はじめに
世間では「言い訳すること」は、悪いこととされています。
(´・ω・`)
まず「言い訳」とは責任回避なのですから、それは当然です。
ですが、あなたもおわかりで経験があると思いますが、こちらは正当な理由を言ってるつもりでも、相手からすると、それが「言い訳」に聞こえることがあります。
この点については、あなたは会社のプロジェクト等で、一度リーダーなどをやってみると、よくわかります。
あるいはあなたがまだ学生さんなら、バイト先のバイトリーダーとか。
すると、自分のメンバーや後輩がなにかヘマをしたとき、彼らの言い分を聞いてみればいいですよ。
「あ、コイツなに言い訳してるんだよ」と思うことが、しゅっちゅう出てきますから。
\(^o^)/
さて、ではそもそも「言い訳」とは、何でしょう?
これは先述したとおり、自分が起こした問題に対する責任回避、あるいは自己正当化を指します。
そうした失敗に対して、自分の非の部分を極度に過小申告し、状況や他人に責任を押し付けるのが、「言い訳」です。
今日は、自分でも意識しないうちに、ついつい「言い訳」をしてしまうあなた。
あるいは、自分ではそんなつもりでないのに、上司から「言い訳するな!」と、いつも言われてしまうあなたのために、このページを書きます。
そこから、「自分には、言い訳クセがある」と自覚がある人、「他人からよく、お前、また言い訳かよ」と言われる人は、ぜひこのページを参考にしてみてください。
それでは!!(`・ω・´)9m
目次
さて、「言い訳」の定義はすでに「はじめに」で、示しました。
それは、「自分の失敗に対し、自分の非の部分を極度に過小申告し、状況や他人に責任を押し付ける」というものでしたよね?(*^^*)
では、あなたをはじめとして、そうした人たちはなぜ、ついついそうしたことをしてしまうのでしょう?
これは答えから述べますと、失礼ながら、あなたたちの幼少期からの育ちに問題があるからです。
さらに端的に述べれば、あなたらは「そういうふうに、育てられたから」です。
これはどういうことかというと、まず第一点として、極度に過保護に育てられれば、そうなります。
こういう人は、身のまわりのことはすべて、親が先回りしてやってくれます。
たとえばあなたが「お茶を飲みたい」と思ってカップを取るために立ち上がったら、それを察して、あなたがなにも言わなくても、お茶を用意してくれるお母さん。
こういう人は、「いい家政婦さん」かもしれませんが、「いいお母さん」とは、やや言い難いですね。
なぜなら、あなたにどんな行動も取らせないのだから、あなたはいつまでも、自分では何も決められず、何もできずにいる。
その結果として、あなたは「どんな物事にも、やるには責任がともなう」という当たり前のことが、いつまでも実感できないでいる。
もしここで、あなたがご自分でお茶を淹れてみて、お湯をこぼしたり、カップを割ったりすれば、「それは自分のせいで、そうなった」と、わかるでしょう。
つまり、「責任」という概念が、理解できるのです。
ところがあなたが、「自分でお茶を淹れてみる」ということを、一度も経験しないで大きくなり、バイトなど始めたら、問題が起きたりします。
たとえば、あなたが飲食店等でバイトを始め、誤ってお皿を落として、割ってしまったとします。
するとあなたには、「責任」という発想がないのだから、おそらくあなたの上司には、こう言ってしまうでしょう。
「リーダー、お皿が割れたみたいです」。
もちろんお皿は、「割れた」のではなく、「あなたが割った」のです。
ですがそのときのあなたには、「自分が悪い」という発想がないのですから、「お皿が勝手に割れた」のように、ご自分で解釈してしまいます。
するともちろん、あなたの上司の心証は悪くなり、「お前、それで他に、なにか言うことねぇのかよ?」と、責められます。
それでもあなたは釈然とせず、その後にどんな失敗をしても、人に謝ることもしません。
しかしながらなんとか、そのバイトをやり終えたとしても、次のバイト先や就職先でも、おなじことをくり返します。
するとあなたは、「謝罪もできない、非常識な人」あつかいで、同僚や上司から相手にされにされなくなってしまうでしょう。
またあなたがご自身を、言い訳がましい人物かどうかを見分ける方法は、簡単です。
あなたは幼少期に、なにか悪いことをして親御さんに叱られたとき、以下のように言われましたか?
