絶望のなかにしか、真の希望はない!絶望と孤独のなかから、光を見出し生きよ

はじめに

 

 

 

 

 

現実の世界を見ていると、人はあらゆる理由で自殺をします

 

 

 

そのなかには、「なんで、こんなことで?」、「死ぬ以外に解決法は、いくらでもあったのでは?」などというものも、結構あります。

 

 

 

しかし当然ですが、それらは外野からの意見です。

 

 

 

自殺する人は、たとえそのとき追いつめられて視野狭窄に陥っていたとしても、彼にとっては死ぬことが最善の手段だったのでしょう。

 

 

 

おなじ逆境に置かれても、AさんとBさんでは受け止め方も、それに耐える精神力も違います。

 

 

 

そこから、人を殺すのは状況そのものより、「絶望」が大きいように思われます。

 

 

 

19世紀ドイツの哲学者、キルケゴールは、「絶望とは、死に至る病である」と述べました。

 

 

 

「絶望」はだれもが必ず、一度は経験したことのある感情です。

 

 

 

とくに若く多感なあなたは、これまで多くの絶望に出会ってきたのでは、ないでしょうか?

 

 

 

またもちろん、絶望は避けようとして、避けられるような感情ではありません。

 

 

 

ならば人は、どのように絶望とつき合えばいいのか?

 

 

 

当ページでは、それについて論じていきます。

 

 

 

 

 

第一章 絶望とはある意味で、絶対的に安定している状態のこと

 

 

 

 

 

ではまず、いきなり核心から述べます。

 

 

 

そもそもなぜ、人は絶望をするのでしょう?

 

 

 

その答えは、絶望とは一種の安定状態だからです。

 

 

 

人はなにかに絶望すると、ただ落ち込むばかりで、積極的に動こうとはしなくなります。

 

 

また人間にとって、いちばんタチが悪いのは、絶望そのものより、中途半端に希望のが存在する状態です。

 

 

 

たとえば、借金苦でもっとも自殺しやすいのは、借金総額が100万~200万円くらいの人だそうです。

 

 

 

逆に借金が1億円や3億円もある人は、かえって平然としていると聞きます。

 

 

 

つまり人間は、不確実なものをもっとも嫌うということです。

 

 

 

上記の例で述べれば、100万円の借金なら、その気になれば短期間で返せそうです。

 

 

 

たとえその人が会社勤めでも、土日や夜間の仕事を半年から1年も頑張れば、100万円くらいはつくれそうに思えます。

 

 

 

また逆に、1億円の借金となれば、勤め人やバイトをしていては、とてもじゃないが一生、返済できそうにありません。

 

 

 

完済への道は、自分で起業して大儲けするくらいしか、なさそうです。

 

 

 

しかし100万円を借りている人は、そういう発想にいたらず、逆に「もうダメだ」と、自分の選択肢をみずから狭めている感があります。

 

 

 

また逆に、1億円の借金持ちは、自分が大金の債務者だという自覚もなさそうです。

 

 

 

ここから以下のことが言えます。

 

 

 

なにかに絶望する人の多くは、中途半端な希望を探してそれにすがることを好まないということです。

 

 

 

そうではなく「自分の状況は、絶望そのものだ」と、無意識的に思い込む傾向があります。

 

 

 

これはとくに、若い人に多く見られる現象です。

 

 

 

その理由は、若い人ほど人生経験が乏しく、現在もまだ「成長期」という過渡期にいるからです。

 

 

 

つまり若い人は、物事を判断するための経験も少なく、自分のココロ自体も、大人にになるために揺れ動いているのです。

 

 

 

そこから、自分を苦しめることに早々と決着をつけたくて、「自分にはもう、絶望しかない」と思い込むのです

 

 

 

また、もう一点。

 

 

 

自分が陥っている状況に変に解決策があると、当然にそれを実行しなくては、いけなくなるでしょう。

 

 

 

現実とはつねに面倒なことばかりなので、「もう、なにも自身の救済策はないということにして、死ぬなり引きこもりになるなどしたい」。

 

 

 

絶望する人の本心には、こうした気持ちもあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

第二章 自分の過去の絶望を、思い返してみる

 

 

 

 

 

さてではここで、若いあなたが絶望に出会ったときの対処法を、考えてみましょう。

 

 

 

これはもちろん、あなたが真摯に自分を絶望から救われたいと、思っている場合のみですが。

 

 

 

もしいまあなたが、なにかに絶望しているのなら、まずは自分が過去に出会った絶望の内容を、思い返してください。

 

 

 

たとえばあなたが小学生時代、学校でひどいイジメに遭っており、自殺を考えるほど苦しんでいたとします。

 

 

 

そのときのあなたは、とかく毎日がつらく、きっとどこにも逃げ道がないように思っていたことでしょう。

 

 

 

ところが当時のことを、いまから客観的に思い返してみると、どうですか?

