はじめに
「ネグレクト」とは、ここ10~20年のあいだによく聞くようになった言葉です。
まずネグレクトとは、親が自分の子どもにあたえる、身体的虐待や性的虐待と同様に、子どもに対する虐待の一種です。
もともとの英語「neglect」には、「無視する」、「軽視する」、「顧みない」などの意味があります。
そこからわが国では、ネグレクトを一般に、以下のように解釈されています。
「子どもを放置し、そのまま、かまわないこと」、「親の責務を放棄し、子どもに必要な食事や世話などをあたえないこと」
さらに厳密に定義すると、以下のようになります。
家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など
引用 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/index.html
かく述べましたが、このページは「ひょっとして自分は幼少期に、親にネグレクトされていたんじゃないか……?」と思っている若いあなたに向けて、書かれています。
また、かくいう私も、父親に幼少期から少年期にかけて長期間グレクトされていました。
たた、おなじネグレクトでも、2つの異なるタイプがあります。
それは親が自分の行為を「ネグレクト」と知りながらやったのか、もしくはあくまで、無自覚だったのか、という点です。
私の父の場合は、後者の「無自覚にやった」です。
父は、決して悪人ではありません。
しかし彼の幼少期に実父なくし、しっかりと社会の生き方を教えてくれる人がいなかったため、精神が幼いまま、大人になってしまったのです。
また父は、小さいころの私をよくいろんなところに、遊びに連れて行ってくれました。
しかし態度はつねに表面的で、父親としての愛情を見せることも、社会規範や、生きていく上でのしきたり等を、教えてくれることも、ついにはありませんでした。
父はもう80代ですが、20年ほど前に事情を説明して、私が通っている病院の先生の話を聴かせて、ようやく以下の事実を理解しました。
「自分が幼児期の私を、それと知らずにネグレクトしていた」ということです。
ただし彼が、父である自分の私に対する影響力を認めたのは一度きりでした。
その後は何度説明しても、自分の存在が、私が幼少期から苦しんでいる病気の一因になっていることは、わからないまま、現在に至っています。
ところで若いあなたの場合ですと、ご両親は、悪いことと知っていて、幼いあなたをネグレクトした可能性もあります。
なぜ、世代が違うと、同じ「子どもをネグレクトしている」という自覚が、あったり、なかったりするのか。
その点もふくめ、現在わが国で問題となっているネグレクトの本質と、それが発生するに至った過程を、じっくりとご説明します。
そこから、幼い日に遭った親からのネグレクトにより、ココロに深く刻まれたトラウマを除去する方法もお伝えします。
目次
まず現代において、ネグレクトは本当に増えているのかといえば、まさに急増しております。
ただしそれは、子どもへの身体的虐待、精神的虐待等もふくめ、という意味ですが。
引用 https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00517/
さて、では、なぜそもそも子どもをネグレクトする親などというものが、存在するのか?
その答えを簡潔に述べれば、親自身が幼いからです。
そのため自分たちのことで手いっぱいで、子どもにまでかまっているヒマや体力、精神力などがないからです。
ではなぜ、彼らは幼いのか?
