はじめに
人間、生きてるかぎり、必ず努力が必要になりますね。
(*^^*)
こんなこと私に言われなくても、あなたはこれまでさんざん、親御さんや学校の先生などに言われてきて、うんざりしているのでは、ないでしょうか?
「ガンバレ!」、「イチローを見習え!」、「なせば成る、なさねば成らぬ、何事もだぞ!」とかいった具合に。
ところが、あなたにそうやって喝を飛ばす大人の人たちは、はたしてあなたに、その努力について具体的で肝心なことを、教えてくれたでしょうか?
多分、そういう大人の人は、圧倒的に少なかったと思います。
ですからあなたは「努力しろ!」と言われるたびに、以下のように思ったのではないでしょうか?
「努力っていうけど、それは具体的にどんなものなの? 実際ににどんなことをすればいいの? 『正しい努力』ってあるの?」と。
そうなんです。
ここは私が大人の一人として、あなたにコッソリ教えちゃいます。
じつは「努力!努力!」と言ってる大人の大分部は、「努力」の本当の意味をわかっていない。(*^^*)
それどころか、正しい努力をしてなんらかの成果を上げたした人というのは、ほんの一握りなのです。
ではなぜ、そういうことになっているのでしょう?
それはまさに彼らが、なにかに挑んだとき、努力が足らずに挫折した。
あるいは努力の仕方を間違えたからなんです。
またはそもそも、自分から積極的に努力なんかしないで、のほほんとそのまま、大人になっちゃた人も、多いでしょうね。
ですからそういう人たちにとっては、努力で結果を残した人などを見ると、「とかく、努力をすればいいんだな」と、思いこんじゃうんです。
ですが本人自身は、前述したように、努力による具体的な成功体験がありません。
なので、努力の本当の意味もやり方もわからず、とかく子どもだったあなたに、「努力! 努力!」と言っていただけなのです。
私がこう申しますと、あなたはきっと「じゃあ、努力なんて、そもそも無意味なの?(´・ω・`)」と訊いてくるかもしれません。
もちろん、そんなことはありません。
世間には、必死の努力の末に成功者になった人は、多くいます。
それどころか、努力をせずに成功できた人というのは、ちょっと存在しないと思います。
ただそうした人たちは、社会全体から見たらほんの数パーセントしかいません。
またそんな人たちはいちいち、「自分がどうやって成功したか」というノウハウを、タダで人に教えるはずもありません。
だけど成功者は、自分や自分の会社等のため、本などで成功術などを語ることが多いです。
ところが、それは人によって言うことがバラバラ。
ときにはAさんとBさんで、真逆の主張をしていることもあります。
だからこそ、世間には「本当の努力」がどういったものか、統一的な常識として定着しないのです。
ところが私は、長年の研究から、すべての成功者に共通する行動や心がけがわかりました。
ですのでここで、「努力」について、よくわからない人、「努力」しても長く続かない人のために、「正しい努力とは、どういうものか」を述べていきます、
目次
ではまず、そもそも「努力」とは何でしょうか?
これを哲学的に定義すれば、以下になります。
「現在の自分の能力では、手の届かないものを獲得するための媒介的行為」。
ちょっとむずかしいことを、言ってしまいました。(^^ゞ
まず、正しい努力というものには、必ず目標があります。
ここでとりあえず、「努力」とは、「なにかを得るためにがんばること」と思っていてください。
たとえばあなたは学生時代、最新のスマホを買おうと思って、一生懸命にバイトをしたかもしれない。
または自分の入りたい大学に受かるため、必死に勉強したかもしれない。
これこそが、「努力」そのものです。
あなたはスマホが欲しかった、あるいは入学したい学校があった。
ところが当時のあなたには、スマホは高すぎた、または志望校の試験は、当時のあなたの学力では、合格点が取れるものではなかった。
だからあなたは頑張って、バイトをしておカネを貯め、スマホを買い、必死に勉強をして、大学に受かったのです。
そこから見ると、あなたにとって「努力」とは、あなたとスマホや志望校を結ぶための橋渡し(媒介)だったわけです。
これで、おわかりでしょう?