 

 

 

その状況から逃れる術は、意外と多く存在していたと、思うのではないでしょうか?

 

 

 

たとえば、そのことをご両親や担任の先生に、思い切って相談してみる。

 

 

 

それでもダメなら、だれか他に信用できる大人の人にアドバイスを求める。

 

 

 

あるいは、学校そのものを替えてもらうよう、親に頼む、またはあなた自身が強くなるように、武術を習う、等々です。

 

 

 

ところが小学生時代のあなたには、そんなことは発想もできず、もちろん実行などもできないことでした。

 

 

 

ですがたとえば、現在のあなたが小学生が自殺したというニュースを聞くと、どうでしょう?

 

 

 

もしかしたら、「なんで、そんなことで死ぬの?」と、思うかもしれません。

 

 

 

そうであるならば、それはあなたが大人となり、それなりの精神力や判断力がついたから、そう思えるだけです。

 

 

 

またもし、あなたが小学生だったころを思い返し、自分がその自殺した子とおなじ状況に置かれていたら、と考えてみてください。

 

 

 

おそらく、大人のあなたからは解決策は見つけられても、小学生だったあなたには、絶望して自殺を選ぶほかない、と思うのでは、ないでしょうか?

 

 

 

 

 

第三章 ほとんどの絶望は、外側や未来から見れば、脱出可能

 

 

 

 

 

いまのあなたは、こんなページを読んでいるのですから、もしかしてなにかに絶望しているのかもしれません。

 

 

 

ところがあなたが「何もできない!」と絶望していることでも、他人が客観的に見たら、そこから抜け出す方法は、じつはいくつもあるかもしれないのです。

 

 

 

というよりも、私はこれまで「立ち直れない絶望」に打ちひしがれている人を、多く見てきました。

 

 

 

ですが話をよく聴いてみたら、「こんなこと、あんなことと、対処法はなら、いくらでもあるじゃないか」と思ったケースが大半でした。

 

 

 

たしかにもちろん、「ここまで状況が詰んでしまったら、脱出はもう、ムリだろう」と思うようなケースも、いくつかありました。

 

 

 

ところがそんな人でも、数か月後に会ったら、「あのときの問題は、もう解決したよ。相談に乗ってくれて、ありがとう」と言われたこともあります。

 

 

 

つまり、人が絶望から脱出する手段とは、本人や他人から見て、もうないと思われても、実際にはいくつも存在するという場合が大半なのです。

 

 

 

ここで、あなたの世代の人が絶望するような例と、克服法を挙げてみましょう。

 

 

 

 

〇就活に失敗した。

 

→卒業後にバイトをしながら、同時に自分の適性を知り、必要ならば目的的に勉強しながら、自分に合った職業を目指せばいい。
そもそもあなたは、まだ正社員として働いた経験もないのだから、その時点で自分の適性など、わかるはずもない。
バイトでもいいから仕事をしてみて、自分の好きなこと、得意なことを見つけていけばいいだけ。
いざとなれば自分で起業してもいいし、またバイトを続けていたら、いつのまにかその仕事があなたの得意分野になっているかもしれない。

 

 

 

〇大失恋した。

 

