「好き」とは何かの、哲学的解答。あなたは好きな人に、どう対応すべきか?

はじめに

 

 

 

 

 

好き」という言葉は、あまりに日常で使われすぎているため、その本来の意味をあらためて尋ねられると、なかなか答えられません。

 

 

 

ここであえてあなたにお訊きしますが、「好き」って、何ですか?

 

 

 

それはひとつの感情ですよね?

 

 

 

では一体、どんな感情ですか?

 

 

 

ほら、あなたは全然、答えられないでしょ?(笑)

 

 

 

ですが、人生を生きていくにあたり、「好きって、何?」がわからなければ、自分の判断に確信が持てません。

 

 

 

「牛丼が好き」、「ゲームが好き」、「音楽が好き」等、「好き」にもいろいろありますが、もっとも大切なのは、「だれのこと(人)が好き」という想いです。

 

 

 

同性、異性をふくめ、「だれのことが好きか」ということで、その人の人生は変わっていきます。

 

 

 

また、「その人が好き」にしても、「好き」の中身がよくわからなければ、その好きな人に対する対応もまた、わからなくなってきます。

 

 

 

ですのでこのページでは、おもに「人、とくに特定の異性が好き」というテーマから、「『好き』とは何か?」ということを、哲学的に探っていきたいと思います。

 

 

 

乞う ご期待!(`・ω・´)ゞ

 

 

 

 

 

第一章 「好き」とは、一般の人間による対象の価値判断

 

 

 

 

 

さて、「好き」とは何かですが、これはいきなり、解答から述べます。

 

 

 

それは、「感情レベルにおける、対象の肯定的判断」です。

 

 

 

これだけ言うと、あなたにはちょっと意味がわからないでしょう?

 

 

 

ですので、ここをくわしく説明していきます。

 

 

 

まずはじめに、私は「感情レベルにおける」と申しました。

 

 

 

ここから最初に、やや遠回りになりますが、「感情とは、何か」を、明らかにしていきたいと思います。

 

 

 

いまから2500年ほど前、古代ギリシアにソクラテスという哲学者がいました。

 

 

古代ギリシアとは、「哲学」を生んだ国で、哲学ができたばかりのころは、さまざまな事象が、哲学の対象になりました。

 

 

 

たとえば、「万物の根源は、火だ」、「いや、それは数だ」とか、「世界の真理は一つだ」、「いや、真理はそもそも、人間には理解できないものだ」とかです。

 

 

 

そうした数多くの哲学のテーマを、ある3つの概念にまとめたのが、ソクラテスという人物です。

 

 

 

ソクラテスは、<真・善・美>こそが、哲学が問題とすべき、もっとも重要な事柄だと主張しました。

 

 

 

そしてソクラテスの言葉は、2000年以上にわたり、西洋では大きな影響を持つようになったのです。

 

 

 

さて、そこでソクラテスが語った<真・善・美>ですが、これらは何を意味するのでしょう?

 

 

 

これは、簡単に言ってしまうと、こんな感じです。

 

 

 

〇真→理性や論理によって、把握される真理

 

 

〇善→「悟性」という、ほぼ「感情」、「常識」に近い認識能力によって、感得される真理

 

 

〇美→「感性」、「感覚」により把握される真理

 

 

私がこう言っても、ちょっとわかりづらいかもしれません。

 

 

 

ですので、今度は少し、言い換えてみましょう。

 

 

 

まず、以下の点を押さえてください。

 

 

 

〇論理による説明が理解できるのは、人間のなかでも、賢者や哲学者だけである。

 

〇「常識」を基準に生きているのは、全生物のなかでも、人間だけである。

 

〇感性を持つ存在は、生物だけである。岩とか塩とかの無生物は、そもそも「感じる」ということもできない。

 

 

ここから、以下のようにいえます。

 

 

 

 

〇「真」とは、賢者、哲学者にとっての真理

 

〇「善」とは、一般的な人間にとっての真理

 

〇「美」とは、生物にとっての真理

 

 

 

 

さて、私はこの章のはじめに、「好き」とは「感情レベルにおける、対象の肯定的判断」を指すのだと、申しました。

 

 

 

つまり、「好き」とは「感情」によって判断されるということです。

 

 

 

そして前述したように、「感情」で行動するのは、一般的な人間です。

 

 

 

ただしもちろん、「感情」は人間の専売特許ではなく、ある程度、高等な動物でも持っています。

 

 

 

しかし、動物が行動の規範としているメインのものは、「本能」、「感覚」です。

 

 

 

決して「感情」のみにより、生きているわけではありません。

 

 

 

すると、喜怒哀楽という「感情」を主な行動指針として生活を営んでいるのは、一般的な人間だけです。

 

 

 

そこから、「好き」とは、「通常の人間が生きていくうえで、なにかの対象を判断する基準」ということになります。

 

 

 

 

第二章 「好き」の根本機能は、自分の味方を判別すること

 

 

 

 

さて、上記から理性、感情、感覚という各認識能力には、レベルがあるということがわかりました。

 

 

 

つまり、高いものから順に、

 

 

 

 

理性→感情→感覚

 

 

 

 

ということに、なります。

 

 

 

そして現在、私が問題としているのは、「好き」という気持ちを生み出す、「感情」です。

 

 

 

ならばまず、「感情」とは、生物のどの段階で発生したのでしょう?

