はじめに
私はこれまで、育ちの問題から、40年ほど「自分が嫌い」の感情と闘ってきました。
その結果として私は、後天的にでも自力で自己嫌悪から脱する術を、身につけました。
どうか「自分が嫌い」な日々を、苦しんでいるあなたには、このページを参考にしていただきたいと思います。
目次
さて、ここからは私の幼少期における環境と、私自身がどうやって、「自分が嫌い」を克服して、自分も他人も愛せるココロを持てるようになったか、お話していきます。
まず幼少期における私の環境は、最悪でした。
私は幼児期から、いまでいう発達障害系の精神病とアトピー性皮膚炎に苦しめられていたのですが、それは偶然ではありません。
私はまさに、「幼児をこういうふうに育てたら、必ずこうなる」という必然性の結果、私は病んだのです。
私は、生まれは兵庫県の酒屋でした。
生まれた直後から、当時にしてはめずらしくアトピーがあり、しょっちゅう自家中毒を起こす、腺病質の少年でした。
その原因の一つは、父と母がいとこ同士で、血が濃かったことも、ひょっとしたら挙げられるかもしれません。
ところが、私の生家は商店街にありましたので、私のまわりには、多くの子どもや大人がいて、助け合って商売をしていました。
その意味で私は、最初は昭和時代における、地域共同体のなかに住んでいたとは、いえます。
ですがやはり、いまから思い返しても、私の精神は自閉的で、極度に内向的でした。
ちなみにですが、その商店街や周辺は、現在ではすっかりシャッター通りとなっています。
そんなときある事情から、私は東京の郊外に、父、母、姉の3人と一緒に、引っ越すこととなりました。
父は役所務めでしたが、彼の父が幼いころ戦死したため、女家族のなかでたった一人の男子で、家は貧乏なのに、持ち上げて育てられたという、歪んだ環境にいました。
ちなみに父ですが、性格は悪くなく几帳面ですが、とかく幼い面があり、人づき合いが極度に苦手で、コミュ障という人物です。
そして母ですが、こちらは彼女の父、つまり私の祖父から、幼少期にかなり暴力的に育てられたため、お人好しでいい人なのですが、極端に小心で怖がりです。
さらに姉ですが、私は彼女と、小学生くらいまでは、うまくやっていました。
ところが姉は、母の関心が病弱な私にばかり向かい、父はそもそもが「子どもに愛情をかけて育てる」ということがわからない人間だったからでしょう。
小学校の上級生になったころには、つねに欲求不満のカタマリとなり、四六時中、不機嫌で、私や母にしょっちゅう暴力的に接するようになりました。
ただし父は、とくに薄情な人間というわけではなく、ただ精神がやや幼いというだけです。
あるいはたとえ子どもに愛情を持っていたとしても、恥ずかしくてそれを表現できなかったとも、いえます。
それというのも、父自身がその父、つまり私の会ったことのない祖父を幼いときに亡くしているため、「他者を受け入れる」ということがどういうことか、わからないでいたのです。
そんななかにあり、私自身は「この環境は、なにかがおかしい」と思いつつも、毎日、恐怖と満たされなさに襲われ、少年時代を過ごしました。
なにしろ、母は過剰に私にかまい、私がやるべきことを先にすませてしまい、私にはなにもさせない。
また父は、一切合切、子どもの教育には無関心という人でしたので。
ちなみにですが、私は青年期になって、はじめて私の育ちからくる病気について研究している、専門家のお医者さんに出会いました。
父はそのクリニックを私のために見つけてくれて、私と母と3人で、初診検診を受けに行きました。
そこで、そのお医者さんは、「現代日本の家庭から生まれる子どもの病気と、その父母が元来、すべきこと」を、何時間もかけて教えてくれました。
ところが父は、それを聴いて、私が後日、そのことについて話したら、こう答えたものです。
「あの先生は、おかしい。犬でも猫でも、勝手に放っておいたら、大きくなるじゃないか。人間だって、変わらないはずだ」と。
