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いやはや、人間生きてるかぎり、つねに「やる気」を求められますね。(^^ゞ
もともとは超絶ナマケモノの私などは、これまでの人生で何百回、「オメー、やる気あんのか!( ゚Д゚)ゴルァ!!」と言われたか、わかりません。
ですが「やる気」とは、イヤな仕事を押しつけてくる上司を喜ばせるためではなく、自分の人生を、より良い方向で花開かせるためにも、必要なものです。
「やる気」があるのとないのとでは、人生における最終到達点は、決定的な差がついてしまいます。
とくにこれからの、国も会社もアテにはならない、個人のチカラだけが頼りの近未来にあっては。
そこでこのページでは、「やる気のある人」と、「そうでない人」とは、どう違うのかを、説いていきます。
お楽しみに!!(≧∇≦)/
いつの時代でもわれわれが生きていく上で、さまざまな義務や責任が生じ、それをうまく遂行しなければ、社会的に立場が悪くなります。
また逆に、われわれの個人的な夢や希望も、それを行うにあたり、「やる気」をもって取り組むのとそうでないのとでは、結果がまるで違ってきます。
ならば、われわれはどんなことに対しても、「やる気」に満ちて対峙すれば、つねに良い結果が得られそうに思えます。
ところが実際は、そうはなりません。
たとえばサラリーマンでも、朝の出勤から「やる気ハツラツ」という人は、あまりお見かけしません。(´・ω・`)
それどころか、朝の駅のホームには、スーツを着た、死んだ目をしたおじさん、おばさんばかりが目立ちます。
ではどうして、こういうことになるのでしょう?
私はこれには、ある原因があると考えます。
この点について、自説を述べていきます。
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ではそもそも、「何事に対してもポジティブで、やる気に満ちている人」とは、どういう人でしょう?
これは端的に述べると、以下になります。
「自分のやっていることに、“意味”を見出している。自分の行動が、自分自身や自分の家族や社会に対して、有益であることを確信している人」です。
人間とは個人的な意思を持ちつつも、社会的な存在です。
ですから、自分の行いが、自分の夢や目的に適っている、または社会的に人の役に立っていると思えれば、おのずと「自分のやること」にも、やる気が持てます。
そしてそういう人たちは、ほとんどが幼少期において、親や大人たちからの愛情を、充分に受けたという経験をしています。
つまり、「自分のやること」が他人に認められているからこそ、「他人や社会、そして自分自身のため、頑張ろう」と、自然に思えてくるのです。
だからこういう人たちは、学生時代から自分の打ち込めるものを見つけ、仲間たちを助けながら、自分の目的を達成しようとします。
そして大人になっても、そうした社会性や自主性を維持しているため、どんなことにも挑戦する意欲がわいてくるのです。
さて、ところが一方、「何事にもやる気のない人」とは、どんな人でしょう。
それはズバリ、「あなたや、かつての私のような人」です。
第一に「やる気の根源」とは、幼少期において受けた愛情にあるということは、前述しました。
ならば小さいころから、「親や大人にほめられたことがない」、「“愛情”がどういうものか、わからない」人は、どうなるか?
これは、「生きることそのものに、意欲がわかない」ことになります。
ですからもちろん、あなたやむかしの私のような人たちは、「社会で積極的に生きる」という気持ちさえ、抱けないようになります。
なぜなら、「一生懸命、生きること」に対する報酬がイメージできず、「生きることそのもの」への関心が希薄になるからです。
この点は、まさに私の20歳くらいまでの人生そのもので、私は幼少期からの記憶をいまだに覚えているので、手に取るようにわかります。
私が育った家庭は、一見すると典型的な現代的核家族でしたが、実態は「機能不全家庭」でした。
「子どもとは、犬猫とおなじように、放っておいても勝手に育つ」と信じている父。
「子どもが苦労しないように、きちんとレールを敷いてやるのが、親の最大の務め」と確信し、私がやるべきことを、すべて先回りしてやってしまう母。
父の無関心さと、病弱だった私に全関心を向ける母への反発から、四六時中、不機嫌でヒステリックで暴力的だった姉。
私をめぐる家庭環境は、そんなものでした。(´・ω・`)
ですから私も、「積極的に生きる」ということが抽象的にしかわからず、実感をもって理解することが、どうしてもできませんでした。
よって私は、自分が生きている意味も、自分がしたいことも、なにひとつわからなかったのです。
もちろん、その歪んだ環境のまま、なにかを考えても、答えなど見つかるわけもありません。
これはあたかも、ずっと監獄に収監されている囚人が、「社会とは、何か?」と思考したところで、なにもわからないのと似ています。
また私は、幼少期のころからずっと、16歳以上になった自分が、まったくイメージできませんでした。
その理由は、私がずっと檻のなかで飼われた鳥だったため、自分がいつか、社会という自然に放たれるということが、理解できなかったからです。
つまり私は、自分の社会における針路を問われ始めるくらいの年齢である、10代後半からの自分の人生に、まったく実感を持てなかったのです。
ですから幼いころの私は、「自分の未来」など考えられませんでしたし、それを想像すると怖くなるので、必死に脳内へと封印していました。
それでも当たり前ですが、時間が経てば私もそうした年齢に達します。
そしていざそうなったとき、私はいよいよ生きる意欲も意味も、持てなくなったのです。
その状態が怖くて、私はそのろから、いろんなことに手をつけることになります。
それは、海外留学や空手などでした。
私は、10代後半くらいから、海外留学をしたり空手を習ったりしましたが、もちろんそこで成果らしきものは、あまり得られませんでした。
なぜならまさに私の場合、それらは「やりたくて、やる気があってやる」のではなく、「自分探し」の一環でしかなかったからです。
ただし、空手や海外留学を通じて、「社会や人間関係とは、こういうもの。なにかに打ち込むとは、こういうこと」というイメージが得られました。
そしてこのことは後に、大きく私の人生を変革することになったのです。
その結果として私は、「そんな社会や人間たちのなかで、生きていくには、どうすればいいか」と必死に考え、プランを立て、いろんなことを実行することになります。
とかく重要なことは、あなたもかつての私同様、幼少期の私同様、「人生を生きる」ということに対し、やる気が起きないなら、対策が必要ということです。
そのためには、どうするか?
あなたはご両親からの愛情不足ゆえに、いまやる気が起きないでいる。
ならば、かつての私がそうだったように、あなたはご自身を二つに分裂するほか、ありません。
つまり、「自分にムチ打ち、励ます自分」と、「そんな自分の言うことに従い、がんばって自分を高める自分」とに、あなたは分かれる必要があります。
またあなたはそうするしか、幼少期から親からの愛情をたっぷり注がれ、生きることにやる気いっぱいの人には、対抗できません。
そう思い、とかくやってみてください。
その結果、あなたは恵まれた人と対等に闘えるどころか、彼を追い越すことさえ、できますから。
その具体的な方法については、下記を参考にしてください。
「やる気」を引き出す最善の方法は、自分が「したいこと」ではなく、「すべきこと」にフォーカスすること
何事においても、やる気のある人とそうでない人の差は、原則として、幼少期に親から、厳しくも愛情をもって育てられたか、そうでないかというところにあります。
ですが、これからの過酷な世の中において生き残るためには、とかくムリにでも、「やる気」を出すしかありません。
その方法は、自分自身を「指導者と生徒」に分裂させ、指導者の自分が命じることを、生徒の自分が一生懸命に実践していくことです。
そうすることで、あなたは愛情に恵まれ育った人以上に、成功することも可能です。
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