はじめに
「虚無感」、つまり、なにをやっても満たされない気持ち。
現代の先進国では、この感覚に悩まされている人が、非常に多いです。
ではそもそも、虚無感の根源と正体とは、何か?
それは、人が生きていく上での元来の目的を失ったか、あるいは見つけられないでいるときに感じる、ココロの虚しさを指します。
ココロが虚しく空っぽなわけですから、当然そのココロは無気力感、無力感に支配されており、その人はなにかをやる気には、そうそうなれません。
ではそもそも、なぜ人は虚無感に陥るのか、なぜあらゆる生物のなかで、人間だけが虚無感を持つのか。
また、もしあなたが現在、虚無感にハマっているのなら、どうすればそれを解消できるのか、をこのページでは説いていきます。
目次
いきなり、本題から入ります。
まず人間とは、「目的的存在」です。
これはどういうことかというと、人間の生活においては、意思や行動に目的がなければならない、ということです。
たとえば、「ジュースが飲みたい」という欲求は、「のどが渇いた」という肉体の状態が生むものです。
あるいは、「本を読む」という行為には、なんらかの知識を得たい、あるいは空想の世界を楽しみたいという目的が根源にあります。
またこの点にかんしていえば、人間も他の動物も変わりありません。
動物もまた、お腹が空けばエサを食べようとするし、眠たくなれば、眠ります。
この点に着目すると、動物の一挙手一投足に、ムダなものはミジンなもありません。
たとえば、犬が他の犬や人間、あるいは他の動物とたわむれるような行為でも、それは自分のココロを安らげようとするためになされます。
人間に飼われた動物を見ても、あまりピンとこないかもしれません。
しかし大自然に生きる生物を観察すると、ココロを安らげリラックスさせることが、どれほど重要か、わかります。
なぜなら自然界とは、油断していたら天敵に襲われ、自分が食べられるかもしれません。
また好機を逃せば、エサの動物を食べ損ね、自分が飢え死にしてしまうことも、ありえます。
ですので、そんな恐怖と緊張に満ちた自然界に身を置いてみれば、ココロの安らぎがなければ、とてもじゃないが生きていけません。
ですから動物の行動はすべて、エサを食べることから自身の毛づくろい、そして戯れさえも、すべて生きる必要性から行われていることが、わかります。
ただし、動物の行動はすべて、本能において統括されており、この点が人間のそれとは、まったく異なる点です。
人間も基本的に、精神が正常な状態にあれば、無意味な行動をしないという点は、動物と同様です。
しかし人間が動物と大きく異なる点は、人間は原則として、「自由意志」により行動するという点です。
もちろん動物にも、「喜怒哀楽」という感情はあります。
しかしそれらは、「本能」により支配されており、本能の命ずるままに、動物はそうした感情に操られているにすぎません。
ところが人間の場合ですと、動物の「本能」に替わるものが、「自由意志」ということになるのです。
この点を例示するにあたり、あなたがレストランでサラダを注文した場合を、想定してください。
そもそもあなたは、なぜレストランでサラダを食べようとしたのか?
それは、あなたが最近、野菜不足を実感しているからかもしれないし、ステーキの前菜にはサラダがピッタリと考えたからかもしれません。
そこであなたは、ウエイトレスさんを呼び、サラダを持ってくるよう頼みます。
するとウエイトレスさんは、あなたの注文をコックさんのもとへと伝えます。
そうしてコックさんは、これまでの経験とマニュアル通りにサラダをこしらえ、それをウエイトレスさんを通じ、あなたの席へ運ばせます。
そこであなたは、やっとサラダに手をつけることとなります。
ここで、もしあなたが20歳を過ぎた大人であった場合、いきなり野菜を手づかみにして食べるということは、しないはずです。
あなたは、これまで家庭で教えられたとおりの手順で、まずはフォークを持つでしょう。
そうして、「トマトとレタス、どちらを先に手をつけようか」などと考えながら、野菜を口に運びます。
ここまで述べると、あなた、コックさん、ウエイトレスさんはみな、「あなたにサラダを食べさせる」という目的を共有していたことが、わかるでしょう?
