孤独は若者にとっては、悪いものではない。苦痛に耐え、自分を磨いて、孤独から抜け出せ!

はじめに

 

 

現代では「孤独であること」が、むかしよりは、社会的に認められるようになりました。

 

 

たとえばバブル期以前ですと、いつも一人でいる人は、「ネクラ」として、「集団に加われない、社会不適合者」のような、あつかいでした。

 

 

 

よって、みんなで群れることが当り前の時代には、みんな「ネクラ」と思われたくなくて、行きたくもないパーティーやスキーなどに、行ったりしていました。

 

 

 

ところが昨今では、一人ぼっちを指す「ぼっち」が市民権を得てきたようで、「ぼっち」であっても、とくにバカにはされません。

 

 

 

いや、むしろ「ぼっち」でいる人のほうが、現代ではひょっとして、多数派を占めるかもしれません。

 

 

 

とくに、若者のあいだでは。

 

 

 

いまや、大学の学食などでの「一人飯」は、当たり前のものになってきている感があります。

 

 

 

ですが、いくら「ぼっち」が社会的に認められようが、当の「ぼっち」の人たちは、それで完全に満足しているというわけでは、ありません。

 

 

 

「ぼっち」でいるということは、他者に気を遣わなくていいので、一面ではラクですが、一方で、とてつもない孤独を感じていたりもします。

 

 

 

その点は、私が申し上げなくても、失礼ながら「あなた」が日頃から感じている想いだと、思います。

 

 

たとえゲームやSNSなどで人とつながれても、その満足は、スマホの電源を切ると同時に終わります。

 

 

よってこのページでは、なぜあなたは「ぼっち=孤独」なのか、孤独とどう向き合えばいいのか、孤独であることで、何が得られるか、ということを述べていきます。

 

 

 

 

 

第一章 そもそも「孤独」とは、何か? それは、あらゆる苦しみ、悲しみの根源

 

 

 

 

 

でははじめに、「孤独」とは、どういう状態を指すのでしょうか?

 

 

 

 

 

これは、他者から孤立しており、物理的にも精神的にも、他人とつながれない様子
をいいます。

 

 

 

ですから、たとえ人が身近にいても、他人と簡単に打ち解けられない、あなたのような不器用な人は、余計に孤独をつよく感じたりもします。

 

 

 

2020年の現在から30年近く前の1992年に始まった、テレビアニメ「幽遊白書」のオープニング、「微笑みの爆弾」の歌詞は、そうした心情を秀逸に表現しています。

 

 

 

 

♪ 都会の人ごみ 肩がぶつかって ひとりぼっち

 

果てない草原 風がビュビュンと ひとりぼっち

 

 

どっちだろう 泣きたくなる場所は

 

2つ丸をつけて ちょっぴりオトナさ ♪

参照 http://j-lyric.net/artist/a00b712/l01298f.html

 

 

またとくに、「恋人がいない」等の物理的な人肌恋しいさびしさは、大人になるほど顕著になっていきます。

 

 

そうして、一時的に孤独を癒そうとする大人が常連となるからこそ、風俗店があれだけ繁盛するのです。

 

 

 

また孤独とは基本的に、動物であれ人間であれ、もっともつらい状態を指します。

 

 

 

なぜなら、動物や人間のような生命体とは、基本的に同志とのつながり(=愛)がなければ、生きていけない存在だからです。

 

 

 

また原則として、動物や人間が感じる、あらゆる苦しみや悲しみは、孤独に由来します。

 

 

なにかを失った、大切な人が亡くなった、失恋、貧困、生活苦、人間関係のまずさ、容姿コンプレックス、仕事の苦しさ、病気、物理的苦痛、等々。

 

 

すべてが、そうです。

 

 

 

私がそう述べると、以下のような反応が返ってきそうです。

 

 

 

「え、いくらなんでもそれは、拡大解釈のしすぎじゃない? 第一、生活苦や容姿コンプレックス、物理的苦痛って、何よ? 孤独と関係ないじゃん」。

 

 

 

ところがやはり、孤独とは、あらゆる苦しみ、悲しみの根源であり、またあらゆる苦しみ、悲しみは、孤独へとつながるのです。

 

 

その点を具体的に、次章で述べていきます。

 

 

 

 

 

第二章 すべての苦しみ、悲しみは、孤独に通じる

 

 

 

 

 

まず「なにかを失った」、「大切な人が亡くなった」、「失恋」という現実が引き起こす孤独感は、すぐに理解できるでしょう?