ところで人生が始まったばかりのあなたには、これから多くの欲しいもの、必要なものが現れてくるでしょう。
それは、家や自動車のような物質的なものかもしれないし、または英語力や交渉力のような、能力的なものかもしれません。
さらには、「働かなくても食べていける状態」や「幸せな家庭」のような、あなたの「夢」も、ここに入ります。
ならばあなたは、「学校を卒業した」、「会社に就職した」で、努力をやめていいわけでは、決してありません。
欲しいもの、必要なものがあるかぎり、あなたはこれからも努力を続けなければならないのです。
たとえあなたが、「もうなにもしたくない、このまま会社にへばりついて、一生、逃げ切ってやる」と思っても、状況は変わりません。
というのは、これからの世の中はさらに厳しくなることが、予想されるからです。
上流を目指して、やっと中流、中流でいたいと思ってなにもしなかったら、気がつけば貧乏人だらけの底辺に自分も落ちていた、ということもありえます。
これはもちろん、あなたが公務員や大企業の社員であっても、事情は同様です。
現在では、戦後から日本を経済大国にのし上げた大企業で、どんどんとリストラが進行しています。
また当り前ですが、公務員の給料は、民間からの税金で賄われています。
ならば、民間から入ってくる税金が少なくなれば、公務員も数を減らしたり、給料を下げたりする必要が出てきます。
こうした傾向は今後、より厳しくなっても、緩和されることは、少なくともあと10年はないと私は見ています。
そうしたわけであなたは、たとえ多くを望まなくても、現在の自分にとって大切なもの、仕事や家族や財産を守るためにも、努力する必要があるのです。
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ところで私は冒頭で、「努力により自分の夢をかなえた人は、圧倒的に少数派」ということを申しました。
もちろん、世間ではちゃんと仕事を持ち、働いている人がほとんどです。
しかしそれは、本人がココロから望んで選んだ仕事なのか、その仕事に就くため、必死の努力をしたのかといえば、ほとんどはそうではありません。
社会人の大部分は、流れや成り行きにより、惰性で現在の仕事をすることになった人たちばかりです。
嘘だと思うなら、あなたのまわりの同僚や勤め人に訊いてみてください。
なぜ、この業種を選んだのか、どうして、いまの会社に入ったのか、と。
これには、あいまいな答えしか返ってこないケースが、圧倒的に多いはずです。
しかしそんな人たちでも、若いころ、子どものころには、なりたいものや本心から就きたい仕事があったと、答えることも多々あります。
つまり世間には、夢はありつつも、それがかなえられず、挫折した人が圧倒的多数派なのです。
ではどうして、こういうことになるのでしょうか?
その理由は、以下の2点にしぼられます。
第一点は、その夢をかなえるにあたり、本人の精神力や忍耐力が続かなかったから。
そして第二点は、本人はたしかに努力はしたが、その方向性がズレていたため、目標に到達できなかったから、です。
失礼ながらあなたは、ご自分が「努力が苦手」と自覚していらっしゃるからこそ、このページを読んでいるのでしょう?
あなたはなにかを始めても三日坊主、自分の努力により得た成功など、微々たるものばかり、と思っていませんか?