そしてその目的を遂行するため、みながみな、自分の自由意志により、行動していたのです。
この点ではたとえば、サラダの食べ方や調理の仕方では、その人が成長過程で身につけた独自の方法(=クセ)が、若干、反映されているかもしれません。
つまり、「サラダをつくる、運ぶ、食べる」にしても、個人によってマナーや常識が異なる場合は、たしかにあります。
ですが、「目的を共有し、その目的達成のため共働する」という「行為の本質」については、万人に例外はありません。
これは、王様が奴隷にディナーを持ってこさせるときでも、フリーターの若者が安酒場で焼酎を注文するときでも、本質的にはなんら変わらないということです。
さて、ここまで述べれば、以下のことがわかったでしょう。
人間も動物も、必ず目的にそった行動をし、無意味な行為は行わない。
だけど、動物の行動を律するのは本能だが、人間の場合は「自由意志」だと。
ところが人間は、「自由意志」によって行動するがために、ときに元来の目的を失う、もしくは見つからなくなる、ということが、あるのです。
このページのテーマである「虚無感」を、人が感じるのは、そんなときです。
では具体的に、人が「目的を失う」とはどういうときか、挙げていきます。
まず個人レベルでいえば、たとえば目指していた大学に不合格になったときなどです。
本人にしてみれば、当初ならば希望の大学に入学したら、きっと以下のような夢を持っていたことでしょう。
好きな勉強をし、楽しそうなサークルに入り、可愛い女の子と恋愛関係になる、等々。
ところが入試に滑ったことで、それらの予定が、すべてご破算になってしまったのです。
当人としてみれば、今後、数年の予定がいきなり空白になったのですから、こんなときにはもちろん、「虚無感」を感じます。
これが「個人における虚無感」の一例です。
次に、集団でのケースを見てみましょう。
このとき、おそらくあなたはまだ生まれていないでしょうが、あなたのおじいさんやおばあさんが若いころ、1960年代くらいに、日本では学生運動が盛んでした。
なぜ当時の若者が、そんなにも社会改革に熱心だったのか。
その背景は、このページの本題ではありませんので、割愛します。
とかく当時の大学生たちは、資本主義的価値観を否定し、表面上は差別のない、共産主義的社会を目指したのです。
ですがその目的は、達せられることがありませんでした。
その理由は、マスコミ等は彼らの味方でしたが、彼らは結局は民衆の支持を得られなかったからです。
というのも、当時の日本は高度経済成長期にあったためです。
一般大衆にしてみれば、ふつうにまじめに働いていれば、自然と裕福になれる社会です。
なのにわざわざ、危険で暴力的な革命などに協力して、混乱を生んでも仕方ない、というのが彼らの本音でした。
このときもまた、学生運動に挫折した運動家たちは、深い虚無感(ニヒリズム)に陥りました。
なぜなら、自分たちの理想社会が実現されるどころか、自分たちの過去の努力も未来の栄光も、すべて否定されてしまったからです。
そうして革命家たちは、自分の意思と行動を、持てあますこととなります。
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念のために申しておきますと、この「意思と行動を持てあます」という現象は、なにかが失敗したときのみ、発生するのではありません。
逆に、物事がうまくいった、あるいはいきすぎたときにも、起こります。
この一例が、「燃え尽き症候群」というものです。
たとえば、ある少年が東大に合格することのみを、幼少期から目指していたとします。
そしてその甲斐あって、彼は東大に合格します。
ところが、彼にとっては「東大合格」だけが人生における目標だったため、東大生となったいま、自分の残りの人生を持てあましてしまうのです。
これがいわゆる、「五月病」というものです。
ともあれ、どんなかたちにせよ、それが個人であろうが集団であろうが、元来の目的を失った人間は、それを満たすために、代替的な目的を見つけようとします。
そして、それが見つかった場合、その行為にふけることにより、「ココロの空洞」を埋め合わせようとします。
たとえば、志望の大学に落ちた人は、安酒におぼれて、その感覚的な快楽に、意味を見出そうとするかもしれません。
また、次に述べるのは現実にあったことで、現在なお進行中の深刻な事態です。
社会改革の夢が破れた、若き革命家たちのことは、前述しました。
