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現代は、とかくギスギスした世の中です。(´・ω・`)
あなたのまわりも、いつもイライラしている人は、複数人いることでしょう。
いや、ひょっとしてそれは、あなた自身に当てはまることかも、しれません。
毎日、生きていること自体がつまらなく、いつも不機嫌。
とかく自分が大嫌いで、その不満をまわりにぶつけては、いつも仏頂面。
こうした人たちはひょっとして、あなたは生まれつきのものと思うかもしれません。
ところが実情では、大部分はその人の生まれ育った環境にあるのです。
そしてそれは、わが国の歴史上における急激な近代化と結びついています。
この点をじっくりと、ご説明していきます。
さて、そもそも人はなぜ、「自分を嫌う」なんてことをするのでしょうか?
その原因は複数ありましょうが、それらは究極的には一つの要因にまとめられます。
それは、「自分のなかに、“価値”を見出せない」からです。
自分という存在が、世間や他人に役立つとは思えない。
そうなると「自分で自分が嫌い」になるわけで、そんな人のために、他人はなにかをしてやろうとは、思わなくなりますよね?
また、もし現在のあなたがそんな人なら、どうしてそうなったのでしょう?
それはひょっとして、下記が原因かもしれません。
〇むかし学校でいじめられていたから?
〇どうしても勉強ができずに、三流大学しか卒業できなかったから?
〇不器用で運動神経ゼロのため、体育の授業やなんかの作業では、いつも人前で恥をかいていたから?
〇あまりに消極的な性格のため、つねに自己主張できずに、人に言いくるめられたり、バカにされていたから?
〇容姿がいまいちなんで、人前では堂々とできないし、とくに好きな女の子には、声もかけられないから?
〇内気な性格のため、いつも自分のなかに不満をためこんでは、ウジウジしているから?
何度も言いますが、これらのことが「原因」となり、あなたが自己嫌悪に陥ったということは、ありえます。
ところがこうしたことはあくまで、「表層的な原因」であり、「そんなあなた」にしたのは、もっと根源的な要因があります。
それは現代ではほぼ例外なく「問題のある家庭環境で育った」ことに行きつきます。
ここを説いていきましょう。
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人間は、というより、ある程度以上に進化した動物はすべて、生まれた直後、あるいは幼少期に、親から無条件の愛を得られなければ、生きていく意欲や能力が持てません。
まず“愛”とは何かと定義すれば、以下のようになります。
〇複数の個体間内で共有される、同一化をもたらす観念作用。
これが共有されると、それぞれの個体間における区別が解消され、すべてが一つになり、各個体は「共同体の一員」という位置づけがされます。
ちょっと難しいことを、言ってしまいました。(^^ゞ
つまりは、こういうことです。
たとえばあなたに恋人ができれば、あなたと彼女は、「恋人同士」という一つの存在になり、また、あなたと彼女はそれぞれ「恋人の片割れ」となります。
または、あなたがなにかの同好会に入会すると、もちろんあなたは、あなた自身の属性は問われず、「同好会の一員」となります。
あるいはあなたが、日本のパスポートを持って海外にでかけた場合、まわりはあなたを、「一人の日本人」として認識します。
そしてここがもっとも重要なことなのですが、あなたが、あなたの家庭(仮に山田さん)の家に生まれたら、あなたは必然的に「山田さんとこの○○くん」となります。
そうしてこれらの共同体は、共同体をなす成員間で、“愛”が共有されていることが重要です。
たとえば恋人同士ならば、男女間に“性愛”が分かち合われていなければ、二人が一緒にいる理由がありません。
あるいは、「鉄道同好会」の場合では、メンバーがみな“鉄道好き”でなければ、意味がありません。
さらに、すべての日本人が“祖国愛”を持っていなければ、たとえ日本の伝統を守るにせよ、変えるせよ、日本という国は立ち行きません。
そのように、あなたがもし「山田家」に生まれたのならば、あなたをふくむ山田家の家族は、“家族愛”で結ばれていなければ、ならないのです。
なぜならそうでなければ、山田家は山田家としての「まとまり」が、保てなくなるからです。
ところが「家族」についてなのですが、わが国では戦後、非常におかしなことが起こりました。
まず1960年代くらいまでは、わが国における共同体の最小単位は、「大家族」、もしくは、「地域社会」でした。
これは、映画「ALWAYS 三丁目の夕日 」や、アニメ「サザエさん」などを思い返していただきたいと思います。