もしそうであっても、それを特段、恥ずかしく思う必要はありません。
なぜなら、この社会で生きているほとんどの人が、あなたと同様か、あなた以上に意志が弱いからです。
彼らはあなた同様、学校の宿題や会社の仕事のように、「義務としてあたえられたもの」に対しては、それなりの結果を残します。
ところが彼らは、自分から主体的に挑戦すべきこと、たとえば外国語の習得や新規ビジネスの立ち上げ等にかんしては、とたんに自分に甘々になるのです。
とかく現在の自分が可愛いし、わざわざ好き好んで、つらい道を選ぶ必要もない。
いまの自分がしたいのは、英語のリスニング練習じゃなく、動画サイトでの一発芸を観ることだ。
そうした理由から、大部分の人は、自分で積極的に挑戦することには、どんどんと脱落していくのです。
たとえば、私が知っているコンサルタントは、以下のように述べていました。
「起業する」と望む人のなかでは、たとえどんなに優秀な講師をつけても、目に見える結果を残せるのは、全体の8パーセントほどだと。
そして人が努力を継続できないもう一つの理由、「努力の方向性がズレている」について、ここで語ります。
たとえば大航海時代などと異なり、現代社会では、世間にあるほとんどのことは、先人が達成ずみで、そのノウハウも多くあります。
大航海時代には、「地球は平面だ」というのが常識でしたので、新大陸を目指す船乗りたちにとって、冒険は文字通り「命がけ」でした。
しかし現代では、たとえばこれまで東大に合格した人は何十万人といるため、「どうすれば東大に合格できるか」の方法論は、複数、存在します。
ならば後は、それを実行すれば、東大にはだれでも合格できそうに思えます。
「東大入学」など、レベルとしてはビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズなどが行ってきたことに比べれば、圧倒的に容易なはずです。
なぜなら、ビル・ゲイツなどは、やればどうなるか、先の見えない道を手探りで進んで、成功しました。
ですが東大入学は、何十万人もの先行者がいるため、フロンティア・スピリッツが必要とは、どうしてもいえないからです。
その東大入学の方法論は、たしかに現在ではある程度、確立され、年々進化をとげています。
それでもやはり、その人に向いた勉強法というのは、選択肢が多いだけに、かえって見つけづらくなっているのです。
さらに人はどんなに注意しても、ついつい自己流のやり方を選んでしまいます。
たとえば、「正しい箸の持ち方」というのは存在し、あなたも子どものころ、親御さんに手取り足取り教えられたはずです。
ならば現在あなたは、毎日正しい箸の持ち方で、食事をしているでしょうか?
なかなか、そうは言えないでしょう?
いつからか、箸の持ち方は自己流のものとなり、青年になった現在でも、ズルズルとそのクセが抜けていないと思います。
そのように、たとえ方法論は正しく、本人もまじめに努力している。
それでも、どうしても行動がズレてしまい、望む結果が得られない、ということは、往々にしてあるのです。
上記2点の理由により、努力しても成功する人は、圧倒的に少ないのです。
さて、これまで私は「努力」について、ずいぶんと厳しいことを述べてきました。
ひょっとしてあなたは、もう、うんざりした気分でいるもしれません。
しかし、ここからが本題です。
それほどまでに報われがたい「努力」ですが、あなたはそれでもなにかに対して、「努力」をするべきでしょうか?
またさらに、すでにあなたが20歳を超えているのなら、以下の点はだいたい経験的に、ご自分で把握できていると思います。
それは、「自分にとって努力により、可能なこと」と、「どう努力してもムリなこと」の区別です。
この「どうやってもムリ」と思えることに、あなたは挑戦する意味があるでしょうか?
