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まず人間には、いろんな感情がありますが、「自責の念」ほどつらいものは、ちょっとありません。
なぜなら、自分がなにかを自責する出来事が起こったのは過去であり、基本的に人は、自分の過去を変えることはできないからです。
そうして自責の念は、場合によっては一生、その人の人生についてまわり、その強さがずっと変わらないということも、ありえます。
それどころか、その念はどんどんと強くなっていくということも、あるでしょう。
なら、そんなに人を苦しめる自責の念とは、一体どういう感情なのでしょう?
そして人間は、どんなときに「取り返しのつかない悔しい気持ち」に陥ってしまうのでしょう?
さらにははたして、その底なし沼のような悔しさから、逃れる手段は、あるのでしょうか?
この点には、「YES」と答えておきます。
ではこれより、あなたを自責の念から救う方法、またはこれから、自責の気持ちに陥らない術を述べていきます。
まず人は、「自責の念」にとらわれると、どのような精神状態になるのでしょう?
それは端的には、視点がつねに後ろ向きで、未来に向けてポジティブな思考ができなくなります。
なぜなら前述したように、自責の念とは過去の出来事によりもたらされる感情であるため、どうしても過去に縛られ、目が未来へと向かないからです。
ではそんなに苦しくて、一見、非生産的と思われる「自責の念」とは、一体、なんのために存在するのでしょうか?
これはあくまで私の意見ですが、後々、その人が同じような困難に遭遇したとき、同様の失敗を犯さないためだと思います。
つまり、「あのときは、ああしなかったことにより、自分は自責の念の虜となった。なら今度こそ、同じ過ちを犯さないぞ!」と思わせる作用が、自責の念にはあると考えます。
たとえばもしあなたが過去に、2つの大学に同時に合格していたとします。
そのうちの一つは、いわゆる偏差値があまり高くなく、世間的な評価もそれほどではないが、あなたがずっとやりたいと思っていたことが学べる大学。
そしてもう一つは、高偏差値で世間体はいいが、本当にあなたがやりたい学科がない学校。
もしあなたが後者を選んで、その結果、あなたの学生生活は、つまらなく味気ないものになったとします。
するとあなたはおそらく、ずっと自分の過去における判断を、後悔することになるでしょう。
なぜなら、入学時点であなたが本当に望んでいたものは、「自分の学問をやる」ことであり、世間体や人からの評価ではなかったはずだからです。
そうしてあなたは、ずっとウジウジと過去にとらわれ、自責の念の気持ちに引きずられます。
ところがそれから数年後、あなたに就活の時期がやって来たとします。
そのときあなたは、もし自分が過去に誤った選択をして自責の思いをしたことを、本当に反省しているのなら、おそらく今度は、同じ失敗はしないはずです。
つまり、そのときのあなたは世間体や見栄だけで就職先を選ばず、「自分がそこでやりたいこと」を基準に、企業選びをするでしょう。
そのときになり、あなたにとって過去の自責の念とは、現在、および未来において、同様の失敗をくり返さないため、役立ったといえます。
私は自責の念とはそのように、現在や未来における選択や行動を間違えないために存在していると、考えます。
よくいわれることですが、人は悔しさをバネにし、成功や成長を得られるようになるのです。
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さて、ここで一つの疑問が生じます。
それは、人はなぜ同じような失敗をしても、後悔する場合とそうでない場合があるのでしょう?