それは、自分もそのように、親に育てられてきたからです。
まず、自分の子どもをネグレクトする親とは例外なく、孤独な環境で育っています。
なぜなら、その親もまた孤独のなかで大きくなったのだし、日本伝統の共同体や育児の知恵などから隔絶された環境で、自分の子どもを育てたからです。
現代でいえば、子どもをネグレクトする親とは、すべて「毒親」といえます。
「毒親」については、私はすでに、そのテーマのページを書いています。
下記ページの第一章から第四章まで、少し長いですが、必ずあなたの参考になりますので、ぜひ読んでみてください。
毒親とは、子どもを支配・コントロールし、自分の人生を生きさせない親。毒親の実態と対処法、教えます
http://nayamimuyou.net/ningenkankei/dokuoya.html
上記ページで挙げた「毒親」とは、孤独な環境に置かれたため、母親でいえば「母子一体化してしまった母親」という意味になります。
なぜ彼女たちがそうするかと述べれば、自分の子どもと永遠に一体化することで、自分を孤独から救おうとするからです。
もちろんその結果としては、子どもは自分の人生を奪われ、あらゆる自分の意志を否定されます。
しかし現代的毒親は、逆に子どもの育児放棄に走る傾向にあります。
現象としては両者は、正反対の行動を取っているようですが、「それが子どもから人生を奪う」という行為である点は、共通しています。
というのも、現代的な放置型毒親もまた、「子どもが生きていく上で必要な、愛情や物資、食糧や社会規範などをあたえないから」です。
この両者の毒親を比較すると、現代的放置型毒親のほうが、より幼いといえるでしょう。
なぜなら、教育ママ的毒親は、あくまで彼女の主観上においては、「子どもを護ろう」としているからです。
もちろんその結果、子どものココロは母親に、ずっと呪縛されることになりますが。
ですが、現代的毒親にあっては、最初から子どもへの愛情がなく、むしろ子どもが邪魔者だと思っているからです。
つまり現代型毒親は、「自分のこと」しかアタマにないのです。
さて、これがなぜかという点を、日本の現代史から説明していこうと思います。
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まず1960年代の高度経済成長期に、日本人の性に対する道徳観が、急激に衰えていきました。
その結果として、婚前交渉や愛のない性交(フリー・セックス)が流行し、さらに離婚率も増加しました。
なぜそうなったかというと、まずわが国における社会の近代化にあたって、旧来の儒教的価値観は、合わないものになったからです。
当時はとかく、オトコは24時間働き、女性も社会進出するのが、理想的な社会だと思われていました。
つまり、日本が明治時代から女性に求めた、「純潔」や「貞節」という発想は、社会構造、社会思想、両者の立場から、否定されたのです。
そうして時代は、さらに「開放的な」、バブルへと向かっていきます。
この点を証明するにあたり、当時のマンガを例に説明したいと思います。
たとえば80年代までの一般マンガであれば、主人公が高校生ならば、ヒロインとキスすれば、たいていストーリーはゴールでした。
間違っても、高校生の主人公とヒロインが、肉体関係を持つということは、ありえませんでした。
この点として、80年代は少年マンガのラブコメが全盛期でしたので、そのときに売れたラブコメ作品を見れば、上記の点はすべて共通しています。
「うる星やつら」、「きまぐれオレンジロード」、「翔んだカップル」、「タッチ」、「みゆき」、「かぼちゃワイン」すべてにわたって、そうなっていました。
また現実社会においても、80年代の高校生カップルは、「たとえ交際はしても、セックスはしない」という常識がありました。
私は80年代の後半に、某三流都立高に通っていましたが、男子も女子も、公然と異性とつき合っている者は、ほとんど見かけませんでした。
もしかして学外での交際はあったかもしれませんが、少なくとも校内でイチャイチャしているカップルというものを、当時の私は、ほぼお目にかけていません。
さらに、たとえば映画観賞会などで、作中で主人公の男の子が、友だちの女の子の肩に手を触れただけで、女子生徒からは悲鳴が上がるくらいでした。
ところが、そうした価値観は90年代に入ると、おもしろいくらいに消えていきました。
下に、中学生、高校生、大学生における性交経験率の推移を表すグラフを貼りますので、よく見てみてください。
引用 https://www.youtube.com/watch?v=yQPDnxR3ZPI
高校生、大学生は、男子、女子問わずに、90年代から急激に性交経験者の割合が増えていきます。
これについては、彼らがバブル経済を経験したからだと思います。
一般にバブル時代とは、1986年から1991年までを指します。
