「幸せ」の哲学的定義とは、「個人の社会的究極目標」。あなたが幸せになれる3つの方法

はじめに

 

 

 

いきなりですが、「幸せ」とは、何でしょう?

 

 

 

だれもが一度は考えることですし、まただれもが「幸せな生活」に憧れます

 

 

 

ですが、「幸せとは、何か」と問われて、即答できる人は、ほぼいません。

 

 

 

幸せとは、その正体をめぐって古代から現代までの哲学者をも悩ました、大問題なのです。

 

 

 

まず幸せは、よく「青い鳥」に例えられますね?

 

 

 

これは、ベルギーの劇作家、メーテルリンクが創作した童話のタイトルです。

 

 

 

2人兄妹のチルチルとミチルが、いろんなところに「幸せの象徴」である青い小鳥を追っかけていくという、アレです。

 

 

 

あなたも一度は、話を聴いたことがあるでしょう。

 

 

 

ということは、「幸せ」とは、人が捜し求め、追い求めるなにかなのでしょうか?

 

 

 

このページでは、その点を論じていきます。

 

 

 

 

 

第一章 子どもとは、万人に幸せをもたらす存在

 

 

 

 

 

さて、幸せとは、人が追い求めるものなのだとします。

 

 

 

ならば人とは、もともとは幸せではないのでしょうか?

 

 

 

幸せは、自分のまわりにないからこそ、捜し求めるのでしょうか?

 

 

 

これは半分正解で、半分は不正解です。

 

 

 

まず基本的に、文明国のふつうの家庭に生まれた子どもは、幼少期は幸せなはずだし、そうでなくてはいけません。

 

 

 

なぜならそこには、優しい両親がいて、生活物資に困ることなく、ずっと自分の未来だけを夢見ていたらいいのですから。

 

 

 

また、自力で生きることのできない子どもは、環境が幸せをあたえてやらねばならないのです。

 

 

 

および、その子の家族にしても、その子は幸せをもたらす存在です。

 

 

 

というのも、人間もまた動物です。

 

 

 

そして動物にとっての最大の喜びとは、自分が属する種の存続に貢献することです。

 

 

 

それはおもに、子孫を残すことを意味します。

 

 

 

よって、子どもの両親は、自分たちが子どもを得たことで、「自分たちも、人類の一員だ」という喜びを実感できます。

 

 

 

ですから原則として、「子どものいる家庭」とは、幸せなもののはずなのです。

 

 

 

くわえて、彼の生まれた町や国でも、子どもとはそれぞれ共同体における未来を担ってくれる存在です。

 

 

 

 

ですから基本的に、「子どもがいる」ということは、だれにとっても幸せな状態を指すのです。

 

 

 

 

第二章 幸せとは、愛におおわれた安定状態のこと

 

 

 

 

次に、幸せとは、どんな状態でしょう?

 

 

 

これをたとえ哲学的に定義できなくても、あなたはイメージとしては、語れるでしょう?

 

 

 

それは、暖かくて心地よく安定しており、動揺のない状態です。

 

 

 

ところで古代ギリシャの大哲学者、アリストテレスは、幸福について著書『ニコマコス倫理学』において、以下のように定義しています。

 

 

 

幸福とは人生の意味および目標、人間存在の究極の目的であり狙いである」と。

 

 

アリストテレスが言うように、幸せとは人間にとっての究極目標なのであるとします。

 

 

 

ならば人はひとたび幸せを手に入れたなら、あとはそれを永久的に守り続けるだけでいいことになります。

 

 

 

また私からつけ加えると、幸せとは基本的に、「」におおわれた状態といえます。

 

 

 

ここで、私なりに「愛」を定義すると、以下になります。

 

 

 

 

愛とは、基本的に同種の個と個をつなぎ合わせ、その個体間の区別をなくし、一体化させる観念的な作用、チカラです。

 

 

 

 

ですから愛でつながった者同士は、自分の同志、同族との一体感をつねに感じられるため、「自分はひとりでない」という安心感を得ることができます。

 

 

 

愛には、恋人同士、家族、地域、国家、人類と、小さなものから大きなものまで、共同体を形成するはたらきがあります。

 

 

 

そうしたわけで、人はいろんな愛を受けて、また自分からも他者に愛をあたえ、生きている存在といえます。

 

 

 

 

 

第三章 青年とは、自分で自分の幸せを見つけなければならない存在

 

 

 

 

 

さて、ここまで述べれば、あなたには私が第一章と第二章で語ったことのなかに、矛盾があることに気づいたでしょうか?

 

 

 

まず「幸せ」とは、「人が追い求める、究極の目標」なのでした。

 

 

 

ところが私は、「子どもは元来、幸せな存在だ」とも述べたのです。

 

 

 

ではなぜ、生まれたときには幸せだった子どもは、後になって自分で幸せを捜し求めていかねば、ならないのでしょうか?

 

 

 

子どものときの幸せとは、失われていくものなのでしょうか?