この点につきましては、まず自分が自分の行動に対し、その場その時にできる最大限の努力をした結果、失敗しても自責の念は、ほとんど生じません。
確かになにかの大きい挫折をした直後には、人は大きな悔しさを感じます。
ですが自分の対象に対し、全力で取り組める人は、いつまでも後悔しません。
しばらくすると、その再挑戦か、新たな別の目標に向かって、努力を始めます。
逆に、自分の選択に対し、自分自身に責任や非がある場合は、人はそのことについて、いつまでも自分を責め、悔しがります。
つまり「自責の念」の根源とは、つねに自分自身にあるということです。
「自責の念」とは、過去の出来事が直接の原因ではないということです。
そうではなく、それを受け止める側の態度によって決定づけられるのが、「自責の念」なのです。
この点を、私の経験から述べます。
私は高校3年生のとき、別のクラスの女性、野上さん(仮名)と話をする機会がありました。
野上さんは、全校一の美人といっていいほどの美貌の持ち主で、私はそのときからすっかり、Nさんのことばかりを考えるようになりました。
その気持ちは日増しに高まり、野上さんのことがアタマから離れることが、一刻もないほどでした。
つまり、私は野上さんに完全に恋をしたのです。
それで野上さんの方はどうかというと、やはり私を意識しているようでした。
というのも、私が遠くにいても、すぐに私の気配を察し、チラチラとこちらを振り向くからです。
さて、その野上さんですが、ある日を境に、私に対して奇妙な行動を取るようになりました。
私が少しでも近づくと、とたんに私から距離を取り、遠くから私が唖然としている様を、笑って観察しているのです。
そしてそれが、何か月もずっと続くのです。
野上さんのこの態度には、当時の私は直観的に理解できただけですが、いまではハッキリと、言語化して説明できます。
野上さんは成長の過程で、ほぼ間違いなく愛情欠乏症、愛着障害にかかっていたのです。
つまり、野上さんはそれまで、両親や大人に自分の全存在を受け入れられ、愛された経験が乏しかったのでしょう。
ですから、私を意識し始めた段階で、「私がいなければ、あなた困るでしょう」という意味合いで、私を苦しめるようなことをしていたということです。
つまり野上さんは、私をつうじて、自分の魅力を確認したかったのです。
それほどまでに野上さんは、自分の存在に自信が持てていなかったということです。
一方、私はといえば、父は私の教育に無関心、そもそも人間とは、教育されてはじめて人間となるという事実さえ、理解できない人でした。
また母は、幼少時のトラウマから、私に対して過干渉。
さらに姉はといえば、父の頼りなさと、私ばかりかまう母への憎悪から、四六時中、私に敵意をむき出しにする、不機嫌で暴力的な女でした。
そんな家庭に育った私には当然、「人を愛する」ことも、「人を受け入れる」ことも知りません。
ですのでもし万が一、私が当時、野上さんとつき合えたとしても、その関係はすぐ破綻することは目に見えていました。
またそうした家庭に育ったことから、私はあきらめが良すぎる少年でした。
世間の何事にも執着せず、むしろなにかに必死になっている様はカッコ悪いと思うような、ヒネた少年だったのです。
ですから私は、野上さんの仕打ちに2か月ほど、ずっと苦しめられましたが、その状況をなんとかしようという発想さえ、ありませんでした。
ただただ私は、野上さんの行為に無関心を装い、まったく反応しなくなりました。
それでも野上さんは、そうした私への嫌がらせを、卒業間近まで半年ほど続けましたが、私はこれを徹底無視しました。
すると私には、野上さんに対する慕情も消えて、通常どおりの学校生活を送ったのです。
思えば、私とそんな野上さんが意識しあう関係になったのも、私も野上さんも、そのように人格の根底部分に空洞があるという点を、共有していたからかもしれません。
ですがともかく、その後、私は高校を卒業しましたが、野上さんに対する未練や悔いは、一片もありませんでした。
なぜなら私がどう努力しようが、野上さんは私を、自分の承認欲求を満たす対象としてしか見ないと、わかっていたからです。
ですので私がどうしたところで、私と野上さんが恋愛関係になることはありえなかったはずです。
またそうして私は、自分がどう努力しても実らない願望については、悔しい自責の念を抱くことがないと、はっきりと悟ったものです。
さて、私は高校卒業の翌年、アメリカの大学に留学することになりました。
当時の私は、幼いころからの愛情欠陥がピークに達し、それが精神病として実体化する寸前だったのです。
それでも、自分がなぜそれほど苦しいのか、他人とコミュニケーションが成立しないのか、慢性的にイライラしているのかが、わからない状態でした。