または、言われたのを覚えていますか?
「言い訳するな!これをやったのは、お前自身だ。他人やまわりのせいに、するな!」と。
もしあなたが、日ごろから親御さんにそのようにしつけられていて、その教えが身に染みているのなら、あなたは「言い訳がましい人」では、ありません。
しかしそうでないのなら、残念ながらあなたは、自分でも気づかないうちに、無意識的に言い訳をしているかもしれません。
またあなたのまわりの人たちも、あなたがそのように「言い訳がましい人」と、認識している可能性は、大きいです。
さて、今度はそれとは正反対に、ネグレクト(育児放棄)されて育った人のケースを、見てみます。
まず幼児には当然、なにも教えなければ、なにもわかりません。
するともちろん、「社会のルール」もわからないのですから、「責任」とはどういうものか、たとえ語の意味は知っていても、それを実感として理解できません。
ちなみに欧米では、「過保護もネグレクトも、おなじく虐待の一種」と、見なされています。
さらにですが、身体的、精神的な虐待を幼少期に受けていた人も、大人になってから、言い訳の多い人物になりがちです。
というのも、親からの虐待を受けているあいだ、「自分は、なにもしていないのに、どうしてこんな目に遭うの?」と思っているためです。
「自分はなにも悪くないのに、親にいじめられる」。
この経験がくり返されると、「何に対しても、自分は悪くない」という固定観念へと転化されるわけです。
じつはこれは、私の少年時代のことでもあります。
私の少年期については、下記を参考にしてください。
自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。その原因と克服法を教えます
7 第七章 私が、自分自身の倫理を自分で構築するようになった理由
私は少年時代、母親の過剰な愛情と、父親の無関心につねに苦しめられていました。
ですから私は、人とのつき合い方がまったくわからず、当時から精神を潜在的に病んでいたのです。
そして当時の私には、以下のことはよくわかりませんでした。
ですが私はそのとき、「なんで、なにも悪いことをしていない自分が、こんな寂しい思いを、いつもしてなきゃいけないの?」という思いを、確実に抱いていました。
そのため、「自分にはなにが許され、なにがしていけないのか」を試すために、お店から万引きなどをしていました。
結局、数回はバレて補導されましたが、私の心情や状況をわかってくれる大人は、数少なかったです。
もちろん私の両親も、私の気持ちや、当時の私に何が必要だったのかなど、カケラもわかっていませんでした。
ですが、数人のココロの温かい学校の先生などは、私のことを理解し、励ましてくれたのが、せめてもの救いでした。(*´ω`*)
それでも私は、大人になって本格的に病気になり、自分の人格を根本から創り変えるまで、「責任」が実感できないままでした。
さて、話を戻します。
過保護、ネグレクト、どちらのやり方にせよ、その方針で育てられた子どもは、結果として「責任がわからない大人」になるわけです。
ならば、「過保護もネグレクトも、おなじく虐待の一種」というのは、じつに筋の通った見解です。
ところで現代社会は核家族が圧倒的に主流であるため、子どもにしつけや教育をあたえられるのは、基本的にその親しかいません。
ですから、現代における正しい育児とは、以下のようなものになるはずです。
「子どもにしっかりと愛情をあたえ、社会のルールを教えた上で、自分と子どもとは別人格だという前提で子どもを育てながら、自立させていくこと」。
ところがわが国では、そうした常識的な育児法は、極端なまでに、なされていません。
子どもを甘やかすばかりで、親子が一体化するか、もしくは子どもを放置したままにする親が、急増しています。
その理由は、1960年代に、それまでわが国に存在した「地域共同体」が消滅し、核家族化が急激なスピードで進行したからです。
その結果、親は社会構造の進展についていけず、自己流の育児法で、孤独に自分の子どもたちを育てなくては、ならなくなったからです。
この点については、以下の記事でくわしく述べていますので、目次を見て、気になる部分だけでも、読んでいただきたいです。
毒親とは、子どもを支配・コントロールし、自分の人生を生きさせない親。毒親の実態と対処法、教えます