 

 

 

その喪失感たるや、どんなに泣いても足らず、胸が引き裂かれそうで、とてもじゃないが、じっとしていられないような心境になります。

 

 

 

また、幸せのなかにも、孤独の種はひそんでいます

 

 

 

たとえば、恋人といい状態でつき合えていたとしても、いろんな不安はあなたのココロに忍び寄ってきます。

 

 

 

相手の心変わりや、デートの終わり、なにかの事情で、もう彼女には会えなくなるのでは、という不安は、絶えずあなたにつきまといます。

 

 

 

その恋や恋人が素敵ならば、その見返りとしての孤独もまた、比例して大きくなっていきます。

 

 

 

次にここで、「貧困」というものを考えてみましょう。

 

 

 

これはもちろん、物質的、金銭的に困窮することを指します。

 

 

 

ですが「貧困」が人にもたらす感情は、「自分は、一般の人が享受している豊かささえ、得られない」と、いうものです

 

 

 

人はどうしても、物事を相対的に考えてしまいます。

 

 

 

たとえ貧乏であって、なんとか食べていけるレベルの人でも、「食えるんだから、いいじゃん」と開き直れる人は、少数派です。

 

 

 

どうしても自分を他人とを比較して、落ち込んでしまう人が大半です。

 

 

 

「俺の同僚たちはみな、毎回、外食なのに、俺はいつもあり合わせのもので、弁当を自炊するしかない、不公平だ」という感じで。

 

 

 

そこから、「おカネがない」という現実以上に、「自分は、人並みの生活もできない」という疎外感のほうが苦しいという人は、多いです。

 

 

さらに、人間関係のうまくいかなさでも、若いうちはとくに、小さな問題でも、大きな孤独を感じるものです。

 

 

 

たとえば、特定の同僚や、会社のチームと相性が悪いというだけなのに、それを「自分は会社で、孤立している!」と、とらえてしまう人は多いでしょう。

 

 

 

たとえ、その人が勤める会社が、業務上においてそれほど人間関係が重要でないところであっても、そんな人は他者との関係を気にします。

 

 

 

そして、感じなくてもいい孤独を味わい、落ち込んだりします。

 

 

 

あるいは「自分は、社会不適合者だ!」というように、わずかな孤独から拡大解釈するのも、若いうちには、よくあることです。

 

 

 

またちなみに、「友情」については、17世紀フランスの文学者、ラ・ロシュフーコーが以下のように述べています。

 

 

 

〇世間の人が友愛と呼んでいるものは、ただの社交、欲望の駆け引き、親切のとりかえっこに過ぎない。

 

 

 

実際に、意味もなくつるんでいる人の多くは、「この人たちと一緒にいたい」という思いより、孤独が怖いから、そうしているという場合がほとんどでしょう。

 

 

 

さらに「容姿コンプレックス」というのは、一見、個人的な問題に思えます。

 

 

 

しかしそれに苦しんでいる当人からすると、その自分の容姿以上に、その容姿が社会や集団のなかでもたらす結果に、苦しみます。

 

 

 

たとえば、他人から嫌われ、なめられ、仲間はずれにされる。

 

 

 

あるいは、異性にはまったく相手にされず、いつまでも恋人ができない、等々。

 

 

 

さらに人は、仕事の最中でも、それがイヤイヤやっているものならとくに、自分だけは、この作業にいつまでも埋没させられる。

 

 

 

といった疎外感に苦しめられ、それが「自分だけ」という思い込みにつながったりします。

 

 

 

くわえて病苦や物理的苦痛についても、人はそれがもたらす痛苦以上に、その苦しみを味わっているのが、自分だけという事実に、より苦しめられます。

 

 

 

この点は、あなたも、自分が大病で寝込んだとき、スネに木材がぶつかって、激しい苦痛を感じているときなどを、思い出せばわかると思います。

 

 

 

そうした短期的な苦痛による孤独については、その痛みをもたらしたものがなくなると、消え去るのが通常です。

 

 

 

あなたも、病気やケガで苦しんでいたときに感じていた孤独は、それが治れば、一緒にいなくなったことを、覚えていると思います。

 

 

 

また一時の失恋等、短期的なものについては、そのときには地獄の孤独を味あわされるものもあります。

 

 

 

ですが時間が経てば、もう覚えてもいないほど、克服できるものが大部分です。

 

 

 

 

 

第三章 孤独感の代替物には、どんなものがあるか

 

 

 

 

 

そのように、多くの孤独感は、その原因となっているものが消滅すると同時に、消えるのが通常です。

 

 

 

しかし、そうでない場合も、もちろんあります。

 

 

 

それは当然、孤独を呼ぶ原因が、なかなかに消えがたいものを持っている人たちの場合です。

 

 

 

例を挙げれば、精神病者、他人や社会にコンプレックスを持っている人、または社会的弱者などの孤独は、基本的に消えません。

 