 

 

 

それはもちろん、子どもが成長するとともに彼の両親は年を取り、やがて死んでいくからです。

 

 

 

家族というのは永続するものではなく、親が死ぬのなら、その子どもはいつまでも「夢見る少年」では、いられません。

 

 

 

彼は、次に自分を愛してくれる者、または自分が愛する者を探すため、旅立たねばならなくなります。

 

 

 

そうした少年の事情や心理を深く洞察した作品に、マンガ、アニメの「銀河鉄道999」が、挙げられます。

 

 

 

あの作品でも、主人公・星野鉄郎は、母を殺された後、彼の代理母であるメーテルとともに、「機械の身体」という新たな幸せを求め、旅に出ます。

 

 

 

さらに鉄郎はメーテルとともに、幾多の惑星を訪れ、多くの人間や出来事に出会い、成長していきます。

 

 

 

そうした事情で、あの作品は、「若者」という者は、自力で自分の幸せを見つけなければならない存在だという事実を示しています。

参照 https://kurumefan.com/matumotoreiji-kurume

 

 

 

そして、それは容易ではないからこそ、「青年期」とは基本的に不幸で、試練に満ちているのです。

 

 

 

この点が、私が先に述べたように、「人は幸せに少年期を過ごすが、成長したら自分から幸せを捜し求めなければならない」といったところです。

 

 

 

わが国では江戸時代以前より、「可愛い子には旅をさせよ」といわれていました。

 

 

 

またヨーロッパでも、中世より貴族の子弟は、一定の年齢になれば、外国旅行に出ました。

 

 

 

いちおう申し上げておきますと、むかしの旅行は気楽な観光などではなく、文字通り命がけで大変なものだったのです。

 

 

 

というのも、徒歩や馬車以外の移動手段はほとんどなく、治安状態もよくわからない外国を旅するのは、過酷なことだったからです。

 

 

 

また旅には、人の視野を広げさせるという作用があります。

 

 

 

自分が生まれ育った国のものとは異なる気候、異なる人々の性質や文化の他国に行くのですから、その刺激が、青年を成長させます。

 

 

 

ちなみにですが、現代でも「ワーキング・ホリデー」のような、若者が外国で働きながら旅をする制度があります。

 

 

 

また、若いバックパッカーなどは、いつまでも存在し続けるでしょう。

 

 

 

くわえて「ユースホステル」のような、若者向けの安宿も、ずっと世界中にあり続けるでしょう。

 

 

 

いい歳したおっさんが、いつまでもブラブラしていたら笑われますが、青年の場合はむしろ、歓迎されるのです。

 

 

 

そうしてさすらいのなかから見聞を広め、最終的に定職なり妻なりを得るのが、近代青年にとっての幸せというわけです。

 

 

 

というのも、それにより彼は家族や社会と一体化し、幸せになれるからです。

 

 

 

また、たとえ現実が元来の目的から逸脱していたとしても、近現代の「大学生時代」というのも、この「放浪の時代」に該当します。

 

 

 

戦前においては、現代における大学の前身だった旧制高校などでは、学生にはとかく好きなものに打ち込むことと読書ばかりが、期待されていました。

 

 

 

また欧米の大学では、学生は寮に入るか、ルームシェアかハウスシェアするかで、親元を離れ、一人での生活を始めるのが基本です

 

 

 

そのようにして近代青年は、青年でなくなったときに生きていくチカラと、幸せを得るチカラを、自分のなかに蓄積させていくのです。

 

 

 

 

 

第四章 まともな愛を、受けられずに育った人たち

 

 

 

 

 

さて、ところでそうはいっても、現実の物事は、すべて社会の期待するようには、いきません。

 

 

 

というのは、たとえそうした社会システムはあっても、それがすべてうまく機能するとは、かぎらないからです。

 

 

 

端的に述べれば、どうしても上に挙げたような「強い青年」になることができない人も、実際には多数、生まれてしまうということもある点です。

 

 

 

その原因は、現代日本にあってはほぼ例外なく、家庭環境に起因します。

 

 

 

それはどういうことかと申せば、現代日本の急激な近代化に原因があります。

 

 

 

1960年代、高度経済成長期以前には存在していた、日本が世界に誇る、すばらしい育児環境が急速に失われたのです。

 

 

この点については、下記ページの第一章から第六章までを、ご覧ください。

 

 

 

自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。その原因と克服法を教えます

http://nayamimuyou.net/cocolo/自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。そ.html

 

 

 

 

そうしたわけで、わが国では強く生きていく上で必要な愛情を、充分に受けないまま青年になってしまった人が、現在では多数いるのです。

 

 

 

いや、むしろいまでは、そうした青年のほうが多数派を占めるかもしれません

 

 

 

なぜなら現代日本では、社会が各家庭に求める子どもの教育を果たせない家庭が、全体の8割に上るといわれているからでです。

 

 

 

ちなみにこれは、「機能不全家族」と呼ばれています。

 

 

 

 

またこの現象は、若いころの私が強烈な影響を受けて、地獄の苦しみを味わった原因でもあります。

 

 

 

さらに、いまこの記事を読んでいるあなたにも、強く該当することです。

 

 

 

正しい愛を知らず、歪んだ愛を押しつけられ育った青年には、もちろん社会の荒波を泳ぐ体力はありません。

 