彼らがその後、どういう行動を選んだかというと、「革命が不可能なら、せめて現体制をダメにしてやる!」と、社会破壊を目指したのです。
つまり、本来なら「理想社会の実現」の手段であった、「現体制の弱体化そのもの」が、彼らにとって、「生きる目的」にすり替わったのです。
この点につきましては、いま「左翼」、「リベラル」と呼ばれている人たちが、どういう行動を取っているかを見れば、すぐにわかります。
彼らは、少しでも日本国や日本人にとって不利益で不都合な事態を実現させようと、必死になっています。
この場合、たしかに彼らのあり方は、アニメや戦隊ヒーローものに出てくる「悪の秘密結社」そのものです。
ところが彼らにとっては、ひょっとしてそうした反日行動を取ること自体が、「正義の実現」であると、本気で信じているかもしれません。
なぜなら、人間とは自分の過去における失敗や挫折を、できるだけ認めたくない存在だからです。
ならば、いわゆるリベラルの人たちも、「自分は、過去に革命闘争に敗れたからこそ、いま反日活動をしている」などという本音は、受け入れがたいでしょう。
ですから彼らにとっては無意識のレベルで、「自分の元来の目的」をすり替えている可能性が強いです。
そういえば、アニメや戦隊ものの「悪の秘密結社」のメンバーたちも、「自分たちは、絶対正義」という前提で、すべての物事を考えていますよね。
それでなにか問題が発生すると、「自分は正しい」という事実だけは絶対に動かないから、非をすべて状況や敵のせいにし、問題はまったく解決しない。
そうして残るは、テロと暴力のみ。
これは、人生問題を考える上で、格好の反面教師としての思考法ですから、若いあなたには、よく参考にしてもらいたいと思います。
以上では、やや極端なケースを挙げました。
ですが、「生きる目的」を失った人間が、その喪失感を埋める代替的行為を見つけることで、不幸になるのみならず、幸せになれる場合も、存在します。
それは、その新たな人生の目的が、より生産的で、本当の意味で他人や社会を幸せにするものである場合です。
たとえば、戦争で敵兵を殺しまくった軍人が、戦後になりその反省から、平和運動を起こし、国家間の軍事衝突を避けようとする。
あるいは労働者から搾取をくり返していた経営者が、破産してから自分の非に気づき、真の社会的事業を始める、等です。
ところが、「人生の目的」をいったん喪失した人間には、次の目的を見つけるのは、容易なことでは、ありません。
その場合には、その人はうつ病になったり、廃人のように一日中、寝込むようにもなります。
ただ厳密に述べれば、そうした行為もまた、代替行動、あるいは自己防衛反応のひとつとも、いえるものなのですが。
というのは、その人はうつ病や寝たきりになることにより、外部からの情報を遮断し、自分自身を、目的が失われたショックや抑圧から、守ろうとしているからです。
ところが、もっと問題なのは、「生きる目的」を失ったときに、そうしたわかりやすい症状が、ハッキリとは見えない人のほうかもしれません。
というのも、そうした人は明白な病気ではないが、かといって精神はつねにうつ状態にあるからです。
いわば、自分の人生そのもを完全に持てあましていながら、それに対する自覚が薄い人と、いえるかもしれません。
これが動物の場合ですと、こうはなりません。
たとえ当座の目的が失われても、彼らには基本的に、希望も失望もありません。
なぜなら彼らは、「意志」ではなく「本能」によって、認識を統括されているからです。
そもそも彼らはそれゆえ、「自分の一生の目的」を抱くこともなければ、自覚することもありません。
たとえば、ここにツバメの一家がいるとして、彼らは巣づくりに必死になっていたとします。
ところが彼らの巣は、9割方完成したところで台風に遭い、すべて吹き飛ばされたとします。
ですがそのツバメ一家は、別に失望も感じず、躊躇なく次の新しい巣をつくろうとするでしょう。
ですから、もしあなたが人生の目的を見出せず「毎日が虚しい」と虚無感を抱くのなら、それはあなたがまじめで正常な人間の証でもあります。
なぜなら、程度の低い人間ほど、毎日をギャンブルや飲酒を楽しむことで消費し、虚無感に背を向けて生きることに、抵抗がないからです。
あなたは人生に対し、真摯で真剣だからこそ、「そのなかで、やることがない」ことに、まじめに悩むのです。
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そうはいっても、では「生きる目的」が見えてこないあなたは、どうすればいいのでしょう?
