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はじめに、人間とは社会的存在です。
個人は他人とうまくやっていけないと、健全に生きることができません。
それなのに、どうしても他人を好きになれないというあなたは、本当に気の毒な人です。
しかし私も育ちの問題から、長いことそうであり、あるときからそれを自覚し、ついには他人を愛することもできるようになりました。
こうした私の経験が、いままさに「人間嫌い」で苦しんでいるあなたに、少しでも役立つのではと思い、このページを書いています。
どうぞこれを参考に、あなたなりの他人との関わり方を模索し、見つけてほしいと思います。
その結果、どういう生き方を選択しようが、それはあなたにとって後悔のないものになることを、祈っています。
まず最初の問題として、人間嫌いとは生まれつきなることも、あるのでしょうか?
最近では遺伝子の研究も進み、個々人が「○○という性格になりやすい遺伝子」といいうものが、多く発見されています。
ならば、たったいま人間嫌いに陥っているあなたのような人は、そうした遺伝子を持っていて、なるようにして人間嫌いになったのでしょうか?
これは、まず違うと申し上げておきます!!
(`・ω・´)9m
たしかに、「人間嫌いになりやすい気質」というものは、存在するでしょう。
しかし、前述したように人間とは、社会的存在です。
ですから、もし生まれたときから完全に人が嫌いであれば、その人は社会の決まり事を一切、覚えられないので、生存に不利でしかありません。
そんな個人を、自然がわざわざ生み出すとは、とてもじゃないが、私には思えないのです。
ですから、人が生まれ持っているのは、あくまで「警戒心が強く、人間嫌いになりやすい遺伝子」だけでしょう。
私は下記ページで、「優柔不断」という性格は、育ちの過程で形成されると述べました。
優柔不断は育ちの問題。克服するには、ココロとカラダと人間関係を改善し、決断力と意思決定力を身につけろ!
ですので私は「人間嫌い」も、比較的、警戒心の強い気質を持った人が、主に両親との関係で発生するものだと考えます。
ですのでたとえば、大人になってからの他者からの失恋や裏切りに遭って人間嫌いなったという人も、じつはそれは「きっかけ」にすぎないと思います。
そうではなく幼少期の段階で、「警戒心が強すぎ、傷つきやすい性格」というものは、すでに形成されていたと考えます。
そしてあることが引き金で、本格的に「人間嫌い」にスイッチが入ったのだと、考えます。
当人にとっては、幼少期の記憶より、直近に感じたトラウマのほうが、生々しい悪夢として残っています。
ですからその人は、そうした失恋や裏切りにより、自分は人間嫌いになったと、錯覚しているのでしょう。
確かに、突発的なトラウマにより、それまで明るかった人が、急に人間嫌い、人間不信になることは、ありえます。
しかしそれは、ものすごいイジメを受けたとか、女性なら不意に暴行されたとか、そのトラウマがあまりに強烈なものだった場合のみです。
愛情いっぱいに育てられ、まともな判断力を持った人物が、突如として人間嫌いになるというのは、ほとんど考えられません。
その点を、次の章で見ていきます。
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まず人間嫌いに陥ると、具体的にはどのような気持ちになるか、あなたにはよくおわかりでしょう。
他者からの善意や好意といった、正の感情のすべてが「ウソっぽいもの」、「ただのキレイごと」と思えてしまうようになります。
これは、20歳くらいまでの私の姿でも、あります。
私がどのような幼少期、少年期を過ごしたかは、時間があれば下記をご覧ください。
なぜ現代日本には、優柔不断な人が激増したのか?その理由を、歴史的経緯と脳の発育から説く
上にあるように、私は大阪の商家で生まれ、東京に家族で引っ越し、そこで孤独な少年時代を過ごし、精神を病みました。
東京に来てからは、父は私の存在自体を無視しました。
それというのも、父自身が幼少期に父(私の祖父)を亡くしていたので、父としての子どもへ接し方が、わからなかったのです。
というより父は、「父親というものは、子どもに愛情と厳しさをもって、社会の規範を教え込まねばならない存在」ということさえ、知らない人でした。
上記ページにもあるように、父は「犬も猫も、放っておいても勝手に大きくなる。人間だって、おなじだ」と、本気で信じている人でも、ありました。(-ω-;)
そんな父ですが、私がなにかを質問すれば、答えてくれました。
ですが父には、「自分が積極的に、子どもを愛する」ということがどういうことか、最後までわからなかったのです。
そんな私は、いつも父の愛を待っていました。
当時は言語化はできませんでしたが、子どもとは無力で無知である以上、大人に愛される資格と権利があると、直観的に知っていたからです。
ですが、いつまで経っても父は私によそよそしく、私は10年以上待ったが、ついに父から愛を注がれることは、ありませんでした。