 

 

ですので、解消されない孤独を抱えている人たちは、それを埋め合わせようと、さまざまな代替的行為を行います。

 

 

 

例を挙げれば、以下のようなことになります。

 

 

〇寂しい億万長者が、さらなる蓄財をする。

 

〇たがいにそれほど好き合っているわけでもない男女が、ずっとつき合い続ける。

 

〇男性の場合は風俗店に、女性の場合はホストクラブ等に通いつめる。

 

〇文化的活動や、芸術、学問等に没頭する。

 

〇近代の芸術家、哲学者は、生涯独身の者が多かった。
この場合は、文化活動そのものが、孤独の代替の場合としてもある。
また同時に当人の育ちから、人間同士のつき合いができないため、最初から文化活動に没頭する場合もある。
また、ニーチェのような女性嫌いの哲学者は、女性や恋愛にかんする数多くの皮肉な名言を残している。

 

〇オタク趣味に走る。これは非常に、わかりやすい例。彼らのアイドルやアニメ、サブカルなどへの偏愛は、通常の異性愛が歪んだもの。
「異性を一人の人間として、受け入れられない」という彼らのココロの未熟さが、「異性への関心」を、オタク趣味に変換させる。

 

 

 

 

上記のように、孤独はその代替として、人間に多くのことをさせています。

 

 

 

これは、社会や他人にとって、好ましいことも、そうでないことも、です。

 

 

 

ですが肯定的な部分に着目すれば、事業を回す、文化を残す等、多くの業績もあります。

 

 

よって、孤独の代替的行為すべてを否定すべきでは、ありません。

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第四章 つらい時期に、あえて自らを試練に置き、より強くなれる時期。それが青年期

 

 

 

 

 

ですが一般論としては、人は自ら孤独になる権利を保障されつつも、孤独から逃れる権利もあたえられるべきです。

 

 

 

なぜなら前述したように、基本的に、あらゆる不幸の根源は、孤独にあるからです。

 

 

 

近代社会では、「幸せは、自分でつかむもの」という前提があります。

 

 

 

ならば当然、万人には幸せになる機会があたえられなければ、いけません。

 

 

 

とくに幼児や小さな子どもは、孤独であることは望ましくありません。

 

 

 

なぜなら彼らは、自分の生きる環境を選べないからです。

 

 

 

また、小さな子どもは自我が未熟なため、孤独の状態に置かれれば、人間関係が希薄になり、精神が発達しない場合もあります。

 

 

 

基本的に群れをなして生活するサル科である人間は、他者とのふれあいがなければ、ココロが育ちません。

 

 

 

ならば、孤独状態に置かれた子どもは、それが発達障害の原因ともなりかねません。

 

 

 

私はといえば、元来の内向的気質にくわえて、歪んだ家庭環境で孤独に育ったため、青年期以降は精神病を発病しました。

 

 

 

この点については、以下のページの第一章から第六章までを、参考にしてください。

 

 

 

「自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。その原因と克服法を教えます」
http://nayamimuyou.net/cocolo/自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。そ.html

 

 

 

孤独とはつまり、「愛から遠ざけられた状態」を指すのですから、原則として人は、孤独が前提の人生を送るべきでは、ありません。

 

 

 

しかし例外的に、人が孤独であることが望まれる時期が、存在します。

 

 

 

それが、青年期です。

 

 

 

この点は、ドイツの文豪、ゲーテも以下のように述べています。

 

 

 

〇孤独はよいものです。自分自身と平和のうちに生き、何か達成すべきしっかりしたことがあれば。

 

〇もちろん、世の中に出ながら、孤独で通そうというのは、常軌を逸した行為と思われる。

 

〇才能は孤独のうちに育ち、人格は社会の荒波の中で最適に形成される。

引用 『ゲーテ格言集』 新潮文庫

 

 

 

こうした状態が許されるのは、「人生」に対して本格的に出て行く前の、「青年期」にしか、ありません。

 

 

 

もしあなたが、会社で重要な役職に就いてしまったり、家庭を持ったりしてしまえば、望んでも孤独には、なれません。

 

 

 

またこれについて、もっと深く知りたければ、当サイトの以下のページを、参照にしてください。

 

 

 

「幸せ」の哲学的定義とは、「個人の社会的究極目標」。あなたが幸せになれる3つの方法
http://nayamimuyou.net/jinsei/happiness.html

 

 

 

他のページでも何回も述べましたが、青年期とは、少年期と壮年期の中間にあり、子どもでもあり、大人でもある年ごろです。

 

 

 

しかし人は青年期に、少年とは異なり、自分で生きる環境を選べます。

 

