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「虚無感」、つまり、なにをやっても満たされない気持ち。
現代の先進国では、この感覚に悩まされている人が、非常に多いです。
ではそもそも、虚無感の根源と正体とは、何か?
それは、人が生きていく上での元来の目的を失ったか、あるいは見つけられないでいるときに感じる、ココロの虚しさを指します。
ココロが虚しく空っぽなわけですから、当然そのココロは無気力感、無力感に支配されており、その人はなにかをやる気には、そうそうなれません。
ではそもそも、なぜ人は虚無感に陥るのか、なぜあらゆる生物のなかで、人間だけが虚無感を持つのか。
このページでは、そんな「虚無感の実態」を、あなたにお教えします。
いきなり、本題から入ります。
まず人間とは、「目的的存在」です。
これはどういうことかというと、人間の生活においては、意思や行動に目的がなければならない、ということです。
たとえば、「ジュースが飲みたい」という欲求は、「のどが渇いた」という肉体の状態が生むものです。
あるいは、「本を読む」という行為には、なんらかの知識を得たい、あるいは空想の世界を楽しみたいという目的が根源にあります。
またこの点にかんしていえば、人間も他の動物も変わりありません。
動物もまた、お腹が空けばエサを食べようとするし、眠たくなれば、眠ります。
この点に着目すると、動物の一挙手一投足に、ムダなものはミジンなもありません。
たとえば、犬が他の犬や人間、あるいは他の動物とたわむれるような行為でも、それは自分のココロを安らげようとするためになされます。
人間に飼われた動物を見ても、あまりピンとこないかもしれません。
しかし大自然に生きる生物を観察すると、ココロを安らげリラックスさせることが、どれほど重要か、わかります。
なぜなら自然界では、油断していたら天敵に襲われ、自分が食べられるかもしれません。
また好機を逃せば、エサの動物を食べ損ね、自分が飢え死にしてしまうことも、ありえます。
ですので、そんな恐怖と緊張に満ちた自然界に身を置いてみれば、ココロの安らぎがなければ、とてもじゃないが生きていけません。
ですから動物の行動はすべて、エサを食べることから自身の毛づくろい、そして戯れさえも、すべて生きる必要性から行われていることが、わかります。
ただし、動物の行動はすべて、本能において統括されており、この点が人間のそれとは、まったく異なる点です。
人間も基本的に、精神が正常な状態にあれば、無意味な行動をしないという点は、動物と同様です。
しかし人間が動物と大きく異なる点は、人間は原則として、「自由意志」により行動するという点です。
もちろん動物にも、「喜怒哀楽」という感情はあります。
しかしそれらは、「本能」により支配されており、本能の命ずるままに、動物はそうした感情に操られているにすぎません。
ところが人間の場合ですと、動物の「本能」に替わるものが、「自由意志」ということになるのです。
この点を例示するにあたり、あなたがレストランでサラダを注文した場合を、想定してください。
そもそもあなたは、なぜレストランでサラダを食べようとしたのか?
それは、あなたが最近、野菜不足を実感しているからかもしれないし、ステーキの前菜にはサラダがピッタリと考えたからかもしれません。
そこであなたは、ウエイトレスさんを呼び、サラダを持ってくるよう頼みます。
するとウエイトレスさんは、あなたの注文をコックさんのもとへと伝えます。
そうしてコックさんは、これまでの経験とマニュアル通りにサラダをこしらえ、それをウエイトレスさんを通じ、あなたの席へ運ばせます。
そこであなたは、やっとサラダに手をつけることとなります。
ここで、もしあなたが20歳を過ぎた大人であった場合、いきなり野菜を手づかみにして食べるということは、しないはずです。
あなたは、これまで家庭で教えられたとおりの手順で、まずはフォークを持つでしょう。
そうして、「トマトとレタス、どちらを先に手をつけようか」などと考えながら、野菜を口に運びます。
ここまで述べると、あなた、コックさん、ウエイトレスさんはみな、「あなたにサラダを食べさせる」という目的を共有していたことが、わかるでしょう?
