように、趣味も必死で極めれば、充分に職業となりえます。
ですからあなたも、なにかにまじめに打ち込んでいれば、それが思わぬ未来を引き寄せることは、存分ににありえるはずです。
それをなしえたとき、あなたきっとはつまない劣等感とは無縁になります。
というより、「なんで俺はあんなことに、意固地になって劣等感を抱いていたのか」というようにさえ、なれるでしょう。
また最後に、これはたいへん稀で困難な道ですが、「相対的な勝負を勝ち抜いて、絶対的な境地に至る」という人生のあり方も存在します。
これは、武術、芸術、政治などの世界で、ライバルたちの競争に勝ち抜いて、その道の絶対的頂点に立った者のみに、可能な生き方です。
彼らは、数十年の闘いと研鑽の末に、もはやライバル不在の、その道における絶対的王者となっています。
その後彼は、自分の歩いてきた道を探りつつ、「武術とは、芸術とは、政治とは」と、自分の専門分野の奥義を極めるのです。
これはたとえば、真剣勝負で生涯無敗を誇った宮本武蔵が、剣術の奥義書、『五輪の書』を著したこと。
あるいは「能」の道を究めた世阿弥が、芸能や演劇における秘伝の書、『風姿花伝』を遺したことなどが挙げられます。
人としては、この道を歩むことこそが、最高の生き方となるでしょうが、同時にもっとも困難な道でもあります。
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さてこれまで、あなたが劣等感を感じた場合、そのライバルと同じ土俵で戦う「相対的な道」と、自分だけの世界を行く「絶対的な道」を、ご紹介してきました。
次には、このどちらとも違う、「第三の道」を、ご紹介したいと思います。
それは、あなたご自身の「自己肯定感」そのものを高めるというやり方です。
具体的には、「ソルフェジオ音楽」、「サブリミナル音楽、画像」の鑑賞や、手鏡を使って自己暗示をかける等があります。
低い自己肯定感を高める二つの鍛錬。無数の自己否定を重ねるか、根拠ゼロでも自尊感情を育てるか
http://nayamimuyou.net/cocolo/jikokoutei.html
さらには、ご自分の存在を認めてくれる、恋人や家族を得ること、あるいは大切なペットを飼うことなどが、挙げられます。
低い自己肯定感を絶対的に高める習慣とは、無数の自己否定を重ねること
http://nayamimuyou.net/cocolo/jikokoutei.html
11 第十一章 「自分が必要とし、自分を必要としてくれる人」を、見つける
またこれらについては、他のページでもすでに述べましたので、そちらを参考にしてください。
強すぎる承認欲求を満たす方法は、そのエネルギーをすべて、自分を成長させることに向けること
http://nayamimuyou.net/cocolo/shouninyokkyuu.html
7 第七章 受動性を能動性に変換し、小さなことで承認欲求を満たす
さて、私がここまで述べると、「あなた自身はどうやって、劣等感を克服してきたの?」という疑問も出てくると思います。
ですので、それをここで語ります。
私の場合は、「徹底して、自分を殺すやり方」で、これまで生きてきました。
まず私は、少年期からひ弱だった、というより、育ちの問題から、ほとんど自閉症に近い精神状態が、ずっと続きました。
それについては、下記を参考にしてください。
自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。その原因と克服法を教えます
http://nayamimuyou.net/cocolo/自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。そ.html
7 第七章 私が、自分自身の倫理を自分で構築するようになった理由
そんな私は、20歳のころに本格的に精神を病み、自殺を図りました。
そのときの私は、完全な無力・無能の精神破綻者でした。
しかしそれでも、私は生きていこうと思いました。
というのも、それほどまでに呪われた自分の人生ならば、自分がそこまで苦しまねばならない意味を知るまで、死ぬに死ねないと、思ったからです。
ところが、当時の私はほぼ精神障害者でしたので、ふつうに生きていっても、負け犬の人生にしかならない、と思っていました。
また当時の同世代の若者たちと比較しても、自分は病気を抱えていたりしたため、あらゆる面で劣っているのは、明白でした。
なので私は、ただ生きていけば、劣等感しか感じないであろうことは、充分に予想できました。
それだけでなく、病気から来る慢性的なうつ状態や皮膚のかゆみは、まともに感じていたら、当時の私は気が狂うくらい、つらかったのです。
ですからその時期の私は、現実に対し、「なにも感じるな。救いが来るまでは、自分を殺していろ」という態度でいたのです。
そこで私は、精神病の影響で、感性が麻痺している状態を、逆手に取って生きる方法を、選んだのです。
