なぜ優柔不断な人が、現代日本に激増したのか?その理由を、歴史的経緯と脳の発育から説く

はじめに

 

 

 

 

 

まず「優柔不断」とは、何事においても、即座に決断できない性格を指します。

 

 

 

これは、かつての私でもあるし、現在のあなたのことでも、あります(笑 失礼)(^^ゞ

 

 

 

では、なぜそうなのか、そんな人は、どうしてそうなったのかを、あなたが納得いくまで説明するのが、このページです

 

 

 

むかしのわが国のサムライは、「武士に二言なし」で、決断力とそれに対する責任が、つよく求められました。

 

 

 

ところが現代日本では、あまりに優柔不断なオトコ(オンナも)が増えていると、あなたは思いませんか?

 

 

 

そうした謎について、このページでは社会科学、自然科学の両面から、大きくあなたに解答を差し上げます。(*^^*)

 

 

 

なぜ私が自信満々にそう言えるかと申せば、当の私自身が、むかしはだれよりも優柔不断だったからです。

 

 

 

そこで私はいろんな勉強や経験を積み、いまでは結果としてどんなことにも即断即決できるようになっています。

 

 

 

そこでこのページではまず、「優柔不断」な性格だと、人はどういうことになるか、またなぜ、人は優柔不断になってしまうのか、という点を説きます。

 

 

 

また私の経験にもとづいた、具体的な優柔不断からの脱出法は、下記ページにて、述べていきます。

 

 

優柔不断は育ちの問題。克服するには、ココロとカラダと人間関係を改善し、決断力と意思決定力を身につけろ!

 

 

 

お楽しみに。(^_-)-☆

 

 

 

 

 

第一章 優柔不断に育てられてしまったが、それで生きていけない人が多い、現代という時代

 

 

 

 

 

そもそも、人はどうして優柔不断になってしまうのか?

 

 

 

これは、遺伝と環境のどちらが大きいのか?

 

 

 

まずは、そこから考えてみましょう。

 

 

 

私はこの点では、「優柔不断になりやすい遺伝子」と、「人を優柔不断にする環境環境」、両者がそろって、人は優柔不断になると考えます。

 

 

 

私がそう答えると、「そんなの、当たり前じゃん。わざわざブログで言うほどのこともない」といった答えが返ってきそうです。

 

 

 

しかし、ここからが本番なのですが、「現代人」、もしくは「現代の若者」を見ていると、圧倒的に環境からの影響のほうが、大きいと思います。

 

 

 

その理由ですが、こちらは具体的な証拠を上げることは、できません。

 

 

 

しかし50年も生きてきた私から見て、むかしよりも現在のほうが、より優柔不断な人が増えたように確かに感じます。

 

 

 

たとえば学校などでも、私の小中校時代は、先生に「ほんわか君、君の意見は、どうだ?」と訊かれた際には、ハッキリとした回答が求められました。

 

 

 

もし「合ってるかわかりませんが……」、「多分、~じゃないでしょうかね?」などと答えると、「余計なことは、言わんでいい!!(`・ω・´)」と返されたものです。

 

 

 

また、これも私の主観ですが、むかしのほうが「優柔不断」を恥とする常識が強かったように思えます。

 

 

 

まだ私の少年期には、「男のクセに優柔不断なのって、情けない」と思わせる風潮が残っていました。

 

 

 

もちろん、それよりもっと前の戦時中などでは、軍隊で上官になにかを訊かれ、「さぁ、どうですかね……?」などと答えると、即座に鉄拳が飛んできました。

 

 

 

現代の教育について、私はその現場のことに関しては、よく知りません。

 

 

 

しかし、「本当に〇〇君は、優柔不断ね。でも、それは○○君の優しさでもあり、個性の一つよね」のように言う先生が、多いのではないでしょうか?

 

 

 

そうして「優柔不断の若者」が大量発生しているのが、現代ではないでしょうか?

 

 

 

実際にネットで「優柔不断」で検索してみると、「その治し方」を語るページが、大量に見つかります。

 

 

 

また、ツールで調べると「優柔不断」という語は、月間検索ボリューム12,100と、大変に多く出てきます。

 

 

 

つまり現代とは、優柔不断に育てられながらも、その性格では社会でうまくやっていけないで、悩んでいる人が多い時代、とは言えないでしょうか?