そしてバブル期を経た高校生、大学生たちは、まるでバブルをジャンプ台にするように、性交経験率を上げていったのです。
そこから、バブルにより日本人の儒教的性観念は、完全に吹き飛ばされたと見てよさそうです。
さて、次には90年代における、サブカルチャーを見てみます。
先ほど例に挙げた、少年誌におけるラブコメですが、こちらは作品自体は、低調となります。
しかし少年マンガであっても、同世代の女子を、より性的な目で堂々と見る作品が、多くなります。
それは、桂正和の「電影少女」、「I"s」や、玉越博幸 作画による「BOYS BE…」等です。
ちなみにですが、桂正和の描く女の子のお尻は、もはやアートの域として、現代でも語られています。(^^ゞ
くわえて当時はヤンキーマンガ、暴走族マンガの全盛期でもあったので、悪ガキたちが露骨に性的な会話をする場面が、一般少年誌でも多く見られるようになりました。
さらに90年代においては、ゲームの領域で、性について革新的な動きがありました。
まず92年に、エルフからアダルト・パソコンゲーム「同級生」が発売されたのです。
引用 https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/461053/attachment/%E5%90%8C%E7%B4%9A%E7%94%9F/
それまでにもアダルト・ゲームは存在しましたが、それらのほとんどは、単純にユーザーの性欲発散を目的につくられた、文字どおりの「ポルノ」でした。
ところが「同級生」においては、そんなアダルトゲームのなかに、綿密なストーリー性や精神性が加えられているのです。
ゲームの主人公が高校3年生の少年で、ストーリーは夏休み中にどれだけ、同級生の女の子たちや、年上の女性たちと関係を持てるか、というものです。
しかもそれが、「うる星やつら」、「めぞん一刻」の作者である、高橋留美子風の世界観のなかで行われるのです。
さらには、各キャラの声をつとめた声優たちも、当時は一般アニメで活躍する大物たちだったのです。
こんな作品に、爆発的なインパクトがないはずはありません。(`・ω・´)
しかもその作中では、少女たちの恋心やトラウマ、二人の男性に対する恋に悩む純真さなどが、綿密に盛り込まれていたのです。
「同級生」がサブカル界におよぼしたインパクトと影響は大きく、マンガやアニメでも、丁寧な心理描写と濡れ場を同時に描く作品が増えました。
つまり「同級生」は、「少年や少女の性」について、サブカル界にとっては革命的な作品だったのです。
さらに1994年には、「同級生」の設定やキャラをそのまま改変した、「ときめきメモリアル」が、発売されました。
「ときめきメモリアル」は、性的描写を省き、少年と少女たちとの内面的な恋心と、女の子たちとのイベントだけにフォーカスしたゲームです。
ちなみにこちらは、「同級生」と異なり、ユーザーの年齢制限ありません。
こうしたゲームは俗に、「ギャルゲー」と呼ばれ、もはや現在ではゲームのなかで一つのカテゴリーとなっています。
ですが「ときメモ」こそが、ギャルゲーの実質的な元祖だと、多くの人が評価しています。
いずれにせよ「同級生」は、未成年者たちのあいだで間接的に「恋愛やセックスは、大人だけのものではない」という価値観を植えつけました。
そうして90年代には、高校生や大学生たちのあいだで、性交経験者の数が激増するのです。
また私事ですが、中山文十郎による「同級生」の小説版は、「見事」としか言いようのない、すばらしい作品でした。
あれほど少年・少女の魂の深淵を描き切った作品は、純文学にも滅多にないくらいです。
とくに三巻の、主人公とメインヒロインが結ばれ、3日間だけの同棲をするシーンでは、私は読んでいて、嗚咽と涙が止まらないほどでした。。゚(゚´Д`゚)゚。
まだ『小説版 同級生』は、amazon 等で入手可能ですので、可能ならあなたにも、読んでいただきたいと思います。
ただ唯一、主人公が愛している女性たちに対し、セックスの際に一切、避妊して対応しない点だけは、見習ってほしくありませんが……。(;^_^A
ところで、ちなみに少女マンガの分野においては、「BANANA FISH」、「海街diary」等の作者で知られる吉田秋生が、先駆的役割を果たしています。
さすがは少女マンガ界の革命児、少女マンガの概念を変えた女性です。
なんと吉田秋生は、80年代にすでに、「吉祥天女」や「河よりも長くゆるやかに」で、日常的にセックスをする高校生を描いているのです。
しかも「少女マンガ」というジャンルにおいてです。
さて、脱線が続くようで申し訳ございませんが、現在の離婚率等を語るにあたって、80年代の大人の文化を語ることは、避けられません。
なぜならこのときに大きな影響を持ったテレビドラマ等は、確実に当時における大人の価値観を変え、それが現在まで続いているからです。
まず1983年に、テレビドラマ「金曜日の妻たちへ」が放映されました。