この点は、「段階を追って、自分を高めていきながら、やがていつかは絶対に、やっておくべきだ」と、私は申し上げておきます。
なぜなら、どんな物事にせよ、とかく努力をして取り組んでみないことには、自分の適性や可能性、能力の限界などが、わからないからです。
いくらご自分のことについて、アタマのなかで抽象的に考えたところで、自分の全体像は見えません。
そこに実践をくわえることにより、はじめて「自分とは」が見えてきます。
ですから若いあなたは、とかく多くのことに努力をもって挑戦すべきです。
まず最初は、簡単に実践できて、あなたにも可能なものから、最終的には「自分にはムリ」と思えるものまで。
そしてその際にもっとも重要なことは、対象に対して払うべき努力の量と、リミットの期限をしっかりと決めておくことです。
くわえてその対象は、あなたの人生や夢や仕事に関係があるものにすべき、という点に注意してください。
というのは、「カッコよさそうだから」とか「流行だから」という理由でやるものを選んでしまうと、なかなか続かないからです。
つまずいたとき、すぐに投げ出してしまうのは、目に見えています。
あなたはまず簡単なもの、たとえば Word や Excel の基本操作などから、始めてみましょう。
それに対して注ぐ努力の量は、自分の能力の6割くらいで充分です。
肝心なことは、それをいったん始めたら、絶対に最後まで止めないことです。
だからこそ最初は、簡単に達成できるものを選ぶべきなのです。
そうしてあなたは、自分の能力を向上させるため、または自分自身を知るため、なにかを始めてみるのです。
その際における最大の敵は、自分自身のココロだと、しっかりと認識しておいてください。
なぜなら対象をやり遂げるのも、対象から逃げ出すのも、すべてあなたのココロ次第だからです。
そして、なにかをやり始めたときにもっとも重要なことは、「自分を無にする」ということです。
そうして自分のなかに湧き起こる、「メンドくせー」という感情を押し殺し、排除するのです。
最初はまるで、それをやるときは自分が作業ロボットになったような気でいると、いいですよ。
それなら、余計な雑念が湧いてきませんので。
これについても、ほんの3日や1週間ならば、だれにでも実行できるはずです。
その結果、達成できれば、よし。そうでなかったなら、何が悪かったのか、深く反省しましょう。
そしてその点を自分でいましめ、今度同じことに出会ったら、同じことをくり返さないよう、じっくりと自分に言い聞かせます。
いや、本当は成功したときも、その過程でヤバいと思ったことを、ピックアップすべきです。
というのは、じつは人は、成功したときほど「なぜ、うまくいったのか」がわからないので、それが後々、アダとなる可能性があるからです。
ですから、むかしの人は「勝って兜の緒を締めよ」と言ったのです。
そうして一つのことを終わらせたら、自分の未来や夢を想定し、それを実現するために必要なものに、簡単なものから手をつけていきましょう。
またこの時点で、「自分の将来像」がわからなくても、問題はありません。
そのときは、「現在の自分」に必要だが、欠けているものを探し、再挑戦すればいいのです。
そうしたことを半年もくり返していくと、自分の得意、不得意、努力すればできること、どうがんばってもムリなことが、ハッキリしてくるでしょう。
つまり、自分の挑戦に対する結果と反省により、あなたは「自分を知る」ことが、できるのです。
それだけでも充分、「努力をすること」は、意味があるといえます。
なぜならこの場合、あなたが別分野に挑むときでも、あなたは「自分自身を知っている」ことになります。
ですからあなたは、対象にどう取り組めばいいかは、努力しないで挑戦した場合より、わかりやすくなっているでしょうからです。
さて、これまで「あなたは、どうするべきか」ということをずっと述べてきましたので、今回は、「私自身は、どうだったか」を、お話ししたいと思います。
私はこれまで、ほぼ独学で多くの学問を、それなりに修めてきました。
このとき、まず最初に手をつけたのが、世界の歴史でした。
当時私はちょうど20歳で、ある事情から心身ともに深く病んでいました。
ですので、「いまできることは、何か」と考えた末に出てきたのが、歴史の習得だったわけです。
なぜ歴史かというと、そのときは漠然と、学問へのあこがれがあったからです。