そしてその目的を遂行するため、みながみな、自分の自由意志により、行動していたのです。
この点ではたとえば、サラダの食べ方や調理の仕方では、その人が成長過程で身につけた独自の方法(=クセ)が、若干、反映されているかもしれません。
つまり、「サラダをつくる、運ぶ、食べる」にしても、個人によってマナーや常識が異なる場合は、たしかにあります。
ですが、「目的を共有し、その目的達成のため共働する」という「行為の本質」については、万人に例外はありません。
これは、王様が奴隷にディナーを持ってこさせるときでも、フリーターの若者が安酒場で焼酎を注文するときでも、本質的にはなんら変わらないということです。
さて、ここまで述べれば、以下のことがわかったでしょう。
人間も動物も、必ず目的にそった行動をし、無意味な行為は行わない。
だけど、動物の行動を律するのは本能だが、人間の場合は「自由意志」だと。
ところが人間は、「自由意志」によって行動するがために、ときに元来の目的を失う、もしくは見つからなくなる、ということが、あるのです。
このページのテーマである「虚無感」を、人が感じるのは、そんなときです。
では具体的に、人が「目的を失う」とはどういうときか、挙げていきます。
まず個人レベルでいえば、たとえば目指していた大学に不合格になったときなどです。
本人にしてみれば、当初ならば希望の大学に入学したら、きっと以下のような夢を持っていたことでしょう。
好きな勉強をし、楽しそうなサークルに入り、可愛い女の子と恋愛関係になる、等々。
ところが入試に滑ったことで、それらの予定が、すべてご破算になってしまったのです。
当人としてみれば、今後、数年の予定がいきなり空白になったのですから、こんなときにはもちろん、「虚無感」を感じます。
これが「個人における虚無感」の一例です。
次に、集団でのケースを見てみましょう。
このとき、おそらくあなたはまだ生まれていないでしょうが、あなたのおじいさんやおばあさんが若いころ、1960年代くらいに、日本では学生運動が盛んでした。
なぜ当時の若者が、そんなにも社会改革に熱心だったのか。
その背景は、このページの本題ではありませんので、割愛します。
とかく当時の大学生たちは、資本主義的価値観を否定し、表面上は差別のない、共産主義的社会を目指したのです。
ですがその目的は、達せられることがありませんでした。
その理由は、マスコミ等は彼らの味方でしたが、彼らは結局は民衆の支持を得られなかったからです。
というのも、当時の日本は高度経済成長期にあったためです。
一般大衆にしてみれば、ふつうにまじめに働いていれば、自然と裕福になれる社会です。
なのにわざわざ、危険で暴力的な革命などに協力して、混乱を生んでも仕方ない、というのが彼らの本音でした。
このときもまた、学生運動に挫折した運動家たちは、深い虚無感(ニヒリズム)に陥りました。
なぜなら、自分たちの理想社会が実現されるどころか、自分たちの過去の努力も未来の栄光も、すべて否定されてしまったからです。
そうして革命家たちは、自分の意思と行動を、持てあますこととなります。
念のために申しておきますと、この「意思と行動を持てあます」という現象は、なにかが失敗したときのみ、発生するのではありません。
逆に、物事がうまくいった、あるいはいきすぎたときにも、起こります。
この一例が、「燃え尽き症候群」というものです。
たとえば、ある少年が東大に合格することのみを、幼少期から目指していたとします。
そしてその甲斐あって、彼は東大に合格します。
ところが、彼にとっては「東大合格」だけが人生における目標だったため、東大生となったいま、自分の残りの人生を持てあましてしまうのです。
これがいわゆる、「五月病」というものです。
ともあれ、どんなかたちにせよ、それが個人であろうが集団であろうが、元来の目的を失った人間は、それを満たすために、代替的な目的を見つけようとします。
そして、それが見つかった場合、その行為にふけることにより、「ココロの空洞」を埋め合わせようとします。
たとえば、志望の大学に落ちた人は、安酒におぼれて、その感覚的な快楽に、意味を見出そうとするかもしれません。
また、次に述べるのは現実にあったことで、現在なお進行中の深刻な事態です。
社会改革の夢が破れた、若き革命家たちのことは、前述しました。
彼らがその後、どういう行動を選んだかというと、「革命が不可能なら、せめて現体制をダメにしてやる!」と、社会破壊を目指したのです。
つまり、本来なら「理想社会の実現」の手段であった、「現体制の弱体化そのもの」が、彼らにとって、「生きる目的」にすり替わったのです。
この点につきましては、いま「左翼」、「リベラル」と呼ばれている人たちが、どうい行動を取っているかを見れば、すぐにわかります。
彼らは、少しでも日本国や日本人にとって不利益で不都合な事態を実現させようと、必死になっています。