そこでとかく、住む場所を変えてみたかった。
そうした理由で私は、アメリカに留学することを決めたのです。
その留学先で私は、私と同年齢のメアリーさん(仮名)という、アメリカ人の女生徒と知り合いました。
メアリーさんは、それほどの美人ではありませんでしたが、成績優秀、スポーツ万能、そして人格円満な女性でした。
彼女は私たち留学生の世話役として、私の面倒を見てくれました。
そのメアリーさんに、私は最初に会ったときから一目惚れしました。
その理由はやはり、メアリーさんは私にないすべてのものを持っていたからだと思います。
メアリーさんは何事にもポジティブで、どんな人にも対応が優しく、まさに「生きる」ということに徹底して肯定的な女性だったのです。
メアリーさんは間違いなく、育った家庭で充分すぎるほどの愛情を注がれた女性だと、わかりました。
そんなメアリーさんに、愛情欠陥家庭で育ち、愛着障害のため中身が空っぽの私は、憧れに似た恋心を抱いたのでしょう。
そうしてメアリーさんも、そんな私の意識に気づき、私に対して親切にしてくえるようになりました。
ところが私は、そんなメアリーさんの好意を、片っぱしから無視、拒絶しました。
そもそもが、「人を愛する」ということがわからない私には、恋愛そのものが不可能でした。
ですので万が一、私がメアリーさんと仲良くなれても、メアリーさんは私の中身のなさに幻滅し、すぐにフラれることだろうと、当時は直感していました。
ただし、上記のような分析が正しくできるようになったのは、それから10年以上、経ってからでしたが。
ところがそんな私にメアリーさんは、どれだけ私が拒絶しようとも、優しく接してくれます。
しかしこうなると、私ももう意地のようになって、メアリーさんの好意をはねつけました。
いまから思えば、メアリーさんとは、たとえ恋人同士でなくとも、友人としてでもつき合えただろうし、いろんな関係性を結べたと思います。
ところが当時の私に、そんな発想はできませんでした。
なぜなら、そのときの私は、内面がほぼ5歳児くらいだったからです。
その後、事情があって私は留学生活を断念し、日本に帰りました。
ところがメアリーさんへの想いは、何十年も苦い自責の念として、私のなかに残り続けたのです。
それはもちろん、私は努力次第でメアリーさんと、どのような関係にもなれたはずなのに、それを自分の虚勢から拒み続けたからです。
ですから20代、30代のころの私は、病気と闘い前向きに努力しながらも、本心はずっと過去に縛りつけられていたのです。
この2つの私の恋愛話からあなたには、私の主張する点がわかると思います。
つまり自責の念という感情は、自分の努力でどうにもならない不可抗力的な物事に対しては、起こりません。
しかし自分の知恵や勇気を最大限に活かさず、全力、本気で対象にぶつからなかったときには、ずっとココロのなかに残り続けます。
その理由はおそらく前述したとおり、後々に同様の状況に出会ったとき、「あのときと同じ悔しい思いは、したくない!」という、頑張るココロを引き出すためと思われます。
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そうして帰国後、私は最初にある大学病院の精神科に通い始めました。
それは前章で述べた「ある事情」でのことなのですが、じつは私はそれまで3年間ほど、持病のアトピー抑制のため、ずっとある薬を服用していたのです。
それは私が、ある個人病院から処方してもらったものだったので、これを渡米後も私は両親から送ってもらい、服用を続けたのです。
ところがその薬は、じつはとんでもない劇薬で、アレルギー症状に対して短期的な対処療法にはなるが、長期服用は厳禁というものでした。
それを私の主治医は把握しておらず、ずっと私に常用させていたのです。
私自身、その薬を飲んでいるあいだ、ずっと奇妙な違和感にとらわれていましたが、当時はインターネットも普及していませんでした。
ですので、その薬のことを調べようとも思いませんでした。
ところが本音を述べれば、自分の精神がどんどんと歪んでいき、何物にもリアリティーを感じられなくなっていったのは、その薬が原因だと、私はうすうす気づいていました。
ですが当時の私は、自分のことも自分の未来も、「もう、どうでもいい」という気持ちになっており、現実を直視することさえ、面倒になっていたのです。
そうして「生きている実感」をまったく感じられなくなった私は、当地で自殺を図ったというのが、真相です。
そのとき私は、オーバードーズによる自殺を試みたのですが、大学寮の友人に発見され、救急車で病院に運搬され、一命を取りとめたという次第です。