引用 https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0566/
本作は「大人の不倫」を本格的に描いたものでしたが、これに感化され、実際に不倫に走る男女が現れる等の、社会現象を引き起こしました。
また現実社会における離婚率も、高度経済成長期初期の1965年ごろから、「金妻」放映の1983年まで、確実に伸びていました。
引用 https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20191215-00153850/
その離婚率も、上記にあるように、一時期はダウンするも、1992年ごろから、また増え出します。
この一時的ダウンの原因は、当時はバブル期前後で、好景気だったため、夫婦間における経済的問題が、発生しにくかったからだと思われます。
つまり、多少はイヤなことがあっても、経済状態は安定しているから、離婚はガマンしようという夫婦が、多かったのでしょう。
ですが、バブル崩壊後の1992年あたりから、離婚率は再度、上昇します。
その理由は、バブルにより女性の賃金が上昇したため、女性が一人で、あるいは子どもたちと生活できるだけの経済力を身につけたからだと、考えられます。
バブルを経験し、経済力を得た女性はもはや、ガマンしてまで居心地の悪い家庭には、いたくないと思うようになったのでしょう。
ただし離婚率は、2003年ごろから、再度、減少します。
当時は小泉政権の最中であって、いまに続くデフレが本格化してきた時期です。
引用 https://note.com/yukionoguchi/n/na633baeef098
そこから、家庭やパートナーに不満があっても、妥協して離婚しない男女が増えたものと思われます。
また興味深いことに、ほぼ同時期である2005年をピークに、学生の性交経験者も大幅に低下しているのです。
引用 https://www.youtube.com/watch?v=yQPDnxR3ZPI
その原因は、まず彼らに、恋人をつくってデート等をする金銭的余裕がなくなってきたのが、第一と考えます。
くわえて、妊娠やら性病感染やらのリスクをともなうセックスに対する警戒感が、若者のあいだで浸透してきたのでしょう。
さらにネットの普及により、若者たちのあいだで、生身の異性やセックスへのあこがれや興味が、減少したと思われます。
なにせそれまでは、異性の性器やセックスの様子は、大金を払って風俗店に行くか、実際に恋人をつくるかしなければ、わからなかったのです。
それがネットの普及で、わずかのタイピング作業だけで、すべてが見えてしまいます。
そういえば80年代のエロ系少年マンガには、異性の性器を見ることのみに、主人公が執念を燃やす作品が、いくつかありました。
ところが現在では、ふつうに PC 操作しているだけで、向こうから勝手にそういった画像が送られてきます。
これでは、異性にもセックスにも、神秘や情熱を感じられなくなっても、ムリはありません。
くわえてネットの普及は、若者に性欲処理の手段を、多くあたえました。
そうなるともう、面倒な恋愛を、リスク覚悟で行う理由は、なくなります。
ちなみにですが、2006年にははじめて、「草食系男子」という言葉が生まれ、2008年には、それが流行語になりました。
そうした事実は、当時の時代背景をよく表していると思います。
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以上の点から、未婚の若年男女によるセックスと、それにともなう結婚(いわゆる、「デキちゃった婚」)は、以下2点の条件により、規定されていたと考えます。
それは、日本経済の繁栄と、戦後における儒教的倫理観の衰退です。
現在、自分の子どもにネグレクトをあたえている親の親たちの多くはは、そうした風潮の時代に、青春期を送りました。
具体的には、1990年代から、2000年代初頭にかけてです。
また彼らの特徴として、性道徳に無頓着な分、性行為によるリスクや、妊娠や性病感染を恐れません。
その結果、後先を考えず異性と関係を持ち、女性が妊娠したら、即・結婚というケースが目立ちます。
そうして彼らは、いわゆる「デキちゃった婚」をします。
そこから彼らは、10代、20代での早婚という共通項があります。
さらに彼らは、原則として低学歴、低収入です。
この事実は、彼らが若いから、ということだけが理由ではありません。
日本はバブル崩壊後、家庭間、個人間に経済格差が広がりました。
その結果、私自身は嫌いな言葉ですが、「勝ち組」と「負け組」に、国民が分断されることとなりました。
そして、10代や20代初期など、非常に若い時期に結婚する男女とは、圧倒的に「負け組」家庭の子女が多いのです。
つまり、あまり言いたくありませんが、「デキ婚」する若者の多くは、自制心や計画性がない。
それというのも、彼らを育てた親もまた、「負け組」ゆえに、教養や判断力が貧しく、即物的に行動する傾向にあるから、ということになります。