 

 

また当然に、本人も慢性的に、理由もなくイライラしていたり、自信のなさに怯えていたりもします。

 

 

 

そうして多くの場合、そうした青年は自己存在や自分自身の人生を持てあまし、まともな社会人としての幸せが得られません。

 

 

 

なぜなら当人たちに「」がわからないのですから、当然に「人から愛される」ということもないからです。

 

 

 

ですからあなたをふくむ彼らは、もちろん自分の幸せを探すべき青年期にも、それを見つけられず、大人になっても不幸なままです。

 

 

 

失礼ですが、それは、これからなにもしなかった場合のあなたの10年後、20年後の姿ともいえます。

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第五章 感覚的快楽の奴隷となり、感情の不安定を補う生き方

 

 

 

 

 

ですが人間は、動物と異なり、自由意志と知恵をもった存在です。

 

 

 

よって、そうした「社会不適応者」ともいうべき人たちにも、なんとか生きていく術はあります。

 

 

 

その点を、見ていきたいと思います。

 

 

 

まず、幸福とは感情に安定と安心をもたらすものだということは、前述しました。

 

 

 

それに反し、感覚的快楽というものは、刺激的で強力で、中毒性があります

 

 

 

さらにはそのため、感覚的快楽は、人により強い刺激を求めさせ、エスカレートしていきます。

 

 

 

これは麻薬中毒者などを思い浮かべてみれば、すぐに理解できます。

 

 

 

彼らは感情の空洞を、感覚の強烈さにより、代替させようとしているのです。

 

 

 

麻薬にかぎらず、酒でもギャンブルでも性交渉でも、同様のことがいえます。

 

 

 

もしあなたが幸せを見出せないなら、たしかにそうしたものを享受し続けるという、生き方の選択肢も存在します。

 

 

 

ですがこの方法だと、ハマればハマるほどに幸せから遠ざかり、最後は破滅しかないのは、容易に理解できます。

 

 

 

 

第六章 富や名声を、ひたすら追い求める生き方

 

 

 

 

 

次にそうした人たちが目指す生き方は、富や名声をひたすら追い求め、自分の承認欲求を際限なく満たすやり方です。

 

 

 

 

これは、すでに巨万の富があるのに、どこまでも金儲けに固執する実業家。

 

 

 

あるいは、すでに安定した人気や収入があるのに、整形手術をくり返したり、過激な歌を発表し続けたりする、映画スターやロックスターなどが挙げられます。

 

 

 

彼らはたしかに、富や名声はある。

 

 

 

しかしそれは、一度得てしまえば簡単に消費されてしまうので、またさらなる富と名声を求め、彼らは暴走するのです。

 

 

 

そしてその末路は、変死、急死、若死になど、幸せとはほど遠いものだと、わかります。

 

 

 

 

 

第七章 自分の自我を殺して、即物的に生きる生き方

 

 

 

またさらに、そうした幼少期に「生きる喜び」を教えられなかった人の選択肢は、まだあります。

 

 

 

それは社会を捨てる、すなわちホームレスやその日暮らしになる道です。

 

 

 

 

これは一般の人からは、みじめで軽蔑や憐みをもって見られる生き方です。

 

 

 

しかしひょっとしたらですが、本人にとってみれば、考えようによっては、これは幸福なあり方なのかもしれません。

 

 

 

というのは、そういう人たちは一般社会での面倒ごとを嫌い、そこで「幸せになる」、「よく生きる」意志を捨てた者です。

 

 

 

意志を持たない人間は、性質が植物や物質に近くなり、主観的には不幸を不幸と感じなくなります。

 

 

 

いわば、ココロが凍りついた状態となるからです。

 

 

 

よって当然に、「愛情のぬくもり」も、感じられませんが。

 

 

 

さらにこれは、その上になることもない代わりに、それ以下もない状態で、ある意味では安定しています。

 

 

 

ですので、可能ならばそのまま死ぬまで、自我を持たず、自分を人間と思わなければ、もしかして本人は幸せかもしれないというのです。

 

 

 

さらに、たとえ定職を持ったとしても、ひたすらなにも考えずに「ボー」と、毎日を過ごす生き方、というのもあります。

 

 

 

これは、私が若いころにバイトをしていた、家電量販店の上司が、そのタイプでした。

 

 

 

彼はいつも、仕方なく仕事をしており、根本的にやる気というものがありませんでした。

 

 

彼は、当時流行っていた「モーニング娘。」の大ファンで、「モー娘。」だけが楽しみで生きているような人でした。

 

 

 

そうして自分の人生や仕事になにも期待していないため、部下やバイトにも、まったく甘かったのです。

 

 

 

彼の部下であった私にはありがたい存在でしたが、彼自身はそれが幸せだったかどうかは、わかりません。

 

 

 

というのは、家電量販店とは基本的にどこも、体育会系的であり、多くがブラックです。

 

 

そんなところでやる気も見せず仕事をしていたのですから、彼は毎日、後から入った後輩に叱られ続けていました。

 

 

 

またもちろん、彼は出世で大きく同僚に遅れ、他の社員からも軽んじられていました。

 