 

 

 

おそらく、脳を持つ脊椎動物(背骨がある生物)からだと思います。

 

 

 

つまりは、魚類あたりからでしょう。

https://www.dplay.jp/article/0000004557

 

 

鳥類、哺乳類となれば、これはもう明白に、感情はあるでしょう。

 

 

 

というのは、彼らは「愛」を持つもの特有の、「じゃれ合う」、「甘える」という行動を見せるからです。

 

 

 

ただし、動物の段階ではやはり、メインの行動規範は、本能にあります。

 

 

 

なぜなら動物には「自由意志」がない以上、「本能」に従って生きるほか、ないからです。

 

 

 

そしてここで問題となるのが、「なぜ生物に、感情が発生したか」ということです。

 

 

 

その理由のすべてではないでしょうが、重要な要素として、以下の点が挙げられると思います。

 

 

 

 

「自分の敵と味方、自分にとって好ましいものとそうでないものを判別する」

 

 

 

まず感情がもたらす「好き」の気持ちを共有するもの同士は、一緒に行動したがる、交尾をしたがる等の行動を見せます。

 

 

 

これはつまり、「異性愛」の原型ともいえるものです。

 

 

 

さらに、たとえ動物であろうと、好きなものには自己犠牲のような行動を取る、ずっと一緒にいたがる等の様子を見せます。

 

 

 

また逆に、生物は「好き」の反対の「嫌い」という感情を持ってしまったものに対しては、どうするでしょう?

 

 

 

その対象に対し、合理的な理由もなく、嫌悪の感情を示したり、あるいは避けたりします。

 

 

 

これは人間の女性がよく言う、「あの人、なにが悪いってわけではないけど、生理的に受けつけないのよね」という反応の、原型ともいえるものでしょう。

 

 

 

くわえて、「好き」がさらに進化したものが、「愛」だと、私は思います。

 

 

 

というのは、「好き」という感情は、基本的に複数のもの、複数の存在に対し、働きます。

 

 

 

しかし「愛」とは、恋人同士はもちろん、家族、共同体、さらには国民同士をも団結させ、一つのものにする、広さと深さがあるからです。

 

 

 

ここを簡単に、例を挙げて説明します。

 

 

 

たとえば大人の場合、「好き」の範囲内でしたら、同性でも異性でも、だれを好きになっても許されます。

 

 

 

しかしたとえば、「恋人として愛している存在」が、2人も3人もいれば、その人は「身持ちが悪い」と思われ、社会的にはあまり尊敬されません。

 

 

 

また、「だれそれが好き」といえば、それは相手の人格を認めながらも、その人と自分とは、あくまで友人同士という関係を超えません。

 

 

 

しかし、「恋人を愛している」と言ってしまえば、彼と恋人とは、「カップルのなかの、片割れ同士」という見方をされます。

 

 

 

つまり人間同士でいえば、「好き」の範囲内であれば、だれともつながれ、たとえば「野球が好きな者同士」のように、その結びつきは緩やかです。

 

 

 

ところが、「愛している者同士」という関係になれば、これは「2人で1つ」の関係性と見られ、深いつながりを意味するということです。

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第三章 高度な認識能力と豊かすぎる感情のため、自分の「好き」を表明できない現代人

 

 

 

さて、そうして高度な認識能力と、豊かな感情を獲得した人間ですが、それが逆にアダとなり、自分の「好き」という感情を満たせない場合が出てきます。

 

 

 

というのは、人間は本能から離脱し、「理性」により共同体を維持する存在にまで、なったからです。

 

 

 

たとえば、シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』のように、社会的事情により、愛し合う者同士が一緒になれないケースもあります。

 

 

 

さらに人間は、多くの豊かな感情を持ちすぎたため、自分の気持ちに素直になれない、ということも起こります。

 

 

 

たとえば、小学校の低学年児でさえ、仲の良い男子生徒と女子生徒を、からかったりもします。

 

 

 

それどころか場合によっては、いつも一緒にいる2人の同性の生徒さえ、冷やかしたりもします。

 

 

 

その理由は、嫉妬や、最近よくいわれる、相手より精神的に上に立とうとする「マウンティング」などによるものでしょう。

 

 

 

またさらには、中学生にもなれば、少年・少女はもれなく「第二次性徴期」が始まります。

 

 

 

具体的に述べれば、男子には精通が起こり、女子は初潮をむかえ、異性への関心が抑えられないくらい、強くなっていくということです

 

 

 

つまりは、じょじょに理性や社会性が発達してくる時期に、生物としては根源的な、「生殖」に関わる機能が、本格的に露わになるのです。

 

 

 

そうなるともう、恥ずかしいやら気まずいやらで、異性とまともに会話もできなくなる少年・少女も出てきます。

 

 

 

またこの時期に、前述したように第二次性徴期が激しく現れるため、いわゆる「初恋」を経験する少年・少女は多いです。

 

 

 

ですがその大部分が、意中の相手に指一本、触れることなく関係も始まらないうちから終わります。

 

 

 

それはもちろん、それと同時期に発展した理性や社会性により、その感情を表出することが、おそろしく恥ずかしいものになるからです。

 

 

 

その理由は、何度も申しますがまさに、彼や彼女がまさに第二次性徴期を経験したことにあります。

 

 

 

第二次性徴期を経た肉体は、基本的に性行為、妊娠、出産が可能です。

 

 

 

つまりその気になれば、自分が生命を生み落とすことが、できるようになったということです。

 

 

 

そこからこの時期には、相手に対する気持ちが、「好き」から「愛」にまで発展したということができます。

 

 

 

しかしその反面、自分は精神も幼く、知恵もついておらず、社会のことも、まったくわからない。

 

 

 

つまりは、性行為が可能なだけで、それ以外はまったくの子どもであるということです。

 

 

そしてそんな自分にとっては、生命の親になるなど、あまりに重い。

 

 

 

こうした現実が、少年、少女に、異性から距離を置かせます。

 

 

 

そうして、いまではどうかわかりませんが、私が中学生だったころは、男女の生徒同士が気軽に話をするという雰囲気は、まったくありませんでした。

 

 

 

もちろんみんな、異性が嫌いなのではなく、相手があまりにまぶしく見え、どうしても態度までも、よそよそしくなってしまうのです。

 