私はその時点で、「人間とは、自分に都合のいいことしか、わかろうとしない」という、古代ローマの大政治家、ユリウス・カエサルの言葉を、充分に理解していました。
ですがそのときはさすがに、自分の耳を疑ったものです。
そしてそれは、母についても同じことで、そのとき先生に言われたことが、まったくわかっておらず、私に対する態度も変わらずでした。
さて、そんな私でしたので、幼少期から「好き」という感情を、実感として理解できないまま、成人になりました。
また中学生時代には、孤独から、万引きや問題行動を、よく起こしていました。
私にそうさせたのは、なにおいても、私の父が「生きる規範」というものを、私にまったく教えてくれなかったのが、原因です。
つまり私は当時、「人が生きていくためには、何をすべきで、何はしてよくて、そして何をしてはいけないのか」という倫理観が、まったくの白紙状態だったのです。
ですからたとえば、「人を殺してはいけない」、「人のものを盗んではいけない」ということを、言葉で理解できても、感情としては、まったくわからなかったのです。
そこから当時の私は、そうした自分のなかの空白と、現実社会における常識との溝を確認する上で、問題行動をくり返したといえます。
またもちろん、その根底にある私の渇望の正体は、「自分の真っ白なココロに、ちゃんとしたルールを書き込んでくれよ」という父への思いだったのです。
ところがそれは、結局はかなえられませんでした。
そして私は19歳くらいのころ、「自分自身が大嫌いな、自分」に気づいたのです。
ですから私は、20歳を過ぎたころから、自力で自分自身の倫理感や、「中身がなにもない」自分自身を好きになる方法を、自力で開拓していくことになります。
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さて、ここからは、私が20歳を過ぎてから自ら研鑽し発見した、人間の認識活動における実態を話していきます。
まず「好き」とは、何か?
それは、「人間や動物、個々の、または個々人の、“感情”による物事の判断能力」です。
くれぐれも、「感覚の」ではないことに、注意してください。
というのは、動物であればどんな下級なものであれ、「感覚」は有しています。
ところが、その「感覚」よりも上位の認識である「感情」は、ある程度以上に高度な生物でなければ、持ち合わせていません。
推測するに、「感情の原型」ともいうべき認識作用を持っているのは、魚類以上の生物だと思います。
ですから「好き」とは、ある程度以上に高度な生物が所有する、対象に対する評価ともいえそうです。
たとえば、よく女性が使う「生理的にムリ」という言葉は、彼女の感情が、対象に対して行った否定的判断ととれば、間違いないと思います。
そして、感情とは感覚に次いで脳の奥深くに機能がある、人間にとって根源的な認識能力です。
さて、前述のとおり私はあるときから、自分が自分をまったく好きになれず、自己嫌悪のカタマリであり、この状態を克服しなければ、生きていけない状況にありました。
そこから結論できることは、ひたすら私の脳の深部に、「自分が好き」というメッセージを送り続けることだけだと、若いときの私は直観的に判断しましたのです。
ここからは、私が独自で編み出した方法、あるいは本やお医者さんから教えてもらった、「自己嫌悪を払しょくし、自分を好きになる具体的方法」を述べます。
念のために申しておきますが、これらはほとんどが私が直接に実践したことであり、単なる人からの借り物や、思いつきではないということです。
生物とは基本的に、自分に愛をあたえてくれるものに対しては、ほぼ無条件で好きになってくれ、愛情を返してくれます。
するとあなたは、生物を愛すれば愛するほど、その見返りを受けられるので、「自分の愛情には、価値がある」ということを、実感できるはずです。
では具体的に、どうすればいいか?