 

 

そんな毎日は、針のむしろだと当時の私は思いましたが、もはや彼は、自分の感性を殺しすぎており、もうなにも感じなくなっていたのかもしれません。

 

 

 

当時の私は、そんな忍耐力があるなら、そのチカラを自分の人生を改善させる方向に使えば、どれだけいいか、と思ったものです。

 

 

 

ですがもしかして彼には、その状態は完全に慣れっこになっていたのかもしれません。

 

 

 

ですからとくに意識しなくても、「バカにされて、つらい、悲しい、悔しい」とは、感じなくなっていたとも、考えられます。

 

 

 

 

 

もちろんあなたも、お望みならそんな生き方は、いますぐにでも可能です。

 

 

 

ですがあなたは、こんなページを見ている以上、そんな人生は絶対にイヤ、というより、そうなるのが怖いでしょう。

 

 

 

またこれからますます従業員の雇用が厳しくなる世の中で、こうした生き方がいつまで可能なのかは、予想がつきません。

 

 

 

ですので私はここで、とりあえず社会とは距離を取り、孤独でありながらも、生きがいのある生き方を、ここでご紹介します。

 

 

 

 

それは、これまで述べた、「人が一般的に幸せになる、2つの道」、

 

 

1,自分の専門を持ち、それを定職としながら、社会に根を下ろす。

 

 

2.愛する家族や友人を持ち、そのつながりのなかで、安定して生きる。

 

 

の、どちらでもありません。

 

 

 

そうではなく、あくまでアウトサイダー的でありながら、他者や愛や刺激などを必要としない、孤高の生き方です。

 

 

 

 

 

第八章 突き抜けた歴史的人物になろうとする道

 

 

 

 

 

それは、自分の人生をかけて、人類の文化・文明に貢献する業績を上げることに挑戦する、というものです。

 

 

 

これはとたえば、芸術や学問の分野で歴史的大作といえる作品を残す

 

 

 

あるいは社会の指導者になる道を選び、そこで人類社会に大きな改善をもたらすというものです。

 

 

 

これは、突拍子もない選択肢と、あなたは思うかもしれません。

 

 

 

ですが現代は、たとえ大企業に勤めていても、先が見えない世の中です。

 

 

 

ですからあなたは、いっそ仕事の合間に、自分の関心領域のなかから、大業を残すことを考えるというのも、道のひとつです。

 

 

 

これはまず、もちろん成功する確率は、大変に低いです。

 

 

 

なぜならあなたは、もしそれを選んだのなら、ご自分の認識レベルを歴史上の偉人なみに上げなければならないからです。

 

 

 

さらにもし、あなたにその可能性があり、偉業をなしたとしても、人から認められない場合が、非常に多いです。

 

 

 

この点は、歴史的な学者、芸術家などが、生前はまったく報われなかったという逸話がいくつも残っていることから、わかります。

 

 

 

またそこまでいかなくても、人生の大目標を打ちたて、それを実現することにのみ、毎日を過ごすという生き方もあります。

 

 

 

たとえばなにかの文化や芸術に、一生をかけて打ち込むというものです。

 

 

 

私はといえば、結果的に世界に衝撃をあたえる歴史や哲学の理論を打ち立てる、という道を選択してしまいました。

 

 

 

これは、私が若いころに心身ともに大病を患ったため、私は自分のココロの空洞を埋めようと、必死にいろんな学問を勉強したことが、きっかけです。

 

 

 

それ以後、研鑽は30年近くにおよび、すでに私だけが確立した歴史や哲学の理論も、数多く存在しています。

 

 

 

現在では、その仕事を補強し、数年後に確実に世界の人々に届かせようと、発表の手段を考察中です。

 

 

 

そのように、ほんの一歩、踏み出した自分の道を、1年、5年、10年、30年と歩み続けることで、見えてくるもの、得られるものもあります。

 

 

 

 

また私がある空手道場に通っていたころ、芸術理論の完成に人生を賭けている先輩、とかく空手を生きがいに、習練を積んでいる人たちも、いました。

 

 

 

私はといえば、もうすぐ50歳になろうというのに、青年期に学んだことを集大成し、世界に出てやろうという野望を抱いています。

 

 

 

そうした現在の私は、必ずしも幸福ではありませんが、少なくとも希望があります。

 

 

 

その理由は、私が過去に学んだことことは、それなりのものであったと、自負していること。

 

 

 

そして私は、危機感と将来への不安を持ちながらも、正統的な研鑽を実行してきたと確信しているからです。

 

 

 

また私は、その学問のおかげで、少なくともライターにはなれました。

 

 

 

これでさらに、自分のこれまでの思考を公表し、世界中から賞賛も批判も得られれば、きっと幸せになれると思います

 

 

 

なぜなら、たとえ賛意であろうが非難であろうが、世界から反応があれば、それは私の青春に意味があったことになるからです。

 

 

 

そうして結局、私は迷いながら選んだ自分の生き方自体には、後悔はありません。

 

 

 

なぜなら、修行の蓄積により精神力がついたおかげで、私はこの年齢になっても、夢を抱いて生きていられるからです。

 

 

 

また私は、どこに行っても実際より20歳近く、若く見られます。

 

 

 

それはもちろん、単に私の精神年齢が低いということもあるでしょうが、なにより私のココロが若いのが原因だと思います。

 

 

 

これは、私がライターをしていて気づいた事実です。

 

 

 

世の成功者の多くが、実年齢よりも若々しく見えます

 

 

 

それは彼らがつねに、少年のように挑戦を続けるから、彼らのココロも若いままなのだと思います。

 

 

 

 

 

第九章 3つの幸せのあり方は、同時実現が可能か?