 

 

 

ちょうど、あなたのように。(*^^*)

 

 

 

そこから私の育ちや、私が優柔不断になった理由、そしてそれをどう克服したのか、をご説明しようと思います。

 

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第二章 人類の共同体を支配する「ism」の存在

 

 

 

 

 

 

まず私についてですが、恐縮なのですが、以下のページの第一章を読んでいただきたいと思います。

 

 

 

 

自己嫌悪を克服するカギは、他者や自分自身との関係のなかから、自分への信頼を獲得すること

 

 

1 第一章 私が、自分自身の倫理を自分で構築するようになった理由

 

 

 

以上の点から、私という人間や、そんな私を育てた「現代日本」という社会の問題点が、わかっていただけたかと思います。

 

 

 

諸事情により、上記ページを読まなかった方、または、とかく一から説明してほしいという方のため、ここで「人間とは、何か?」を説きたいと思います。

 

 

 

また恐縮ですが、とりあえずは、下記サイトの下記章だけでも、読んでいただきたいです。

 

 

 

 

「生きる意味」がわからない人に、その目的を哲学的、生物学的に説く。それは、自分を他者として生かすこと

 

 

1 第一章 生命体とは、どんなもの? 人間と動物の共通点とは?

 

つまりは人間とは、動物が持っている本能」を部分的に捨てたことにより、「知恵」を得たということです。

 

 

 

だから人間は、動物が本能で決定していたことを、知恵や理性で判断しなければならなくなりました

 

 

 

ところが、一人ひとりの人間が、個々独自の判断基準を持つことなど、絶対に不可能です。

 

 

 

なぜなら、個々人に世界のあり方すべてなど、解釈が出せるはずがありませんし、また、みなが共通した概念を共有していないと、意味がないからです。

 

 

 

そうでなければ、共同体が成り立ちません。

 

 

 

さて、ここからはやや難解で、「優柔不断の話は、どうした!」という展開が続きますが、しばしおつき合いください。(^^ゞ

 

 

 

さてさて、そこで、「ism」の登場となります。

 

 

 

ism」とは、「民主主義」や「資本主義」のような語の「主義」を意味する言葉です。

 

 

 

大ざっぱに言ってしまえば、「ism」とは、特定の集団や共同体の成員がみなで共有している価値観、ということになります。

 

 

 

 

ならば、キリスト教の世界には、キリスト教特有の規範(ism)があり、そこに生きる人々は、『聖書』の教えに従い、協力し合って生きていきます。

 

 

 

またイスラム教ならば、当然にイスラム教特有の教え、おもに『コーラン』に載っている教条を、信者たちはともに信じて、共生します。

 

 

 

ここはやや余談になりますが、「ism」には、以下3つの機能があります。

 

 

 

 

1.社会統治の方法論

 

 

2.個人が生きていく上での、行動規範

 

3,自然や社会で発生する、あらゆる現象の直観的説明

 

 

 

ここをキリスト教を例に挙げ、少しだけ、説明します。

 

 

 

1.社会統治の方法論」ですが、これはおなじ価値観(宗教、思想 等)を持った人たちが、共生するために共有するルールを指します。

 

 

 

たとえば、中世のキリスト教社会では、教皇が社会の統治法を考案し、それが各国王に伝えられ、さらにはそれが、各教会に行きわたりました。

 

 

 

そして個々人はみな、それぞれの村の教会に集められ、その教えを守る、といったかたちが取られました。

 

 

 

次に、「2.個人が生きていく上での、行動規範」です。

 

 

 

たとえば前近代社会の農民でも、もちろん個々人の人生は、異なっています。

 

 

 

ですから、人が自分の人生における重要ごとを決めるときには、当然、キリスト教の価値観に従います。

 

 

 

たとえば、AさんとBさんが大ゲンカをしたとしても、キリスト教の旧約聖書には、「汝、殺すなかれ」という教えがあります。

 

 

 

ですので、ケンカでどんなにアタマに血がのぼっていても、相手を殺したら、自分も即・死刑です。

 

 

 

よって、AさんもBさんも、相手を殺す前にその教義がアタマに浮かび、相手を殺さないようにします。

 

 

 

さて、最後に「3,自然や社会で発生する、あらゆる現象の直観的説明」です。

 

 

 

人間は本能から離脱し、「知恵」を持ってしまいましたが、これは諸刃の剣でした。

 

 

 