これらの作品のなかでは、子どもは地域のなかで、「家」を超えてのびのびと育てられています。
また「家庭」も、お父さんやお母さんはもちろんですが、そこには、おじいさんやおばあさん、お婿さんなどが、一緒に暮らしています。
あなたの、ひいおじいさんくらいまでの人たちにとって、家庭や生活とは、ああいったかたちが、当たり前のものだったのです。
ところが高度経済成長期に入り、日本の産業は、農業や、小さい規模での工業や商業から、世界を相手にする大規模工業、商業へと変わっていきました。
すると、お父さん、お母さんの職場は、地元の地域ではなく、会社のある都会へと移ります。
さらに少しでも会社に近いところが望ましいので、お父さん、お母さんは育った実家から出て行き、住宅街に一軒家を買ったり、アパートやマンションを借りたりします。
こうしてわが国では、現代の典型的家庭像である、「核家族」ができてきました。
ところが、ここで大きな問題が発生します。
お見合いなり、恋愛なりを経て結婚した若い男女は、「核家族」で過ごした経験がないのです。
それまでは、隣近所の助け合いや、おじいちゃんやおばあちゃんの、経験から来る知恵により助けられていた彼らは、いきなり2人だけでの生活を営むことになるのです。
ですから彼らはもちろん、核家族を運営していく方法など、知るはずもありません。
彼らのお父さん、お母さんは、田舎に置いてきたので、もういちいち生活の知恵を教えてくれません。
また故郷では仲良くやっていた隣人ですが、都会のマンションでは、その人がどんな仕事をしているのかさえ、わかりません。
するともし、その若い夫婦に子どもでもできたら、仕方なく自己流で育てていくしかありません。
ですが、人というものは、自分がされたようにしか、他人にしてやれない存在です。
ならば核家族での生活経験がない彼らには、もちろん、核家族なりの、「子どもに対する愛情のあたえ方」など、わかるはずもありません。
これが欧米のケースでしたら、「地域社会」→「大家族」→「核家族」という共同体の変遷が、ゆっくりと自然なかたちでなされました。
ですから人は充分に、それぞれの家族形態への適応の仕方を、考える時間があったのです。
しかしわが国では、その変化があまりにも唐突で、かつ急激にやってきてしまったのです。
ところで、私はえんえんと「わが国における家族形態の変遷」の話ばかりしていて、肝心の「自己嫌悪」の話題はどうなってるの、とあなたは思ってるかもしれません。
しかしながらこの点は、まさに「自己否定」につながる重要なポイントですので、少しガマンして、ついてきてもらいたいと思います。m(__)m
さて、私は第二章で、「愛のあり方」について、述べてきました。
その点を、思い出してください。
生物や社会にとって、“愛”はなぜ必要かと申せば、それは個体や個人が“愛”を帯びることによりはじめて、「ある共同体の一員」と、みなされるからです。
人や動物は、愛されることによってはじめて、「お前は、俺の子ども、われら仲間の一員」と承認と祝福をあたえられます。
こを逆に述べれば、生命は最初に無条件に“愛”をあたえられなければ、何者にもなれないということです。
なぜなら、生きていく上でのあらゆる方法や技能は、“愛”をもって教えられるからです。
これは、“本能”のある動物でさえ、そうなのです。
ならば、「本能が壊れた動物」である人間には、幼少期にはどれだけ“愛”が必要か、わかるはずです。
というのも、人間の社会は動物の生きる自然よりもはるかに複雑で、生きるのが大変だからです。
ここであなたには、「フリードリヒ2世の実験」をお教えします。
いまから800年ほど前のドイツに、フリードリヒ2世という王様がいました。
フリードリヒ2世は、あるときふと、こんな疑問を抱きました。
「赤ん坊は、母親の胎内にいるときから、言葉を知っているのだろうか?」と。
そこで彼は、ある実験を行いました。
それは自分の部下たちの赤ん坊、50人を集め、生きていく上で必要な食事や入浴は提供するが、スキンシップ等の愛情は一切、あたえないというものです。
すると、いつからか子どもは、自然と言葉を発するようになるのでは、とフリードリヒ2世は思ったのです。
その結果はどうなったかと言えば、なんと50人の赤ん坊すべてが、1年以内に死亡してしまいました。
この実験の結果から、人間とは、赤ん坊の時期から充分に親の愛を得なければ、社会性も身につけられずに死んでしまうということが、わかるでしょう。
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ここまで述べたら、勘の鋭いあなたなら、私が言おうとしていることが、おぼろげにでも、わかってくるのではないでしょうか?