→まず若者の恋とは、大人のそれとは比べものにならないほど激しい。
「恋愛とは、美しき幻想である」ともいわれる。
その理由は、若いときほど精力が盛んであるため、脳の関心が生殖活動にばかり向かうから。
その結果、あなたの本能があなたに、相手に対するとてつもない幻想を抱かせるから、それが若いあなたには、とてつもなくつらい。
まず即物的に述べれば、恋愛の究極目的とは、異性とのセックスにより子どもをもうけ、一家をかまえさせることにある。
そうした日常はある意味で、とてつもなく退屈で面倒。
それを感じさせないためあなたの本能はあなたに、恋愛という美しい魔法をかける
だからあなたがこの先、20年、30年と生きていって、その感情を引きずるということは、ほぼない。
なぜならあなたの感性は大人になっていくにつれ、「燃え上がるような感情」を、持ちたくても持てなくなるから。
この度の失恋という経験も、年を経るごとに苦しさは薄まり、よりセンチメンタルなものになっていく。
その場合はもしあなたが、その恋に対して真剣に向き合っていたのなら、ですが。
あなたは今回の失恋から、自分の欠点を直視し、「自分を磨く」ことを続けていればいいだけ。
そうすれば、次の恋愛ではうまくいくかもしれないし、今回の失恋を「過去のもの」にして、忘れやすくもなる。

 

 

 

〇おカネがない。

 

→それはあなたがまだ若く、いろんな能力がそなわっていないのだから、当たり前。
将来的な計画を立て、自身の能力向上とともに、収入を増やす道を考えればいい。
「未来のあなた」から見れば、「現在のあなた」のまわりには、無数のビジネスチャンスが転がっているかもしれない。
あなたはまだ若いから、その点を実感できないでいる。
だから、自分の未来をシミュレーションすることで、現在のあなたを客観視すればいい。この点は、「現在のあなた」が、「過去のあなた」を思い返してみることで、当時の自分がどれだけ無力で無能だったか、わかるはず。
またそこから、「過去のあなた」から見た「現在のあなた」は、いろんなことができるスーパーマンのように映るだろう。
あなた自身は、努力さえすれば確実に成長できる。
そうして「未来のあなた」をくり返しイメージし、それに近づく挑戦を継続すれば、「あなたの思考は、やがて現実化する」。
つまりあなたはきっといつか、「おカネも社会的地位もある、あなた」へと成長できるはず。

 

 

 

〇人間関係が築けず、孤独のなかにいる。

 

→私も青年期は極度に孤独で、まともな対人関係が築けなかった。
ところが現在では、どんな人とも打ち解け、仲良くなれるし、私はどこへ行っても人気者。
それは、むかしの私は育ちの問題から他人に恐怖を抱いており、知らず知らずに人を避けていたから。
そのことを当時の私は、「自分は人とうまくやれない。自分は人に嫌われている」と、勝手に思い込んでいた。
その後私はそのことに気づき、それ以来は、自分から人に関心を持ち、人からなにかを学ぶという「一期一会」の姿勢を心がけた。
その甲斐あって現在では、人並み以上のコミュニケーション能力が身についた。
思えばむかしの私は、自ら孤独を望んでいた。
なぜなら、孤独のなかから自分が将来、なりたいものになる能力を身につけるのが、潜在的な私の望みだったから。
いま現在、どうしようもない孤独に苦しんでいる人は、そのなかで「自分自身を高める」ことを考えてほしい。
というのは大人になってしまえば、日常のルーチンに追われ、「孤独や絶望を追及する」ということが、かえってむずかしくなるから。
ただし、孤独すぎると袋小路に陥るから、そこは要注意。
家族とでもいいから、毎日少しは会話することが必要。

 

 

 

 

以上です。

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第四章 ノートに他人に、自分の絶望を外化させる

 

 

 

 

 

または、自分を苦しめている絶望について、ノートにどんどん思うことを書きなぐり、本質へと迫るのも、手ではあります。

 

 

 

というのは、人とはどうしても自分を客観視できないため、自分がなにかに絶望していても、その対象がよくわからないというのは、よくある話だからです。

 

 

 

あるいは自分が思い込んでいた悩みは、じつは別のものが正体だった、ということもありえます。

 

 

 

ですが、若い人ほど現実を受け止める精神力は、身についていません。

 

 

 

あなたを苦しめているトラウマが、現在におけるあなたの精神力をもってしても抑えられないくらい、強烈な場合もあります。

 

 

 

そこから、もしあなたが自分を絶望させているものの根源にムリに近づくと、かえってうつ状態になるということも、あります。

 

 

 

そのときの現象は、自分のなかに沈み込んでいくほど、恐怖が強くなるというかたちで出ます。

 

 

 

そんなときには、ご自分の「絶望探し」はとりあえず中断し、とかく自分を励まし、慰めることです。

 

 

 

これは私もやっていることですが、とかく自分自身に対し、肯定的な言葉を、声に出してかけてやるのが、いちばんです。

 