アダルトチルドレンで苦しんでいるあなたへ。ACの実態と症状の緩和について、私の経験を語ります
ネグレクトの原因は、親もその親も幼い人間だから。私がそのトラウマを克服した方法を伝授します
さらにその後、わが国ではバブル崩壊以降のデフレが続いたため、そうした「国民の孤立化」が、改善されないまま、令和の現在までに至っています。。
そのため、少子化や生活の余裕のなさ等の条件が重なり、わが国では「生きる上での規範」を子どもに教える機会も人材も、極端に減ったのです。
またそうした世間の荒廃とともに、モンスターペアレント、クレイマー、「老害」といわれる高齢者のような人たちも増えました。
ですので子どもたちはどうしても、そんな大人ばかりを見ながら、育っていくことになります。
よって端的に述べれば、「無意識に言い訳をしてしまう人」とは、ほぼすべて、育ちに問題がある人なのです。
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さてこの章では、私がこれまで直接、出会ったことのある困った「言い訳っ子ちゃん」について、述べます。(´・ω・`)
いまから17~18年前の年末から正月にかけ、当時フリーターだった私は、あるテキ屋さんでバイトすることになりました。
「テキ屋さん」とは、お祭りとかイベントの際、屋台を開いて食べ物やおもちゃなどを売ってる、ちょっと一般の社会から外れた人たちです。
私はそこで、ある成り行きから働くことになったのです。
そこで私は、当時18歳くらいの少年に出会いました。
彼は、私と同様にそこでバイトすることになった、20歳くらいの青年が連れてきた子でした。
彼はそこそこ整った顔をしていましたが、なにかの軽犯罪を犯したため、警察から保護観察中の身だということでした。
彼が具体的に、どんなことをやらかしたは知りませんが、とかく小柄で、つねにオロオロと緊張し、怯えているような様子でした。
ところが彼は、雇い主からなにか注意される度に、言い訳をしていました。
たとえば、以下のようにです。
主「商品の配置は、そこじゃダメだと、さっき言っただろ」。
彼「あ、そのときはお客さんの相手をしていたので、聞いていませんでした」。
主「君、声の出が悪いよ」。
彼「ぼくは、大きな声を出すのが苦手なので」。
主「ガスを持ってくるのに、どれだけ時間をかけてるんだ?」。
彼「それがどこにあるかわからないんで、ずっと探してました」。
一事が万事、この調子です。(´・ω・`)
さらに彼には、虚言癖がありました。
同僚のだれかから、「お前、(女性の)経験人数、どのくらい?」と訊かれ、「100人」と、冗談ではなく、真顔で答えるのです。
それでいてふだんは、オロオロ、ビクビクしていました。
これは、彼が「生きること」にリアリティーを感じていないからこその反応だと、私は思いました。
また同時に、それまでの彼の育ちが、どれほど荒廃していて、愛がなく緊張に満ちたものだったかも、容易に理解できました。
ちなみに「虚言癖」というものがどういうものか、知りたければ、下記を参考にしてください。
虚言癖とは、育ちの過程における歪み。「リアル」を心身に叩き込み、克服しろ!
また、これを書いている私自身にも、そうした傾向がありました。
それについては前述しましたが、興味があるようでしたら再度、以下を参考にしてください。
自己嫌悪でいつもイライラしているあなたへ。その原因と克服法を教えます
7 第七章 私が、自分自身の倫理を自分で構築するようになった理由
また私はそこでバイトする2年ほど前に、ある土木会社で作業員をしていました。
そこで、同僚の質問に対して、あいまいで責任回避的な答え方をしていたのが、いまでもハッキリ思い出せます。
それは、以下のような感じでした。
社員「ほんわかちゃん、まだ汚れが残っているようだけど、バケツはもうみんな洗ったの?」
当時はまだ、重篤な神経症にあった私は、弱々しく、こう答えました。
私「どうかな……、洗ったように、思うけどなぁ……」。
そのとき私は、10歳以上年下の高校中退の社員さんに、こうたしなめられました。
社員「ほんわかちゃん、思いつきは言わないほうがいいよ」。
そのように、テキ屋のバイト君や過去の私のように、無意識に言い訳が出てしまう人は、どうすればいいか?
これについては、下記を参考にしてください。
虚言癖とは、育ちの過程における歪み。「リアル」を心身に叩き込み、克服しろ!