というのも、動物なら気にならない、「毎日、太陽が東から昇る」、「人間がこの地に生きている」という現象が、気になって仕方なくなるのです。

 

 

 

ですがもちろん、人は古代の段階で、その理由を明確には説明できません。

 

 

 

なぜなら、あらゆる現象を客観的に観察できるほど、彼らの認識が成熟していないため、物事の本質を知りようがないからです。

 

 

 

端的に述べれば、当時の人たちは「科学」を生み出すほどには、発達していなかったということです。

 

 

 

そこで、人々の集合的直観が、それに対する答えを出します。

 

 

 

「太陽は、神さまが毎日、動かしているんだよ」、「人間は、神さまが自分の姿に似せて創ったんだよ」といった具合に。

 

 

 

このように「ism」は、社会に生きる個人や集団の基本となり、これが1万年以上、人類で共有されているというわけです。

 

 

 

たとえ国や地域によって、「ism」の内容は異なっていたとしても、どこでも人々が「ism」にもとづいて生活しているという事実は、変わりません。

 

 

 

たとえば現代の2020年代においては、世界のほとんどの国が、政治は間接民主制、経済は資本主義(市場主義)で運営されています。

 

 

 

そうした共通性があるからこそ、人々は地域や文化を超え、このグローバル社会を共生できるのです。

 

 

 

第三章 2000年来の「イエ」の伝統が、ほんの10数年で崩壊した日本

 

 

 

 

 

長々と、一見「優柔不断」とは関係なさそうなことを述べて、申し訳ありません。m(__)m

 

 

ですがこれは、日本の社会というものを説明するために、どうしても必要なことなのです。

 

 

 

ここで、日本のことを語ります。

 

 

 

まず、わが国・日本がおそらくは1000年くらい持っていた最大の「ism」とは、「東アジア的家父長制度」です

 

 

 

これは簡単に述べると、「イエ」を父の系統の者たちが、愛情をもって支配し、「イエ」に関する決定権は、家長である「父」が持つ、ということです。

 

 

 

これはわが国では、上は天皇から下は庶民まで、歴史的に基本原則、規範としていた制度です。

 

 

 

庶民のあいだでは、平安時代後期くらいまでは、だいたい母系社会だったそうです。

 

 

 

ですがそれ以後は、「イエ」の成立とともに、日本のどの身分でも、父系制度が中心になっていきました。

 

 

 

ですから本質的に、「日本」という国家は一つの「イエ」であり、日本人とはすべて「家族」だという無言の了解が存在します。

 

 

 

たとえば先の大戦では、日本人は自国について、「天皇を抱く、アジアの父」と、とらえました。

 

 

 

そして日本人は、八紘一宇、五族協和という概念を創出し、東アジア諸国全体を、天皇を父としてまとめる「イエ」と考えました。

 

 

 

よく外国人から、「日本人は、自己主張しない」、「日本人は、あまり話さないから、何を考えているのか、よくわからない」などと言われます。

 

 

 

ですがそう思うと、これは当然のことです。

 

 

 

なぜなら原則として、天皇を父として仰ぐ日本人であるならば、皆がみな、家族なのです

 

 

 

家族同士であるならば、たがいによく知った仲です。

 

 

 

わざわざ自分のことを、ベラベラしゃべらなくてもわかりあえるし、スキンシップが少なくても、信用し合えます。

 

 

 

この点は、隣人が何者かわからず、「人を見たら、敵と思え」と何千年も考えてきた西洋人には、理解できない点でしょう。

 

 

 

そもそもが、彼らが握手等、スキンシップを好むのは、相手も自分も武器を隠し持っていないか、確認し合う手段の名残でも、あるのですから。

 

 

 

そうしたわけで日本とは、神道や儒教を核としながら、そこに仏教や武士道が加わったにせよ、基本は「アジア的大家族主義の国」なのです。

 

 

 

そうしたことから、家の方針は父親が決め、母親は家事と育児と夫のサポートに専念するというのが、わが国の基本形だったのです。

 

 

 

ところが、1000年も続いたわが国の「アジア的家父長制度」ですが、これはほんの60年ほど前の、高度経済成長期に、ほぼ崩壊してしまいます

 

 

 

この時以来、息子は都会に出て就職し、そこで嫁と結婚して、子どものいる核家族を営むというのが、家族の標準的あり方となりました。

 

 

 