 

 

これは、鏡を見て、自分の目に向かって話しかけるのが、もっとも有効です。

 

 

 

○○ちゃん、絶対に大丈夫だから」といった具合に。

 

 

 

ですがとかく悩みの最善の解決策は、それを外化してしまうことです。

 

 

 

そうすれば、あなたのなかで「ぐるんぐるん」と回っている絶望の正体も見え、それがあなたの外部へと出て行くからです。

 

 

 

先ほど述べた「ノートに書きなぐる」というやり方も、その方法のうちの一つです。

 

 

 

または上記のことをはじめ、いろいろしてみたけど、自分の絶望の正体がよくわからない、あるいは解決策が見えないというときには、他人に相談しましょう

 

 

 

その際には、頼りになる年長者か、プロの精神科医、カウンセラーに話を訊いてもらうと、いいでしょう。

 

 

 

というのは、その人たちは少なくとも現在のあなたより、問題解決の実力があり、また過去にあなたと同様の経験をしている場合が多いからです。

 

 

 

とくにカウンセラー、精神科医などはその道のプロです。

 

 

 

よってあなたが「自分独自のもの」と信じている絶望も、過去に同様の相談をいくつも受けてきたということは、当たり前にあります。

 

 

 

私はこれまで、3人の精神科医、心療内科の先生にお世話になりました。

 

 

 

そのうちの一人、吉田先生(仮名)は、じつに丁寧で親切に、私の悩みや絶望を聴いてくれました。

 

 

 

その甲斐あって私は、人生に希望が持てるようになりました。

 

 

 

それどころか、絶望におおわれた現在の自分でさえ、その絶望には意味があると、悟ることができるようになったのです。

 

 

 

 

 

第五章 あなたは「青年期」という過渡期にいるのだから、不安定なのは当然

 

 

 

 

 

とかく、中途半端な状態はつらいものです。

 

 

 

とくにあなたのいる「青年期」とは、「少年期」と「壮年期」の中間にあるため、なおさらそういえます。

 

 

 

なぜなら人は青年期に、精神や肉体のあり方から、価値観、社会属性まで変わっていくのに、自分ではそれをコントロールできないのですから。

 

 

 

あなたのすべては、「少年期」のものから離脱していきます。

 

 

 

たとえばこれまでは、勉強だけやっていればよかったものの、これからは責任をもって、仕事をまかされたりします。

 

 

 

新しいものの誕生とは、古きものの死の上に起こる」ともいわれます。

 

 

 

つまりあなたの肉体、精神、価値観、社会属性が大人のものに変わるということは、その都度あなたは、少年期のそれらの死を自覚させられることを、意味します。

 

 

 

そこからあなたは、なにもしなくても、青年期にあるというだけで、「」を意識させられるともいえるのです。

 

 

 

私の場合は、精神病の影響も強かったですが、19歳から22歳にかけて、激しい自殺衝動に、日常的に襲われていました

 

 

 

それでも現在はそれらを克服し、なんとか生きています。

 

 

 

ですのであなたには、「自分は過渡期にあるのだから、苦しく不安定なのは当たり前」くらいの気持ちでいてほしいです。

 

 

 

くれぐれも自殺などによる、安易な決着のつけ方は選ばないでください。

 

 

 

 

 

第六章 「すべての状態が過程の一部」と見れば、「つらいときも、一時的なもの」と思える

 

 

 

 

 

また苦しく不安定であっても、そうした時期だからこそ、得られるものもあります。

 

 

 

それは、「絶望のなかから、希望を見出す能力」です。

 

 

 

これさえ身につけられれば、どんな苦難にも耐えられるようになるといっても、過言でありません。

 

 

 

別の記事でも書きましたが、私は育ちに問題があったため、それが青年期になり、心身症として実体化しました。

 

 

 

そして、栄養療法、温熱療法、生活療法などにより、病気を30年にわたり回復させてきました。

 

 

 

「そんなに時間がかかったの?」と、あなたはおっしゃるかもしれません。

 

 

 

しかし現実には、私の病気は現代医学では原則として根治不可能なものであり、日常生活が不自由なく送れるようになっただけでも、奇跡的なのです。

 

 

 

数十年前ならばきっと、私は廃人、あるいは狂人として、ずっと施設に入れられていたと思います。

 