 

 

 

 

 

さてここで、まずは原点に戻って、人が幸せになるには、どういう道があるか、そしてそうなるための方法の解説をしていきます。

 

 

 

基本的に、人は以下の3つの幸せになる方法があります

 

 

 

1.自分の専門を持ち、それを定職として、社会に根を下ろす。

 

 

2.愛する家族や友人を得て、彼らとの愛のなかで、毎日を幸せに生きる。

 

 

3.「社会」ではなく「自分」にのみに焦点を当て、他者との関係性ではなく、自分の行動や業績から、自分自身を幸福にする。

 

 

というように私は分類しましたが、あなたは「それらの両立は、できないのか」と訊いてきそうです。

 

 

 

 

お答えしておきます。

 

 

 

まずそれは、可能な場合もあります。

 

 

 

ですが原則としては、不可能と思っていたほうが無難です。

 

 

 

まずそれを実現するためには、相当な体力、精神力、意志の強さ、そして強運が必要となります。

 

 

 

たとえば、私が間接的に知っている人で、達人といっていいほど、優れた空手技術を持ち、実際におそろしく強い人物がいます。

 

 

 

彼は事実、これまで何人もの現役の一流プロ格闘家の挑戦を受け、これに打ち勝っています。

 

 

 

彼は、過去に会社社長を勤め、家庭を持ちながらも、多忙のなかで空手の修行をし、そうした地位を確立したのです。

 

 

 

くわえて彼はエンジニアでもあったので、多くの個人特許も持っています。

 

 

 

ですがその人は、もちろん若いころから、そうした自分の未来を想定し、現実にそうなったわけでは、ありません。

 

 

 

彼は、若いときに偶然、偉大な空手の師に出会い、大学を卒業してからも、仕事にも空手にも熱意をもって取り組んだ結果、そうなったというだけでしょう。

 

 

 

また、彼が空手技術を身につけていく過程で、それが彼の能力そのものも向上させたため、偶然、会社でも出世ができたのだと思います。

 

 

 

ですから、以上の3つの幸福、すべてを意図的に現実化させるというのは、凡人には厳しいと思います。

 

 

 

とくに3.は、それに打ち込むなら、まともな社会的成功や家庭を持つことを、あきらめた方がいい場合が多いです。

 

 

 

というのも、社会的な地位や家庭の存在が、彼のいく道の邪魔になる場合が多いからです。

 

 

 

その証拠に、近代の偉大な哲学者、芸術家には、生涯独身をつらぬいた者が多いです。

 

 

 

とくに哲学の分野では、有名な者のなかで結婚したのは、ヘーゲルくらいです。

 

 

 

デカルト、スピノザ、ロック、ヒューム、カント、ヴォルテール、ショーペンハウアー、ニーチェ、すべて一生、独身でした。

 

 

 

ちなみに「哲学」とは英語で「フィロソフィー」であり、これはもともと、ギリシャ語で「知を愛する」という意味です。

 

 

 

こうした現象は、以下の事実を指します。

 

 

 

人間とは動物と異なり、他者からの愛がなくとも、自分がなにかの対象を見つけ、それを愛して生きていける存在だということです。

 

 

 

ただし3.の場合、本人が比較的若いうちに成功者となれば、2.「愛する家族や友人を得て、彼らとの愛のなかで、毎日を幸せに生きる」との両立は可能かもしれません。

 

 

 

なぜなら3.を目指す人のなかで結婚しない人が多いのは、経済力に問題があるから、という理由が大きいです。

 

 

 

ならば、自分の仕事が社会に認められれば、むしろ彼のファンが増えるわけですから、結婚や、他者との友好関係を築くことは、充分にできるでしょう。

 

 

 

ただ彼は、その成功までに、いわゆる「常識」とは反する生き方をしている場合が多いです。

 

 

 

ですから芸能人や芸術家には離婚が多いし、有名人同士のケンカや仲たがいも、めずらしくありません。

 

 

 

ただし、1.の「自分の専門を持ち、それを定職としながら、社会に根を下ろす」と、2.の「愛する家族や友人を持ち、彼らとの愛のなかで、毎日を幸せに生きる」は、充分に両立可能だと思います

 

 

 

というのは、1.ができた時点で、彼は社会的な成功者です。

 

 

 

しかも実直な社会で成功した人ならば、いわゆる「良識」を身につけている場合が多いです。

 

 

 

ですから、自分の望む女性や、人格の優れた友人は、充分に得ることができるでしょう。

 

 

ここでは、3.で成功したような人のように、人間性が破綻していることが少ないため、人間関係でも問題は少ないかもしれません。

 

 

 

その場合、仕事人間になりすぎたり、裕福さから他の女性に浮気したりしなければ、2つの幸せは両立は可能です。

 

 

 

ではここで、上記3つの幸せを実現する方法を、それぞれ具体的に見ていきます。

 

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第十章 現在の仕事のなかで、自分を磨け!