これは、自分の愛情に対し、おおげさなまでに愛を返してくれる動物の世話をするのが、一番です。
これに該当するのは、ゴールデン・レトリバーなど、とくに人懐こい犬です。
ところで私は、15年ほど前に、近所に外飼いされていたゴールデン・レトリバーと仲良くなりました。
幸いにして私は、その飼い主の老夫婦とも仲良くなれたので、毎日のようにその犬に会いに行き、たっぷりと愛情を注ぎました。
するとそのゴールデンは、私の姿を見ただけで、最上の歓びを表現してくれるようになりました。
いつもそのゴールデンは、私の手を甘噛みし、こちらがなにもしなくとも、自分の喉やお腹を見せて、「撫でて」とせがむのです。
ふつうに考えれば、30男がよそ様の家の犬に執心するのは、かなり異様な風景です。
ですが私はそれでもほぼ毎日、そのゴールデンに会いに行きました。
そんな私を、近所の人たちは結構、温かく見守ってくれていました。
それは、そもそも動物を愛するという行為自体が、心優しい人間にしかできないので、みなさんは私を、好意的に見てくれたのだと思います。
そしてそのゴールデンは、家族が引っ越すまで何年も私と仲良くしてくれて、すっかり私のココロを溶かしてくれたものです。
私はそのとき、「自分の愛には、価値がある」と、確信を持てました。
これは特殊な例ですが、余裕があれば、あなたは犬や猫を自宅で飼って、愛情を注いで飼うのもいいでしょう。
ですが、環境的にそれができない人もいます。
そんな人は、花や草など、ミニチュアの植物を、自室で育てるといいと思います。
それらは、百均でも売っていますし、ふつうのお花屋さんでも、簡単に入手できます。
その花や草を、目いっぱい、愛情をこめて育てるのです。
すると面白いことに、大切に育てた花と、ぞんざいに育てたものでは、前者のほうが健やかに成長することが、わかります。
いずれにせよ、「自分の愛により、花を実らせた」という経験は、あなたに自信をもたらせてくれるはずです。
とはいえ、諸事情があり、動物や植物を身近に置けない場合もあるでしょう。
そんなあなたにオススメするのは、気に入ったぬいぐるみを購入し、これを友だちにすることです。
それには、やや大型で、抱き心地のいいものが、好ましいです。
またもちろん、造形はあなたがいちばん好きなものが、もっとも望ましいです。
重要なことは、あなたがそのぬいぐるみが好きであるということです。
そのぬいぐるみに毎日、嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったこと、悔しかったこと、すべてを告白します。
これはまわりから見たら、異常に感じるかもしれませんが、自室内でやる分には、だれも見てはいないので、大丈夫です。
相手が“モノ”であれば、これに遠慮する人はいないでしょう。
そうしてあなたは、日々、ぬいぐるみと対話します。
すると、それまで自分のココロに、自分でかぶせていたバリアが消え、「自分の本音」が、自分でリアルにわかるようになります。
さらに、その話し相手であるぬいぐるみを、まるで生き物か自分の分身のかように、好きになることができます。
あなたはそうして、「自分のココロのバリアフリー」をなし、「本当の自分」をさらけ出し、その自分を愛するようになれれば、いいでしょう。
そのためには、一見マイナスとも思える自分をも愛することです。
たとえば、あなたが優柔不断であるならば、それは「慎重」であることの裏返しです。
さらに、「お人好し」であるなら、これも「優しさ」の一面とも取れます。
短所と長所は、つねに紙一重です。
そこからあなたは、「ありもままの自分」を愛する訓練をすればいいのです。
さて、次には生きた人間を相手にしながら、自己嫌悪を払しょくする方法を、私の経験からお知らせします。
とかく「自分が嫌い」という感情の根源とは、自分もふくめた「人間不信」が、根源にあるのでした。
ならば、「人間は、信じられる」という経験を積み重ねていけば、おのずと「自己嫌悪」も消えていきます。