くわえて彼らは、他の世代に比べ、離婚率が圧倒的に高い点も挙げられます。
この点は上述したように、彼らの親たちが離婚に躊躇しない、90年代の時代を生きていたため、その影響を受けているからと思われます。
引用 https://kekkon.biz/early-marriage-vs-late-marriage/
そこから彼らの母親もまた、80年代のバブル景気を経験しているため、遊び好きで早婚というケースが多いです。
くわえて彼らの父親は、放任主義で育てられたため、その結果として家庭にはほとんどかまわないタイプになったからだと、推測されます。
ならば当然、自分の子どもに社会規範や社会性を教えることは、できなかったでしょう。
よって彼らの子どもたちは、「親の愛情」というものを知りません。
だから寂しさをなぐさめるため、愛情のない異性に対しても、性行為ができたのでしょう。
さらに生命の重要性もわからないから、おもちゃを買うように、簡単に子どもをつくってしまう。
また早婚や晩婚は、多くの場合、環境遺伝します。
そこから、親自身が成熟していないため、当然にその子どももまた、なんでも即物的に決めてしまい、簡単に結婚ししまう。
現在、子どもをネグレクトしている親たちや、さらにそんな彼らの親らは、そういったタイプの人間だった可能性が高いと思います。
ですから彼らは、自分がそう育てられたように、子どもを愛せないというより、むしろ邪魔者に思ってしまう。
というのは彼らは若いから、自分のことで手一杯だからです。
まただからこそ、自分の子どもでも、平気でネグレクトや虐待ができるのでしょう。
くわえて彼らは、深く考えずに結婚したからこそ、結婚生活に嫌気が差せば、深く考えずに、すぐに離婚もできるのでしょう。
しかしひょっとしてですが、今後は子どもを虐待したりネグレクトをしたりする毒親は、減ってくるかもしれません。
というのは、前述したように未成年者の性交経験者は2005年がピークで、それ以降は下がっています。
くわえて、これもすでに述べたことですが、若者たちは「セックス」という行為そのものから離れています。
そして現在は2020年ですので、若者の性交経験率がピークだった2005年から、15年も経っています。
さらに今年度はコロナ騒動があったため、人は他人との直接的接触を警戒するようになりました。
ですので、たとえコロナ禍が収束しても、他人とのスキンシップを嫌う傾向は、社会に残るかもしれません。
以上のような条件がそろっているため、今後は興味半分や寂しさを紛らわすためだけの未成年者のセックス自体、減るかもしれないからです。
たとえ孤独で不幸な境遇にいる若者自体は減らなくても、彼らにはセックス以外に、その苦しさを紛らわす方法は、いくつもあります。
さらに前述したように、これまでは「ヤンキー文化」が、「若すぎるカップル」に「デキ婚」を後押しすることが多かったです。
これは、80年代、90年代に全盛期だった、暴走族やチーマー、ヤンキーらは生んだものです。
また芸能界では、尾崎豊や初期チェッカーズなどは、この文化を土壌としています。
さらにマンガでは、「ビー・バップ・ハイスクール」、「湘南爆走族」、「特攻の拓」、「カメレオン」などが、そうした文化やそのなかに生きる未成年者たちの姿を、描写しています。
「ヤンキー文化」においては、大人を困らせるようなことをする、ケンカが強い、多くの異性と早い時期から交わったといった点が、若者たちの勲章となります。
ところでですが、私は多摩の八王子に近いところに住んでおりまして、八王子はもともと「暴走族のメッカ」と呼ばれるほど、暴走族の多い地域でした。
なので、80年代や90年代は、ほぼ毎日のように騒音をまき散らすバイクが、夜に複数で近所を走るため、たいへんうるさく迷惑していました。
ところが現在の2020年には、そうした騒音はほとんど聞かれなくなりました。
もはや現代の若者たちにとっては、「群れてイキる」ということは、「カッコいいこと」ではなくなったようです。
つまりヤンキー文化は、現代ではもはや瀕死で虫の息ということです。
なら、そのヤンキー文化がなくなれば、当然に若者は、早い年齢でセックスすることなどにも、関心がなくなります。
よって、「デキ婚」等も減るのではと、私は思うわけです。
私の推測は、上記のような事実を根拠としています。
しかしもし私が想像したとおりの社会になっても、それはそれで、今度は「少子化」という、さらに重い課題が残ることになりますが……。
さて私はといえば、下記章にあるように、母親に必要以上にかまわれ、父親には徹底無視されました。
自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。その原因と克服法を教えます