そう、あなたが自分を好きになれないのは、あなたが核家族の家庭で、核家族の親としての、子どもの愛し方を知らない両親に育てられたのが、根本的な原因です。
人は愛されなければ、他人を愛することはできません。
そしてもちろん、自分自身も愛せません。
さらには、人の愛し方さえも、わかりません。
ですから充分な親の愛情を得られなかったあなたは、フリードリッヒ2世の実験台にされた赤ん坊たちのように、死ぬことはなかった。
ですが「自分は、人から愛される価値のない人間だ」という思い込みが、あなたの脳内の深くにまで、刻まれているのです。
ならばあなたは、無意識のレベルで、さらに思います。
「自分は価値のない人間だから、もちろん自分の愛にも価値はない」=「自分でも自分が、好きになれない」と。
だから、「愛される」という、生きるにあたって重要なプロセスを省かれてしまうと、人は孤独に置かれ、不幸になります。
またそうした人は、情緒不安定に陥り、それでも「生きている実感が欲しくて」、自傷癖に走ったりするのです。
ですが逆に、核家族でもそれなりに「子どもの愛し方」を知っている親に育てられれば、もちろん子どもは、そんなふうにはなりません。
これはあくまで一般論ですが、学校で少しくらいいじめられても、「自分は一人でない」と確信し、耐えることもできるでしょう。
あるいはたとえ三流大学卒でも、「そんなこと、自分のすべてではない。仕事で成果を出して、そんなハンディは軽く乗り越えてやる」と考えるでしょう。
また、不器用で運動神経ゼロであっても、そんな自分を受け入れてくれる両親がいれば、自分なりの長所を必死に探し、それが活かせる場所で生きようとするでしょう。
さらには容姿がいまいちでも、それだけでは落胆せず、自分の容姿に見合った幸せやパートナーを探すでしょう。
そのように、人生の初期に“愛”というエネルギーが充分に満たされた人は、一つや二つの自分の欠点など気にせず、自分にふさわしい生き方を目指します。
そうして今度は、「自分が愛する番」となり、家庭を持って、自分が親にそうされたように、自分の子どもを愛するでしょう。
現に私のまわりでも、失礼ながら容姿はそれほど秀麗ではないが、だれとも気さくに打ち解けられる女性はいます。
また、中卒の低学歴でも、どんな人にでも物怖じせず、自由に生きている人もいます。
失礼ながらそうした点は、ちょっとしたことで自己嫌悪に陥り、その状態が慢性化しているあなたと、対照的なところです。
ただしそうは言っても、あなたはご自分の両親を、恨むべきではありません。
なぜなら先述したとおり、人は自分がされたようにしか、人に対してできないからです。
もしあなたの両親が、あなたを愛さなかったとしても、それは彼らもまた、そのように育てられたか、あるいは「人を愛する」ということが、わからないでいるだけです。
人間とは動物と異なり、“理性”、“思考力”を持つ生き物です。
そしてこの能力を使えば、人間は「自分を、『自分の好きな自分』に創り変える」ことも、できるのです。
少なくとも私は、ここ30年は、そうして生きてきました。
そう思ってあなたは、「自分で自分を愛す術」を、学んでいただきたいと思います。
その方法論については、下記ページで述べています。
「自分が嫌い」を克服するカギは、他者や自分自身との関係のなかから、自分への信頼を獲得すること
どうぞ、参考にしてみてください。
自己嫌悪に陥る人たちの原因は、「家庭内での、愛の欠乏」にあります。
決して、生まれつきや、後天的な経験のみで、そうなるのでは、ありません。
どうかあなたも、「自分で自分を愛する術」を、学んでいってもらいたいと思います。
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