これは、答えだけ述べると簡単です。
生産的で、しかも一生かけて成しえる「大いなる目標」を見つければいいだけです。
ところがこれは、まさに「言うは易し、行うは難し」です。
というのはまず、自分が過去に失ったものを探すのも、新たな目的を実行に移すのも、たいへんな精神力や実行力が必要となるからです。
とかくまず、あなたが現在、なんらかの虚無感に苦しめられているとします。
その上で、あなたが過去に何を失ったか、そしてご自分の未来の何に失望しているのか、知る方法を、ここで伝授します。
まずあなたは、ペンとノートを用意します。
そしてまず、あなたがご自分の過去を知りたいときには、現在を基点として、3か月ほどの間隔で、自分の過去を思い出し、ノートに書きだします。
このときは、ご自分の行動と精神状態、そしてあなたを覆っていた状況を、可能なかぎり思い出します。
これを、「半年前は、1年前は、3年前は、10年前は……」とやっていけば、いずれあなたのトラウマの正体が、ハッキリします。
つまりあなたは、いつどこで、どのように「自分が大切なものを失ったか」が、見えてきます。
これが、過去編です。
次に、なぜあなたは未来に希望が持てないのか、を探す方法をお教えします。
ここでも用意するのは、ペンとノートです。
そしてこれは、過去編と同様に、現在を基点として、ご自分の未来を3か月間隔で、「元来の自分にあるべき姿」を、ノートに書きなぐってください。
これもまた、「1年後、3年後、5年後、10年後、20年後……」という感じで、順に自分のココロに正直に明白にさせるのです。
するとそこであなたは、「自分で勝手に実行するのをあきらめた夢と、その障害となっているもの」の正体に気づくでしょう。
ただし、「生まれたときから漠然と生きていて、自分のすべては親が勝手に決めた」という事実が、精神病理にまでなっている人には、わからないかもしれません。
こういう人は、つねに「社会」という競技場の客席に置かれていました。
ですので彼は、いつかは自分も社会という競技場で戦わねばならない、ということが、わからないでいるのです。
もちろん育ちがそうであれば、そうした価値観が自然に抜けるということは、あまりありません。
これは過去の私でもあるのですが、そういう人は20歳、30歳を過ぎても、どうしても自分を「社会のお客さん」として認識してしまいます。
そういう人にはいずれ、「自分の人生の見つけ方」について、ページを割いてどうすべきか、アドバイスしようと思います。
とかくあなたは、ご自分の過去と未来を精査することにより、あなたのトラウマや失望の正体が、見えてきたものとします。
そのときには、ぜひ「現在の自分に、それを取り除くことは、可能かどうか」を、吟味してください。
というのは、「未来に失望して、虚無感を抱いたあなた」というのは、当然ですが、「過去のあなた」です。
ならば、そのときよりも肉体も精神も知力も成長している、現在のあなたであるならば、ひょっとして、それが可能かもしれないからです。
子どものころ、とてつもなく大きな山だと思っていたものが、大人になったいま見てみると、小さな丘にしか見えない、というのは、よくある話です。
あなたはそうして、あなたに虚無感、無力感をあたえているものの正体を、明確にしてください。
そして「失われた夢」をどう取り戻すか、計画的、かつ具体的に考え、行動に移せばいいでしょう。
その際、一人ではむずかしいと思えば、むかしからあなたを知っている人や、プロのカウンセラーに手伝ってもらうのも、有効です。
ただし、そのトラウマがあまりに強く、あなたが恐怖を覚えるようなら、即座に作業を中断してください。
というのもその場合、過去にあなたが自分のココロを守るため、あえてそれを脳の奥に封印したものである可能性も、あるからです。
それをムリに掘り起こそうとすると、あなたはそのショックに耐えきれず、うつ病になってしまう可能性もありえます。
また、ご自身の未来について考察するのも、同様です。
