「生きる意味」とは現代人にとって何か? 哲学的、科学的に説く

まえがき

 

 

現代とは、とてもあわただしい時代です。

 

 

こういうときは、「人にとって、『生きる意味』とは何か」

人間はなぜ、生きるのか
、という、人生にとって根本的な問題はおざなりにされがちです。

 

 

 

これらは非常に重大なテーマであるにもかかわらず、

どうしても日々の生活に忙殺され、

 

 

 

われわれは、こうしたことをじっくりと考える時間がなかなか持てません。

 

 

 

その結果、おかしな宗教やセミナーが世間には雨後の筍のように乱立しています。

 

 

 

こうした社会の風潮に混乱しているあなたのため、哲学研鑽30年近くの私が、

この問題にガップリ取り組みたいと思います。

 

 

 

目次

第一章 生命体とは、どんなもの? 人間と動物の共通点と違いは?

第二章 生命体の目的は、「自己複製を永遠にくり返すこと」

第三章「生命のリレー」による利点

第四章 “個”としての生物の究極目的は、自分が属する“種”の繁栄

第五章 「人が生きる意味」とは、人間社会に有益なものを遺すこと

第六章 私自身が「生きる意味」に気づいたとき

第七章 真剣に「生きる意味」と対峙すれば、それだけであなたの人生は、「生きる意味」があったということになる

まとめ

 

 

 

 

第一章 生命体とは、どんなもの? 人間と動物の共通点と違いは?

 

 

さて、まず根本的なところから語りましょう。

 

 

 

まず「生きている」とは、どういう状態を指すのでしょう?

 

 

 

ここには、人間だろうと動物だろうと差がありません。

 

 

 

一言で述べると、「自然から離れ、自律的に活動できている状態」を指します。

 

 

 

これはどういうことか、例を挙げて説明します。

 

 

 

たとえば砂やスーパーのビニール袋は、風にあおられると、そのまま飛んで行ってしまいます。

 

 

 

これは、砂やビニール袋が自然から見たら、「なすがまま」であり、自己運動していないことを意味します

 

 

 

ところが、これが鳥や犬だったら、どうでしょう?

 

 

 

まず鳥の場合、風がそれほど強くなければ、そのまま方向を変えずに、

自分の行きたい方へと飛んで行くことでしょう。

 

 

 

また犬だったら、どうか?

 

 

 

強風だった場合は、すかさず顔をそむけ、風に押されまいと、その場で踏ん張るでしょう。

 

 

 

つまり、「自然の思いどおりには、させないぞ!」と、

自然から独立した運動ができるのが、動物における最大の特徴です。

 

 

 

この点でいえば、人間も同じですね。

 

 

 

風が強かったら、建物の中に入るかもしれません。

 

 

 

ところがここからが、人間と動物の違いです。

 

 

 

動物が風を避ける動作は、彼らの「本能」により、自然と行われているだけです。

 

 

 

ですが人間は、動物の本能に替わるものとして、「理性」、「知性」を持っています。

 

 

 

よってもし、風があまりにも強かった場合は、人間は家に雨戸を設置したり、

壁に板を貼り付けたりして、風が家に侵入するのを防ぐでしょう。

 

 

 

これこそが動物の持たない、人間の「知恵」なのです。

 

 

 

ですから、以下のようにいえます。

 

 

 

人間も動物も、自然から離れた行動を取れるところは同じ。

 

 

 

ですが動物は、それを「本能」で行っているだけですが、人間はさらに「本能」からも自由な「知恵」を持っている、と。

 

 

 

 

第二章 生命体の目的は、「自己複製を永遠にくり返すこと」

 

 

このように人間と他の生物とでは、「生きている」という特徴は共有しています。

 

 

 

ですがそれぞれの行動の基盤は、「本能」か「知恵」か、というところに違いがあるのです。

 

 

 

さて、ですがそれでも、人間と他の動物のあいだでは、分かちがたい性質を共有しています。

 

 

 

それは、「自分の子孫を残す」=「“自己複製”をなす」という点です。

 