 

 

さて、そんな私は20年ほど前、病気の好転反応が起こり、寝たきりになったことがありました。

 

 

 

このときは高熱が出て、何か月も動けなくなったのです。

 

 

 

もちろんそんな状態では、仕事もバイトもできないで、自殺願望が起こったものです。

 

 

 

しかし私はそのときすでに、「自分は、病気の寛解という過渡期にいる」という自覚が持てていました。

 

 

 

そのため、「好転反応さえ治まれば、自分はどんな仕事でもできる」と、希望が持てました。

 

 

 

その結果、私は思ったとおりに病状が安定し、ムリなく働けるバイトに就くことができたのです。

 

 

 

この経験から私が言いたいのは、「絶対的に希望がない状態」とは、ほとんどないということです。

 

 

 

大部分の絶望は、時間の経過と、あなたの心がけ、行動力次第で、なんとかなります。

 

 

 

絶望とは、愚者の結論である」と、言われています。

 

 

 

あなたは、つらい絶望に陥ったとき、ぜひ以下のことをしてみてください。

 

 

 

自分自身を、他人、未来の自分、なんらかの実力をつけた自分と、さまざまな角度から客観的に観察するのです。

 

 

 

そうすれば、現在、自分を苦しめている絶望の正体、および、その絶望の乗り越え方等が見えてくるかもしれません。

 

 

 

それによりあなたは、一段、強くなれるし、またその実力はあなたを、必ず良い方向へと導いてくれます。

 

 

 

そして日が経てば、「そういえば自分は、過去にあれほど絶望していたこともあったっけ」と、懐かしく思うことえ、できる日が来ます。

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第七章 小説の新人賞落選から拓かれた、私のライター人生

 

 

 

 

 

ところで私はこれまで、「いくら絶望しても、自殺してはいけない」ということを述べてきました。

 

 

 

ここではこの点を、少し補強したいと思います。

 

 

 

まず自殺とは、あなたが、あなた自身の命を絶つ行為です。

 

 

 

ところで時間とは、当然ですが、過去から現在、未来へと、一方向にしか進みません。

 

 

 

ですので、自殺とは「現在のあなたが、未来のあなたを殺す行為」となります。

 

 

 

つまりそれは、「弱く無力ないまのあなたが、強く、幸せになる未来のあなたの生命を奪うこと」なので、これは到底、許されることではありません。

 

 

 

幸運の女神は、不幸の顔をしてやってくる」という言葉を、あなたはご存じでしょうか?

 

 

 

本当の幸せというものは、最初は厄介なもののように現れる、という意味です。

 

 

 

この点を、私がライターになったときの話から、ご説明します。

 

 

 

30代後半のころの私は、心身症も一段落し、本格的に仕事を探さないといけない状態になりました。

 

 

 

そのとき、まず考えたのは、物書きになることでした。

 

 

 

理由は、闘病していたときに私は、膨大な種類の学問を勉強していました。

 

 

 

ですので、その知見や実力を活かすのには、とかくなにかを書くことしかないと思ったからです。

 

 

 

ところが私が書きたかったことは、歴史や哲学等の分野でした。

 

 

 

ですが、出版社が主催するそうした部門のコンクールは、ありませんでした。

 

 

 

かろうじて日本史のものならありましたが、私はおもに西洋史を勉強していたので、こちらは対象外となりました。

 

 

 

すると、いろいろ調べた結果、私の希望するジャンルで物書きになるには、以下の2つの方法しかないことが、わかったのです。

 

 

 

1.最初から出版社の社員か、そこの外部ライターとしてかで働き、出版のチャンスを待つ。

 

 

 

2.小説の新人賞に応募し、自分の作品のテーマを自分の専門分野に設定し、賞を受賞後、その方面での本を出版する。

 

 

 

 

そのときの私には、出版業界のプロに知り合いはいませんでしたので、私が取りえる選択肢は、2 しかありませんでした。

 

 

 

そうしたわけで私は、とかく小説を書いてみたのです。

 

 

 

ところがそれは、2作書いて、どちらも一次選考にも残りませんでした。

 

 

 

それどころか、具体的な作品名は挙げられませんでしたが、選考報告では明らかに私の作品が、下読みの人に「これでもか」というほどに、酷評されていたのです。

 

 

 