 

 

ちなみに、私の場合もそうでした。

 

 

 

中学2年生のころ、私は学校の教室と塾で同級生だったある美少女が、熱烈に好きでした。

 

 

 

それはまさに、「恋」といって間違いないものでした。

 

 

 

ちなみにですが、「恋」とは、性欲を原動力とし、特定の異性に対して向かう「愛」を指します。

 

 

 

しかしまさに上記の理由から、私は彼女と言葉を交わすこともなく、中学卒業後に別れて以来、一度も会うことはありませんでした。

 

 

 

この気持ちは、1983年にリリースされ、いまだに聴き継がれている、村下孝蔵の名曲、「初恋」の歌詞、そのものでした。

 

 

 

♪名前さえ呼べなくて とらわれた心見つめていたよ♪

 

 

 

ちなみにこの曲はまさに、私がかなわぬ初恋に身を焦がしていた時期に、流行していたので、いまだにココロに残っています。

 

 

 

♪遠くで僕はいつでも 君を探してた

 

浅い夢だから 胸を離れない♪

 

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第四章 高度な人間の頭脳が生んだ、「本音と建前」

 

 

 

 

 

またこれも、人間の感性が豊かすぎ、その個々人の性格に差がありすぎるためでしょう。

 

 

 

人は、自分のココロの底というものを知られるのを、極度に恥ずかしがります。

 

 

 

これは、若い人ほど顕著です。

 

 

 

それにくわえ、この点は肉体的な面でもおなじです。

 

 

 

若い人ほど、自分の裸を見られるということを、たいへんに恥ずかしがります。

 

 

 

この点は、キリスト教等の教典、『旧約聖書』における、エデンの園での、アダムとイヴをめぐる「知恵の実」のエピソードからでも、わかります。

 

 

 

エデンの園に住んでいたアダムは、「知恵の実を食うな」という神の教えに背き、それを妻イヴとともに、口にしてしまいます。

 

 

 

するととたんに、2人には知恵がついたかわりに、自分たちが裸でいることが恥ずかしくなったのです。

 

 

 

そしてアダムとイヴは、神からエデンの園から、荒野へと追放されます。

 

 

ちなみにキリスト教やユダヤ教ではこれを「原罪」と呼び、労働をはじめとする苦痛を、人間が負わねばならなくなった原因と、とらえます。

 

 

 

ではなぜ、そういうことになるかというと、人間には「本音と建前」という性質があるからです。

 

 

 

人間は本能から離脱し、「理性」により、協働が可能となり、高度な文明を築き上げました。

 

 

 

ところがそれゆえ、「公の労働の場」において、個々人が「自分の動物性」を表すと、社会が成り立たなくなるのです。

 

 

 

たとえば、おなじ仕事場に、自分好みの女性がいたからと、彼女を襲ったりしていては、仕事になりません。

 

 

 

そこから人間には、「自分のなかの感情を満たす場」と、「理性的に仕事を行う職場」とが、求められるようになったのです。

 

 

 

これはまた、「ホームとアウェイ」、「本音と建前」とも、表現されますが。

 

 

 

ただし未開社会ほど、その区別は緩やかで、近代社会になるほど、厳密になるという事実はあります。

 

 

 

そうしたことから人間は、「自分の職務をまっとうする場」=「社会」で、自分の趣味を表すことが、はばかられるようになりました。

 

 

 

「そうしたことは、お前の家で、お前のカミさん相手にやれ」。

 

 

 

これが人間社会が、個人に求める最低限の常識です。

 

 

 

さらにこれこそが、人間が「自分の好き」を、簡単には表現できない理由でも、あります。

 

 

 

 

 

第五章 各年代ごとにおける、「好き」を表明するにあたっての、個人的、社会的事情

 

 

 

 

 

さて、ここで話題は、身近なものになっていきます。

 

 

 

 

これは平成の時代から崩れていきましたが、昭和時代の常識では、中高生の男女は交際しても、セックスはしないのが常識でした。

 

 

 

昭和時代においては、そのような保守的な若者が多かった反面、「なら、大学生になったら、セックスは解禁!」と、はじける者も、相当数いました。

 

 

 

こうした風潮は、1960年代あたりからの「フリーセックス運動」から始まり、80年代のバブル期で絶頂に達したように思われます。

 

 

 

そうした大学生たちの心理や価値観を表した小説として、1980年に発表された、田中康夫のデビュー作、『なんとなくクリスタル』が、あります。

 

 

 

ところが、平成の初期をピークに、若者たちの性に対する価値観は、どんどんと保守化していきます。

 

 

 

その原因は間違いなく、社会の貧困化にあります。

 

 

 

それにより、自由に使えるおカネが少なくなった若者たちは、異性への執着が薄くなっていきます。

 

 

 

さらには、ゲームやIT、アダルトソフト等の発展のため、若者たちは性欲解消だけなら、おカネもかけずに気軽にできることに気づきます。

 

 

 

その価値観のもとに育ったのが、令和の現在における「さとり世代」や、その下の世代の若者、つまり、「あなた」というわけです。

 

 

 

ちなみにですが、こうした現象は歴史上、文明が発達した地域では、必ずといっていいほど、起こります。

 

 

 

その理由は、一部の文明人にとっては、恋愛やセックスより楽しい娯楽がたくさんあるというのが第一。

 

 

 

次に、そうした地域では個人主義が進むため、一人の恋人などに束縛されるのを嫌う、というのもあります。

 

 

 

さらには、文明社会での生活が、人々の自然で本能的な欲望をも、ゆがめてしまう、ともいえるかもしれません。

 

 

 

たとえば、古代ギリシャにおいては、「恋」といえば、男性間のものを指すのが通常でした。

 

 