再度申しますが、父は私を嫌っていたとかいうわけでは、ありません。
ただ自分が教わっていないので、「子どもの愛し方」ということ自体、わからなかったのです。
いや、「子どもとは、愛すべき存在であり、愛がなければ、心身ともに育たない」ということさえ、父は知りませんでした。
そのため少年時代の私のココロは、いつも愛に飢えていました。
当時の私はそれが原因とは気づきませんでしたが、お店で万引きしたり、数日間、家出をしたこともあります。
ですが、いまではハッキリと理解できます。
それは、当時の私は深層心理で、父に正しく叱ってほしかったのです。
人間が社会で生きていくための規範は、核家族においては原則として父に、必ず「愛」をもって授けられなければなりません。
しかし少年期の私は、ついにそれが叶えられることなく、ココロが空洞のまま、20歳をむかえました。
そしてそのとき、持病のために服用していた薬の副作用と、そのココロの空洞が原因となり、アメリカで自殺を図ります。
前述したように、子どもとは生まれた以上、愛を受ける絶対的な資格と権利があります。
なぜなら子どもは、自分で望んで、その家に生まれたわけでは、ないからです。
また子どもにとって「親に愛されない」ということは、「お前はこの世で、生きる資格はない」と、死刑宣告されたも同然です。
ところが現代日本では、父親は子どもや家庭に無関心、逆に母親は子どもにベッタリの、いわゆる「機能不全家族」が、8割を占めるといわれています。
もしあなたに時間があれば、下記ページの第一章を読んでみてください。
なぜ現代日本には、優柔不断な人が激増したのか?その理由を、歴史的経緯と脳の発育から説く
2 第一章 優柔不断に育てられてしまったが、それで生きていけない人が多い、現代という時代
そうした事情から私は、19歳くらいの時点で、完全な人間嫌いとなりました。
当時の私は、人間の感情がすべてウソっぽく思え、それらを陳腐なドラマや映画のように感じていました。
また、自殺を図る前の私の言動には、明確に「人間不信、人間嫌い」の様子が現れていました。
アメリカに留学したとき、私はある会社に手続き等はまかせ、そこで同年代の男女、30人ほどと一緒になりました。
そのグループ内で、だれかに優しくされても、「なにか、ウラがあるんじゃないか」と訝しみ、遊びに誘われても、「なぜ、自分などと」と思っていました。
さらにそのグループでは、最初の研修はみなおなじ大学で過ごしたのですが、留学先の学校は、みな違っていました。
ですので、研修期間が過ぎれば、別れの日がやって来ました。
そこで別離の際、私は、私のために泣いてくれる人たちには惜しみを感じなかったし、またみなが泣くなか、私だけ泣きませんでした。
私には、「悲しい」という気持ちさえ、ありませんでした。
私はそうした感情は、表面的に知識としては理解できても、実感として感得することが、できなかったのです。
その経験から、私は確信できます。
もしあなたが現在、人間嫌いにあったとして、あなたは以下のように考えているとします。
それは最近の友人からの裏切り、恋人からの失恋、会社からの解雇、同僚からのいやがらせ、詐欺師に騙されたことにより、そうなったのだと。
ところがあなたはじつは、少年期にはすでに人間不信で、むしろ最近の出来事は、あなたを決定的にそうさせるスイッチでしか、なかったのです。
つまりあなたは、少年期にはすでに「人間嫌いの芽」を、ココロに抱いていたことになります。
なぜなら、少年期に充分に家族に愛された人なら、上に挙げたような出来事に遭っても、深くは動じません。
「こんなことも、あるんだな」と思い、数日後には立ち直っています。
「正しく人を信じる」ことができる人は、「この世には、信じられない人もいる」ことを知っています。
ですから人に裏切られても、ココロに深手を負うことは、ありません。
では現在、人間嫌いに陥っているあなたは、どのようにそれを克服すればいいか?
それには、下記ページを参考にしてください。
「人間不信」とは「自分不信」。対策は、多くの人との交流により、自分を知り、「信じられる自分」を創ること
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私の経験から述べるかぎり、「人間嫌い」の根底には、「幼少期に親に愛されなかったトラウマ」があります。
たとえなにかが原因で、人間嫌いに陥ったような人でも、その人の根底には、「親からの愛情不足」という根因が存在します。
そこから、「まったく先天的な人間嫌い」というものは、ありません。
人は幼少期に、親からの愛を知っているからこそ、初対面の人に会っても、「この人は、信じられる」と、判断できるのです。
では現在、人間嫌い、人間不信にある人は、どうすればいいか?
それは再度述べますが、下記ページにて述べられております。
「人間不信」とは「自分不信」。対策は、多くの人との交流により、自分を知り、「信じられる自分」を創ること
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