どうやら私には、小説家としての才能はないということを、つよく思い知らされたものです。

 

 

 

そうして途方にくれて、次の道をあわてて探していると、偶然、最高のライター教室を見つけ、早速、そこに入学しました。

 

 

 

そこは最初に私が直感したように、先生は厳しいが、一流のライターになる道を、的確に教えてくれました。

 

 

 

そこを卒業した後、私はいくつかの仕事を経験し、結果的にクオリティーマガジンの外部ライターになれたのです。

 

 

 

もし私が、小説の新人賞落選の時点ですべてをあきらめていたら、ライターへの道は拓けなかったはずです。

 

 

 

あなたももし現在、なにかに絶望しているのなら、現在はつらいでしょうが、それは後の希望につながるものととらえ、希望を見出してください。

 

 

 

私も現在、数年後から歴史や哲学にかんする書物を、世界中に売りまくろうという希望を抱いているのですから。

 

 

 

 

 

第八章 大作『モンテ・クリスト伯』に見る、絶望のあり方

 

 

 

 

ここで最後に、私の人生を支え続けた小説、『モンテ・クリスト伯』の言葉から、あなたの絶望を払おうと思います。

 

 

 

まず『モンテ・クリスト伯』のストーリーは、以下です。

 

 

 

 

舞台は19世紀初頭、王政復古時のフランス、マルセイユ。ここに19歳の純朴な船乗り、エドモン・ダンテスがいた。
ダンテスは結婚と出世を前にして、幸福の絶頂にいた。
ところが、ダンテスの存在を快く思わない3人の男たちが、ダンテスに濡れ衣を着せ、官憲に通報した。
ダンテスは結婚式の当日に、逮捕されてしまう。
さらにダンテスを担当した検事は、偶然にもダンテスが、自分とナポレオンとのつながりを握っていることに気づき、あわててダンテスを政治犯の独房に送った。
事情もわからず独房に置かれたダンテスは荒れながら、絶望の日々を送った。
数年が経ったころ、ダンテスは脱獄を試みることにした。
そのとき独房の壁を掘っていると、偶然にもダンテス同様に脱獄を図ろうとしていた「ファリア司祭」という人物に出会った。
ファリア司祭は聡明な学者で、なぜダンテスが独房送りになったのか、即座に言い当てた。
それ以来、自分を陥れた者たちへの復讐に燃えたダンテスだったが、同時にファリア司祭から多くの学問や言語を学び始めた。
やがてダンテスが投獄されてから14年が経ち、ファリア司祭は亡くなった。
ファリア司祭は死に際に、「モンテ・クリスト島」に莫大な財宝が眠っていることを、ダンテスに知らせる。
ダンテスはとっさの機転で、ファリア司祭の死体と自分の身体を入れ替え、脱獄に成功。その後、モンテ・クリスト島で財宝を得たダンテスは、爵位を買って「モンテ・クリスト伯爵」となり、自分に無実の罪を着せた者たちへの復讐を開始する。
復讐自体はすべて成功し、自分の敵をみな破滅に追い込んだダンテスだったが、一つ問題が残った。
それは、自分が船乗りであったころの恩人の息子と、自分の宿敵の娘が恋愛関係にあったことだった。
そこでダンテスは一芝居を打ち、その若い男女、マクシミリヤンとヴァランティーヌを結びつけ、自分は愛する妻を得て、去っていく。
ダンテスとの別れを嘆くマクシミリヤンに、ヴァランティーヌはダンテスからあたえられた言葉を教える。
それは、以下のものだった。

 

 

「……この世には、幸福もあり不幸もあり、ただ在るものは、一つの状態と他の状態との比較にすぎないということなのです。きわめて大きな不幸を経験した者のみ、きわめて大きな幸福を感じることができるのです。……」。

 

 

 

「伯爵さまがおっしゃいましたわ。人間の智慧は、ただこの二つの言葉にふくまれている、と。『待て、しかして希望せよ!』」。

(岩波文庫 アレクサンドル・デュマ著 山内義雄 訳)

 

 

 

 

 

第九章 つねに絶望の裏にある希望を見出せ!