 

 

 

 

 

まずは、「1,自分の専門を持ち、それを定職としながら、社会に根を下ろす」生き方です。

 

 

 

はじめに申し上げておきたいのは、昭和時代のような会社中心のライフスタイル、ビジネスモデルは、これからの時代には、確実に衰退します

 

 

 

時代の流れから見て、これからは個々人が自分の会社経営者になる。

 

 

 

そして個々で、あるいは他の人たちとチームを組んで、世界を相手にするビジネスを行うというスタイルに、社会が移行するものと、私は考えます。

 

 

 

ここではその根拠を詳細に述べる余裕は、ありません。

 

 

 

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これが書かれている2020年現在、アメリカでの副業をふくむフリーランス労働者の割合は、35パーセントほどに上ります。

 

 

 

ちなみに日本では、まだ17パーセントほどです。

 

 

 

ビジネス形態でも社会のあり方でも、アメリカのトレンドを20年遅れくらいで追うのが、戦後日本の特徴です。

 

 

 

ならば今後は、日本におけるビジネスのあり方も、アメリカのものに近くなっていくでしょう。

 

 

 

また、2020年6月現在で、いわゆる「テレワーク」が、コロナウイルス流行のため行われるようになりました。

 

 

 

これにより期せずして、日本型労働の非効率性、非合理性が明白となりました。

 

 

 

ムダに社員の時間も体力も気力も奪う、毎日の満員電車、無意味な会議、オフィスでの集団労働、無能で非生産的なくせに、給料だけ高い高齢社員の存在、等々……。

 

 

 

そしてあの天下のトヨタでさえ、「これからの時代は、終身雇用は不可能」と、認めてしまいました。

 

 

 

ならば考えられることは、もはや日本式経営をいくら経営者や労働者が望もうが、それではこれからの時代にもはや、ビジネスは立ち行かないということです。

 

 

 

よって、あなたがお若いのなら、「10年後か20年後、自分は自分の会社で、得意なことでビジネスをしている」と、考えておくべききです。

 

 

 

しかし現在の段階であなたがサラリーマンなら、じつはこれは、たいへんにラッキーなことなのです。

 

 

 

なぜなら、社員という立場であれば、給料をもらいながら、いろんな経験をさせてもらえるからです

 

 

 

つまり、会社はあなたにおカネをくれた上で、スキルをあたえてくれるのです。

 

 

 

また社員であり、さらに若ければ、どんな失敗をしても許されます。

 

 

 

たとえばあなたが、会社に数千万円の損失をあたえたとしましょう。

 

 

 

それでももちろん、上司から激怒はされるでしょうが、その数千万円を、あなたが弁償しろということには、決してなりません。

 

 

 

それはあくまで、あなたを信じて仕事をまかせた、あなたの上司や会社の責任です。

それによってあなたが失うものは、最大でも現在の職だけです。

 

 

 

もし会社をクビになれば、同業他社を探して、そこに再就職すればいいだけです。

 

 

 

あなたはせっかく、そうした恵まれた環境にいるのですから、そのなかで小さな蓄積、成功を重ねながら、あなたのスキルアップを図ればいいのです。

 

 

 

たとえ現在、あなたご自身にやりたいことが見つからないのなら、視野を広く持ち、会社の仕事を一般教養ととらえれば、いいでしょう。

 

 

 

若い人にありがちなのは、自分の観念だけですべてを判断してしまい、経験もないうちからすべてを決定してしまうということです。

 

 

 

ですがあなたは、もし「売れっ子 YouTuber になる本」を10冊読んだとして、すぐに「売れっ子 YouTuber」になれると思いますか?

 

 

 

絶対に、ムリでしょう。

 

 

 

何事も、一通りの理論を勉強したら、あとはひたすら実践です。

 

 

 

そして実践に行きづまりを感じたら、再度、基本に戻る。

 

 

 

どんなことでも、そのくり返しです。

 

 

 

あなたは仕事という実践のなかから、自分に向いていること、やりたいこと、得意なことを探し、それが見つかれば、そのスキルを深めればいいだけです。

 

 

 

そのため、会社の仕事はたとえ、くだらない慣習だったとしても、それに真剣に取り組みましょう。

 

 

 

なぜなら、そんなくだらないものであっても、それが生まれ、引き継がれてきたのには、必ずなんらかの理由があるはずからです。

 

 

 

例を挙げれば、日本の会社における長時間の会議や、重要事項の決定には必ずハンコがいるというハンコ文化などです。

 

 

 

あなたは働きながら、それを考え、現在の時代に合わせれば、それに代わりどういうものができるか、深く考慮するといいでしょう。

 

 

 

それがあなたの将来における、専門とするビジネスに転化される可能性は、大です。

 