http://nayamimuyou.net/cocolo/自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。そ.html
7 第七章 私が、自分自身の倫理を自分で構築するようになった理由
その結果として、アトピーや精神病など、幼いころから多くの病気に苦しめられてきました。
そんな苦しみやかゆみや孤独のなかにあって、私はいつも、なぜ自分には「ココロの核」がないのか、わかりませんでした。
さらになぜ自分は、「感情」を感得できないのかも、謎でした。
そんな自分のココロに問うてみても、返事はいつも、空っぽです。
さて私は20歳のとき、アトピー抑制のため服用していた薬の副作用により、深刻な精神障害を受け、自殺未遂を犯していました。
そのときにはどうして、自分のココロがつねに空洞なのかはわかりませんでした。
ですが、ならばとかく、自分が生きていく自分の規範は、自分で創ろうと決めました。
それから私は、文学、歴史、哲学等の勉強や、空手の修行などに励むこととなります。
そうして25歳を過ぎたころから、自分なりの価値観ができあがってきて、自分なりの倫理観も、ほぼ完成しました。
ところが28歳のとき、カラダが動かなくなり、昼夜逆転の生活となったため、父が探してくれた病院へと、行きました。
そこで私は、おそるべき事実を知らされることになったのです。
その実態と、私がそれから20年かけて自分の改善させた方法は、以下のとおりです。
アダルトチルドレンで苦しんでいるあなたへ。ACの実態と症状の緩和について、私の経験を語ります
http://nayamimuyou.net/jinsei/ac.html
たいへんに長いですので、時間がないようでしたら、目についたところだけでも、読んでみてもらいたいと思います。
きっと幼いころの親からのネグレクトに苦しむあなたには、役に立つ内容となっています。
あなたはたいへんな思いをして、つらい目に遭ってきたでしょう。
ですがその事実を、以下のように解釈していただきたいです。
まず、ふつうの人間は、親や社会に教え込まれた規範に従い、生きていけますが、それ以上、別の人間にはなれません。
ところが現在、あなたの脳は白紙であるため、そこに「自分の好きな自分」を、若いあなたなら自由に書き込み、創造することができます。
よってその分、あなたは他の人間とは異なる、自分だけの人生を送れるということでも、あります。
そう考えると、あなたの人生は大変だけれども、生きがいがあります。
なぜなら、他の人にはできない、「自分の人生を、自分でプロデュースする」ということが、あなたには可能だからです。
では具体的に、あなたは何をすればいいか?
それは、次章から述べます。
まずあなたは、習い事をすれば、いいのではと思います。
それは、武術や芸術のように、深めるほどに人格ができていくものが、好ましいです。
そこで何をするかは、ご自分の興味、関心から考えればいいでしょう。
そうして、実践を始めるのです。
その際に重要なのは、なにより師匠の人格です。
少なくとも数年間かけて、一人前になるまでは、師の一部たりとて疑わない態度が必要です。
師の人格・能力を、すべて吸収するような気持ちで従うのが、理想です。
これは、私が空手を習っていたときに取った態度と同様です。
私は18歳のとき、師匠にはじめて会ったときから、師匠にあこがれの気持ちを抱きました。
空手の腕前はもちろん、師匠の求道者・修行者のようなストイックな態度に魅かれたためです。
それ以降私は、10年以上にわたって、師の言うことを信じ、言われたことを実行してきました。
おかげで私には、「人間としての核」のようなものが生まれ、人前で堂々とした態度が取れるようになりました。
そのようにあなたは、徹底的に信じられる一人の師匠を持つのが、いいと思います。
さて次には、あなたが打ち込む分野は、ビジネスや職人の世界などもふさわしいのではと、思います。
私はかつてライターとして、高校中退から上京して、職人の道に入り、そこで数年間の修行の末、大成した人物の記事を書きました。
これからの時代はとくに、企業や国はアテにならず、個々人が自分の甲斐性で生きていくのが、要求されることになるでしょう。
これは、公務員や大企業勤務のサラリーマンでも、いえることです。
まず現在の日本は、かつての基幹産業がすべて衰退しました。
なにしろ天下のトヨタでも、「これ以上の終身雇用は、もう無理」と表明し、日産などは、市場に出せる商品が、まったく見つからない時代です。
くわえて公務員もまた、いうまでもなく彼らの給料は、民間からの税金でまかなわれています。
ならば民間企業の業績が壊滅すれば、当然、国は彼らの給料を確保できません。
するとこれから、公務員のリストラ、減給等も、充分にあり得ると、私は見ています。
つまりこれからの時代は、「自分の食い扶持は、自分で稼ぐ」という気概のある人間でなければ、成功はむずかしいのです。
ならばあなたは、自分で起業することを前提とし、信用できる師匠に付けばいいと考えます。