 

古代ギリシャ人にとっては、異性とのセックスは、子孫を残すため、仕方なく行うものでした。

 

 

 

さらにわが国でも、戦国時代から江戸時代にかけては、は男色(なんしょく)といって、侍同士が関係を持つのは、当たり前でした。

 

 

 

しかし、そのように時代が変わっても、恋する若者がゼロになったわけでは、ありません。

 

 

 

むしろ現代では、若い男はいわゆる「ヤリチン」の遊び人と、まったく異性に触れない「草食系、絶食系男子」とに二極化されたとも、いわれます。

 

 

 

 

 

そして、昭和時代であろうとも令和の現在であろうとも、変わらない事実があります。

 

 

 

それは、「社会人になったら、交際もセックスも、自己責任のもと、本人の自由」という常識です。

 

 

 

こうした現実から、人間の社会には、年齢に応じて以下のような、個人の「好き」を表すにあたっての違いがあるということです。

 

 

 

これは、図式化すれば、こうなります。

 

 

 

幼年期→「好き」を自由に表明できる。幼児や赤ん坊は、親に対してどれだけ愛情を求めても、許される

 

 

少年期→社会性や理性、および強すぎる性的衝動が現れるため、「好き」をなかなか自由には表現できなくなる。なおこの時期を境に、単なる「好き」を超えた「愛」を感じる者が増えてくる

 

 

青年期以降→自己責任において、「好き」、「愛」をどう表現しようが、本人の自由。まわりも、たとえ妬みの気持ちがあったとしても、他人の恋愛事情には、干渉しないのが、暗黙の了解。そして当人は、自分の「好き」を、自分の個人的な空間と時間で実現させる。

 

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第六章 「男らしく」育てられなかった、あなたの現状

 

 

 

 

 

さて、これまで私は、主に学生時代にある若者をめぐる、「好き」、「愛」の環境について述べてきました。

 

 

 

ところで、中高生、場合によっては大学生も、学校によっては男子校・女子高と男女別になっているのには、じつはそれなりの理由があるのです。

 

 

 

それは、「男の子は男らしく」、「女の子は女らしく」という、近代的価値観にもとづくものです。

 

 

 

まず少年には、早いうちに同世代の女子から切り離し、荒っぽい環境のなかで、「たくましく責任が取れる男性」に育てるという意義があります。

 

 

 

また少女には、同様に男子には会わせず、そのなかで「芯が強く、凛とした女性」にするという目的があります。

 

 

 

こうした価値観は、現代では現実的にはやや破綻しており、実際の教育現場でも、上記のような理念どおりには、いっていないようです。

 

 

 

つまり、男子はいわゆるオタク系が多いため、環境も厳しくなく、たくましい生徒も少数派だそうです。

 

 

 

一方の女子ですが、こちらも異性の目がないため、かえってだらしくなく、ズボラで身なりに無頓着な生徒が多いと聞きます。

 

 

 

しかし現実はともかく、これが理想どおりに運べば、そうして育てられた男女は、大人になってから、立派な恋愛ができることとなるはずです。

 

 

 

つまり、たがいに思いやり、たがいに成長し合える恋愛が可能なはずだ、ということです。

 

 

 

さて、今度はここで、あなたの場合を述べます。

 

 

 

あなたは間違いなく、少年期、青年期前期をうじうじと過ごしてきたため、いますぐ成熟した、大人の恋愛など、とてもじゃないが、できないでしょう。

 

 

 

失礼ながらあなたは、同年代の女性と比べても精神年齢が著しく低く、そもそも傷つきやすすぎるので、相手に近づくことも、できないと思います。

 

 

 

それでもあなたは、現状に不満があるからこそ、こんなサイトを見ているのですよね。 (*^^*)

 

 

 

そんなあなたを、私は悪く思いません。

 

 

 

なぜなら現在のあなたは、私があなたの年齢であったときよりも、よほどマシだからです。

 

 

 

さらに、あなたがたとえ現在では、恋愛のできない気質、体質であっても、あなたがそうなったのは、あなたのせいではありません。

 

 

 

あなたは、おおよそ「自分で自分を変えていく」という努力もできない幼いときに、あなたのご両親や環境により、そのように育てられただけです。

 

 

 

その意味で、あなたは「状況の被害者」ともいえます。

 

 

 

またそれでも、あなたには性欲もあり、たとえオタクグッズや AV ソフトを多く持っていたとしても、現状には不満があるのでしょう。

 

 

 

あるいは、現状のままで過ごしていった、10年後、20年後が、想像するだけでも恐ろしいということもあるでしょう。

 

 

 

そうしたことから、ここからはあなたが「好きな人」に、どのように接していけばいいかを、説いていきます。

 

 

 

 

 

第七章 出会い系等を使うか、身近な女性に当たるか

 

 

 

 

 

まず「女性慣れする」ために、女性の多いところに身を置くというのは、いいアイデアでは、あります。

 

 

 

しかし実際に仕事をしていれば、そうしたことは、なかなかむずかしいのが現状です。

 

 

 

そこでまわりくどいことは止めて、いきなり女性とつき合うことを考えてみるといいでしょう。

 

 

 

基本的に、「男女がつき合う」というのには、2つのパターンがあります。

 

 

 

まずは、つき合う前から双方が、もしくはどちらかが相手のことが好きで、そこから交際へと発展するパターン。

 

 

 

もう一つが、最初は好き同士でもなかったが、寂しさや異性を必要とする事情から、じょじょにか、はじめからか、交際へと発展していくケース。

 

 

 

今回は、後者の方をご説明いたします。

 

 

 

まずいきなりですが、あなたはご自分とお似合いと思える程度の女性に、デートかお茶を申し込んでください。

 

 

 

急にそんなこと言われても、まわりに女性自体、いないよと、あなたはおっしゃるかもしれません。

 