というのも、あなたは間違いなく、ご自分もいつかは30歳、40歳になるという事実を恐れているでしょうし、その自覚もないでしょうからです。
ですから、そうした「自分探し」は、自分がムリだと思った時点で中止してください。
ですがとかくそうではなくその後、トラウマの克服が達成されたならば、あなたの虚無感はその瞬間に消え去るはずです。
たとえば、以下のようにです。
「あ、俺が女性が苦手で話ができないのは、中学時代に意地悪な女生徒どもに、いじめられたからじゃないか。
あのときの俺は、カラダが小さかったから、いじめられた。だけどいまでは、立派な大人の男の肉体を持っている。
だったらもはや、女性を怖がる理由はない。
明日から少しずつ、同僚の女性社員にあいさつをするところから、始めてみよう。
そうすれば俺は、23年間、彼女がいなくて寂しかった虚しさからも、解法されることだろう」。
ところが、いろいろと試してみて、あなたが当初抱いた夢は、やはり現実的に、実現不可能なものだと気づかされるかもしれません。
そのときはあらためて、あなたがご自分を幸せにする別の道を探せば、いいだけです。
もしあなたが「自分のこと」で思い浮かばないなら、あなたが「社会のため、他人のため」に、なにができるかを考えてみましょう。
その点については、下記ページの第四章、第五章を参考にしてください。
「生きる意味」とは現代人にとって何か? 哲学的、科学的に説く
http://nayamimuyou.net/jinsei/「生きる意味」とは現代人にとって何か? 哲学.html
そこであなたの人生における全体像が見えれば、よし。
あとはそれを、最終地点から逆算して、期間ごとに区切って実行すれば、いいだけです。
またそれでも、あなたがご自分の道が見えないときには、以下のようにしてください。
まずはとかく、ご自分の能力向上と、他人や社会のためにできることを、小さなことから日々、実践していくことから始めるのです。
その際にはなるべく、ご自分の関心や得意領域、あるいは将来におけるあこがれの職業に近いものが、ふさわしいです。
この作業の要点は、ご自分の目的を徹底して、ご自分自身に近づける、ということです。
その実践の具体的内容は、「3年かけて、ビジネス英会話の習得」でも、「毎日欠かさず、自分の家のまわりをキレイにする」でも、結構です。
とかく重要なのは、それが現在のあなたにとって、実現可能なことという点です。
そうしてあなたのなかに、「実質」と「自信」を蓄積させていきます。
その後、その目標が達成できたら、今度は目標のスケールを上げて、再度、新しい挑戦に挑みます。
そしてそれができたら、またさらに少しだけ大きなことにチャレンジすると、そのくり返しです。
そうしたことを続けていると、やがて道が勝手に道となり、ご自分の人生における目標、目的も見えてきます。
するともう、虚無感など湧いてくるはずもありません。
なぜならそのときには、あなたはすでに、あなたご自身の人生を生きていることになるのですから。
さて、ここまで述べると、あなたは以下のような感慨を持つかもしれません。
「人の人生について、いろいろ述べてくるお前は、一体、何者だ? お前は過去に、何ができたのだ?」と。
まず私の場合ですが、生まれたときから家庭環境は最悪でした。
父も母も、社会的には「いい人」なのですが、彼らは家庭内ではおおよそ、核家族で父親、母親に期待される役割を果たせない、幼い人たちだったのです。
これはいまでいう「機能不全家族」です。
ちなみに核家族が主流となった現代日本では、こうした家庭がなんと、全体の8割を占めているとされています。
その点ではほぼ間違いなく、あなたが育った家庭とおなじです。
そうしたわけで幼いころの私は、つねにだれも満たしてくれることのない、自分の空っぽのココロを持てあましていました。
ただ私の場合は、それが後々成人してから、深刻な精神病となるほど、ひどかったのですが。
この点について知りたいのなら、以下のページを参照してください。
なぜあなたは、何もしたくなくてつらいのか?その原因と対処法、教えます!