まず私が実践したことは、「とかく人に親切にする」、また「人に優しくされたら、すぐにその場で『ありがとう』と、お礼を言う」、そうしたことです。
まず前者から。
たとえ小さな気づきからでいいので、まずはとにかく困っている人がいれば、すぐに助けてあげるようにしましょう。
といってもこれは、そんな大げさなことでは、ないのです。
たとえば、落とし物を探している人がいれば、一緒になって探してやる。
あるいは、忘れ物をした人がいて、自分がそれに代わるものを持っていれば、すぐに貸してあげる等です。
これをやるには、最初は勇気がいるかもしれません。
とくにあなたのような繊細な人は、逆に「余計なこと、するな!」と言われるかもしれないと思い、躊躇するかもしれません。
そこで、そんな人にはまず「なにか、お困りですか」と、声をかけます。
私の経験から、この時点で怒り出す人は、まずいません。
8割くらいの人は、「ちょっと、探し物があってね……」と答えてくれるし、残りの人は、「うん、まぁ関係ないからいいよ」と、返答します。
この時点で、まったく無視という人は、ほとんどいません。
その場合はたいてい、あなたの声が小さすぎて、相手に聞こえないだけです。
ともかくも、そこからあなたはその人のために「じゃあ、手伝いますしょうか」と、伝えます。
そのとき、「いや、いいよ」と言われたら、すぐに身を引きましょう。
ですが、「そうしてくれるの、ありがとう」と言われたら、すぐに相手のために行動しましょう。
その結果、その人の問題が解決されたにせよ、そうでなかったにせよ、その人はほぼ確実にあなたに、「ありがとう」と言ってくれます。
そしてあなたは、その言葉を自分の「ココロの貯金箱」に「人への信頼」というカタチで積み重ねていけばいいのです。
その経験は、あなたが人の役に立ち、感謝されたという、まぎれもない事実なのですから。
そうしたことが蓄積されれば、あなたは自然と人にやさしくできる人間となります。
さて、次に「人からなにかをされたとき」です。
たとえば、「落とし物を拾ってもらった」、「仕事を協力してもらった」ときなどです。
このときも、してもらった直後に「ありがとう」を言う習慣を身につけてください。
その際には、自己嫌悪に陥っている人は、「他者不信」がココロにしみついているので、そんなとき素直になれず、「なにか、ウラがあるのではないか」と訝ります。
ですがともかく、「なにかされたら、即座にお礼」です。
これを習慣化すれば、あなたに敵意を向けている人間など、ほとんどいないと実感できるようになります。
とかく「人を喜ばせることに、自分の喜びを感じられるようになるよう」自分を訓練することです。
すると、「人を喜ばせられる自分には、価値がある」と思えるようになるので、あなたはそんな自分を好きになれていくでしょう。
および、自分に失礼があったときは、間髪入れずに「ごめんなさい」と言ってください。
これも、たとえば路上で人に肩がぶつかった、仕事上で小さなミスを指摘されたときなどです。
もちろんその際に、自分に非がなれれば、謝る必要はありません。
しかしたとえば、個人主義の発達している欧米では、なにかあると「Excuse me」と言って、相手との摩擦を極力、避けようとします。
「この場合、自分に落ち度があるか、どうか」というのは、そうした経験を積み重ねていけば、自然と判断力が身についてきます。
これらの経験をくり返すことにより、あなたの雰囲気もよくなっていき、あなたのまわりにも、いい人たちが集まってくるという、好循環が期待できます。
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さて、次にご紹介するのは、「自己との対話」です。
これは現在、私が通院している病院の主治医さんに教わったことです。
まず、自分がヤバい状況にいるときは、「○○ちゃん(あなたの下の名前)、大丈夫」を、実際に口に10回以上、出して唱えてください。
そして自分が本格的に追いつめられたときには、「○○ちゃん、チカラになってやれなくて、ゴメンネ」と、口にしてください
。