将来、自分がどんな分野を専攻することになろうとも、歴史は確実にその基盤になると、信じていたからです。
そこで私は、薄い通史の新書を数冊読んで、次に河出文庫の「世界の歴史 24巻」を3回読み返すことに、挑んだのです。
これはいまでも販売されていますが、一冊あたり400ページもあり、容赦なく専門用語がバンバン出てきます。
ですのでこれを読破するのには、大変な根気が必要となります。
私はやる前は怖気ずき、「自分に、できるかな」という不安がありましたが、やってみれば1年ほどで、実行できました。
精読を、1回、2回、3回とくり返すことでより理解が深まり、以前に読んでわからなかったことが見えてきました。
そ
それにより私には、「世界の歴史の全体像」が把握できるようになったのです。
その成功により、私の関心は、次々と他の学問へと広がっていったし、またそれをやり切ったことが、他の学問を理解する上での基盤となりました。
またそうして、自分の内的世界を広げていった私でしたが、やっかいだったのは、英語でした。
じつは私は、歴史の勉強をはじめる前に一度、アメリカに留学していました。
理由はとかく、当時の日本から、すぐにでも出て行きたかったからですが、このとき身についたのは、日常レベルの英会話のみでした。
将来的に学問の道に進むなら、英語習得は欠かせないし、またこのままでは終われないとの気持ちから、私は23歳のときに再渡米しました。
このときは学校に籍だけおいて、半年以上、近くのカフェで朝から晩まで英書を読み漁り、アメリカ人や他の国の人たちと、いつも議論ばかりしていました。
その結果、私にはまずまずの英語力がつきました。
そして帰国後には、翻訳や英文作成、英語コピー作成の仕事が、できるようになっていたのです。
努力をする上で重要な点は、いい加減な気持ちや、その場での衝動、情熱のみで行動しない、ということです。
とかくなにかに対して努力を払うのは、冷静かつ計画的になすべきです。
そうでないと、気持ちが熱いほどに、困難にぶち当たったとき、ココロがポッキリ折れてしまいます。
および次に大切なことは、なにかに取り組むときは、信じられる師を持つことです。
その人は、少なくともその分野においては、まったくの素人であるあなたにとっては大先輩です。
ですからいったん、だれかを師と決めたなら、少なくともあなたがその人のレベルに達するまでは、疑いを持たないほうがいいです。
たとえ部分的に、その人の欠点や間違いを見つけても、です。
私は少年期は、どうしようもない虚弱児でした。
というより、正確には精神病の芽をずっとココロに抱いていたのですが、この点はここでは省略します。
そうして、「こんな自分じゃ、ダメだ」という気持ちから、18歳より空手を始めました。
そこで私は、ある師匠と出会ったのですが、私はその先生の一言一句に従いました。
それから30年経ち、実際に空手に打ち込んだ期間は短く、私の空手の腕前自体は、まったく大したことはありません。
しかし少なくとも、基本技だけは、師匠から褒められるくらい、キレイな打ち方ができるようになりました。
これは、私が師を信じてついていったからこそ、できるようになったことです。
また、私が空手をやっていなければ、いまごろは廃人になっていたかもしれません。
そうしたわけで問題は、あなたがなにかを習うとき、どうやってあなたに相応しい師を見つけるか、です。
その場合、あなたの直感や相性を頼りにしても、もちろんかまいません。
ですが、もっとも重要なことは、「その人が」ではなく、「その人の弟子が」、どれだけ成果を出しているかです。
「教える能力」というものは必ず、弟子の実力として、その人に返ってきます。
ならば、優れた弟子を何人も育てているのなら、その人の「教える能力」は、本物ということです。
もちろん私の師匠も、「教える能力」には定評があり、組織のなかではトップクラスの人でした。
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また「努力」において重要なことは、「努力したけど、ダメだった」ことを、「努力しないこと」のアリバイにしないことです。
一度それを言い訳にしてしまうと、万事において自分を甘やかし、その自己正当化を使うようになってしまいます。
その結果あなたは将来、言い訳ばかりで、なにもできない人間になる可能性もあります。