 

 

ですがあなたが若ければ、出会いはいくらでもあります。

 

 

 

合コン、街コン、出会い系など、むしろありすぎるほどです。

 

 

 

またそうした出会いを、たとえば業者をつうじて探すにせよ、最近では信用できる業者とそうでないとここを見分ける方法は、出回っています。

 

 

 

たとえばふつうに web 検索から、業者や主催者のレビュー等を見るだけで、だいたいのことは、わかります。

 

 

 

そうして下調べをした上で、女性との出会いに踏み切りましょう。

 

 

 

またもちろんですが、あなたの職場に、すでに気になる相手がいる場合もあります。

 

 

 

 

そうした女性にアタックするのも、いいでしょう。

 

 

 

しかしご存じのように、職場恋愛はリスクが多いです。

 

 

 

デートに誘って断られたとき、気まずくなる、つき合えることとなっても、それは基本的に、結婚が前提となってしまう。

 

 

 

そのため、別れたくなっても、なかなかそうはできない、等です。

 

 

 

ですから、職場の女性にあたるときは、根回しはしておいたほうがいいです。

 

 

 

たとえばふだんから、事務的なことでもいいので、よく声をかけておく、あなたと彼女との接点を、意図的に多くつくっておく等です。

 

 

 

そうしておかなければ、もしほとんど口も利いたこともないのに、いきなりデートのお誘いや告白をしても、いい結果は望めないでしょうからです。

 

 

 

それどころか、そのことが他の同僚に知られたら、あなたはおそらく、社内での居心地が悪くなるはずです。

 

 

 

さて次に、あなたがよく利用するお店など、あなたの生活圏内に意中の女性がいたとします。

 

 

 

 

ここでも、攻略は同様です。

 

 

 

とかく彼女との接点を多くして、それから機を見て、デートなどにお誘いすればいいのです。

 

 

 

ですがここでも、彼女へのアプローチに失敗すると、もうその店には行きづらくなる等のリスクもあります。

 

 

 

さらに残念ですが、そんなに女性に対して器用にふるまえるあたなでは、ないでしょう。

 

 

 

だからこそ、最初は相手方にも異性と交際する意思のある女性と、つき合ったほうがいいのです。

 

 

 

またちなみにですが、なぜあなたは、好きな女性に対して、能動的にふるまえないのか?

 

 

 

それは、あなたの育ちに原因があります。

 

 

 

これは私もそうでしたが、幼少期から必要なものは、親やまわりの大人が勝手に用意してくれました。

 

 

 

ですのであなたは、「自分はなにが欲しい」ということが主張できないし、また、自分自身で何が、誰が好きかも、わからないということもあります。

 

 

 

さらに、私やあなたのように、まともな愛情を受けずに育った者は、プライドは高くても、自己肯定感は低いということは、現実としてあります。

 

 

 

ですからあなたは、傷つきやすすぎて、なかなか恋愛へと進めないのです。

 

 

 

だからあなたはたとえば、「相手にフラれた」とかではなく、「相手に声をかけられない」等の自分側の事情により、勝手に傷ついてしまうことも、あるでしょう。

 

 

 

さらに、いくら女性の権利が強くなった現代でも、恋愛において最初に声をかけるのは男性側で、女性側は誘いを待っているというスタイルは、変わりません。

 

 

 

ですのでたとえ、相手があなたに関心があっても、あなたはどうやって彼女にアプローチすればいいか、わからないとうこともあります。

 

 

 

この点、私から言えることは、とかく彼女との接触を増やすことです。

 

 

 

というのも、女性でも男性でも、会う頻度が多い人間には、好意を持ちやすいということがあるからです。

 

 

 

私はそういうとき、機を見て相手と最低限の会話を交わしますが、あなたにそれができないのなら、仕方ありません。

 

 

 

恋愛に慣れないあなたなりに、計算をしながら相手の態度を見極め、そして「イケる!」と思えば、お誘いの実行あるのみです。

 

 

 

さて、職場をはじめとする身近な女性に対してのお誘いについては、これまでとします。

 

 

もしこれを実行されるなら、上記リスクを覚悟して、玉砕覚悟で勇気をもって当たってください。

 

 

 

 

第八章 恋愛を積み重ね、「好き」の気持ちを理解する

 

 

 

 

 

さて、そうしたわけであなたは、出会い系、街コン、合コンなどに参加することになったとします。

 

 

 

その際ですが、まずはとかく、いわゆるあなたのスペックと合う女の子に、声をかけるようにしてください。

 

 

 

つまり、無口で、なににおいても反応が薄く、意思表示がはっきりしない、いわゆる「陰キャ」の女の子です。

 

 

 

人間とは基本的に、自分と同程度の相手としか、つき合えません。

 

 

 

ならばあなたは、最初からあまりに自分の理想を追求するのではなく、好き嫌いをあまり出さず、ちょっと暗めの女の子を狙うのです。

 

 

 

ただしそういう子ほど、異性との交際経験が少ないため、そこには長所と短所があります。

 

 

 

まず長所として、「異性とつき合った経験が少ない」ため、こちらに従順である場合が多いです。

 

 

 

だから、あなたの頼んだことをしてくれる、あまりわがままを言わない、等の点が挙げられます。

 

 

 

そのため、『源氏物語』の光源氏と紫の上ではありませんが、あなたは彼女を、自分の好きな色に染めていく、ということも可能になるかもしれません。

 

 

 

私の見たところから述べればこの場合、こうしたタイプの女性は、若いほどあつかいやすいです。

 

 

 

彼女は原則として、素直で地味であるため、人生経験を積んでいない分だけ、純粋さを多く残しています。

 

 

 

ただこのタイプが恋愛経験のないまま、20代後半とかになってしまうと、いわゆる「こじらせ系」になる確率が高いです。

 