 

 

さらに、青年期において人は、肉体、精神、社会属性のすべてが成長過程という中途半端な状態に置かれるので、どうしても孤独になります。

 

 

 

ですが、この時期にあえて自分を孤独という試練に置くことにより、人はより強くなることができるのです。

 

 

 

 

第五章 ドラマ「炎の犬」に見る、孤独により鍛えられる魂

 

 

 

 

この点を、2020年の現在からもう40年近く以前の1981年に放送されたドラマ、「炎の犬」から見てみましょう。

 

 

 

「炎の犬」は、犬が主人公である、成長ドラマです。

 

 

 

ストーリーは、以下です。

 

 

 

エンジニアである中江淳司が家長をつとめる中江家では、猟犬である2匹の犬を飼っていた。
母犬は優秀なラン、子犬はダメ犬のリュウ。
中江家の長男である憲司は、自分のダメなところと重なるリュウを愛していた。
ある日、ランとリュウは猟に連れていってもらうが、リュウはイノシシと猟銃の銃声に驚き、そのままいなくなってしまう。
憲司は必死でリュウを探すが、どうしても見つからない。
リュウもまた、自身の帰巣本能にしたがって中江家に帰ろうとするが、偶然にも野犬の群れに出会い、彼らと行動をともにする。
そのころちょうど中江家でも、淳司が事件に巻き込まれ、行方不明となってしまう。
リュウは野犬たちとさまざまな経験を積み、たくましく成長していき、やがて野犬たちのリーダーとなる。
そして誘拐され、かろうじて脱走した淳司は、偶然にも山中で成長したリュウに出会い、リュウに事件のカギとなるものを託し、息絶える。
紆余曲折を経て、事件は解決するが、リュウは自身が平和に過ごした中江家での生活ではなく、野犬のボスとしての生き方を選ぶ。
泣き叫ぶ憲司に背を向け、リュウは仲間がいる原野へと向かう。

ドラマ「炎の犬」のオープニング一場面

参照 https://hobby.red-cm.com/tv_drama/「炎の犬」「黄金の犬」そして「警視k」〜日テレ

 

 

 

この場合、たしかに主人公は犬のリュウですが、リュウの生き様を青年の人生に置き換えてみると、多くのものが見えてきます。

 

 

 

リュウは子犬でなくなる時期に、一人で生きていかねばならない状況に直面します。

 

 

 

そうして孤独に耐え、数々の試練を乗り越え、野犬のボスとして強くなっていきます。

 

 

 

そして大人になったリュウは、中江家や母犬ランとの生活よりはるかに過酷な、野犬のボスとしての生き方を選びます。

 

 

 

そのように人とは、孤独の青年期に耐えて強くなれれば、後は自由意志により、どのような生き方も可能になるのです。

 

 

 

さらにリュウが、野犬のボスとしての生き方を選んだのは、それがどんなに過酷であっても、同種の野犬たちとの同志愛があるからでしょう。

 

 

 

そのように青年期の孤独とは、人を極限まで強くする作用があるのです。

 

 

 

もしあなたがその状態に苦しんでいるのであれば、その時期にしかできないことを探し、可能ならば、さらに過酷な人生を生きてもらいたいと思います。

 

 

 

その経験はあなたを、どこまでも強くするだろうからです。

 

 

 

ただし、ムリをしすぎるのは、よくありません。

 

 

 

あなたが苦しみに耐えるのは、あなた自身を強くするためであり、決して破滅させるためでは、ありません。

 

 

 

そのことを念頭におき、孤独に鍛えられてください。

 

 

 

ところでちなみにですが、「炎の犬」の主題歌である「サンセット・メモリー」は、究極の名曲です。

 

 

 

ここには、「孤独」におかれた人間の心情が、最高の文学レベルで表現されています。

 

 

 

とくに、以下の部分に。

 

 

 

♪ ブロンズの 風の中 きらめくメモリー

しあわせを手放した 人は迷い子 ♪

 

 

 

「サンセット・メモリー」自体は、いくつかの動画サイトにアップされていますので、元来は違法ですが、よろしければ、ぜひ聴いてみてください。

 

 

 

もし現在のあなたが「孤独」を持て余しているのなら、この上なく共感できるものと、信じています。

 

 

 

孤独に耐えられないときには、救いの言葉や曲を聴く以上に、孤独を突きつめた作品を鑑賞するほうが、救いになるということが、往々にしてあります。

 

 

 

全体の歌詞は、下記に挙げておきます。

https://www.uta-net.com/song/5851/

https://nayamimuyou.net/メルマガ登録ページ

 

 

 

第六章 青年期の孤独をバネにした、私や哲学者、ヘーゲルの場合

 