http://nayamimuyou.net/cocolo/なぜあなたは、何もしたくなくてつらいのか?そ.html
なぜあなたは、寂しい気持ちに苦しめられるのか?それを満たす根源的方法
http://nayamimuyou.net/cocolo/なぜあなたは、寂しい気持ちに苦しめられるのか.html
上記ページから私が言えることは、以下です。
あなたもかつての私と同様に、いまが「青年期」だからこそ、ご自分のココロを持てあましているのかもしれない、ということ。
もしそうであるならば、上記「なぜあなたは、何もしたくなくてつらいのか?その原因と対処法、教えます!」の第七章、「『何もしたくないあなた』が選べる、3つの道」を、参考にしてください。
淡々とした日常を、その日の義務のみに追われながら、流されて生きていけば、やがて将来的に、自然と虚無感が消えることは、あります。
なぜなら、大人となったあなたには日々、細々とした義務や責任に追われるだろうからです。
そうして「なんとなく、大人になって」、「なんとなく、家庭を持ち」、「なんとなく、仕事をしていれば」、あなたを苦しめる虚無感は、たいてい消えます。
というより、世間にいる人間の大部分が、この生き方を選んでいるのが、古今東西変わらぬ現実でしょう。
青年期にせっかく、自分を変えるための孤独や虚無感がやって来ても、それから逃げるばかりで年齢だけを重ねていく人が、98パーセントくらいだと思います。
そうしてあなたは、将来「つまらない、どこにでもいるおっさん」に変わる代償として、青年期からの虚無感からは、脱出できます。
ただしその場合、あなたが人生の晩年になり、ご自分の人生を総括する段階になって、後悔する可能性が大です。
なぜなら「後悔」とは、挑戦の結果がどのように終わっても、自分が最後まであきらめず、全力で闘った場合には、決して現れないものだからです。
そうではなく、せっかくのチャンスに挑戦せず、「自分の人生を生きなかった人」に、後悔は訪れます。
ここで、私の身の上話を一つ。
すでにいろんなところで書きましたが、私は若いころ足かけ10年以上にわたり、ある空手道場に通っていました。
その道場を運営している流派は、令和の現在となったいまは、「知る人ぞ知る」マイナーな組織です。
ところが当流派は、そこの師範の著作の影響が非常に強かったため、昭和時代の後期には、武道界で一大ブームを起こしていました。
私は19歳のころ、その道場に通っていたのですが、そこである中年の歯医者さんに出会いました。
ここでは便宜上、その人を「沼田さん(仮名)」と呼びます。
あるとき私はある機会から、沼田さんの家に呼ばれ、彼と長時間、会話をすることになりました。
当時はバブル期末期で、沼田さんはたしか45歳だったと記憶しています。
その沼田さんは、じつはそれ以前に九州で歯科医として開業していたのですが、師範の著書を読み、たまらず東京に仕事場を移したのです。
沼田さんは、歯科医としてはかなり成功者の部類に入り、バブル期の東京で土地を買い、開院できるほどでした。
沼田さんは若いころから「迷える青年」であり、彼の話を聴くたびに、その壮絶さが伝わってきました。
たとえば沼田さんは若いときのある日、どうしても人生に行きづまってしまったので、思想家の吉本隆明氏の自宅へ直接、電話をしたほどでした。
吉本隆明氏といえば、「戦後最大の思想家」とも言われる人物で、昭和の言論界を、文字通り牽引していた人物です。
そこで吉本氏も気さくな人物だったため、名前も知らない自分の青年読者が、予約なしでかけてきた電話に、2時間も対応してくれたとのことです。