 

 

たとえば、自分の彼氏像を二次元キャラから妄想し、気に入った男性に少しでも欠点があれば、すぐに冷めてしまう。

 

 

 

あるいは、「恋愛とは、こうこうこういうものでなければいけない」のように、現実を柔軟に受け入れられない、等です。

 

 

 

ですがこうした女性でも、若いうちは大丈夫です。

 

 

 

ただし彼女は、ハッキリとした意思疎通が苦手なため、あなたが彼女の意向をくんでやる必要が出てきます。

 

 

 

その点は、まだ自分のことだけで精一杯のあなたには、少し厳しいかもしれません。

 

 

 

とかく、そうしてあなたが思い切って彼女とつき合うようになれれば、あなたは彼女から、多くのものが学べます。

 

 

 

これまで一人で生きてきたあなたですが、これからは「相手を思いやる」ということを、求められるようになります。

 

 

 

そこでもちろん、あなたは卑屈になりすぎないことも、重要です。

 

 

 

そうして恋愛のなかで、「相手を喜ばせ、自分も若さを満喫できれば」、必然的に、あなたも彼女も成長できます。

 

 

 

すると結果的に、彼女は明るく垢抜けた女性となり、あなたもウジウジした部分が、消えていくかもしれません。

 

 

 

なおさらに、2人のあいだで、「漠然とした好意」だったものが、いつしか本物の「恋」や、「愛」に変わっていくことも、考えられます。

 

https://www.pixivision.net/ja/a/1012

 

 

そのようにあなたが男性として成長できれば、そのときには別の女性との恋愛も可能となります。

 

 

 

なぜならその際には、あなたは「好き」という気持ちを理解できるようになっているためです。

 

 

 

そのためあなたは、「いろんな他者を受け入れる」ということが、可能となっているでしょう。

 

 

 

というのも「好き」とは、「感情レベルでその対象を肯定しているため、それに近づきたい、一緒にいたい」という思いだからです。

 

 

 

すでに一人の女性を「好きになり、受け入れた」あなたの中身は、より広く大きくなり、男女問わず、多様な人間が入るようになるでしょう。

 

 

 

ですから、もし最初の女性と結婚までいくなら別ですが、そうでないなら、あなたはいろんな女性と恋愛を重ねることで、人間の幅が広がります。

 

 

 

そして、真剣な気持ちで女性に向かっていけば、恋愛をくり返すごとに、あなたのココロはバージョンアップされていきます。

 

 

 

そのときのあなたはもちろん、女性の心理のアヤも、理解できているようになっています。

 

 

 

さらに当然ですが、自分の気持ちや、自分の「好き」もわかるようになり、自分のココロに素直に生きるということが、可能になっています。

 

 

 

そうなれば、そんな自信に満ちたあなたは、どんな女性ともつき合えるようになれているはずです。

 

 

 

とかく男女関係では、「相手を思いやる」「たがいに成長する」ことさえ意識していれば、あなたの人間性そのものが、大きくなれているでしょう。

 

 

 

 

 

第九章 20代は恋愛せず、ひたすら自分を高めることに没頭する方法

 

 

 

 

 

また、あなたという人間を磨き、さらに高度なレベルで、「好き」という気持ちを現実化させる方法が、もう一つあります。

 

 

 

それは、20代のころは恋愛に目もくれず、なにかに打ち込み、ひたすら自分を高めておく、ということです。

 

 

 

このときの注意点は、一つのことに没頭しつつも、視野狭窄にならないよう、多くのものに関心を持ち、多様な経験を積むことです。

 

 

 

打ち込む内容は、会社の仕事、自分で起こしたビジネス、趣味、スポーツと、自分を成長させてくれるものなら、なんでもいいです。

 

 

 

そうして自分という人間の価値や、社会的な地位を高めていくのです。

 

 

 

そしてそれらが一通り、自分の身についたと思ったところから、恋愛を始めるのです。

 

 

 

まず昨今の男性なら、30代からの恋愛デビューは、別にめずらしいことでは、ありません。

 

 

 

問題はそのときに、あなたがどれだけ魅力的な男性になれているか、ということです。

 

 

 

そんなあなたに見合った素敵な女性ならば、あなたに恋愛経験が少ないことなど、気にしません。

 

 

 

むしろ、一つのことに打ち込んで、自分を高めてきたあなたを、尊敬さえするでしょう。

 

 

この点について、私の空手の師匠は、40代前半まで、ずっと空手修行に打ち込んでいました。

 

 

 

ですが、師匠のそんな姿をずっと見ていて、憧れていた、美術教師をしている女性がいました。

 

 

 

結局、師匠はその女性と、その年齢で結婚することになったのです。

 

 

 

師匠夫婦は、とても仲が良く、いまでもたがいに尊敬し合える関係を、ずっと続けています。

 

 

 

 

 

第十章 「可愛いは、絶対正義」を知った、若いときの私

 

 

 

 

 

また、そうした生き方は、私の20代のものでも、あります。

 

 

 

私の場合は、別に異性を意識したからというわけでもありません。

 

 

 

しかしある事情から、「自分で自分を創り変える」ということをしなければ、ならなくなりました。

 

 

 

そのために、各種学問や、空手等に励んだというわけです。

 

 

 

じつは20代前半まで、私は女性が怖かったです。

 

 

 

というのは、私は幼少期に病弱だったため、母に過保護に育てられたためです。

 

 

 

そうして私には姉がいたのですが、姉は母がそんな私ばかりにかまうので、年中不機嫌で、私に当たり散らしていました。

 

 

 

いま思っても、鬼のような女だと思います。

 

 

 

たとえ環境と寂しい気持ちが、彼女をそうさせたにせよ、その狂暴さと私への憎悪は、いまから考えても並外れていました。

 