第五章から第九章まで。
アダルトチルドレンで苦しんでいるあなたへ。ACの実態と症状の緩和について、私の経験を語ります
第四章から十章まで
上でも述べましたが、重要なことはとかく、自分自身を「リアル」にさらすということです。
まず日常生活においては、買い物から日々のあらゆる選択までも、自分の判断でもって行います。
そして、その結果としての責任すべては、自分自身で負うことです。
具体的には、なにかに失敗したのなら、それをちゃんと記録、記憶し、今後おなじ過ちをくり返さないよう、気をつける等です。
また職場でも、積極的に、最初は軽いものから、責任をともなう仕事をすすんでやってみる、ということも重要です。
そうしてそれが成功しようが、失敗しようが、その結果を自分の行動によるものとして、しっかりと受け止める、ということです。
とかくあなたは、自分を中心に物事を考えるクセをつける必要があります。
この場合、たとえ100のうち、80は自分の責任による失敗でなくても、残りの20の不始末については、自分なりに反省するクセをつけるようにしましょう。
また上司には、あなたの非をとがめられたら、とかくまわりの状況や他人を持ち出さず、「自分がどうだったか」を、意識的にありのままに伝えることです。
こうしたことを習慣にするには、最初のときほど、意識してやらなければ、ダメです。
というのは、あなたにはつねに、「自分が言い訳している」という自覚がないのですから。
これもまた、私の話になります。
いまから15年ほど前に、私はある引っ越し会社でバイトをしていましたが、そのときも自分より10歳は若い人に、こう言われました。
「ほんわかさんって、仕事もできないくせに、言い訳ばかりするね」。
彼はもちろん、私への親切心から、そう言ったくれたのでは、ありません。
これはただの意地悪であり、嫌みです。
ですが、彼に言われたこと自体は事実なので、私はそれからは、「とかく、言い訳をしないこと」に気をつけて、生きてきました。
またちなみにですが、私の両親も、言い訳の多い人物です。
彼らはふだんはいい人たちなのですが、たとえば私が神経症になった原因は、彼らにあるということを述べると、とたんにトンチンカンなことを言い出します。
「こちらはお前を、一生懸命に育てたはずだ」。
「お前を育てるのに、お前が病弱だから、何人分ものおカネがかかった」。
「こっちはこっちで、大変な思いをしたのに、お前はまだ親に不満があるのか?」等々です。
私はもちろん、親に責任を問うているのではなく、なぜ自分が病気になったのか、主治医からの説明を述べているだけなのに、そういう反応を示します。
とかく彼らとは論点が噛み合わず、こちらが事実を論理でもってわかりやすく説明しても、つねに感情論で返してくるので、まったく話になりません。
そして彼らに一貫しているのは、「自分に、息子の病気の責任があるはずはない」という、根拠なき確信です。
この点は、古代ローマの英雄、ユリウス・カエサルが言うように、「人は、自分が望む現実しか認めない」ということそのものです。
そこから、自分の責任に自覚がない人は、大人になるほど、その性格が抜けにくくなるといえます。
そして最後には「自分に責任がある」という自覚さえ、持てなくなるので、注意が必要です。
何に対しても、言い訳をしてしまうクセのある人は、ご自分が若く、「自分が言い訳をしている」という自覚があるうちに、それを治すようにしましょう。
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これもまた、身の上話で恐縮です。(^^ゞ
私はいまから16年ほど前に、ある塗装系の会社でバイトをしていました。
そこで私は、当時16歳くらいの、夜間高校に通う少年と一緒に、働くことになりました。
彼は、育ちによる自律神経の不調から、とかく早寝早起きが苦手でした。
彼が進学先に夜間高校を選んだのも、それが原因の一つでもあったようです。
だからその会社でも、非常に遅刻が多かったのです。
だいたい、5日のうち3日は、なんのかんので遅刻をしていました。
ところが彼は、その件で上司に問い詰められるといつも、「すみません、寝坊しました」と、素直に謝っていました。
そのため彼は、上司から「彼のいいところは、とにかく言い訳をしないことだ」と、逆に好感を持たれたほどです。
また彼とは対照的に、その場の言い訳ばかりしている人間は、長期的にはいいことは、一つもありません。
というのも、そうした生き方では、だれからも信頼を得られないからです。
つらいことですが、あなたもまずは、どんなことでも自分の非を客観的に見られよう、クセにするしかありません。