これをピンチのときにくり返すたびに、あなたは、以下の確信が持てるようになります。
「どんな状況になろうとも、自分だけは自分の味方だ。自分は絶対に、自分を裏切らない」、と。
私も10年以上、これをくり返したおかげで、おカネがなくなって借金だらけだったとき、まわりに助けてくれる人がおらず、自殺まで考えたとき、救われてきたものです。
私の経験では、これは鏡で自分の目を見つめながら、ゆっくりと自分に言い聞かせるようにしゃべると、より効果的です。
さて、ここまでできるようになったら、次は応用問題です。
あなたは人に、「小さなお願い」をしてみましょう。
これは、なんでもいいです。
「そこのペンを取ってくれる?」でも、「ちょっと、仕事を手伝ってくれる?」でも。
このとき、もし相手に断られても、あなたはめげることは、ありません。
彼はそのとき、自分のことで忙しくて、それどころではなかったのかもしれませんし、もともとが薄情な性格だったのかも、しれません。
いすれにせよ、「あなたが嫌いだから」という理由で、あなたの頼みを無視する人というのは、ほとんどいないはずです。
ですので、もしあなたの「お願い」を、人が受け入れてくれるようになって、約束が守られるという経験を積めれば、それで充分です。
きっとあなたのなかに、「人は信じられるもの」という気持ちが芽生え、それは「自分も、自分自身を信じられる」という確信へと変わっていくでしょう。
現在の私は、仕事などでも自分に手が負えないと思えば、すぐに人に頼みます。
そしてそれは、ほとんど断られることがありません。
およびその後、しっかりとお礼を述べれば、その人との信頼関係は、より深いものとなっていきます。
また私は、人が困っているようなら、その気配が即座にわかるようになりました。
そんなときには、躊躇せずに、「お困りですか? 手伝いましょうか?」と声をかけます。
その提案が受け入れられようが、そうでなかろうが、その人とは後々まで、うまくやっていくことができます。
次にご紹介するのは、「自分でなにかの目標を設定し、それを消化していく」ことです。
これは「計画を立てるのも自分、それを実行するのも自分」ですので、成功したときには、本当に達成感が得られ、自己嫌悪など吹き飛びます。
私がこれを始めたのは、21歳のときからでしたが、そのときの対象は読書と空手でした。
当時はまだ、自分の道などまったく見えないどころか、毎日が地獄のようで、生きているのもつらい時期でした。
ですがそのとき私は、「自分にもきっと、明るい未来は訪れるはず」と信じ、「そのためには現在、何をすべきか」を考えました。
そうして出した結論が、「人類史のなかでの、自分の位置を知る」ための歴史文庫シリーズの読破と、「心身鍛錬、心身操作」を可能にさせる空手の練習だったのです。
このとき読書には、河出文庫の「世界の歴史」24巻セットを、3回くり返し読み返すことを、自分に課しました。
また空手では、毎日、自分で決めた突きや蹴り、型や基本運動を、決めた回数だけ確実にこなすよう、心がけました。
この「自分への宿題」は、どうにか自分が決めた期間内に達成することができました。
その結果、歴史書の通読は、後に哲学、文学、宗教学、美学、倫理学、政治学等を勉強するにあたっての、大いなる基盤となりました。
また空手の習得は、「自分にはいつでも、人を殺せる武器がある」という自信につながり、私から多くの恐怖心を取り除いてくれたものです。
さて、そのとき私が誓ったことは、次の2点でした。
〇「決して、ムリであまりに長期的な予定は立てない」
〇「だが、こうと決めたら、それは必ず実行する」
まず、東大の入試でも、6割正答が出せれば、合格です。
ですからあなたも、自分の計画を立てるときは、自分の身の丈や忍耐力、実行力を自覚し、その半分から6割程度で成しえる質と量を目指すべきです。
くれぐれも、無理なプランを立て、挫折するということだけは、避けてください。
そうしたことを重ねてしまうと、あなたは逆に、本格的な自己嫌悪、自己不信に陥りかねません。
ただし、実行の段階に入れば、あらゆる甘えや言い訳を捨て、心を鬼にして、自分の決めたことをやり抜いてください。