 

 

 

 

さて、ここでは私自身の青年期はどうだったかを、述べたいと思います。

 

 

 

これは、育ちの問題からくる心身にわたる歪みが、私の青年期初期に病気として爆発したため、とてつもない孤独を味あわされました。

 

 

 

これについてくわしく知りたいなら、下記ページの第七章、「私が、自分自身の倫理を自分で構築するようになった理由」を、お読みください。

 

 

 

 

 

「自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。その原因と克服法を教えます」
http://nayamimuyou.net/cocolo/自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。そ.html

 

 

 

 

私が20歳くらいのころは、精神病のため、他者との共感が持てずにいました。

 

 

 

そのあまりの惨状から、私の精神科の先生には、以下のように言われました。

 

 

 

「君はまるで、『巨人の星』の主人公、星飛雄馬みたいだね。何重にも大リーグ養成ギブスを着せられてるみたいだ。でも、それが外されたときには、偉大なチカラを発揮できるかもしれないね」。

 

 

 

そこで私は、「ならば、この悲惨な環境を逆手に取り、自分を高めてやる!」と、決断しました。

 

 

 

とかく私は孤独でしたが、それは逆にいうと、「だれにも邪魔されない」ということでもあります。

 

 

 

その環境にいて私は、学問や武道におおいに打ち込みました。

 

 

 

いつか自分を覆っている「孤独」という名の鎧が取れて、本格的に社会に出る日のために。

 

 

 

もちろん、私がそうした自己研鑽を始めた当初は、それが自分の未来に、具体的にどうつながるのか、まったくわかりませんでした。

 

 

 

当然に、そうして進んで行った先にあるゴールについても、まったく見えていませんでした。

 

 

 

ですがとかく、私には「やるしかなかった」のです。

 

 

 

そうしたことから私は、「最初の一歩」を踏み出しました。

 

 

 

そしてまわりも見えないままの暗闇にあって、数年後、自分が手探りに進んだ一歩一歩が「道」になっていたことに、気づいたのです。

 

 

 

つまり、自分に一定の実力がつき、自分の人生の方向性が見えてきたということです。

 

 

 

そうした経緯で私はライターになれたし、かつ健康にも近づけ、いろんな可能性を帯びた現在の自分へとつながれたのです。

 

 

 

私がこの30年近くに行ってきたことは、ほぼすべて、自分が孤独の淵に落とされなければ、できなかったことばかりです。

 

 

 

またもちろん、通常でしたらそんなところに、自分の主体的な意志で飛び込もうとは、しなかったでしょう。

 

 

 

私などと並行して述べるのは恐れ多いですが、ここで私同様に、青年期の孤独により実力を培い、大成した大哲学者、ヘーゲルについても、述べます。

 

 

 

まずヘーゲルは、18世紀のドイツに生まれ、「近代哲学の大成者」と、呼ばれる人物です。

 

 

 

哲学史上での実力や重要性では、間違いなくトップクラスです。

 

 

 

彼に比肩できる哲学者といえば、2500年の哲学史上のなかでも、アリストテレスかカントだけです。

 

 

 

そのヘーゲルですが、彼が若いときに哲学者を志したとき、大学での指導教官から、「哲学の才能、なし」の烙印を押されています。

 

 

 

ですがヘーゲルは大学卒業後、貴族の子弟の家庭教師を勤めながら、コツコツと地道な研鑽を積んでいきます。

 

 

 

一方で世間では、ヘーゲルより5歳年下の、神学校時代の友人である哲学者シェリングが、若いうちから華々しく活躍していました。

 

 

 

その陰でヘーゲルは、ナポレオン戦争のなかにあって大学講師などをしながら、自分の哲学体系を着実に構築していったのです。

 

 

 

そうしてヘーゲルが37歳のとき、ようやく彼の代表作ともいえる『精神現象学』の出版に至ったのです。

 

 

 

その後のヘーゲルは、ギムナジウムという学校の校長を勤めたりしながら、『エンチュクロペディー』、『大論理学』などを発行し、自分の足場を固めていきます。

 

 

 

やがてヘーゲルが46歳のとき、念願だった大学教授の職にも就き、「第一級の哲学者」という評価も獲得したのです。

 

 

 

その後のヘーゲルは、61歳でコレラにより急死するまでに、哲学界の絶対的権威として、哲学界の頂点に君臨し続けたのでした。

一方、若くから華やかに活躍していたヘーゲルのライバル、シェリングは、年ごとに格が落ちていきました。

 

 

 

現在から見ても、ヘーゲルは「近代哲学の大成者」、「史上初の、哲学を完成させた人物」ですが、シェリングは「カントからヘーゲルへの橋渡し」という程度にしか、評価されていません。

