人はなぜ、「人見知り」のまま大人になるのか?私の経験から得た答えは、「脳の発育不良」

はじめに

 

 

 

 

 

さて、別ページにて私は、「人見知り」とは、「警戒心」が行きすぎた状態だ、と申しました。

 

 

人見知りの正体とは、「警戒心の暴走状態」。対策は、警戒心を通常のレベルに落とすこと

 

 

元来なら、人が生きていくのに必須の警戒心が、過剰に作用するからこそ、人は「人見知り」になるのでした。

 

 

 

そこでこのページでは、幼少期にだれよりも人見知りだった私が、大人になって気づいた、「人見知りの実態」について、述べようと思います。(*^^*)

 

 

 

くわえて下記ページでは、そんな私が数名の名医から学んだ、具体的な人見知り脱却法を、ご紹介します。

 

人見知りを克服する具体的方法は、肉体からのさまざまなアプローチと、対人関係で緊張を抜くこと

 

 

 

お楽しみに!!(≧∇≦)/

 

 

 

 

 

第一章 遺伝子という可能性、環境という決定項

 

 

 

 

 

さてでは、ここでなぜ、あなたをふくめた「人見知り」の人たちは、そうなったのかを、この場で述べていきます。

 

 

 

結論から述べると、「遺伝子+環境」の結果だと、私は考えます。

 

 

 

肉体の性質同様、人間の遺伝子には、個人の性格に影響をおよぼすものも存在します。

 

 

 

たとえば、「楽観的になりやすい」、「人に対して、優しい性格になりやすい」、「冒険を好む性格になりやすい」等々。

 

 

 

ちなみにわれわれ日本人は、世界中のあらゆる人種のなかで、もっとも「恐怖遺伝子」を持っているそうです。

 

 

 

つまり、それを持っていたら、あらゆるものに恐怖を感じやすいという遺伝子ですね。

 

 

 

日本人の場合、その遺伝子が脳に埋め込まれている割合はなんと、97パーセント( ゚д゚)

 

 

 

アメリカの白人が77パーセント、おなじくアメリカの黒人が46パーセントというのですから、どれだけ日本人が「怖がり」か、わかりますね。

 

 

参照 http://karapaia.com/archives/51481574.html

 

 

それに関連するかどうかは、まだはっきりしません。

 

 

 

しかし最近の研究では、「人見知り」にも遺伝子の働きにより、形成されることがあるという説が、出てきています。

 

 

 

いまの私には「人見知り遺伝子」が実在するのかどうか、よくわかりません。

 

 

 

しかし、ここからが重要な点なのですが、人間の性格とは、遺伝子だけで決まるものではない、ということです。

 

 

 

人間の人格形成には、環境のほうがより強い影響をあたえています。

 

 

 

その割合は、遺伝子がが30~40パーセントで、後は環境によるものとされています。

 

参照 https://benesse.jp/kosodate/201603/20160315-2.html#:~:text=性格には「協調性,多いと言えるでしょう。

 

 

 

 

なぜそうなるかといえば、もちろん人間が、「本能を離脱した動物」だからです。

 

 

 

たとえば犬であれば、子犬は産まれてから1年もすれば、生きるに充分な社会性を獲得できます。

 

 

 

それに対し人間は、一定の社会性が身につくまで、20年近くかかります。

 

 

 

つまり人間とは、他の動物と異なり、生きるに必要な能力や性質を得るには、圧倒的に環境からの影響が大きいということです。

 

 

 

よって、もしあればですが、あなたが「人見知り遺伝子」を多く持って生まれていたとしても、それによってあなたが人見知りになったとは、かぎりません

 

 

 

その場合、あなたが生まれ持ったものは、「人見知りになりやすい傾向、可能性」であって、「人見知りという性格そのもの」では、ありません。

 

 

 

逆に述べるならば、もしあなたが「人見知り遺伝子」を多く持って生まれたとします。

 

 

 

それでも、もし好ましい育ち方をしていれば、あなたは人見知りにはならなかったかもしれないということです。

 

 

 

さらにまたこれは当然、逆もいえます。

 

 

 

もしあなたが生まれつき、人見知り遺伝子を多く持っていなかったとしても、あなたは育ちの歪みから、人見知りになったかもしれません。

 

 

 

たとえば絶えず、親からの虐待を受けていた、なんて場合ですね。

 

 

 

この点を次章で、私のケースから考えてみたいと思います。

 

 

 

第二章 すべてが恐ろしかった、私の少年時代

 

 

 

 

さてまず、私の幼少期は、どうだったか?