 

 

その自己複製の仕方は、それぞれの動物や人間で、やり方は様々です。

 

 

 

たとえば単細胞生物なら、そのまま細胞分裂するものもあります。

 

 

 

また魚類なら、メスが生んだ大量の魚卵に、オスが精子を振りかけたりします。

 

 

 

さらに哺乳類ですと、オスとメスの交尾の結果、メスの胎内に胎児が宿り、それは数か月間、メスの子宮内で育まれた後、この世に生まれてきます。

 

 

 

この点で述べれば、人間も哺乳類の一種ですので、上で説明したような仕方で赤ちゃんをつくります。

 

 

 

そうしてこれらの自己複製作業は、どれだけ代が下がっても、えんえんとくり返されます。

 

 

 

ここから、自己複製をなし、自分の“”を、半永久的に残そうとすること」こそが、人間にも他の生物にも共通した、「生命体が生きる目的」と言えそうです。

 

 

 

 

第三章「生命のリレー」による利点

 

 

 

ではなぜ、“”は自分の実体を残すにあたり、そんな面倒な「生命のリレー」を、各個体にやらせるのでしょうか?

 

 

 

 

一見すれば、不老不死で強靭な個体が数体、いればよさそうにも思います。

 

 

 

ところが、じつはこれでは、非常にまずいのです。

 

 

 

まず、生命体であろうと無機物であろうと、「モノ」としてこの世にあるのは、必ず経年変化、経年劣化します。

 

 

 

たとえば何億年もの前の海の色は、真っ赤だったそうです。

 

 

 

ところが、地球の酸素濃度が上がったおかげで海の塩分が変質し、その結果、海は現在のような青色になりました。

 

 

 

ですから生物は、としても同じ個体が永遠にこの世にいれば、それがどう変質するかわからないから、生命の存続を子々孫々へのリレー方式にしたのです。

 

 

リレー方式の良いところは、それだけではありません。

 

 

 

もし個体が天敵に襲われたり、感染症に侵されたりしても、そのなかから生き残るものが出てくるかもしれません。

 

 

 

そうすると、一時的にその種の個体数は減少しても、再度、繁栄する可能性が残ります。

 

 

 

さらには彼らを取りまく環境が激変したならば、それに合わせ、自分の肉体や能力も変化させることもできます。

 

 

 

さて、生物のそうした点を、極度にまで強調し、「人間を含めた生物とは、『遺伝子を残す船』にすぎない」と言い切った学者がいます。

 

 

 

それが、イギリスの生物学者、リチャード・ドーキンスです。

 

 

 

 

第四章 “個”としての生物の究極目的は、自分が属する“種”の繁栄

 

 

 

私がドーキンスの主著である『利己的な遺伝子』を読んだのは、いまから20年も前のことでした。

 

 

 

そのとき鮮明に感じた、ドーキンスの主張のなかで、もっとも記憶に残ったのは、次の3点です。

 

 

 

〇生物の“個”は、いくら自分のために行動しているように見えても、それは結局は、自分が属する“種”の存続のためにすぎない。

 

 

 

〇ここから、生物の個体とは、遺伝子を後代に残すための、「遺伝子の奴隷」にすぎない。またそれはもちろん、人間にも同様に当てはまる。

 

 

 

〇ただし人間の場合は、生命のみならず「meme(ミーム、ドーキンスの造語)」という、文化的な産物をも、後世に残そうとする。

 

 

 

 

私は『利己的遺伝子』を読んだとき、この書が世界中の敬虔な宗教者たちから批判を呼び、信心深い少年や少女にショックをあたえたと聞きました。

 

 

 

たしかに、「自分が生きている意味」は、「神の思し召し」ではなく、「遺伝子の乗り物として」などと知ったら、自分の価値観が崩壊するくらいのショックを受けるでしょう。

 

 

またドーキンスの理論によると、基本的には生物にも人間にも、「完全な自由意志」がないことになります。

 

 

 

ところで『利己的な遺伝子』を読んでから、私は数年かけてヒマを見つけては、ドーキンスの他の主要著作を読みつくしました。

 

 

 

その結果感じたことは、以下です。

 

 

ドーキンスは「遺伝子」の性質を強調しようとするあまり、「遺伝子もまた、“”から見れば、同一生命体を残すための道具にすぎない」ことを、見誤っているようだ、と。

 

 

 

これは例を挙げれば、簡単にわかることです。

 

 

 

たとえば、“”と、「犬の遺伝子」では、どちらが先に存在したでしょう?