このスタイルは、もう50年前、つまり1970年代には、ほとんど完成していました

 

 

 

そうなるともちろん、家長である父は、実家で何百年も受け継がれてきた育児法や、家庭の運営法からは断絶されます。

 

 

 

むろんむかしの日本には、農村には農村共同体が、商店街には商家共同体があり、みなで助け合って、知恵を出し合い、生きてきました。

 

 

 

ところが核家族は当然、この共同体からも無縁の存在となります。

 

 

ちなみにですが、私は日野市という東京のベッドタウンに住んでいますが、お隣のご主人の職業も家族構成も知りません。

 

 

 

そうしたわけで現在では、核家族の父は昼間は会社へ、母は家で家事や育児をするか、パートへ行くか、というスタイルが一般的なものになりました

 

 

 

ですが前述したように、わが国では高度経済成長期以来、核家族化のため、地域共同体も衰退しました

 

 

 

よって、「各家庭の問題は、それぞれの家庭で解決すべし」という個人主義が、主流となったのです。

 

 

 

 

 

第四章 自分のことすら、わからない、決められない、もやしっ子の誕生 

 

 

 

 

もちろん核家族化が進展しても、家長である父が、家族を引っ張る強く、たくましい人物であるなら、問題はありません。

 

 

 

ところが、核家族化は代を重ねるごとに、その家の伝統的な教えは失われていきます。

 

 

 

くわえて父親は、会社が忙しすぎて疲れ果て、とてもじゃないが、家族を牽引するどころでは、ありません。

 

 

 

また母親も、彼女のお母さん、おばあちゃんなら知っていた育児の知恵も、教えられていません。

 

 

 

さらに彼女の夫である父親は、いつも家にいないか、いても仕事で疲れて切って伸びています。

 

 

 

そうすると彼女の関心は、自分の子どもへと向かいます。

 

 

 

彼女はそんな夫の様子を、ずっと見ているので、「社会とは、大変なところ」、「生きるとは、大変なこと」という印象だけが、アタマにインプットされます。

 

 

 

すると、「大切な自分の子どもには、そんな大変な目に遭わせるわけには、いかない」と、母性が狂った方向に向かいます。

 

 

 

その結果として、母子密着型の親子ができてしまうと、いうわけです。

 

 

 

母は、「大変なものから、子どもを守るのが、自分の使命」と思い込みます。

 

 

 

最終的に、元来ならば子ども自身が選択して決めるもの、努力して得るものも、あらかじめ自分が用意して、子どもにあたえるようになります

 

 

 

すると当然、子どもには年相応の決断力や判断力が、つくはずもありません。

 

 

 

それどころか母親にとっては、「厳しいことは、悪」なのですから、少しでも子どもが社会をラクに生きていけるようにと、子どもを塾漬けにします。

 

 

 

基本的に人間の教育とは、古代ギリシアより、「心・技・体」がそろったものが、理想とされています。

 

 

 

つまり教育とは、すぐれた倫理観を持つ「ココロ」と、優秀な頭脳活動を意味する「ワザ」と、健康で丈夫な「カラダ」がすべて合わさるのが、望ましいのです。

 

 

 

元来的には教育とは、そのようになされるべきなのです。

 

 

 

そこから教育とは、「知育、体育、徳育」がセットになっていて、はじめて意味を持つのです。

 

 

 

ところが現代っ子は、カラダもできていない、善悪の区別もつかないうちから、アタマだけを鍛えるよう、求められます。

 

 

 

すると彼の脳自体がバランスを失い、暗記に特化した勉強だけはできるが、カラダは貧弱、気持ちも弱い子どもへと成長してしまうのは、当然です。

 

 

 

そうなるともちろん、自分のことさえ、何も決められない、自分の気持ちさえわからない、自己主張など論外の、もやしっ子の誕生となります。

 

 

 

そうしてそんな子が一部にいるのではなく、全体の主流を占める

 

 

 

これが、現代日本の実情なのです。

 

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第五章 私を歪めた、父の無関心と母の溺愛

 

 

 

 

 

ここまで読んであなた、背筋が寒くなったでしょ?(笑)

 

 

 

失礼ながら、私が述べたことは、身に覚えがありすぎでしょ?(*^^*)

 

 

 

ですが、あなたが優柔不断である真相は、日本の現代史から探ると、一目瞭然で明白となるのです。

 

 

 