そうして最初は見習いでも弟子でもいいから、彼とずっといられるポジションンを確保すればいいのです。
するとあなたは師匠から、おカネの稼ぎ方はもちろん、彼の経験からなる人生論をも、教わることができます。
その上であなたは、自分と同じ志を持つ、数多くの仲間とふれ合うのが理想です。
すると彼らの意識があなたの認識に反映され、「あなた」を創ってくれます。
その場合、しばらくは少し目上の人と多くつき合い、慣れてきたら、後輩などと接するのも、いいことです。
自分より目下の者にモノを教えることは、自分がそのことについて復習し、理解を深める、絶好の機会です。
またそのときあなたは、ご自身がついに知ることができなかった、「他者への愛情」も、わかるようになるかもしれません。
またその場で、師匠から一通りのことを学び終えたら、自分で、あるいは仲間たちと起業を考えるのも、いいでしょう。
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またさらに、もしあなたが会社勤めで、起業する気もなく、習い事などする時間もないという場合でも、大丈夫です。(*^^*)
その場合には、あなたが仕事や生活でで出会うすべての人たちを、「自分の師」と思い、彼らから多くのことを学べばいいのです。
それは、あなたの上司、先輩、同僚、後輩、取引先の人、後輩、ご友人、恋人そしてご近所さん、すべてに当てはまります。
そうした人たちから、良いところをムリにでも見つけ、その点をそれ自分なりに身につけるようにしましょう。
あなたから見たら、彼らは、人生においても仕事においても、あなたの知らないものをよく知っている目上の人でもあります。
ですからあなたにとっては、彼らは自分にないものをたくさん知っていたり、持っていたりすることになります。
儒教の創始者、孔子も以下のように言っています。
「三人で連れ立って歩けば、必ず自分の師を見つけることができる。善い仲間を選んで、その善い行動を見習い、悪しき仲間を見れば、その悪い行動を改められるからである」と。
この点は、私が20代の初期から始め、現在に至るも続けている習慣です。
とくに私は、自分の勉強を優先させるため、フリーターだった期間が長かったです。
その際には、日雇い派遣の仕事を、足かけ4~5年はやりました。
その仕事では、毎日、派遣される現場が違うので、いつもいろんな人と会うことができました。
ですのでそのなかから私は、「真面目に働くとは、こういうこと」、「うまく仕事を仕上げるコツは、こう」、「他人と仲良くするとは、こういうこと」という点を、毎日のように学んだのです。
むしろ、なんの学びもなかったという日は、存在しなかったというぐらい、私はフリーター時代に多くのものを得ました。
さらに私の雇用者の人と雑談をする機会があれば、いろんな人生のあり方があるのを、知りました。
すっとその道一筋で生きている職人さん、奥さんと離婚した結果、子どもの養育費を払うため、毎日懸命に働いているドライバーさん、自分の夢を持ちながら、それを実現するために必死な若い人、等々……。
これをするにあたって重要なことは、ただ2点だけです。
〇毎日を呆然と、無意識に過ごさないこと。
〇ありふれた出来事や日常からも、とかくなんらかの発見をしようとして、毎日を生きること。
そうしてあなたは、毎日、どんな人と会おうとも、まさに「一期一会」のつもりで、その場、その場での出会いを大切にすることです。
それをするかしないかだけで、10年後、20年後のあなたの人生は、まったく違うものになっていることは、断言しておきます。
またそうして出会った人たちは、あなたのご両親が満たしてくれなかったあなたのココロに、きっと大切なものを埋めていってくれるでしょう。
くわえて、ヒマができたら、伝記や文学作品を読んでみて、その主人公の生き様から、重要なものを学ぶということも、ありです。
もちろんあなたが読む書物は、原典が大長編だったり、難解なものだったりすれば、そのダイジェスト版でも、かまいません。
またそれは堅苦しいもの、小難しいものに限定する必要もありません。
あなたが「これだ!」と思えば、マンガや映画の主人公などでも、かまいません。
私の場合は若いころ、小説『モンテ・クリスト伯』の主人公、エドモン・ダンテスの生き様や、大哲学者ヘーゲルの人生を、可能なかぎり参考にしました。
くわえて先日亡くなった、トランぺッターの近藤則等氏の生き方にも、ずいぶんと感化されました。
あれこそまさに、「真の世界を股にかける、日本男児」の生き様だと思っています。
よって私は現在、近藤氏に倣って、世界を相手に闘う準備をしているところです。
その結果として、私は自分の人格も創られたし、頭脳も肉体も、成長させることができたと、自負しています。
私からのあなたへの推薦図書は、下記を参考にしてください。
「やる気」を起こすための究極的方法。すべてを「自分の人生」に引きつけろ!