 

 

 

 

 

引用が長くなってしまいました。

 

 

 

つまり、死ぬほどの絶望を何年も味合わせられたダンテスにとっても、後から見たら、その絶望さえ、現在の自分をつくった試練にすぎない、ということです。

 

 

 

もし若いあなたが、絶望するほどの物事に苦しんでいるのなら、こう思ってください。

 

 

 

その絶望は、きっと自分を強くする」と。

 

 

 

また、若いときに絶望するほどの不幸を経験しなかった者は、おそらく未来において、困ることになるでしょう。

 

 

 

これからの社会は、並の努力をしただけなら、とたんに貧困層に落とされるであろう、過酷なものになるはずだからです。

 

 

 

なので、絶望を知らない者は、自分を支えることも、どん底から這い上がることも、できなくなると、私は思います。

 

 

 

またそんな人が万が一、社会的地位や家族を得ても、それを守れず、破滅するかもしれません。

 

 

 

ですのでとかくあなたには、絶望を感じている現在の自分さえ、楽しむ余裕を持っていただきたいと思います。

 

 

 

つまり、「この絶望に耐えた後には、きっと自分には偉大なチカラが宿る」と、信じながら、絶望にいるご自身を客観視してほしいのです。

 

 

 

人間の感情に、無意味なもの、両義性のないものはありません。

 

 

 

ですからあなたは、その絶望の裏にある希望を、つねに見出すようにしていただきたいと思います。

 

 

 

 

 

第十章 なぜあらゆる動物のなかで、人間だけが絶望し、死を選ぶのか

 

 

 

 

 

申し訳ありません。m(__)m

 

 

 

当初の予定では、前章で当ページは終わるはずでした。

 

 

 

しかし私はその後、「人にはなぜ、絶望という感情があるのか」ということを考えて、ある仮説が浮かんだので、述べます。

 

 

 

これは結論から述べると、「極度のうつ状態」だと思います。

 

 

 

まず人間は、唯一、本能から離脱した生物ですが、それでも「感情」は豊かに残っています。

 

 

 

そして、高度な感情を持つ動物のなかには、うつ状態になるものもいます。

 

 

 

これは、主人と引き離された犬や猫、あるいは動物園で見世物にされたサルなどにより、確認されています。

 

 

 

まず、うつ状態とは、悲しみやストレスが過剰なため、感情の主体である生物を無気力にさせ、疲れた脳や身体を休ませる作用ではないか、と私は思っています。

 

 

 

そうしたわけで、社会的存在である人間も、その社会のなかでつらいことが多すぎると、うつ状態になる。

 

 

 

そしてそのもっとも強烈なカタチが、「絶望」なのではないかと、私は思います。

 

 

 

ただ謎なのは、「絶望」は何度も述べたように、「本人を自殺に追い込む」ことまである点です。

 

 

 

生命体とは基本的に、危機にあっては、個体が生きていく上で重要なものほど、優先的に守る機能があります。

 

 

 

たとえば出血した動物は、たとえ四肢を失うことになっても、体幹部は生かそうとして、四肢への血流を止めることもあります。

 

 

 

そうした点から述べれば、人間も動物である以上、自己感情(=絶望)により、主体に自死を選ばせるというのは、本末転倒のように思います。

 

 

 

なぜなら当然ですが、生命体が生きるにあたり、もっとも重要なのは、「生命そのもの」だからです。

 

 

 

だから人が絶望し、自殺するというのは、たいへんに矛盾した現象のように思われるのです。

 

 

 

これについて、私なりの考えを述べます。

 

 

 

まず、自殺する生物とは、基本的に自然界では人間だけです。

 

 

 

これ以外には、たとえばネズミの集団自殺のような現象も、発見されています。

 

 

 

ところがこの場合ですと、それはあくまで増えすぎた種を守るための行動と、考えられます。

 

 

 

つまりネズミは数が多くなりすぎると、各個体が確保できるエサの量が激減する。

 

 

 

そうなると、飢え死にするネズミが多くなりすぎて、結果的に種の全滅につながる可能性がある。

 

 

 

それを避けるための、集団自殺ではないかと思われます。

 

 

 

ところが人間の場合、近代社会にあっては、自殺するのはまず、自己都合においてです。

 

 

たとえば、経済苦、人間関係の問題、健康問題等は、すべては個人の事情によるものです。

 

 

 

もちろん、特攻隊や古代宗教における犠牲のためといった死も、見受けられます。

 

 

 

ですがこれらは、「個を殺すことにより、共同体を活かす」ために存在します。

 

 

 

つまり、特攻隊員は日本国を守るために敵艦に特攻したし、宗教の生贄とされた人は、その教団や国家存続のため、あえて自分が犠牲になっています。

 

 

 

ですから、これらの事象はあくまで例外と見ていいでしょう。

 

 

 

ならば人間とは必ず、自己の個人的な事情で自殺する、ということになります。

 

 

 

元来は生命存続のために存在する感情が、「絶望」に支配されたとき、その主体を殺す。

 

 

これはいったい、どういうことでしょう?