 

 

 

それはもちろん、“犬”です。

 

 

 

なぜならあるとき、犬の直系先祖だった生物から、犬が突然変異で生まれ、その犬たちが、「犬」としての遺伝子を残すことになったのですから。

 

 

 

ならば「種としての犬」から見れば、自分の遺伝子とは、「犬としての性質を持つ生命体」を、後世に残すための船でしかない、ということです。

 

 

 

つまり、“個”としての犬にとっては、「犬の遺伝子」とは自分の主人なのは確かだが「犬の遺伝子」から見れば、同様に“”としての犬は、自分の主人であるということ。

 

 

 

 

ここから「“個”としての生命体にとってもっとも重要なのは、“遺伝子”ではなく、「自分が属する“”の繁栄だということを、私は悟りました。

 

 

 

つまり、個体としての生物において、真の主人といえるものは、“遺伝子”ではなく、自分が属する“種”だということになります。

 

 

 

   

〇「種としての」、犬や猫などの動物
           
        

    ↑大主人

    

 

   

〇犬や猫の遺伝子

        

 

        

 

    ↑小主人
     
    

 

 

〇犬や猫などの「個体としての」動物

 

 

 

リチャード・ドーキンス

リチャード・ドーキンス

 

 

 

 

第五章 「人が生きる意味」とは、人間社会に有益なものを遺すこと

 

 

 

ところでこれまで述べたように、人間は他の動物と異なり、“本能”の代わりに“理性”、“思考能力”を持っています。

 

 

 

ですからこそ人間は、前章で私が語った“meme"(ミーム=文化遺産)を遺すこともできるのです。

 

 

 

また、個体としての生物にとって「生きる意味、目的」とは、自分が属する共同体の存続、繁栄に貢献することでした。

 

 

 

個としての生命は、本能によってそうすることがもっとも自然であり、なおかつ幸福なのです。

 

 

 

ならばここで、「人間の生きる意味」というものの正体も、いよいよ見えてきます。

 

 

 

結論から述べると、以下のようになります。

 

 

 

「それが子孫であろうと、meme であろうと、人類という種のため、なにかを遺し、人類社会に貢献すること」

 

 

 

そうして「社会になにかを遺す」ことができたとき、人は「自分も“人類”という種に属している」という幸福感を得られるのです。

 

 

 

この点は、極度に孤独な生活を送った芸術家、レオナルド=ダ・ヴィンチのような人にも、もちろん当てはまります。

 

 

 

ダ・ヴィンチは、育った家庭環境の歪みから、極端に孤独を好む性格となり、生涯にわたり独身をつらぬき、まわりには数名の弟子がいるだけという人生を送りました。

 

 

 

それでもダ・ヴィンチは、美術、建築学、数学、生理学、音楽と、多種多様な分野で超人的な業績を遺しました。

 

 

 

そのダ・ヴィンチは、「孤独であることは、救われるということである」という言葉を遺しています。

 

 

 

ダ・ヴィンチにとっては、物理的に人を寄せつけないところで、人類の文化に貢献することが、最高の歓びだったのでしょう。

 

 

 

そう思うと、あなたがもしいま現在の段階で、結婚も子どもを持つことも考えてないとしても、なにかを遺そうとする人生を送れば、それは充分に意味あることとなります。

 

 

 

またたとえ、その努力が実らなかったとしても、その目的に邁進しているかぎり、あなたは「生命の充実」を感じられるでしょう。

 

 

 