そのような事情で私は帰国しましたが、私に危険な薬をあたえ続けた医師を、告訴するという気にはなれませんでした。
というのはそのとき、「そんな目に遭うのも、自分に課せられた運命」のように直観していたからです。
それから30年にわたる、私の本格的な修行は始まりました。
私が通い始めた大学病院の精神科では、私は幸運にも、最高の先生に診てもらえるようになりました。
増田先生という方でしたが、先生はあらゆる学問に通じた博覧強記の人物で、かつ、とてつもなく人間的な温かさに満ちた方だったのです。
増田先生は、患者の一人にすぎない私のために、毎回、3時間から5時間くらいも話を聴いてくださり、やさしく人間や人間関係の本質を教えてくださりました。
私が増田先生から学んだことは計り知れず、どの教えも現在の私を形成しているものといって、過言ではありません。
ですがそのなかからあえて、もっとも重要と思えることは、以下の2点です。
1.人間は生まれた以上、人の迷惑になりさえしなければ、好きなことをやってかまわない。
2.どんな人物も自分の「師」となりえるのだから、(たとえ反面教師的な意味でも)、一期一会を大切にすること。
それ以来私は、どんな人に出会っても、その人からなにかを得ようという態度で、接しています。
また次の点は、理解するのに数年がかかりました。
私は、自分の育った環境が歪んでいたため、自分のココロが凍りついているということにも、気づいたのです。
だから人とは、事務的な会話はできても、個人的な雑談などは、長いことできませんでした。
とくに子どもや女性などと、話をしなければいけない状況が、大の苦手でした。
その理由は、前述したとおり、私の感性が凍っていたため、私には「共感能力」が著しく欠落していたからです。
女性や子どもほど、感性での会話を好みますので、いちいち理屈で会話内容を組み立てていた当時の私には、彼らとの会話を苦手としていたわけです。
そこで私は、そんな自分を創り変えるため、「心身の緊張を解く」、「テンションを落とす」ための鍛錬を、20年以上、続けました。
そして仕事の仲間、女性、子ども、さらには動物などと積極的にコミュニケーションを取ることを習慣化していったのです。
そのため現在の私は、だれとでもすぐに仲良くなれます。
それは、私が自身の心身の緊張を解いていったため、だれとも即座に「共感」を共有することができるからです。
むかしの私は、精神の自閉的傾向のため、人の話がアタマに入ってこないで、他者との会話が成り立ちませんでした。
ですが現在では、たとえば女性だけしかいない職場に置かれても、そこに溶け込み、すぐにみんなの人気者にさえなれます。
このように私は、「他者との関係を構築する」ことができるようになるため、20年以上の時間を使い、膨大な努力を積み重ねました。
そしてそのため、失ったもの、得られなかったものも数多くあります。
それはたとえば、まともな社会人としての経験や時間等です。
ですが私は、その点について、まったく悔しいとは思っていません。
なぜなら、その道を承知で、覚悟を決めて飛び込んだのは、私自身の判断だったからです。
さらにこれは結果論的になりますが、私が浪人中に学んだ多くのことが、後に自分が選んだライターという仕事で、存分に役立ちました。
逆に私は、30年前の時点でムリをして自分を社会に合わせ、したいこともガマンしてサラリーマンにでもなっていたら、それこそ大後悔していたと確信しています。
もし私がそうしていたら、間違いなく私のサラリーマンライフは破綻し、時間と若さを失うという結果になっていたはずです。
このようにして若いころの私は、恋愛や失恋、自分自身の身の破滅とともに、「自責の念」の意味を、深く知っていったのでした。
なお、あなたがもしそれでもなお、「自責の念」に呪縛されており、そこから立ち直れないようなら、下記ページをご覧ください。
あなたが後悔の念から立ち直るには、あなたの後悔の中身を反省し、今後の人生で役立たせること
こちらは、当ページの発展編となります。(*^^*)
「自責の念」とは基本的に、自分が求める対象に対し、本気で挑んだ末に、結果的に望みがかなわなかった場合には、発生しません。
そうではなく「自責の念」とは、なんとでも手は打てたのに、意地や勇気のなさ等の理由で、必要なものを手に入れられなかったときに、発生します。
若いあなたも、数年後、数十年後に「苦しい自責の念」を味わいたくなければ、まずは自分のココロに正直になってください。
そして望むものに対し、本気になってください。
そうすればその結果はどうあれ、あなたは将来、確実に「自責の念」だけは、味あわないですむようになります。(*^^*)
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