その沼田さんが、私との会話中にしきりに口にしたのが、「君の若さが、うらやましいよ」でした。
何度も述べますが沼田さんは、歯科医としては成功しており、青年期にはいろんなことに挑戦してきた人物です。
その沼田さんが、こう言うのです。
「もし悪魔がやってきて、『1億円払うなら、いますぐお前を18歳にしてやる』と言えば、ぼくは即座に1億円を用意するよ」と。
沼田さんほどの人物が、大人になってさえ欲しいと思うほど、「若さ」というのは、価値があるのです。
しかも沼田さんは、若いころは喜びや楽しみよりも、苦悩のほうが圧倒的に大きかったはずなのに、です。
ですからあなたも、もし現在「若さ」を持てあましており、「ここから逃げたい」としか考えられないのでしたら、以下のことを念頭においてもらいたいです。
「若さ」の苦しさとは、「可能性」がありすぎ、持てあますがゆえの苦しみ。
その時点であなたは可能性に満ちあふれており、その可能性は、あなたが大人になるほど、減っていくものです。
当ページの冒頭では、「目的が不在のため」、人は虚無感に陥ると申しました。
ところが青年期の特徴として、逆に「選択肢が多すぎるため」、自分のココロを持てあますこともあるのです。
なのでどうか、「若さ」そのものを簡単に捨てることを、考えないでください。
そうではなく、「若さ」のもつ無限の可能性を、一つでも多く結実させることに集中し、「大人になったあなた」のために、毎日を意識的に生きてください。
そのためあなたには、下記ページの第七章「『何もしたくないあなた』が選べる、3つの道」を読んでもらいたいと思います。
なぜあなたは、何もしたくなくてつらいのか?その原因と対処法、教えます!
http://nayamimuyou.net/cocolo/なぜあなたは、何もしたくなくてつらいのか?そ.html
もちろん、どの道を選ぼうとも、あなたの勝手であり、あなたの人生は、あなただけのものです。
ですが若いときの私は、「虚無感に襲われた自分」を、「自分の道を探す大チャンス」ととらえ、その大チャンスを現実化すべく、がんばってきました。
その結果として、現在の私は決して大物ではありませんが、少なくとも私は、私自身が大好きです。
さらに私は現在、50歳を前にしていますが、それでも胸に大望を抱いて、世界に出るチャンスを、うかがっています。
まぁただ、それは私が大人になってからの実感で、青年期の私は、どちらかというと「そうするしかなかった」から、努力をしてきただけですが……。(^^ゞ
とかく私が、現在の若いあなたに言えるのは、以下のことです。
いま虚無感に苦しめられているあなたには、じつはとてつもない大人物になれる可能性が、潜在的にあるということ。
そしてこれ以上はないという、極上の幸せな未来をつかむ入り口に立っているのは、間違いないということです。
私はここでは、一般論と自分の経験しか語っていません。
決して「あなた」が置かれた現在の状況における特殊性まで、配慮した上での発言では、ありません。
ですから、もしあなたがご自身の虚無感が大きすぎ、私のアドバイスだけで耐えられないのなら、お医者さんやカウンセラーに通うのも、選択肢の一つです。
現に私は、これまで3人のすぐれた精神科、心療内科の先生方に30年近く診察してもらい、ようやく自分の人生が見えてきました。
逆に、上記3人の先生方がいなければ、いまごろは生きていられなく、もちろんこのページも書くことはなかったはずです。
ココロの専門家の意見を聴くだけで、あなたには新たな道が見えてくるかもしれません。
また、私がここで述べた方法であろうと、あなたが経験や教えから構築したやり方であろうと、かまいません。