さて、あなたのことばかり脅かしても仕方ないので、今度はもう少し、私のことを述べることにします。

 

 

 

第二章でご紹介したページを読めば、おわかりいただけますが、私がそうしたことをわかるのは、私自身の育ちが、そういうものだったからです

 

 

 

私の父は、教育に関して徹底して無関心。

 

 

 

そもそも子どもに教える規範さえ、自分自身で持ち合わせていません。

 

 

 

私はむかし一度、父と言い合いになり、私は「なんであなたはそんなに、子どもの教育に無関心、無責任でいられるの?」と訊いたことがあります。

 

 

 

その答えは、「こちらは、お前の塾の費用などを出してきた。それのどこが、無責任だ?

 

 

というものでした。

 

 

 

これは、ついつい口が滑ったというより、どうも本音が出たようです。

 

 

 

要は父は、悪い人ではないのだが、精神があまりにも幼いようです。

 

 

 

その理由は、父自身もまともに教育をされていないから、というものですが。

 

 

 

父の父、つまり私の祖父は戦争で早死にしたため、父は女だらけの家庭のなかで、持ち上げられて育ちました。

 

 

 

家は貧しく、自分は中卒で働かなくてはならないのに、その家で、母や妹たちにチヤホヤされる。

 

 

 

この環境が、父を歪めました。

 

 

 

実際に父は、いい人ではありますが、そもそもが「責任を取る」という発想さえ、ない人です。

 

 

 

ですからいまから20年以上前、病院で、育ちの歪みから来る私の精神病やアトピーの根因を知らされても、まったくピンときた様子はありませんでした。

 

 

 

その後、父が実際に言ったことを聞いて、私は唖然としたものです。

 

 

子どもなんて、勝手に放っておいても大きくなる。犬や猫でも、そうじゃないか?

 

 

こうした発言が出るということは、父自身がそのように育てられたから。

 

 

 

実際に父は、決断を迫られるような状況になると、逃げます。

 

 

 

また私の姉は現在、結婚して別の街に住んでいます。

 

 

 

ですが姉は小中学生のころ、病弱な私ばかりに気を向ける母への不満から、しょっちゅう母と大ゲンカしていました。

 

 

 

姉は、ヒステリックに家じゅうの家具を投げ散らかすなど、日常茶飯事でした。

 

 

 

そんなときに父は、決まって自分の部屋にこもり、ステレオを聴いていたものです。

 

 

 

当時のことを、20年以上前に問いただしたとき、父は言いました。

 

 

 

違うのよ。あいつ(姉)は、言っても聞かないのよ」と。

 

 

 

そこで私が、「そこを言って聞かせるのが、家長の役割じゃないの? 娘一人、変えてやることもできなかったの?」と言えば、

 

 

 

人を変えるなんて、神さまじゃないんだから、できるわけがない」と、本気で返答していました。

 

 

 

また母についてですが、これも紹介したページを読んでいただければわかります。

 

 

自己嫌悪を克服するカギは、他者や自分自身との関係のなかから、自分への信頼を獲得すること

 

 

1 第一章 私が、自分自身の倫理を自分で構築するようになった理由

 

 

母は、亭主関白で気の荒い父(私の祖父)の暴力につねに怯えていたため、いつも無意識に「自分」を演じている人でもあります。

 

 

 

 

 

第五章 すべてが恐ろしかった、私の少年時代

 

 

母は、私の意志を顧みず、いつも自分の思いばかりを、私に押しつけてきました。

 

 

 

たとえば、なにかの食べ物を私に勧めるにしても、母はまず「これ、いらない?」と訊いてきす。

 

 

 

そこて私が「いらない」と言っているのに、それを5回、6回とくり返し、私がついにキレるので、拗ねながら諦めたということが、これまで何十回とありました。(#^ω^)

 

 

 

母のこうした性質は、祖父の暴力により発現した自己防衛本能が、自分の息子である、私に向かったものと考えられます。

 

 

 

つまり、母にとっては外界や他人は怖いものなのです。

 

 

 

だから子どもは、自分が護り通さねばならないと、本気で信じているのでしょう

 

 

 

 

また、これも20年ほど前の話ですが、私は、私の病気には、母の幼少期の私に対する態度も、深く関連していると、指摘しました。

 

 

 

すると母は、こう答えました。

 

 

 

だって、私は母親なんだもん。子どもが将来、苦労しないように、ちゃんとレールを引いてやるのが、母親の勤めなんじゃないの?