ただし、それができるようになれば、言い訳はどんどんと減っていくはずです。
また、ついとっさに出てしまう反射的な言い訳をしたとしても、次の瞬間には一呼吸置いて、状況や他人ではなく、自分の問題点を考えてみることにしましょう。
そしてそれを、素直に申告するクセをつけると、いいでしょう。
そのようにして、さらにおなじ過ちを、くり返さないようにします。
はじめのうちは、「言い訳しないこと」で、自分の立場が悪くなる、人に嫌われるのでは、叱られるのでは、といった恐れを感じるのは、当然です。
しかし長期的には、言い訳ばかりで責任回避をしていると、損でしかないことが、よくわかります。
というのは、何度も言いますが、それにより他人からの自分の信用を、決定的に失うからです。
とかくあなたは最初のうちは、自分の非を他者から責められることに、慣れるしかありません。
そしてこれはつらいことですが、あなたはとかく、自分の過ちを客観的に見られることを、習慣にするほかありません。
その間違いをその都度、改めていけば、人から怒られることも、なくなっていきます。
するとあなたの言い訳クセも治り、人からの信用も、得られるようになるでしょう。
また前述しましたが、言い訳クセを治せるのは、若いときだけです。
35歳をすぎてその性格のままであれば、「またあいつは、仕事もできないくせに、言い訳ばかりして」と、人から相手にされなくなっていきます。
また言い訳ばかりしていると、自分の本心が見えなくなっていく、ということもありえます。
それはたとえば、ネット上で炎上騒ぎを起こす「正義マン」も、そうしたタイプの人間です。
彼らはつねに自分の実態を省みず、他者の非ばかりを見ているから、他人の非が許せなくなるのです。
もし「自分にも、過ちを犯した人間とおなじ欠点がある」という自覚があれば、そうはなりません。
ところで、キリスト教の聖典、『新約聖書』では、以下のようなエピソードがあります。
律法学者といわれる人たちが、姦通罪を犯した女を、イエス・キリストのもとに引きずってきます。
彼らはユダヤの慣習にならって、女を石打ちの死刑に処するべきかと、イエスに尋ねます。
日ごろからイエスを快く思っていなかった律法学者たちは、ここぞとばかりに、イエスの知恵を試そうと、イエスに判断を求めたのです。
するとイエスは、しばらく考えた後、こう言います。
「あなたたちのなかで、罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」
律法学者たちは、イエスに言い返すことができずに、その場を去っていきます。『ヨハネ福音書』第8章、第3~9節。
このように、自分の短所を直視できるようになれば、他者の長所を尊敬できるようにも、なります。
それというのも、「あの人には、自分にない長所がある」、「この人からは、学ぶべき点がある」と、思えるようになるからです。
そして他人の長所を受け入れ、自分のものにしようとする習慣が身につけば、あなたはきっと、言い訳とは無縁の人間になれます。
なぜならそのときには、あなたは自分の問題点についても、明確にわかり、自分が迷惑をかけた人に対する罪悪感を、持てるようになっているであろうからです。
あなたには、その境地を目指して、がんばってほしいと思います。(*^^*)
すべては、「自分の真のあり方と行動を、素直に認めること」にかかっています。
言い訳クセのある人は、ほぼ間違いなく育ちに問題があります。
過保護に育ったか、ネグレクト(育児放棄)されたかにより、「行動には、責任がともなう」ということが、大人になってもわからないでいるのです。
そうした背景は社会的な問題ですが、そのように育てられた結果、言い訳クセがついてしまった人は、自分でそれを克服するほか、ありません。
というのも、言い訳をくり返していれば、人生でいいことはまったくないからです。
そのためにも、そうした人はとかく自分の一挙手一投足に注意し、積極的に責任ある仕事を引き受け、言い訳クセを克服していきましょう。
また言い訳クセは、それを抱えたまま完全に大人になってしまえば、抜けなくなっていきます。
最終的には、人から自分の責任を問われても、自分の言動のどこに非があったのか、自分でもわからなくなります。
そのため、あなたがまだ若いのでしたら、つねに自分のココロに正直であるべきです。
そうして他者を参考にしながら、他人の長所を自分のものにしていける素直さがあれば、あなたはもう、言い訳をする人間ではなくなっています。
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