そうしてあなたは、自分がつくった計画を完遂できれば、自分をおおげさなまでに褒めてあげてください。
「○○ちゃん、エライ!」と。
実際にあなたは、自分との約束を守れたのです。
もはや、自分を嫌いになる理由は、まったくないはずです。
あなたはそのように、つねに「自分を大切にする」、「自分を信じる」、そしてときには「自分へのご褒美を用意」しながら、自分を愛するクセをつけてください。
さらに、自分が気になるものがあれば、それにのめり込み、ハマる習慣を身につければいいでしょう。
すると、「それをやって、夢中になってる自分が好き」に、なれます。
私の場合は、ヒトカラ(一人カラオケ)でした。
これは、あるきっかけから始めたのですが、「ヒトカラは健康やさまざまな能力伸長に有効」と気づいてからは、私はこれに、意図的にのめり込んだのです。
いまではそれほど行っていませんが、私はヒトカラを月に5~6回、1日7~8時間行うという日々を、7年くらい持ちました。
その結果として、健康増進から性格改善、呼吸法や良い姿勢の保ち方など、多くのものを得られました。
ですがそれ以上に良かったことは、「自分が好んで選んだものを、とことんまでやったおかげで、自分がますます好きになれた」という点です。
あなたもぜひ、時間を見つけては、「自分が好きなものをやることで、自分もその対象も、ますます好きになる」という実践を積んでください。
その経験はきっと、あなたから「自分が嫌いという気持ち」など、吹き飛ばしてくれるはずです。
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さて、ここまで「自分が嫌い」を払しょくする、さまざまな方法論を述べてきましたが、いよいよ総括です。
私は、いま現在、自己嫌悪に苦しんでいる人には、それをチャンスととらえていただきたいと、思います。
なぜなら、あなたに“若さ”さえあれば、「『自分が嫌いな自分』を捨てて、『自分が好きな自分』を、再創造することが」できるからです。
ふつうの人は、育った家庭や環境からあたえられた「自分の人格」のまま、死ぬまで生きていくことになります。
ところが「自分のここが嫌い」とわかる人ならば、それを改善し、「自分の好きな自分」に改造することが可能です。
これは全生物のなかで、人間にのみ可能なことで、人間にのみに許された特権です。
これを活用しない手は、ありません。
私はといえば、これをくり返し、30年も実行してきたため、いまの自分が大好きです。
また私は、どこに行っても人気者です。
なにせ私には、「自分の嫌いな部分」がないのですから、自分の本音も欠点も弱点も、どんな人にも平気で見せられます。
そうして私は意地を張らずに、自分のすべてを人にさらせるため、逆に他人から好かれ、信用されます。
また私は前述したように、物心ついたときから心身に病気を抱えており、そのため仕事などがうまくできずにいた時期が、長かったです。
それでも私は、愛嬌や人柄だけで、仕事上の無能さを大目に見てもらえたことが、多数あります。(^^ゞ
どうかあなたも、「自分を好きになるトレーニング」を始め、「自分が好きな人生」を、悔いなく、満喫して生きてほしいと思います。
自己嫌悪に苦しめられているあなたには、まずはとかく他者や自分との関係のなかで、「ありのままの自分のココロ」を知ることです。
そのうえであなたは、自分の行為により、人や自分自身に認められ、その結果として「自分を好きになる」訓練を積みます。
くわえて自分が立てた計画を守る約束をし、それを実行できた経験を積めば、あなたはそんな自分に対する信用を得られることでしょう。
さらには、「自分が好きなこと」にハマることで、「自分が好きなことをしている自分」を、好きになるよう、心がければいいです。
そのように、さまざまなアプローチでもって、あなたは「自己嫌悪」から遠ざかっていただきたいと思います。
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