 

 

そして父は、そんな家庭には無関心で、そもそも家長として家を治める意志も精神力もありません。

 

 

 

そんな生活が、十年以上、続いたのです。

 

 

 

これは完全に現在でいう、「機能不全家族」でした。

 

 

 

そうした経験から、私は少年期には、女性とは自分に敵意を向けてくる存在と認識したので、女性が怖かったのです。

 

 

 

また中高生時代は、私のそうした怯えた態度と心身の病気のため、同世代の女性に避けられていたことが、多かったです。

 

 

 

そしてある事情から私は、高卒後にアメリカの大学へ、留学しました。

 

 

 

そこでは私の予想に反し、私は現地女性たちからは大切にされ、これは実りませんでしたが、恋もしました。

 

 

 

ところが、あることがきっかけで、私は翌年には日本に帰国しなくては、ならなくなりました。

 

 

 

ですが帰国後、アメリカでの経験が、女性に対する自信となりました。

 

 

 

当時の私は、自閉的な精神を抱えており、他者との認識交流がうまくいかないで、精神は子どものままでした。

 

 

 

ですが私はそこを、逆手に取ったのです。

 

 

 

私は栄養療法、温熱療法等で、心身の病気を改善させていきながら、男女問わず、多くの人と交わり、自分なりのキャラを、意図的に確立させていきました。

 

 

 

それは、「弟キャラ」「お子ちゃまキャラ」でした。

 

 

 

私は、アメリカでの経験等から、「下手に出て入れば、自分は他人からは、可愛く見られる」ということを発見したのです。

 

 

 

さらに帰国後、「人は基本的に、他人には自分に関心を持ってもらいたく、自分の話を無条件で聴いてもらいたい存在だ」ということも、わかりました。

 

 

 

そうして試行錯誤の末、現在の自分のキャラを手に入れたと、いうわけです。

 

 

 

しかもこのキャラはまず、私は前述のように幼少期、少年期に父親から愛されず、母親から歪んだ愛をあたえらていました。

 

 

 

そのため「本当の愛」、「人から可愛がられること」に飢えていた私には、ピッタリのものだったのです。

 

 

 

そのため、20代後半になったときには、私にとって、女性は怖い存在ではなくなりました。

 

 

 

その後、それほど多くの恋愛経験を積んだわけではありませんが、少なくともどんな女性とも、相手に警戒されずに親しくなる術を、私は身につけたのです。

 

 

 

 

その結果として私は、母性の強い年上の女性には必ず、どこへ行っても大切にされるようになりました。

 

 

 

そしてそれは、50歳目前となった現在でも、まったく変わりません。

 

 

 

何度も申しますが、「好き」という気持ちは、「感情レベルでの、対象の肯定的判断」です。

 

 

 

ならば当然、「可愛いもの」というのは、とくに女性には強く訴えるものがあります。

 

 

 

なぜなら女性とは、子どもを産む存在で、その子どもが可愛いほどに、「大切にして、後世まで生かしてあげたい」という感情が働くからです。

 

 

 

また「可愛い者当人」にしても、その魅力は相手の保護本能に作用するため、生存に有利です。

 

 

 

こうした理由から、子猫や子犬、人間の子どもや無力な女性等、自力で生きていけない弱い者は、「可愛い」容姿や仕草を身につけている場合が多いのです。

 

 

 

また若いころの私は、いわゆる親分肌の男性にも、よく可愛がられました。

 

 

 

彼らから見ると、私は「出来の悪い弟」のように映ったようです。

 

 

 

ですから私は、バイトなどでしょっちゅう失敗していましたが、そうした男性たちに、「いいよ、いいよ」と、大目に見てもらえた経験が、腐るほどあります。

 

 

 

そのように、「可愛いから、好き」という感情は、その対象を活かすほどに、人間に強く働きかけるのです。

 

 

 

私は青年期に、上記のような経験を多く積んだため、いまではすっかり、高い自己肯定感を持てています。

 

 

 

また若いころの自分が人からそうされたように、私はだれにでも親切にできます。

 

 

 

というより、私はとくに意識していないのに、人になにかを教えてあげたりすると、よくこう言われるのです。

 

 

 

「ほんわかさんって、なんでそんなに優しいの? だれにも対しても、おなじ態度なの?」と。

 

 

 

 

 

第十一章 コンプや弱点も、必死に克服に取り組めば、それは恋愛の武器となる

 

 

 

そのように、もしあなたが、自分のひ弱さなどがコンプとなっていれば、それを逆手に、武器にすることもできるのです。

 

 

 

またその際、とかく重要な点は、なににでも挑戦し、あくまで自分自身と必死になって闘うことです。

 

 

 

それによりはじめて、「自分」というものが見えてきます。

 

 

 

逆にいえばあなたが、これまで「自分」がわからなかったのは、自分の意志でなにかに必死になって挑戦してこなかったから、ともいえます。

 

 

 

そうして物事を達成させることに、あるいは自分自身を高めることに一生懸命になれば、きっとあなた自身、「自分は、何が好きか」ということも、わかってきます。

 

 

 

さらにはそうやって生きていれば、「自分は、その好きなものを、どうしたいのか」、「どのようにすれば、それを手に入れられるのか」も、見えてきます。

 

 

 

またくわえて、女性とは基本的に、一生懸命、物事に取り組んでいる男性が好きです。

 

 

 

ところで私は以前に、試食販売員をやっていました。

 

 

 

そこでは私は、仕事をつうじてビジネスのノウハウ、つまり、モノはどうしたら売れるのか、という研究をしていたのです。

 

 

 

そのため、お客さんにモノを売るときは、さまざまな試みをし、懸命になって働いていました。

 

 

 