 

 

要は、無意識で仕事をしない、ということです。

 

 

 

どんなことをするにせよ、必ずその背景を洞察するようにしてください。

 

 

 

いつの時代も、新たで偉大な発見というものは、そうして生まれるのですから。

 

 

 

そうして会社に残ろうが、起業しようが、あなたは青年期に培った実力でもって、社会に根を張ることを考えればいいのです。

 

 

 

するとあなたは、社会という共同体と共生していることになるのですから、将来はきっと、幸せになります。

 

 

 

なぜなら、社会があなたを必要としてくれ、またあなたも、社会に貢献することで、満足を得られるのですから。

 

 

 

 

 

 

第十一章 相手の立場に立ち、相手の気持ちを察して行動すれば、あなたはきっと人気者になれる

 

 

 

 

 

さて次に、「2.愛する家族や友人を得て、そのつながりのなかで、安定して生きる」という幸せへの実践を述べます。

 

 

 

まずこの点で重要なのが、たとえ相手が意中の女性であっても、あまり「異性」であることを意識しない、ということです。

 

 

 

しかし、「意識するな」と言われれば、なおさら意識してしまうのが、人間の困った習性です。

 

 

 

では、そうならないためには、どうすればいいか?

 

 

 

それは常日頃から、自分のまわりにいるどんな人にも、敬意をもって接することです。

 

 

 

自分の先輩には、謙虚に教えを請い、後輩には、自分の知っていることを教えてあげることを、自分自身の喜びにしましょう。

 

 

 

そうして女性に対しては、若い人にも年配の人にでも、一人の人間として、適度な距離感で接する習慣をつければいいです。

 

 

 

これは私の経験から言えますが、もしあなたが年上の女性に親切にされるタイプなら、おそらくあなたは、どんな女性にも好かれる素養があります。

 

 

 

私は少し前に、9割が女性ばかりという職場にいたことがありますが、そのときは相手が女性ということを意識しませんでした。

 

 

 

ただ話題とデリカシーだけは、注意を払いながら、だれにも気を配っていました。

 

 

 

すると私はそこで、すぐに人気者になり、もちろん若い女性にも、優しくされました。

 

 

 

女性を見下さず、かつ別の生物のように敬遠さえしなければ、あなたは女性への抵抗感が消えていきます。

 

 

 

当り前ですが、どんな女性も、女性である前に人間です。

 

 

 

ならば彼女なりに生きてきた歴史が、必ずあるのだから、彼女から学ぶつもりで、よく話を聴くクセをつければいいでしょう。

 

 

 

女性とは、自分の「」のみならず、「人格」に関心を持ってくれる異性を好きになります。

 

 

 

あなたはあらゆる場所で、そういう態度でいれば、若ければ出会いはあるし、つき合うチャンスも生まれてきます。

 

 

 

そこからその女性と、関係を深めていくことを考えればいいでしょう。

 

 

 

また女性にかぎらず、だれに対してもつねに「その人のため」と思って意識的に行動していると、あなたは自然と、だれからも好かれます。

 

 

 

 

そうすると、そんなあなたには、きっと多くの仲間が集まってくるでしょう。

 

 

 

もしあなたが、人とのつながりのなかで幸せを得たいのなら、そのように友人を増やしていけば、いいと思います。

 

 

 

 

 

第十二章 自分の行動に、すべて意味と目的意識をあたえ、大成功する道

 

 

 

 

さて最後に、「3.「社会」ではなく「自分」にのみ焦点を当て、他者との関係性ではなく、自分の行動や業績から、自分自身を幸福にする」について、述べます。

 

 

 

はじめに、自分の仕事が安泰であるならば、人はまずこの道を選びません

 

 

 

これは、アメリカの調査であったことです。

 

 

 

学生時代に憧れの仕事があった場合に、貧乏覚悟でその道に入って夢をかなえるか。

 

 

 

あるいは安定した仕事で成功してから、その後にその道を選ぶかの追跡調査が行われました。

 

 

 

その結果、20~30年後に判明したことがあります。

 

 

 

まず、前者の道を選んだ人のうち、約4分の1が、実際に富裕層になっていました。

 

 

 

ところが後者の場合は、調査対象が1,000人以上いるなかで、夢を実際にかなえたのは、なんとたった1人だったそうです。

 

 

 

そのように、人は現在が満ち足りていたならば、それを失うリスクを負ってまで、古い夢を追いません。

 

 

 

またネットビジネスの世界でも、成功者はほぼ例外なく、過去にさまざまな深刻な問題に苦しめられていた人ばかりです。

 

 

 

過去に貧困、自殺未遂、ブラック企業勤務、コミュ障によるコンプレックスに苦しめられた、親の借金を背負うことになった、などという人がほとんどです。

 

 

 

ですからもしあなたが、現在の状況に満足しているのなら、あえてこの道は選ばなくてもよさそうです。

 

 

 

ところが現代は、大企業でもどんどん潰れ、その社員も、平穏とはいってられない時代です。

 

 

 

そうした将来に不安を覚えるなら、あなたは働きながら、自分の生涯をかけて生きる道を、若いうちに探せばいいでしょう。

 