つまりただでさえ薄くなっている「感じるココロ」を殺し、修行者のような生き様を選んだということです。
さらにそのときの私は、あらゆる感性を排除し、ひたすら無心で学問や武術などに取り組もうと、決めました。
そうしてそうした生活を、自分のなかで何年も蓄積させ続けば、やがて自分のなかから「新しい自分」が生まれてくると、信じていました。
早速、実践を始めて4年後の24歳のとき、自分のなかからいろんなものが浮かんできて、楽しくて仕方なくなりました。
じつはそれはそれで、病気の一形態であり、勉強により脳に負担をかけたことが、後に凶と出るのですが、そのときは気づきませんでした。
ですがとりあえず私はそのとき、慢性的なうつ状態と、自殺願望からは、なんとか解放されたのです。
そうしてさらに、「自分を無にすることで」、闘病や学問・武術の研鑽を続けていると、私にはいろんな能力が身につくようになっていました。
さらにそれから十数年後、紆余曲折を経て私は、さしあたっての健康体を手に入れ、40歳のとき、ライターになれました。
くわえて当然、それまでの過程で学んだ多くのことは、ライターになってから、おおきく役立つこととなってくれました。
もちろん修行の渦中にあって、私は明確な主体性と自信を得たので、他人のことなど、とっくに気にならなくなっていました。
ですので、他人に対して劣等感を持つなど、私にはありえないこととなったのです。
私が選んだこの方法は、一見、無謀に思え、「自分を殺す」ことから、あなたには非人間的なもののように感じるかもしれません。
しかしこのやり方は、日本的な「守破離」の概念にもとづいた、日本では古くから正統とされてきた方法論でも、あるのです。
むかしの日本人は、学者、芸術家、武術家、職人など、原則としてこの方法で技量を身につけてきたのです。
これについては、下記を参考にしてください。
低い自己肯定感を高める二つの鍛錬。無数の自己否定を重ねるか、根拠ゼロでも自尊感情を育てるか
http://nayamimuyou.net/cocolo/jikokoutei.html
ですが、現代っ子であるあなたには、同じことができるとは、とてもじゃないが、思えません。
またあなたには、そんなことに没頭する時間も、ないはずでしょう。
よってこの教えは、「石の上にも三年」のように、なにかをなすとき、成果が出るまで、あきらめない姿勢として、励みにでも覚えておけば、充分です。
またこのやり方は、たとえ私がやったように、全人格を否定しなくても、少なくとも怠け心に打ち克つという意味では、参考になると思います。
とかく、現在のあなたになんらかの劣等感があるならば、それをあまりネガティブには、とらえないでもらいたいです。
そうではなく、以下のように肯定的に考えてみてください。
「自分を成長させてくれるチャンスが、来てくれた」。
「この感情を経て、努力することで、新しい自分が、きっと創られる」。
「この感情から、自分の本質を知り、自分自身を安定させる道を探し、それを完成させるよう実践を重ねることこそが、自分自身を活かす道だ」。
人間であろうと動物であろうと、生きるためには絶えず、自分と他人を比較する必要があります。
とくに人間は、「共働」する必要から、他者と協力しながらも、共同体の内部では、彼らは「ライバル」へと変わります。
そこからどうしても、自分が比較する相手に敵わないと思えば、自然と劣等感が、自分の内側から湧いてきます。
そんなときに、「相手を自分レベルまで、引きずり降ろそう」と考えるのは、最悪です。
なぜならそうすることで、あなたの人格もまた、低下していくことになるからです。
ならばいっそのこと、「自分自身を、劣等感を感じている相手のレベルにまで、高めよう」と挑戦するのは、たいへんに生産的です。
それにくわえ、どうしても劣等感の対象にまで、自分の能力を上げられないと思うなら、以下の方法もあります。
それは、自分だけの道を探し、そこでなんらかの技能を身につけ、結果を出すことです。
そうすれば、ライバルたちはどうあれ、「俺には、これがある」と、自分に満足することができます。
さらに、「真に自己肯定感を高める」ことができたら、他人との小競り合いなど、どうでもよくなります。
とかく、劣等感を成長の糧とする生き方を選ぶなら、気長に「石の上にも三年」と、忍耐強く取り組んでください。
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「やる気」を引き出す最善の方法は、自分が「したいこと」ではなく、「すべきこと」にフォーカスすること
どうしても「やる気」の起きない若者は、まずは読書で過去の偉人から、「生きる目的」を学べ!
つねに「やる気」をもって生きられる人と、「やる気が出ない人」との差は、それまでに受けた愛情で決まる!
自己嫌悪を克服するカギは、他者や自分自身との関係のなかから、自分への信頼を獲得すること
あなたがいつも自己嫌悪でイライラしているのは、わが国における社会・家庭環境の変化と愛情不足のため