http://nayamimuyou.net/jinsei/「やる気」を起こすための究極的方法。すべてを.html
上記の書物のなかには、かなり難解なものもあります。
図書館などで読んでみて、「自分には、むずかしいな」と思えば、読まなくてもいいし、解説本などを参考に、読み進めるのでもいいと思います。
さらに次には、恋愛をしてみるのも、いいことです。
これについては、下記を参考にしてください。
低い自己肯定感を高める二つの鍛錬。無数の自己否定を重ねるか、根拠ゼロでも自尊感情を育てるか
http://nayamimuyou.net/cocolo/jikokoutei.html
11 第十一章 「自分が必要とし、自分を必要としてくれる人」を、見つける
この場合はもちろん、自分の孤独をなぐさめるといった即物的な目的でなく、自分を高め、「人を愛する」ということを知るため、あなたは恋愛をするのです。
また時間があれば、過去のあなたと同様、ネグレクトされて育った子どもへのボランティア活動をするのも、いいと思います。
というのは、彼らを救うことは、現在のあなたを救うことに、直結するからです。
彼らのココロの傷をいやすたびに、あなたのココロの傷もいえるはずです。
すると、つらく苦しかったあなたの過去にも、意味があたえられます。
私も、病気の生活療法のため、名古屋の病院に一月ほど入院したことがあります。
そのとき、自分と同じ病気を抱える数人の子どもたちと触れ合うことで、私自身が元気になれたのを、いまでもハッキリと覚えています。
また時間があれば、あなたのおじいさん、おばあさん世代の人たちのボランティアをしてみるのは、いかがでしょう?
それによりあなたは、年長者ならではの知恵を教えてもらえます。
くわえて大人とは、あなたの両親のように、あなたをないがしろにする人ばかりではないことも、実感として理解できるでしょう。
するとあなたは、人を信じること、人から必要とされることが、わかってくるはずです。
そうして人を信じ、愛することができるようになれば、あなたは幸せな家庭を、持つことができるようになります。
そのときにはあなたは、ご自分の両親を反面教師にして、自分のお子さんを大切にすることが、できているようになっていると思います。
そのようにしてあなたは、ご自分の幸せをつかみ、生きていけばいいと思います。(*^^*)
現代的「毒親」である、ネグレクト型の親は、最初から子どもに、愛情を持っておらず、子どもを「邪魔者」としてしか認識していないところに、特徴があります。
どうして彼らがそんなメンタリティーなのかといえば、彼ら自身も彼らの親から、おなじようなあつかいを受けていたからです。
ところでそうしたタイプの毒親を生んだものは、日本の経済的繁栄と、儒教的価値観の衰退です。
とくに80年代からバブルを経て、90年代に入ったときあたりから、そうした人物は急増しました。
それこそまさに、現代のネグレクト型毒親の、親たちです。
もしあなたが成人してから、「自分は両親に、ネグレクトされていたのではないか」と気づけば、対処の仕方はあります。
まずは自分のなにも書き込まれていない脳に、「自分がなりたい自分」を、自分でインプットすることです。
その方法としては、習い事やビジネスを学び、師と決めた人物から、すべてを吸収するつもりで学ぶこと。
自分と志を同じくする仲間たちと、たくさん触れ合うこと。
読書から、自分の理想とする人物像を見つけ、彼をモデルに、自分を創っていくこと。
後輩や年長者と交流し、「可愛い」という気持ちや、自分が必要とされている気持ち、長年の人生経験を学ぶこと。
恋人をつくり、真剣に恋愛を学ぶこと等です。
そうして「本当の愛」を知ったあなたは、きっとあなたが育った家庭と正反対の、愛情に満ちた家庭を築くことが、できるようになるでしょう!!(≧∇≦)/
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