 

 

そういう私はといえば、育ちの問題から、青年期には心身にわたる深刻な大病に苦しめられました。

 

 

 

なのでその時期には、その状態から脱出することで精一杯で、社会に根を下ろすことも、恋愛を成就させることも、できませんでした。

 

 

 

だが私はその青年期に、「この期間を、闘病だけで終わらせてたまるか!」と思っていたので、そこから多くの学問を学んだという次第です。

 

 

 

その結果として、私はライターになれました。

 

 

 

ですが私は、これを天職だと、まったく思っていません。

 

 

 

現在の私は50歳を目前にしていますが、それでも依然、「いつか自分の業績をもって、世界に出てやる!」という野心を持っています。

 

 

 

そうしうわけでいまの私は、あまり幸せではありませんが、少なくとも希望に満ちています。

 

 

 

私は、不幸だった過去の報いに恵まれているといって、いいでしょう。

 

 

 

なぜなら、「過去に苦しんだ自分の経験を、そのまま終わらせてたまるか!」という生きる目的を得ているからです。

 

 

 

私がそう思えるのは、私が過去に習得した学問が本物であり、それが私のなかで蓄積され、私の実力へと転化されたという自負があるからです。

 

 

 

そうしたことから結局、私は 3. の生き方を余儀なくされたということです。

 

 

 

ですが、私のなかで積み重ねられたもののおかげで、私は未来に夢を持てています。

 

 

 

また私は、この年齢になっても、どこでも20歳ちかく、若く見られます。

 

 

 

その原因のひとつは、私のココロが若いからだと思います。

 

 

 

というのは、何事にも挑戦しようとする人は、肉体にも精神にも若さが必要だからです。

 

 

私は多くのことに挑み続けていることで、結果的に若いままだといえます。

 

 

 

さらに、そうした生き方をつらぬいたおかげで、私は現在でも、1.と2.の道が、わずかでも残されています。

 

 

 

つまり私は、自分の業績さえ社会に認められれば、まだ通常の社会人にもなれるし、結婚することも可能です。

 

 

 

ですから、あまりオススメしませんが、もしあなたが3.の道を選ぶのであれば、私から言えるのは、一つです。

 

 

 

とかく、若い現在を無意識・無自覚に生きないことです。

 

 

 

わずかでもいいから、自分のすることに意味と目的意識を持たせ、自分の選んだことを投げ出さず、自分のなかに蓄積させていってください。

 

 

 

 

そして、どんなもののなかにも、なんらかの発見を見出す習慣を、身につけてください。

 

 

それは中年期以降になれば、あなたの内部で、あなたの大きな実力となるでしょう。

 

 

 

そのチカラは、あなたの同世代の人などとは、比較にならないほどの実力に変わります。

 

 

そのように、どの道を選ぶにせよ、あなたはご自分のチカラで、あなただけの幸せをつかんでください。

 

 

 

 

まとめ

 

 

 

 

まず幸せとは、「愛におおわれた、安定状態」であり、幼少期には万人に保証されたものでなくていけません。

 

 

 

また「」とは、同種にある個々の区別を解消し、ひとつにまとめ、個に「自分は、一人でない」と、幸せを感じさせる、観念の作用です。

 

 

 

しかし人は「青年」になると、自分のチカラで自分の幸せを見出さなければ、ならなくなります。

 

 

 

ところが現代の文明社会においては、「愛」は各家庭のなかで歪められ、正しい愛を享受できない子どもが増えています。

 

 

 

そうしたなかで、愛がなくとも生きられる代替行為は、いくつかあります。

 

 

 

たとえば、カネと名誉を追い求める、感覚的快感を追及する、自分の自我を捨て、すべて流されて生きる等です。

 

 

 

それでも現代では基本的に、幸せになれる道は、基本的に3つあります。

 

 

 

それは、以下になります。

 

 

 

 

1.自分の専門を持ち、それを定職として、社会に根を下ろす。

 

 

2.愛する家族や友人を得て、彼らとの愛のなかで、毎日を幸せに生きる。

 

 

3.「社会」ではなく「自分」にのみ焦点を当て、他者との関係性ではなく、自分の行動や業績から、自分自身を幸福にする。

 

 

 

どれも大変な道ですが、「自分の幸せは、自分の手で獲得する」。

 

 

 

その覚悟で、あなただけの幸せを、見つけ出してください。

 

 

 

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自己紹介 ほんわか

みなさん、はじめまして。(*^^*)

ほんわかと申します。

私は現在は、雑誌ライターさんなどやってます。
成長過程での歪みにより、発達障害やアトピーを、50年近く患い、30年以上かけてほぼ完全に克服しました。

 

その過程で、多くの学問、健康法、整体術などを習得し、自分と同じような立場の人、100人ほどの相談に乗ってきました。

 

またネット上のものも含めると、これまでに私がアドバイスしてきた人は、500人以上に上ります。

 

ちなみにその成果として、下記のようなサイトも立ち上げています。(^^ゞ

 

よろず人生問題を、哲学的方法でズバリ解決!悩みよ、さらば
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