 

 

 

私が思うに、人間とは「社会性と自然性」、両者を持ちながら、そのバランスが完全ではないのだと思います。

 

 

 

つまり、人間の感情はつらいことが多すぎると、主体の脳を休ませるため、脳をうつ状態にします

 

 

 

しかし人間には本能を離れた思考力がありますから、そのつらい状態から逃げるための、自殺の手段をも考えられます。

 

 

 

その結果、人間は自らの意志で自殺する、唯一の動物になったのではと考えます。

 

 

 

上に挙げたのは、あくまで私の仮説です。

 

 

 

どうかあなたも、「ヒト(自然的存在)としてのあなた」と、「人間(社会的存在)としてのあなた」のバランスを取り、生きていってください。

 

 

 

またその観点から、絶望に陥った際には、「死は生命の最終地点、元来なら、自分から踏み込んではいけないところ」という認識で、耐えてもらいたいと思います。

 

 

 

こう言ってはなんですが、ほんの数十年ダラダラと生きていれば、放っておいてもあなたは野垂れ死ににます。

 

 

 

それがイヤなら、人生に目的意識を持って生きましょう。

 

 

 

死ぬときに、後悔を残さないために。

 

 

 

 

 

まとめ

 

 

 

絶望とは、人間を殺す感情です。

 

 

 

そして「希望がなく、絶望しか見えない状況」とは、ある意味でもっとも安定している状態といえます。

 

 

 

なぜならそれは、人のココロを絶望から希望へと、行ったり来たりさせないからです。

 

 

 

そして絶望を確信した人間は、死を選びます。

 

 

 

ところがその状況での個人の認識は、非常に限定的で視野狭窄に陥っています

 

 

 

それは、その人の置かれた苦しい状況が、彼に決着を迫るからです。

 

 

 

ですので客観的に見たら、絶望して、もう自殺以外、なんの解決策もないと思える人の環境には、じつはいくらでも逃げ道がある場合が、ほとんどです。

 

 

 

ただし、絶望に苦しんでいる人のなかでも、潜在的に絶望から解放されたくないと、考えている人もいます。

 

 

 

なぜなら絶望からの脱出法がわかってしまうと、それを実行しなくては、いけなくなるから。

 

 

 

そうして現実と格闘することを、本心では望んでない人も、確実に存在します。

 

 

 

ですが、絶望の解決策は、とかくそれを外化させることです。

 

 

 

具体的には、自分のココロの様子をノートに書きなぐったり、カウンセラー等に相談したりすることです。

 

 

 

また若いあなたがつらいのは、あなたが「青年期」という人生の過渡期にいるからです。

 

 

そんなときは、できるだけ自分の状況を客観視してください。

 

 

 

そして自分を苦しめる絶望の正体がわかりにも意味があることを知れれば、あなたはきっと将来、いまより強く賢くなれるはずです。

 

 

 

なにかに絶望したときには、そのことを忘れないでください。

 

 

 

 

今回の記事は、いかがでしたでしょうか?(*^^*)

 

 

 

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自己紹介 ほんわか

みなさん、はじめまして。(*^^*)

ほんわかと申します。

私は現在は、雑誌ライターさんなどやってます。
成長過程での歪みにより、発達障害やアトピーを、50年近く患い、30年以上かけてほぼ完全に克服しました。

 

その過程で、多くの学問、健康法、整体術などを習得し、自分と同じような立場の人、100人ほどの相談に乗ってきました。

 

またネット上のものも含めると、これまでに私がアドバイスしてきた人は、500人以上に上ります。

 

ちなみにその成果として、下記のようなサイトも立ち上げています。(^^ゞ

 

よろず人生問題を、哲学的方法でズバリ解決!悩みよ、さらば
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この経験を、少しでも多くの人に役立ててもらおうと思い、当サイトを立てた次第です。

 

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