あなたはそれに実直に取り組んでいるだけで、その努力はあなたの未来における、なんらかの実力へと転化されるでしょう。
ただしその場合、あなたの方向性がズレないように、やはり専門家や先輩の意見は、取り入れるべきですが。
また、日々あなたを苦しめている虚無感の正体とは、以下のものかもしれません。
あなたは幼少期より、あなたの脳内に「あなたの夢」を封印しており、それが押さえつけられている叫び。
あなたには、どうしてもかなえたいこと、なりたいものがある。
しかし臆病なあなたは、そんなご自分の夢を、「そんなこと、できっこないじゃないか!」と、ムリに脳の牢獄へと閉じ込めているのかもしれません。
そのあなたの夢が、「俺に、実体をあたえてくれよ!」と叫んでいるのを、あえて無視しているから、あなたは日々、虚しいのかもしれません。
これは、私にも経験があります。
かつて私と相思相愛だった女性を、私は臆病さから徹底して無視しました。
その結果、その女性からはもちろん逃げられましたが、私に残ったものは、いつまでも続く後悔と虚しさだけでした。
当時の私は、すべてが怖かったのです。
また、自分という人間にまったく中身がないのも、薄々、自覚していました。
そんな私が、ある意味、人格のぶつけ合いでる「恋愛」などに、耐えられるはずもありません。
また、たとえその女性とつき合うこととなっても、彼女は即座に私の中身のなさに失望し、去っていくだろうと、勝手に怯えていました。
そうしたことから、非常に若いころの私には、恋愛は不可能だったのです。
さて、最後にこの章を終えるにあたり、あなたに2冊ほど、本の紹介をしたいと思います。
それは、以下の2冊です。
〇怒りの葡萄 スタインベック著
〇老人と海 ヘミングウェイ著
どちらも、物事がうまくいかず、目的を喪失しても、その都度、ココロを新たにして挑戦を続ける人間像が描かれています。
どうか、ご一読を。(^_-)-☆
まず人間とは、目的的存在であり、それが個人であろうと集団であろうと、変わりません。
人間は動物と異なり、「自由意志」で目的を設定し、同様に「自由意志」により、その目的を達成させようとする存在です。
またこの「自由意志」は、たとえ自分が主体的になにかを行うにせよ、人の命令で動くにせよ、「自分の意志で動く」という点では同一です。
ところが人間は、そうした特殊な認識形態を持っているがゆえに、「目的を喪失し、自分のココロを持て余す」という事態に陥ることもあります。
その状態が、いわゆる「虚無感」です。
もしあなたが虚無感に襲われたなら、それを解決させる方法は、いくつかあります。
まずは自分の過去と未来を検証することにより、「自分が何を失ったのか」を明確にし、それを取り戻すという方法。
または、失われた目的に替わりえるものを探し、自己研鑽や社会奉仕に生きることです。
そうした日々を積み重ね、自分のなかに「実質性」と「実力」が蓄積されたら、もうあなたは「虚無感」などに悩まされるはずもありません。
あとはそのまま生きていけば、あなたの歩いたところが、おのずと道になっていきます。
また、もう一点。
すべてをあきらめ、日常のルーチンに追われて、大人になるという生き方もあります。
こちらもたしかに、虚無感を忘れさせてはくれます。
しかしこの道を選んだ場合、人生の晩年になって大後悔する可能性が、大きいです。
どの道を選ぶにせよ、それはあなたの人生ですから、私がそれに口出しする資格も権利もありません。
ですがどうか、あなたには自分が選んだ道の責任を、自分で引き受けられる人になってもらいたいと思います。
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