この場合、たしかに彼らのあり方は、アニメや戦隊ヒーローものに出てくる「悪の秘密結社」そのものです。
ところが彼らにとっては、ひょっとしてそうした反日行動を取ること自体が、「正義の実現」であると、本気で信じているかもしれません。
なぜなら、人間とは自分の過去における失敗や挫折を、できるだけ認めたくない存在だからです。
ならば、いわゆるリベラルの人たちも、「自分は、過去に革命闘争に敗れたからこそ、いま反日活動をしている」などという本音は、受け入れがたいでしょう。
ですから彼らにとっては無意識のレベルで、「自分の元来の目的」をすり替えている可能性が強いです。
そういえば、アニメや戦隊ものの「悪の秘密結社」のメンバーたちも、「自分たちは、絶対正義」という前提で、すべての物事を考えていますよね。
それでなにか問題が発生すると、「自分は正しい」という事実だけは絶対に動かないから、非をすべて状況や敵のせいにし、問題はまったく解決しない。
そうして残るは、テロと暴力のみ。
これは、人生問題を考える上で、格好の反面教師としての思考法ですから、若いあなたには、よく参考にしてもらいたいと思います。
以上では、やや極端なケースを挙げました。
ですが、「生きる目的」を失った人間が、その喪失感を埋める代替的行為を見つけることで、不幸になるのみならず、幸せになれる場合も、存在します。
それは、その新たな人生の目的が、より生産的で、本当の意味で他人や社会を幸せにするものである場合です。
たとえば、戦争で敵兵を殺しまくった軍人が、戦後になりその反省から、平和運動を起こし、国家間の軍事衝突を避けようとする。
あるいは労働者から搾取をくり返していた経営者が、破産してから自分の非に気づき、真の社会的事業を始める、等です。
ところが、「人生の目的」をいったん喪失した人間には、次の目的を見つけるのは、容易なことでは、ありません。
その場合には、その人はうつ病になったり、廃人のように一日中、寝込むようにもなります。
ただ厳密に述べれば、そうした行為もまた、代替行動、あるいは自己防衛反応のひとつとも、いえるものなのですが。
というのは、その人はうつ病や寝たきりになることにより、外部からの情報を遮断し、自分自身を、目的が失われたショックや抑圧から、守ろうとしているからです。
ところが、もっと問題なのは、「生きる目的」を失ったときに、そうしたわかりやすい症状が、ハッキリとは見えない人のほうかもしれません。
というのも、そうした人は明白な病気ではないが、かといって精神はつねにうつ状態にあるからです。
いわば、自分の人生そのもを完全に持てあましていながら、それに対する自覚が薄い人と、いえるかもしれません。
これが動物の場合ですと、こうはなりません。
たとえ当座の目的が失われても、彼らには基本的に、希望も失望もありません。
なぜなら彼らは、「意志」ではなく「本能」によって、認識を統括されているからです。
そもそも彼らはそれゆえ、「自分の一生の目的」を抱くこともなければ、自覚することもありません。
たとえば、ここにツバメの一家がいるとして、彼らは巣づくりに必死になっていたとします。
ところが彼らの巣は、9割方完成したところで台風に遭い、すべて吹き飛ばされたとします。
ですがそのツバメ一家は、別に失望も感じず、躊躇なく次の新しい巣をつくろうとするでしょう。
ですから、もしあなたが人生の目的を見出せず「毎日が虚しい」と虚無感を抱くのなら、それはあなたがまじめで正常な人間の証でもあります。
なぜなら、程度の低い人間ほど、毎日をギャンブルや飲酒を楽しむことで消費し、虚無感に背を向けて生きることに、抵抗がないからです。
あなたは人生に対し、真摯で真剣だからこそ、「そのなかで、やることがない」ことに、まじめに悩むのです。
ではそんなあなたは、どうすればいいか?
どうすれば、「虚無感の虜」にならずにすむかは、以下のページで懇切に述べてまいります。
虚無感の根本的な解消法を、教えます。虚無感とは、大切ななにかを喪失したことによる苦しみ
乞う、ご期待!!(`・ω・´)ゞ
まず人が「虚無感」を感じるのは、動物と異なり、「自由意志」を持つからです。
動物は「本能」で行動しますが、人間は自分が選んだ「自由意志」で、自分の行動を選択します。
そして人が「虚無感」を感じるのは、「自由意志」のもとで遂行しようとしていた「目的」が失われるときです。
人はそのときできたココロの穴を埋めようと、さまざまなことを代替的に行います。
その結果として、他人や社会に迷惑をおよぼす行動を取る人もいれば、生産的で社会のためになることを、する人もいます。
ですが一点、言えることは、「虚無感を感じる人」というのは、基本的にみな、真面目な人ということです。
あなたには、たとえ虚無感に陥ったとしても、希望を失わず、次のステップへと進んでほしいと思います。
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