 

 

 

 

第七章 「なりたい自分になる」のなら、孤独からは逃げない

 

 

 

 

 

上のような内容を読んでも、現在、孤独にある若いあなたが、そこから安易に救済されることのみを願うのは、もちろん自由です。

 

 

もしあなたがいまの孤独に耐えられずに、おかしくなってしまいそうであるならば、即席の優しさや友情等にふれると、いいでしょう。

 

 

 

たとえば、それほど親しくない人たちと、ずっと群れる、水商売の女性に優しくしてもらう、エンタメ・コンテンツに没頭する等です。

 

 

 

しかし当り前ですが、そうした行為は、あなたの孤独を根本から解決してくれるものでは、ありません。

 

 

 

それどころか、場合によっては、「自分が将来、強くなるチャンス」を、自ら放棄するものになりことも、ありえます。

 

 

 

ですがそれらは、一時的にせよあなたを孤独から遠ざけ、あなたに自身を客観視させることもあるということは、否定しません。

 

 

 

そのときのあなたにまだ、「自分を成長させたい」という意志があるのなら、あなたはそこから、「自分は今後、どうするべきか」と、考えればいいでしょう。

 

 

 

またもし、その結果としてあなたが、「もうメンドーだから、ごちゃごちゃしたことは、考えない。生きるように、生きるさ!」と結論を下しても、仕方はありません。

 

 

 

そもそもが、孤独などというものには、大部分の人間が耐えられません。

 

 

 

たとえば私は、学生時代やフリーター時代に、おカネに困っているわけではないのに、バイトのシフトをフルに入れている人たちを多く見てきました。

 

 

 

彼らは文字通り、昼も夜も関係なく、365日、働くのです。

 

 

 

当時の私は、「なんであの人たちは、若いときの自分の時間をすべて売るなんて、もったいないことをするんだろう?」と、不思議に思っていました。

 

 

 

ところが、いまになると、彼らの気持ちもわかります。

 

 

 

とかく彼らは、自分の孤独と直面するのが、怖かったのです。

 

 

 

孤独の時間は人に、「お前の人生は、本当にこれでいいのか?」、「お前は、どういう未来を生きるのだ?」と、真剣に問うてきます。

 

 

 

その圧力に耐えられず、彼らはバイトに没頭していたのです。

 

 

 

たとえバイトであろうが、それは仕事であることには、違いありません。

 

 

 

ならば少なくとも後になって、「自分は若いころ、たくさん働いてきた」と、自分自身に対して言い訳できます。

 

 

 

たとえ未来の彼らが、自分の望んだものでなくても、そうして自分自身に対するアリバイには、なりえるのです。

 

 

 

そうしたわけですので、もしあなたが将来、「自分で納得できる自分」になりたいのなら、孤独から安易に逃れるのは、止めたほうがいいです。

 

 

 

 

 

第八章 自分に満足のいく人生を送れる人は、1割もいないという現実

 

 

 

 

 

もしあなたが、自分の人生に悔いを残したくないなら、若いうちに、以下のことをするといいです。

 

 

 

それは、「自分の人生全体のなかから、『現在の自分』を俯瞰する」ということです。

 

 

 

そこからあなたは、「いま自分は、何をすべきか」と考えるのです。

 

 

 

可能性とは、若さが失われていくにつれ、少なくなっていくものです。

 

 

 

ところで、オーストラリアの看護師、ブロニー・ウェアさんは、人の最期を多く看取ってきました。

 

 

 

2010年ごろ、そのウェアさんが死にいく人たちが残した後悔で、もっとも多かったのは、以下のことだったと述べています。

 

 

 

〇人目を気にせず、自分らしく生きればよかった。

 

 

 

近代とは、個人が自分の望む人生を、自己責任で選択できる時代です。

 

 

 

ですが、実際にそれを現実化できる人は、全体の1割もいないと、私は思っています。

 

 

 

その根拠ですが、なにかの事業を起こしても、成功といえるレベルに達するのは、良くても7~8パーセントという事実があるからです。

 

 

 

そうしてその数字は、本人の能力以上に、努力や忍耐力に負うところが多いです

 

 

 

つまり、原則としてあきらめない人だけが成功できるけど、そんな人の絶対数自体が少ない、ということです。

 

 

 

厳しいようですが、これが現実です。

 

 

 

 

 

第九章 やると決めたら、言い訳しない。実践のくり返しあるのみ

 

 

 

 

 

さて、それでももしあなたが、「孤独のなかから、自分の生きがいを見出す」という意志があるとします。

 

 

 

 

ならば私から言えることは、「まずは読書から、始めるといい」です。

 