これは、私を雇っている会社にとっても、私が多くを売れば得をするのだから、win-win の関係だったはずです。

 

 

 

そうしたわけで私は、いたって真面目に働いていました。

 

 

 

ところが後になって上司から、その店の店員の女性たちが、私を好いていてくれていたと、知らされました。

 

なんでも、夢中になって取り組む私の姿勢が、女性たちの共感を呼んだようです。

 

 

 

これは私にとっては、意外なことでした。

 

 

 

また当時の私の同僚は、9割方、女性でした。

 

 

 

そしてその仕事を始めたばかりのころ、私はまったくできない販売員でした。

 

 

 

そこから自分なりに研究し、人の技術を盗んで、最終的にはその会社の全国的トップセールスマンへとなったのです。

 

 

 

そうした事実も加わってか、私はそこの会社では、すっかり人気者でした。

 

 

 

そのように女性とは、何事にも一生懸命な男性を好みます。

 

 

 

その心理はおそらく、それほどまでに仕事を大切にするなら、女性にも気を配れる人なのでは、と考えるからだと思います。

 

 

 

またあるいは、一生懸命に働くため、社会で出世しやすい、と判断するのかも、しれません。

 

 

 

よって、もしあなたに欠点や弱さがあったとしても、それを卑屈に感じる必要は、ありません。

 

 

 

むしろ露骨でない範囲で、それを克服しようとしている姿を、人に見てもらうべきです。

 

 

そうすることで男性はもちろん、女性にも、あなたは好かれることになると思います。

 

 

 

ですからあなたは、「自分の弱さをさらせる勇気」さえ持てれば、それはかえってあなたの長所にもなるはずです。

 

 

 

そうして本当に強くなれれば、あなたは堂々と、好きな女性にアタックすることも、できるようになるでしょう。

 

 

 

さて、ここで結論を述べれば、現在のあなたがいい恋愛をし、「人を好きになる気持ち」がわかるためには、2つの道があります。

 

 

 

第一点は、とかく陰キャで地味目の女性との交際から始め、恋愛遍歴を重ね、最終的に自分にとって最高のパートナーを見つけること。

 

 

 

次は、青春時代をあえて捨てて、その期間をひたすら自分磨きに徹すること。

 

 

 

そのときには、自分の長所も短所もよく分析しながら、どちらも世渡りや恋愛の武器になるか、検証し、実験を重ねることも重要です。

 

 

 

そしてそこから、あらためて恋愛へと入っていくことです。

 

 

 

先ほども述べましたが、現代では男性の30代からの恋愛デビューは、決して遅いものではありません。

 

 

 

重要なのは、あなたがそれまでに何をしてきたか、それとそのときのあなたは、何者になれているか、という点です。

 

 

 

そのようにしてあなたは、ご自分の「好き」を、社会的に現実化していってほしいと思います。

 

 

 

 

 

まとめ

 

 

 

 

 

まず「好き」とは、どういう感情か?

 

 

 

それは、哲学上ではこの世に3つあるとされる真理、<真・善・美>における、「善」の真理を指します。

 

 

 

そして「善=道徳」であり、この概念は、一般的人間が持つ価値判断材料、「感情」に属するものです。

 

 

 

さらに「好き」とは、「感情による、対象の絶対的肯定判断」となります。

 

 

 

つまり「好き」とは、通常の人間にとって、対象の存在を肯定する気持ちにほかなりません。

 

 

 

くわえて、「好き」が発展すれば、それは「愛」になります。

 

 

 

元来的には人は「好きなもの、好きな人」に対して、素直であっていいものです。

 

 

 

しかし人間は、社会的存在でもありますので、「公」と「私」を、ある程度は切り離さなければなりません。

 

 

 

そして、「私」の事情を「公」に持ち込むわけにはいかないという事情があるため、人は社会的に自分の「好き」をなかなかに実現できません。

 

 

 

それにくわえ、人間は幼児から大人への発達段階で、「理性」や「性欲」が目覚めてきます。

 

 

 

よって社会のなかで「好き」を実現できるのは、青年期以降となります。

 

 

 

ところで充分な愛情や教育を、幼年期、少年期に受けた人は、基本的に大人(青年期以降)になってからの恋愛が可能です。

 

 

 

ところがそうでない人は、まず大人になっても自分の気持ちがわからない、自分の願望をどうやって実現すればいいか、わからない、となります。

 

 

 

ちなみにそうした欠陥家庭、いわゆる「機能不全家族」で育った若者は、現在では多数派にさえ、なっています。

 

 

 

そうして育った青年が、自分の「人を好きな気持ち」を実現させるには、2つの道があります。

 

 

 

まず第一点は、自分と同レベルに暗い女の子との恋愛から始め、恋を重ねていくことで、最終的なパートナーと結ばれること。

 

 

 

もう一点は、とかく若い時期には恋愛から背を向け、ひたすら自分磨きや仕事に打ち込むことです。

 

 

 

そして30歳をすぎたころ、人に誇れる人格や社会的地位ができてから、あらためてパートナーを探せば、いいのです。

 

 

 

また後者の道を選んだ場合、とにかく一生懸命生きること、自分の長所や欠点を見つめることで、勝手に恋愛の武器が手に入ることも、あります。

 

 

 

いろんなものが充実しすぎていて、かえって恋愛がしづらい現代ですが、どうかあなたなりに、ご自分の「好き」を、社会的に実現させてください。

 

 

 

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みなさん、はじめまして。(*^^*)

ほんわかと申します。

私は現在は、雑誌ライターさんなどやってます。
成長過程での歪みにより、発達障害やアトピーを、50年近く患い、30年以上かけてほぼ完全に克服しました。

 

その過程で、多くの学問、健康法、整体術などを習得し、自分と同じような立場の人、100人ほどの相談に乗ってきました。

 

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