 

 

 

これはもう、極度の人見知りであり、その状態は病的といっていいほどでした。

 

 

 

私の場合は、「他人が」というより、自分をとりまく環境のすべてが、恐怖でしかありませんでした

 

 

 

どうしてそうなったかといえば、私の育ちに問題があったからなのですが、それについては、下記ページの第一章を、お読みください。

 

 

 

自己嫌悪を克服するカギは、他者や自分自身との関係のなかから、自分への信頼を獲得すること

 

 

1 第一章 私が、自分自身の倫理を自分で構築するようになった理由

 

 

とかく私は、幼少期から内心がビリビリしていました。

 

 

 

それというのも、上記ページを読んでいただければ、かなりのことが、おわかりいただけると思いますが、私の母は、極度に小心だったのです。

 

 

 

母の父、つまり私の祖父は、もともとは漁師で、気性の荒い人でした。

 

 

 

また祖父の妻、つまり私の祖母は、典型的な前近代的日本女性でした。

 

 

 

つまり、夫には三歩後からついていき、つねに夫に貞節を誓うといったタイプの人だったのです。

 

 

 

よって、私の祖父はかなり暴力的かつ専制的に家を支配していましたが、もちろん、だれにも祖父には逆らえません。

 

 

 

そうした環境で育った母は、私や他の人から見ても「いい人」では、あります。

 

 

 

しかし根が極端に小心で、人の顔色をうかがって、ビクビクと生きていくという性格の女性です。

 

 

 

そんな家庭に産まれた私ですが、赤ん坊というものは基本的に、生後一年間は母親の背中におんぶされ、育ちます。

 

 

 

この時期に赤ん坊は、母親と身体を密着させているため、母親の思考や性格が、いやもおうもなく、浸透してきます

 

 

 

もちろん私は、母がつねに感じている恐怖や緊張、不安感などを、母の背中越しに伝えられていた、ということです。

 

 

 

そうしたわけで私は、間違いなく遺伝子と環境、両者の影響を受け、心身ともに極度の虚弱児になりました

 

 

 

3歳くらいの物心ついたころから、私はひんぱんに自家中毒を起こし、当時としてはめずらしく、アトピー性皮膚炎を患っていました。

 

 

 

そうして私は、中学生くらいまでは漠然と、身のまわりのものすべてに怯える少年になりました。

 

 

 

たとえば私は、小学校2年生のとき、テストの採点で先生のミスを見つけたのですが、どう勇気を出しても、先生にそれを伝えることが、できませんでした。

 

 

 

これは後に、一種の自閉症状態だと、わかることになります。

 

 

 

ですが当時の私は、「すべてが怖い」というのがデフォルト状態だったため、「自分がおかしい」とは、なかなかに気づけなかったのです

 

 

 

中学生時代は部活もせず、いつも一人でいたのですが、一年生のときから両親に、私の意志とは関係なく、学習塾に通わされました。

 

 

 

その塾で、椅子に腰かけていても、絶えず緊張状態、そこの先生の話を聴くこと自体が苦痛でした。

 

 

 

もちろん当時の私は、そんな不平を両親に言うことすら、できません。

 

 

 

その一方で、自分に関心のあることや面白い話には、集中できました。

 

 

 

ですが、基本的に私は、「人の話を聴かない子ども」であり、まわりの大人は、そのことになかなか気づきませんでした。

 

 

 

というのも、当時は「発達障害」や「自閉症」といった概念も、ほとんど社会に浸透していませんでした。

 

 

 

ですので私はどこでも、「ちょっと変な子」あつかいされていただけです。

 

 

 

これは私が高校に進学しても変わらず、つねにアタマのなかでなにかを考えており、そこに他人の入り込む余地は、ありませんでした。

 

 

 

また体育の授業で、二人組をつくるよう先生から指示されると、生徒数が奇数なら、私は必ず余り者となりました。

 

 

 

ただ、その時分はいつも、ヒマなときは英語や数学のことばかり考えていたので、学校の成績は良かったです。

 

 

 

ですがそれがかえって、私の異常性に、まわりの大人が気づかないようにしたようです。

 

 

 

 

あの子はちょっと変わっているが、学校の成績はいいから、まぁ問題ないだろう」といった具合に。

 

 

 

そうしたわけで私はずっと孤独でしたが、それは自分が他人を受け入れないから、人が自分に寄ってこないだけだということは、そのときは理解できませんでした

 

 

 

また高校時代の私の友人は、私と同様の傾向をもった生徒、一人だけでした。

 

 

 

当時の私は、いつも彼と一緒にいました。

 

 

 

ここで仮に、彼を木下くんと呼びます。

 

 

 

木下くんもまた、人の話を聴かない、鉄道好きでいまでいう陰キャ、何事も思いつきでモノを言う性格の少年でした。

 

第三章 病気の私を変えた、3人の先生方との出会い

 

 

 

 

 

高校卒業後、私はいよいよ自分のココロの空洞を意識するようになりました。

 

 

 

そして、とかく日本にいたくなくて、私はアメリカの大学に留学したのです。

 

 

 

いまにして思えば、つねになにかに囚われた私のココロが、「遠くに行きたい」と望んだ結果なのかもしれません。

 

 

 

ですが、入学した学校での、最初のミーティングでも、私は他の生徒たちに「変な人」だと思われたようです。

 

 

 

ところが当地では私は外国人だったので、コミュニケーションに難があっても、許された感がありました。

 

 

 