 

 

そうしたことはすでに、私が当サイトでいくつか述べているので、そちらも参考にしてください。

 

 

「つまらない毎日をあなたが送るのは、あなたがつまらない人間だから。毎日が楽しくなる方法を、教えます!」
http://nayamimuyou.net/jinsei/tsumaranaimainichi.html

 

 

「何もしたくなくてつらいあなたへ。その原因と対処法、教えます!」
http://nayamimuyou.net/cocolo/なぜあなたは、何もしたくなくてつらいのか?そ.html

 

「虚無感に苦しめられ、毎日が満たされないあなたへ。その正体と根本的解消法を教えます」

http://nayamimuyou.net/cocolo/虚無感に苦しめられ、毎日が満たされないあなた.html

 

 

 

 

何度も述べますが、若いうちは人生の過渡期にあるのですから、自分の人生における全体像が見えてこないのは、当たり前です。

 

 

 

ですから、とかくあなたは、アタマや理屈でいろいろ考える前に、まずは最初の一歩を踏み出すべきです。

 

 

 

ちょうど若かったころの、私のように。

 

 

 

それもできるだけ計画的に、最初は簡単なもの、あなたの6割のチカラでできるものから、始めましょう。

 

 

 

そして重要なことは、「それを完遂させることを、死んでもあきらめない」の気持ちで挑むことです。

 

 

 

そうしてそれを完成させたら、次にやるべきことも見えてきます。

 

 

 

さらにその循環をしばらくくり返していると、やがて自分の人生の全体像も、見えてくるようになります。

 

 

 

この点は、元プロレスラー、アントニオ猪木氏が、プロレスの引退試合で詠んだ詩のとおりです。

 

 

 

〇この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ。

 

 

 

そうして後は、実行のくり返しあるのみ、です。

 

 

 

もしあなたがなにかに挑んでおり、外的な事情で、それを中断せざるを得なくなるというのは、仕方のないことです。

 

 

 

たとえば、あなたご自身としては、自分の会社を興したかったのに、あなたの父が急死したことから、実家のお店の経営をしなくてはいけなくなった、等。

 

 

 

ですが、自己都合から、逃げることだけは絶対にしないでください。

 

 

 

たとえば、毎日30分、英語の勉強をすると決めたのに、その日は観たいテレビがあるから、サボってしまうなどです。

 

 

 

そんなときはせめて、あらかじめ事情がわかっているのなら、その日の学習は、前日にすませておく。

 

 

 

あるいは後日にやる時間を、ちゃんと確保しておく等のことは、しておいてください。

 

 

 

そうしてやるからには、自分自身に対する言い訳は、絶対にしないでください

 

 

 

できない人ほど、「やらない言い訳、できない理由」を見つけるのは、天才的です。

 

 

 

これまで私は、多くの人の人生相談に乗ってきました。

 

 

 

その経験としていえることは、相談者の7割ほどの人が、「そんなこと、いくらでも解決策なら、あるじゃないか」という問題を持ってくるということです。

 

 

 

この場合、本人が混乱していて、当たり前のことさえ、思いつかなかったということは、何回かありました。

 

 

 

しかし大部分の人は、たんに自分の愚痴を聴いてほしかった、あるいは「自分の抱えている問題に、解決策はないんだ」ということを、確認したかっただけでした。

 

 

 

つまり、私に自分の悩みを打ち明け、私がそれに対する具体策を述べられないのを期待して、「自分はもう、どうしようもない」と、思い込みたいだけなのです。

 

 

 

それほどまでに、現実と直面するということは、大変なことなのです。

 

 

 

ちなみにですが、私はそうした悩みを聴かされたとき、「本人が望んでいない」と判断すれば、解決策は述べません。

 

 

 

というのも、ヘタにそんなことをすれば、逆に本人を追いつめてしまうか、こちらが恨まれるかするだけだからです。

 

 

 

とかくあなたの場合、やるからには絶対に、自分からは逃げないようにしてください。

 

 

 

また、なにか厳しいこと、努力が必要なことをヤルと決めた場合、安易な儲け話や、現世ご利益的な新興宗教の言うことに、惑わされないようにしてください。

 

 

 

私はこれまで、せっかくなにかを精一杯やろうとしていたのに、そうした連中のせいでダメにされた人を、結構、見てきました。

 

 

 

ただし、孤独のなかで自分を磨いていれば、おのずと判断力が身についてきます

 

 

 

ですから、そうした怪しいものについては、そのいかがわしさがすぐわかるようになるため、騙されなくなってはいきます。

 

 

 

 

 

第十章 自分の未来のために生きていたら、いつかは仲間ができ、孤独は消える

 