 

 

 

このときもさすがに、私は自分の耳を疑いました。

 

 

 

そうしたわけで私は、自分のことも自分で決められない、年相応の精神的成長ができない大人へと、育ったわけです。

 

 

 

 

 

第六章 優柔不断さという弱さを、生きるチカラに変え、それにより破滅した、三島由紀夫という作家

 

 

 

 

 

ただ一つ、くり返し申し上げておきますと、父も母も、決して悪人ではないのです。

 

 

 

それどころか、世間では「いい人」で通っています。

 

 

 

また病気も、先生方の助けと自己努力により、ほぼ社会生活に支障がないほどに治癒させたいまの私には、両親に対する恨みは、もうありません。

 

 

 

というのも、私の両親が歪んでいるなら、それはあの人たちもそのように育てられた、いわば「時代の犠牲者」だと、わかるからです。

 

 

 

よってあなたも、私のページを読むことにより、あなたに対するご両親の態度を思い返しても、「恨む」ということは、しないでください。

 

 

 

なぜなら、もしあなたが被害者であるなら、あなたのご両親もまた、被害者だからです。

 

 

さて、ここでは、私やあなた同様の性質を帯びた、歴史的人物をご紹介します。

 

 

 

その人の名は、「三島由紀夫」。

 

 

 

日本の近現代文学を語る上で、欠かすことのできない人物です。

 

 

 

その三島は、いわゆる「おばあちゃん子」で、祖母に溺愛されて育ちました。

 

 

 

その結果、三島は虚弱児として育ったため、そのコンプレックス克服のため、剣道やボディービルに励みました。

 

 

 

また、三島の作品を読むとわかりますが、元来ならば外に向かっているはずの彼の観念が、内側で妄想として暴れている感があります。

 

 

 

ちなみに、あなたならおわかりかと思いますが、ふだん大人しく優柔不断な人ほど、内部の観念は妄想でふくらんでいます

 

 

 

あるいは、いつも無口で地味な女の子ほど、アタマのなかではエロいことばかり、考えていたりもします。  (*´艸`*)

 

 

 

私が三島の作品をいくつか読んだとき、だからこその独自の美意識と、『潮騒』に代表される少女趣味だと、思いました。

 

 

 

三島は、自分の優柔不断さを美意識として自分のなかで構築し、それを作品へと昇華させていました。

 

 

 

ですが、三島が本格的に大人になった時点で、彼の認識が「夢見る少年」で、いられなくなりました。

 

 

 

だから作品世界も崩壊し(三島の晩年の作品には、ほとんど傑作と呼ばれるものがない)、自分も45歳という年齢で、自決という道を選んだのでしょう。

 

 

 

とかく、三島を社会で活かしたのは、元来なら社会生活を不可能にさせる、妄想と優柔不断さだった。

 

 

 

そして、それらがなくなった途端に、作家生活が立ち行かなくなったとは、なんとも皮肉な話です。

 

 

 

 

 

まとめ

 

 

 

 

 

なぜ現代日本に、優柔不断な若者が増えたのか?

 

 

 

それは端的には高度経済成長期に、それまであった共同体がバラバラにされ、「核家族」が誕生したからです。

 

 

 

そのなかで生まれた子供は、人間関係の貧しさから、「自分で主体的になにかを選択する」という機会が、あたえられません

 

 

 

そのためその子は、そのまま青年となり、結果的に優柔不断な若者となってしまうのです。

 

 

 

もしあなたご自身に、その自覚があるのでしたら、そこからの脱出法は下記ページに書いてあるので、参考にしてみてください!!(≧∇≦)/

 

 

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自己紹介 ほんわか

みなさん、はじめましして。(*^^*)

 

ほんわかと申します。

 

私は現在は、雑誌ライターさんなどやってます。

 

成長過程での歪みにより、発達障害やアトピーを、50年近く患い、30年以上かけてほぼ完全に克服しました。

 

またその間に、高名な心療内科の医師や整体師につき、その教えを完全に自分のものにしました。

 

くわえてその過程で、多くの学問、健康法、整体術などを習得し、自分と同じような立場の人、200人ほどの相談に乗ってきました。

 

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この経験を、少しでも多くの人に役立ててもらおうと思い、当サイトを立てた次第です。

 

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