しかし、日が経つにつれ、日本にいたときから飲み続けていた抗アレルギー剤の副作用が、私の精神を蝕んでいきました。

 

 

 

私はそこで、本格的に「何も感じられなくなり」、「黙っている」、「落ち着いている」ということが、困難になってきました。

 

 

 

そこで耐えきれずに自殺を図り、日本に帰ってきたという次第です。

 

 

 

その後、私は、偶然にも優れた精神科の先生、吉田先生(仮名)と出会います。

 

 

 

吉田先生は文句なしの名医で、私が元来、少年期に教わるはずだった、人間が生きるにあたって重要なことを、すべて教えてくださいました

 

 

 

ところが吉田先生の治療法は、「精神の問題を、精神から解決する」というものだったので、そこで私は、病気の根治には至りませんでした

 

 

 

ですが、吉田先生に診てもらった7年間は、私の宝でもあります。

 

 

 

病気がなかなか治らないということで、私が28歳のとき、父は新たなお医者さんを紹介してくれました。

 

 

 

それが「久本先生(仮名)」で、久本先生の父上は、「子どものぜん息やアトピーなどは、文明病であり、それは環境の急変によってもたらされたものだ」と説かれた方です。

 

 

 

久本先生の父上は、『母源病』という書籍の著者であり、1970年代ごろには、たいへんに有名になられた方です。

 

 

 

その病院で私は久本先生より、自分の病気のルーツは、「脳の発育不良」にあることを知らされました。

 

 

 

久本先生の学説は、ほぼ以下のようなものです。

 

 

人間の脳とは、根幹部分ほど、反射や代謝等の、生命存続に必要な基本的な機能を担っている。

 

 

 

そして、脳の表面に行くほどに、思考等の高度な認識作用をつかさどるようになる。

 

 

 

しかし現代の子どもは、むかしのように荒々しい遊びなどをしないため、脳の基幹部分が未熟なまま、大人になる。

 

 

 

しかも悪いことに、成長過程にあって、アタマだけを酷使させる受験勉強などをさせるから、なお脳の発育は悪くなる。

 

 

 

そうした脳の歪みが、アトピーやぜん息、発達障害や自閉症などの現代病を生んでいる、というものです。

 

 

 

 

 

そこで私は、名古屋にあるクリニックに生活入院することになりました。

 

 

 

そこでの治療法は、患者同士で、高度経済成長以前の日本にあった、豊かな人間関係を形成し、経験させるというものでした。

 

 

そこで2か月近く入院した私は、大分、体力もついてきたので、東京に帰ってバイトをすることになりました。

 

 

 

最初の数年は、なかなかカラダも動かず、どこへ行っても苦労しました。

 

 

またその時点でも、私はまだ人が怖く、人の顔と名前を覚えるのが、極度に苦手でした。

 

 

 

東京でも久本先生のもとに通い続けたのですが、そこで先生に会うたびに、「早く就職しろ!」と、言われ続けました。

 

 

 

ですが当時の私は、直観レベルで、「いまは就職をすべきでない。すれば、いつか後悔する」と感じていたのです。

 

 

 

その理由は、久本先生のクリニックに通う前から続けていた、「哲学」にあります。

 

 

 

そのときにはもう、私は31歳になっていましたが、就職したら本格的に哲学の勉強ができなくなると思っていました。

 

 

 

またもちろん、その時点で私は、「哲学研究者」として世に出るだけの実力もありませんでした。

 

 

 

結局、私は主治医を替えてもらって、フリーターを続けることにしましたが、これは結果的に吉と出ました

 

 

 

というのも、私の新しい先生は保田先生(仮名)というのですが、私は保田先生から、非常に多くのものを得たからです。

 

 

 

保田先生は、久本先生の義兄にあたりますが、久本先生とは異なるアプローチでの、精神病治癒の方法論を持っていました。

 

 

 

ちなみに私は、それから20年以上経った現在でも、保田先生のもとに通っています

 

 

 

保田先生の治療法については、下記ページで述べますので、ぜひ参考にしていただきたいと思います。

 

 

 

これはもちろん、「人見知り」の人にも効果のある方法です。

 

 

 

 

 

まとめ

 

 

 

 

 

私はやや歪な環境で育ったため、病的レベルでの人見知りの子どもになりました。

 

 

 

そうして20歳を過ぎたころから私の病気は、本格化したのです。

 

 

 

その過程で得た知見は、人が「人見知り」になるのには、遺伝と環境の組み合わせによってですが、決定要因は環境だということ。

 

 

 

また、「人見知り」とは究極的には、脳の未成熟状態がおよぼすという事実でした。

 

 

 

では、どうすれば具体的に人見知りを克服できるかは、私の経験にもとづき、下記ページでくわしく述べています。

 

 

 

人見知りを克服する具体的方法は、肉体からのさまざまなアプローチと、対人関係で緊張を抜くこと

 

 

 

ぜひ、人見知りで悩んでいるあなたには、参考にしていただきたいと思います。

 

 

 

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