あなたがそうならないためには、なにかに挑むとき、そこに払う努力と時間の量を、あらかじめ決めておくことです。
そうしてなにかに打ち込むときは、徹底して、しかしムリのない範囲で頑張る。
ですが、その結果として出た答えは、素直に受け入れるべきです。
これについて、私の経験を述べます。
私は数年前、あるネットビジネスに挑んでいました。
ところが当時の私はとかく貧乏だったので、師につくこともできず、すべてを独学でやっていました。
そうして一年後、それまで必死に取り組んだのですが、結果が思わしくなかった私は、思い切って専門家に相談してみました。
その結果、そのやり方だとダメだということを、言われました。
このとき私は、素早く事業から撤退しましたが、敗北感や後悔はありませんでした。
というのは、それは私が全力で取り組んだビジネスでしたが、それ以上やってもムリだということが、感情で理解できたからです。
またこのとき私は、自分の失敗について深く反省したため、その経験は後々、別のビジネスで活きることとなりました。
私がそうした気持ちでいられたのも、私が失敗から教訓を引き出すよう、冷静に受け止めていたからです。
とかく厳禁なのは、何度も言いますが、「自分は(中途半端な)努力をした」ということを、「次の努力をしないこと」の言い訳に使うことです。
ともあれ「努力の意味」とは、自分と、自分が望むものとの距離の「媒介」となること、つまり自分と目標との「橋渡し」です。
そしてそれをトライアル・アンド・エラーでくり返すことにより、「自分自身」を知ることができます。
つまり、自分の望むものが、努力により獲得可能かという点はもちろん、自分の能力の伸びしろ、自分という人間の本質まで、わかるようになります。
ですから端的に述べて、「努力」の意義と効能は、おおよそ次の5点に集約されます。
1.目標達成までの距離を埋めること。
2.自分自身を知ること。
3.自分の能力全体の底上げ。
4.自分の持つあらゆる可能性を向上させること。
5.何ごとにも挑戦することにより、自分の人格自体をポジティブで積極的なものとすること。
そうしたことからあなたは、「どうせ努力など、遺伝にはなかわないだろう」、「この前やって、ダメだったから、何度やっても同じだろう」と思ってはいけません。
なぜなら、努力をくり返すことにより、あなたには年を経るごとに、可能性が増えるのですから。
というのも、努力の過程で、自分には目指しているもの以外の才能があることに、気づくこともあるからです。
また努力を重ねることで失敗すれば、それを真摯に反省、改善することで、あなたには賢さ、精神力、意志力、忍耐力がついてきます。
とかく重要なのは、努力を抽象的にとらえないことです。
たとえば、ときには高校野球の校歌や「ガンバレ系」の歌謡曲を聴くのも、いいでしょう。
ですが、自分の目標を自分の実践に移すときには、必ず自分の具体的なプランに落とし込んでください。
つまり、努力はいつでも積極的に行うべきだが、それはつねに計画的に実践し、その結果を反省することが重要ということです。
そうすることにより努力は、はじめてあなたにとって有効なものとなります。
努力の意義とは、主に自分の希望をかなえるためと、自分自身を知るために存在しています。
さらには、自分がすでに持っている他の能力や可能性を高めること、自分自身を積極的な人間にする効能なども、あります。
ですが、「努力!努力!」と二言目に叫ぶ大人は、じつはほとんど、このことを理解していません。
それどころかそういう人たちのほとんどが、若いころに中途半端な努力をして、失敗した人たちです。
しかし若いあなたは、これから生きていく上で、生きがいのある人生を送るには、努力は欠かせません。
ではあなたは、どうすればいいか?
それはいつも努力を合理的にとらえ、計画的に実践していくことです。
そうすることであなたは、「自分自身」というものが見えてくるし、あなたの能力そのものも、年齢を経ることに向上します。
とかく努力に必要なものは、「計画と実践と根気と反省と修正」です。
このうち、どの一つが欠けても、最短距離での成功はむずかしくなります。
それを肝に銘じ、くり返すことにより、あなたは努力による成功を積み重ね、将来的に真の成功者になってください。
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