念のため申し上げておきますが、これはダ・ヴィンチが創造したような偉大な芸術作品を遺すことだけを意味するのでは、ありません。

 

 

 

たとえば自分の近所を毎朝、キレイにするという行為を続けるだけで、あなたは地域共同体に貢献していることになるのですから、それも充分に「意味のある人生」です。

 

 

 

第六章 私自身が「生きる意味」に気づいたとき

 

 

 

 

前述したように、私はリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』を、約20年前に読みました。

 

 

 

そのとき私は、何をしていたのでしょう。

 

 

 

毎日、朝から晩までファミレスにこもり、ひたすら哲学書を読むか、ちょっとバイトをしては、空手道場に通うかという生活を送っていました。

 

 

 

当時の私は、重度の心身症やアトピーを患っていたので、そうしたものからの逃避という意味で、そんな日々を重ねたということも、もちろんあります。

 

 

 

しかし若かった私には、ある種の強い確信がありました。

 

 

 

それは、まともに就職もせず、職歴や技能も身につけずにいても、そうした営みを「いま」積み重ねなければ、自分は将来、必ず後悔するといったものでした。

 

 

 

そして逆に、当時、自分のすべてをあきらめ、サラリーマンになっていたら、その後悔のほうがよほど大きかっただろうと感覚的に考えていました。

 

 

 

それから20年ほどが経ち、現在になって、あのとき思ったことをやっていて、本当によかったと思っています。

 

 

 

いまの私はしがないライターですが、いずれは歴史、哲学、宗教の分野で、世界に出ようという夢があります。

 

 

 

若き日の私は、訳もわからず、自分の心が命じるままにそうしていただけで、自分の胸の内を言語化するということは、できませんでした。

 

 

 

ですが、いまから振り返ると、当時の私は「未来における自分の夢」を、直観的に自覚しており、その実現の土台造りのため、そうした日々を送っていたのです

 

 

 

それから10年ほどして、私は「遺伝子もまた、種の奴隷」ということに気づき、「ひょっとして自分は、“人類”という種のために、使命があるのでは」と思ったものです。

 

 

 

私のこれまでの研鑽が、近未来において本当に実を結ぶかどうか、それは私にもだれにもわかりません。

 

 

 

しかし私がこれまで学んできたことには、実利性を超えた、人生における本当の意味があったと、現在では確信しています。

 

 

 

 

第七章 真剣に「生きる意味」と対峙すれば、それだけであなたの人生は、「生きる意味」があったということになる

 

 

 

 

ここであなたに申し上げたいのは、くり返しますが、たとえ現在のあなたがなんの創造的行為をしていなくても、労働し、人の役に立っていれば、充分ということです。

 

 

 

あなたの人生は、それで立派に「生きる意味」を見出しているといえます。

 

 

 

なぜならあなたの営為は、「即ー人類という種を存続させる行為」になるのですから。

 

 

 

ですからいま現在、もしあなたが「自分が生きる意味」がわからないのなら、「自分のため、他人のため、そして子孫のため、自分にできることは、何か」を考えてほしいです。

 

 

 

そうして小さな実践から、自分がやっていることのおおよその全体像が見えてきたとき、あなたは完全に「人間が生きる意味」を、理解できているでしょう。

 

 

 

この点で、あなたにはぜひ、黒澤明監督の映画、「生きる」を観てもらいたいと思います。

 

 

 

これは、さえない中年男の小役人が、ある日自分がガンにを患い、余命いくばくもないことに気づき、自分が生きた証に、住民が望む公園を完成させ、死ぬという話です。

 

 

 

人間が「生きる意味」は、彼がなしたことの偉大さに、必ずしも比例して価値があるとは、限りません。

 

 

 

もちろん幼少期や若い頃は、できうるかぎり、自分の器を広くし、自分の内部にある可能性を、より大きく実体化すべきだと、私は思います。

 

 

 

ですが当然、世の中にはそれができる人間ばかりでは、ありません。

 

 

 