 

 

 

とかく重要なことは、10年後、20年後、30年後の自分のため、現在の自分はなにができるかと考え、それを実行に移すことです。

 

 

 

そのときのあなたは、「いまの孤独とは、神さまが自分にくれた、自分自身をつくり替えるための絶好の機会」だと思っておきましょう。

 

 

 

なにしろ、世の中にはろくに「孤独」も感じず、なんとなく大人になってしまう人が大半です。

 

 

 

いや、彼らにしても孤独を感じたところで、すぐに安易な道に逃げ、やりすごしてしまうというのが、実情ですが。

 

 

 

その点で、苦しみレベルまで孤独を感じているあなたは、ある意味で「選ばれた人」です。

 

 

 

ならばその孤独のなかから、なにかを得なければ、苦しんだ甲斐もなく、もったいない話です。

 

 

 

そう思って、日々を生きればいいでしょう。

 

 

 

現代社会とは、すべてが自己責任で成り立つ世の中です。

 

 

 

苦しさのなかから幸せを見つけるのも、苦しさから逃げ、不本意な人生を送るのも、すべてはあなた次第です。

 

 

 

ですが、孤独の苦しさに耐えらないようでしたら、それなりに逃げ道はあります。

 

 

 

それは、愛する女性や家族、信じられる友人などを持つということです。

 

 

 

その具体的な方法については、下記ページの11 第十一章 相手の立場に立ち、相手の気持ちを察して行動すれば、あなたはきっと人気者になれるをご覧ください。

 

 

 

 

「「幸せ」の哲学的定義とは、「個人の社会的究極目標」」
http://nayamimuyou.net/jinsei/happiness.html

 

 

 

しかしそうであっても、それでも孤独のなかで得たチカラで、大きな栄光、幸せをつかもうとするのは、勇気のある決断です。

 

 

 

そうして生きていったあなたのまわりには、きっとあなたと同様の人生を選択した仲間がいて、その瞬間に、あなたは孤独ではなくなっていることでしょう。

 

 

 

ご自分の未来は、すべてご自分の選択次第です。

 

 

 

どうか、長期のものにしろ短期のものにしろ、悔いのない決断を下せるよう、日頃から心がけていてください。

 

 

 

そうして、本当の幸せをつかんでほしいと思います。

 

 

 

 

まとめ

 

 

 

 

現代では、むかしほど「孤独であること」で、人から見下されることは、少なくなってきました。

 

 

 

それどころか、いまでは「ぼっち」が当り前となり、むしろ多数派であるように思われます。

 

 

 

しかし個々の人々が感じる孤独感は、なくなったわけではなく、単にむかしより、孤独をまぎらわす手段が増えただけです。

 

 

 

そして、人間のあらゆる不幸、苦しみ、悲しみの根源には「孤独」があります。

よって原則としては、人は孤独であるべきでは、ありません。

 

 

 

しかしながら例外として、「孤独であること」が好ましい時期も、存在します。

 

 

 

それが、「青年期」です。

 

 

 

この時期に孤独と直面し、自分を磨いた者は、将来的に大物となり、自分の人生に満足できる可能性が高まります。

 

 

 

ですが現実として、それを実行できるのは、ほんの一握りの人間しかいません。

 

 

 

試練の機会はあたえられても、その試練に耐える精神力がない人が、圧倒的多数だからです。

 

 

 

もしあなたが大人になったとき、真に悔いのない人生を送りたいなら、勇気をもって若いときの孤独と苦悩に、正面から耐えることをお勧めします。

 

 

 

そしてもしあなたが、自分の夢をかなえた折には、あなたとおなじような青春を生きた仲間ができ、あなたの孤独も終わるでしょう。

 

 

 

 

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自己紹介 ほんわか

みなさん、はじめまして。(*^^*)

ほんわかと申します。

私は現在は、雑誌ライターさんなどやってます。
成長過程での歪みにより、発達障害やアトピーを、50年近く患い、30年以上かけてほぼ完全に克服しました。

 

その過程で、多くの学問、健康法、整体術などを習得し、自分と同じような立場の人、100人ほどの相談に乗ってきました。

 

またネット上のものも含めると、これまでに私がアドバイスしてきた人は、500人以上に上ります。

 

ちなみにその成果として、下記のようなサイトも立ち上げています。(^^ゞ

 

よろず人生問題を、哲学的方法でズバリ解決!悩みよ、さらば
http://jinseitetsugaku.com/

 

この経験を、少しでも多くの人に役立ててもらおうと思い、当サイトを立てた次第です。

 

これからの厳しい時代、かつての私以上に弱い人でも生き残れる方法論を、どんどん発信していくつもりです。

 

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