また小説『白鯨』の著者、ハーマン・メルヴィルも、作中で以下のように語っています。

 

 

 

「偉大なる魂にあこがれる若い人たちに言っておく。彼らは単に、病気なのだ」と。

 

 

 

あなたは、無理に自分を大物にしようとする必要は、ありません。

 

 

 

ただ、自分の望む分野において、輝く存在になればいいのです。

 

 

 

そこではもちろん、競争もあり、そのなかでナンバーワンにならなければ、かなえられないことも多いでしょう。

 

 

 

しかし人は、自分を動かすものが、自分にとって切実なものであるならば、たいていの苦難には耐えられます

 

 

 

前述した「生きる」の主人公もまた、いろんな障害を乗り越えて、公園を完成させたのです。

 

 

 

またもしあなたが、いろんな実践に取り組みながら「生きる意味」を探しているなら、それだけでも価値があります

 

 

 

なぜならその時点であなたは「生きる意味」に関わっているのですから、充分に「生きている」ことになるからです。

 

 

 

万が一ですが、それを一生、考え続け、結局はその答えに至らなかったとしても、その思考過程を公表するだけで、それは他人の参考になります

 

 

 

というのも、その時点であなたは悩んでいる人の役に立っていることになるからです

 

 

 

とかく真摯に、人生に向き合ってください。

 

 

 

それだけであなたの人生は、「生きる意味」があったということになるのですから。

 

 

 

 

まとめ

 

 

生命体にとっての唯一にして究極の目的は、「自分が属する“”の存続」です。

 

 

 

しかしながら人間は、文化を創れる唯一の生物なのだから、meme(=文化遺産)を遺すだけでも、「人類という種」に貢献することになります。

 

 

 

「子孫を残す」ことだけが、人間にとって、「生きる意味のすべて」ではありません。

 

 

 

だからあなたは、たとえいま「自分が生きる意味」がわからなくても、焦る必要はありません。

 

 

 

というのも、まずは自分の身のまわりから、「自分が役に立つ」ことが見つかれば、それを実行するだけで、あなたは「生きる意味」を満たしていることになるのですから。

 

 

 

あなたはつねに「生きる意味」に対峙していれば、それだけであなたの人生は、意味のあるものになります。

 

 

 

ここで最後に、それでもやはり、自分なりに「生きる意味」を、独力で探すのはむずかしいと、あなたが言うのであれば、ヒントをあたえておきます。

 

 

 

それは、自分が憧れる人物の一生を参考にして、自分の「生きる意味」を見つけることです。

 

 

 

それは身近な人物でもいいですし、歴史上の人物、あるいは架空の人物でも大丈夫です。

 

 

 

どうかその人の生き方を参考にして、「自分の生きる意味」=「自分がどのように、人類に貢献できるか」を考えてください。

 

 

 

また、それさえも思いつかないのであれば、文学作品や歴史書に触れ、ふさわしい人物を探せばいいでしょう。

 

 

 

ちなみに私の場合は、小説『モンテ・クリスト伯』の主人公、エドモン・ダンテスでした。

 

 

 

ダンテスは無実の罪で、地獄のような牢獄に14年も閉じ込められ、それに耐えてようやく脱獄し、「モンテ・クリスト伯」となり、自分を陥れた者たちへの復讐を果たしました。

 

 

 

そのときやっと、ダンテスは「人間が生きる意味」に気づき、幸せに去っていきます。

 

 

 

そのダンテスが牢獄で孤独と恐怖に耐え、成長していく様が、自分の責任でない病気を負わされ、苦しみながらも「真理の探究」に挑む、私の原動力となったのです。

 

 

 

どうかあなたも、あなたなりの仕方で、「自分が生きる意味」を、見出してほしいと思います。

 

 

 

 

今回の記事は、いかがでしたでしょうか?(*^^*)

 

 

 

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私は現在は、雑誌ライターさんなどやってます。
成長過程での歪みにより、発達障害やアトピーを、
50年近く患い、30年以上かけてほぼ完全に克服しました。
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